日々、歩き












       

     第五歩/ 説得会議








  
  一人部屋にしては広く、何人も集まるには狭い部屋の中は持ち主からは想像できない小物で埋
 まっていた。見たことも無い背表紙の難しそうな本、はぴったりだと思う。

  だが、それらが入っている本棚の上には、うさぎ、かば、うま、ねこ、という漢字にすることが間違
 っているような可愛らしいぬいぐるみが置いてある。

  壁紙もピンクを基調とされ、千葉辺りにあるテーマーパークのポスターが貼ってある。

  部屋の四分の一を占めるベッドは、スチールパイプで骨組みされ、マガジンラックが二つ内寸され
 ている。

  頭のところにはちょっとしたものを置くスペースがあり、写真立てが三つ置いてあるが、レースが
 掛けられていて女の子っぽい雰囲気をかもしだしている。

  部屋全体がメルヘン。部屋の主、高井渚からは想像もできないものに溢れかえっていた。

「イッツア、ファンタジーワールド…」

  隣で呑気にマンガ本を読んでいる桃花を尻目に、稔は呟き、ふと、決意したように立ち上がった。
 そのまま部屋の隅に配置されているデスクトップ型パソコン前の椅子に座り、電源を入れる。

  甲高い音と共に、ディスプレイに見慣れたマークが映る。片翼が天使、もう片方が悪魔の翼を持つ
 天使を象ったマーク。

  下には英語で『Azazel』と表示される。OSの表示が終わり、ユーザー承認画面が出る。

  それは所持者以外がパソコンを使用することを防ぐための簡単なプロテクト。けれど、稔のような
 たいした知識も無ければ、クラックツールを常に持っているわけでもない人種には有効な防衛手段。

  しかし、不適に笑うと軽く室内を見渡す。桃花はマンガの世界に入り浸っているので作業を妨害
 されることもない。誰もいない方向を見やって、親指を立てる。

「こういうのは大抵自分の誕生日を入力しているものなのだよ、ふふん」

  ディスプレイにパスワードを求めるメッセージが表示され、稔は渚の誕生日を入力する。だが、

 『番号をお忘れですか? もう一度ご確認のうえ入力してください』

  エラーメッセージと共に危機感を煽る電子音が鳴る。

「なぜだ…、は! そうか、スリーサイズだな!」

  指を鳴らし、再びキーボードに打ち込む。事前に調査していた正確なデータである。
 
  この際、どうやって調べたとかは関係ないが、測られた本人が知ったら、稔は殺されること間違い
 ない方法なので黙秘。

  しかし、またしても失敗。

「くそう、こうなったら思いついた数字全部入力してやる!」

  やけになった稔は片っ端からキーボードを叩く。

  それでも、失敗、失敗、失敗……。

  数分後、息を切らしながら稔はキーボードを睨みつけていた。

「はあ、はあ、はあ…。ええい! これでどうだ! ってぬあ!」

  気合いを入れて打ち込んだはいいが、誤って自分の誕生日を入れてしまった。

「いかん、指を滑らせてしまった。てへ、失敗、失敗」
  
  気を取り直し、再びディスプレイに向き直る。だがその時、軽快な音と共に映像が切り替わり、変わ
 りに様々なアプリケーションソフトのアイコンが単調な壁紙に浮かんだ。

「おお! やった! ふふ、自分の才能が怖くなるぜ…」

  なぜ自分の誕生日が? なんて気にもしない。

  得意満面の顔で、稔はIEのアイコンをクリック。すぐにプログラムが作動し、画面いっぱいに広がる。
 すぐさまメニューの履歴を調べ始める。

「くくくく、これで渚がどんなページを見て回っているかわかるぞ。あんなホームページやこーんなホー
ムページまで、事細かに調べてやるぜ!」

  あわよくば弱みを掴んでやろうと呟き、人間の風上にも置けない精神をもって、稔は着々とプライ
 バシーの侵害を行う。

  が、

「人がお前らの為に菓子やらジュースやら持ってきてやったというのに、お前は何してるのかな?」

  決して重い口調ではなく、むしろ寒気がするほど優しい声が、脊髄に震えを起こさせる。
 
  稔は振り返らず、

「んーん、なんにも」

「へえ、そのわりには動いてるよな。パソコン」  

「あ、見て見て。これブロック崩しっていうんだってー。おもしろーい」

「うん、よかったな」

「ん? 大変だ、今日の日経平均株価が戦後最低値を記録だって!?」

「そりゃたいへんだ」
  
  稔の一言一言に反応が返ってくる。先ほどから振り返ろう振り返ろう、となんども体に命令を下して
 いるのだが、一向に拒否され続けている。本能が感知しているのだ、向けば殺られる、と。

「で…」

  後ろで一息。

「弱みは見つかったのかな?」

「んーん、なんにも」

「どうやってログインしたんだ? パスワードは?」

  間を置かず、続けられる尋問。恐怖で幼児退行している稔にも黙秘権は存在しなかった。

「えっとねー、いろいろ入力したんだよ? 渚のお誕生日とかスリーサイズとか、はぶぅ!!!」

  そこまで言って、稔の意識は途切れた。



               #         #          #



  光が見える。白くてとても綺麗な。

  とても綺麗だったから掴もうと手を伸ばす。

  だが、取れない。

  なんどやっても手の間を通り抜けてしまう。

  当たり前か、どう足掻いても取れっこないんだ・・・。

  瞬間、頭に鈍い痛みが走り、稔の意識は覚醒した。ぼやけていた視界が徐々にはっきりとしたもの
 になる。
  
  続いて、視覚から順に、触覚、自分がベッドに寝ているのだと判断する。味覚、口の中が乾き、水
 を欲している。嗅覚、シーツに染み付いている優しい匂いが鼻腔を通って肺に満ちる。最後に聴覚、
 聞きなれた声が左頬に響いているのを感じた。

「…ったい……だいじょ…ぶ…でき…って…」

「でも…みの……やめろ…言うよ…」

  稔は頭を向けようと首を捻ったが痛みのため断念する。仕方ないのでゆっくりと体を起こす。

「いったい何の話してるんだよ…」

  膝までも無い高さの机を囲み、桃花と渚が話し合っていた。渚がこちらに気づき、手を挙げた。

「お! 起きたか稔」

「おかげさまで」

  応対しながら体勢を直し、ベッドに腰掛ける。そして、改めて尋ねた。

「何の話してたんだ? お兄さん気になっちゃうゾウ?」

  パオーン、と腕を顔面で、もたげる。見ると、桃花が心配そうにこちらを見やっていた。

「稔、頭、大丈夫?」

  会心の一撃。稔はがくりとうなだれた。

  桃花としては、先ほど殴られた頭は大丈夫かと言いたかったのだが、文法的にまったく別の意味
 に変わっていた。

「バカ! 桃花、それだと稔の頭がおかしいみたいじゃないか!」

「え!? そう、だった?」

「それ以外には聞こえなかったぞ! せめて知能指数が幼稚園児並みだぐらいにしとけ」

「う、うん。そうだね」

  必死に、渚がフォローらしくないフォローを入れる。稔の周りを渦巻く負のオーラが一層濃くなる。

「お前ら、俺をバカにして楽しいか? 楽しいんだな?」

  いじけた子供のようにそっぽを向く。

「へん、いいさ、いいさ。俺はアイス食うもんね」

  そばにおいてあった自分のバッグを開け、クーラーボックスの中からアイスを取る。ふたを開け、
 木のへらスプーンで一掬いして口に運ぶ。

「うまい! やはりバニラアイスはハーゲンダッツに限るな! この濃厚なバニラエッセンスにマッチす
る甘さ! 口の中に広がる充実感がたまらないなあ!」   

  声高々に解説する。が、アイスを置き、すぐに向き直り。

「と、まあふざけるのはこれぐらいにして。どうしたんだ? なんか話してたみたいだけど」

  渚はため息をひとつ。そして言った。

「いや、さっきまで桃花とも話してたんだけど」

「ふんふん」

「今日学校で起きた事件のことなんだが」

「ふんふん」

「まさかただの事故だとか思ってないよな?」

「当たり前だ、そこまで俺は鈍感じゃないぞ。見たわけじゃないからはっきりとは言えないけど、間違い
なく誰かの手で殺されたみたいじゃないか」

「そう、つまり殺人だ。で、聞きたいんだが、稔はこの事件についてどう思う?」

「どう思う、って言われてもな…」

  言葉に詰まる。確かに異常なところが多々挙げられる。かといって稔には縁の無いこと。関係ない
 と言えば無い。真剣に考えても特別なにか浮かぶわけでもない。

  午前中に佐藤教師から聞かされた話の内容を、無意識に反芻する。

「変な事件、だな」

「そう、変な事件だ」

  なにか嫌な予感がする。稔は直感的にそう思った。

「なぜ女生徒は時計塔の上にいたのか、どうして無事に地面に降りることができたのか、人体をいとも
簡単に切断する凶器はなんだ? エトセトラ、エトセトラ、おかしなことだらけだろ?」

「まあ、な」

「だから・・・」

  そこで言葉を切り、呼吸を整えてから、

「調査しないか?」

「ハア?」

  自分でも驚くほど呆れた声がでたと思う。稔は口をあんぐりと開け、渚を指差した。

「調査ってあれか? 水曜サスペンス劇場とかでやってる事件の真相を追う、とかそういうことか?」

「そういうことだ」
  
  こめかみの辺りに、殴られたこと以外の痛みが発生する。右手で顔を覆い、親指と小指で両方の
 こめかみをおさえる。稔は顔をしかめながら、

「どうして、そういうことになるんだ?」

「佐藤先生から聞いただろ? 現場に残されていたメッセージに『次はお前らの番だ』って残っていたら
しい。ってことは次狙われるのはうちの生徒たちで間違いないな」

「そうとは限らないんじゃないか? 犯人は生徒たちの恐怖感を煽って楽しんでいただけで影でくすく
す笑ってただけかもしれないだろ?」

「それだよ」

「は? どういう…」

  渚は得意そうに不適な笑みを形づくり、なにか言いたそうな稔を片手で制した。

「これがただの脅しに過ぎなくて、これ以上誰も死なないっていうなら俺もこんなことは言わない。けど、
今回ばかりは違う。殺されるヤツはもっとでてくるんだ」

「なんで言いきれるんだ?」

「これを見ろ」

  勉強机の上に乗っていたファイルを稔の目の前で広げる。そこには切り取られた新聞記事がいくつ
 も貼り付けられていて、一つ一つに細かな注釈まで書いてある。

「お前、暇だな…」

「ほっとけ。新聞を読むことは大切なんだぞ。それより、ほら」

  パラパラとめくる。

  その中の一つに『連続失踪事件・遂に被害者の遺体見つかる』と、ゴシック体の文字が浮かび、無
 機質な黒を灰色の背景と対比して際立たせていた。稔に向かって突き出した。

「これが?」

「違う、よく見ろ」

  渚がファイルの隅をかるく叩く。

  失踪事件の記事の下に全く別の事件の記事が貼り付けられている。

  目を凝らすと、

「これは…」

「似てるだろう? 今朝の事件に」 

  書かれているのは今から一週間前の事件だった。目撃者の名前は石井和弘、鳴神市北東に位置
 する住宅街に住む独身男性。たまたまその日、上司の酒盛りにつき合わされ、夜もふけたころ、酔い
 を醒まそうと会社の屋上に出たところ。すぐ隣の廃ビルの屋上に人影を見た。

  人影は何かに追われているように走り回り、続いて手を振り乱し何かを遠ざけようとしている。

  突然、人影の一部が無くなった、ように見えた。実際は頭と呼ばれる部分が落ち、続いて体が膝を折り、
 うつぶせに倒れた。石井が呆然と見ているのをよそに倒れている体が次々と分断され、中を舞った。

  石井はなにか悪い夢でも見ているとおもったらしく、その日は黙って帰ってしまった。

  だが次の日、昨夜の事件が新聞の片隅に載っていることを知るとすぐに警察に駆け込み、証言した
 らしい。と言うことが書かれてある。

  確かに、石井の証言した場所にバラバラ死体はあった。

  だが、酔っていた石井の証言は信憑性が低いと判断され、さらに小さな記事として扱われている。

  一通り目を通し、稔は顔を上げて渚を見た。

「確かに似てるけど、これが何だって言うんだ?」

  稔が問うと、渚は自身ありげに応えた。

「考えてみろ。この事件が第一の殺人だとすると、今朝のは第二、ってことは第三、第四があっても
おかしくない。だから…」

  息を吸い、空気と共に言葉を吐く。

「俺は事件を未然に防ぎたいんだ。 ただの杞憂だっていうならそれでいい。けど本当に次の殺人が起
こったら? 俺はどんなことでも、ただ指を咥えて待ってるなんてしたくない。それは俺の信念でもあるし、
いままで生きてきた短い人生で決めたことなんだ」

  一気に喋り、しかし言葉は途切れず。

「調べても何もわからないかもしれない。高校生にできることなんてたかが知れてるしな。けど、できる
限りのことはしたいんだ。だから、手伝ってくれ」

「どうしてだ? 殺された女の子がお前の友達だったりしたのか?」

「いやそうじゃない、そうじゃないけど…」

  稔には、なぜここまで渚が真剣なのかわからなかった。

  ただの殺人事件じゃないか。身近には感じられないが、普通知らないだけで、この世界には誰かがえ
 げつない殺され方をしたり、幼い子供が飢えて死ぬことが腐るほどある。
 
  どれだけ人が忌み嫌ってもなくなることはない。人がいなくならない限りは。

  それが今回はたまたま近くで、学校で起こっただけのこと。まして被害者は知らない生徒。調べる義理
 も無ければ、法的にいって権利もない。下手をするとこちらが捕まってしまう。

  たとえ、真相に近付けたとしてどうするというのか。もし要らない行動で犯人の殺意がこちらに向いたら
 どう対処しようというだろうか。

   ―――それに、面倒くさい

  稔が厳しい顔をしているのを見て、渚は、隣に座ってこちらの様子を見ていた桃花に、合図を送る。桃
 花はこくんと頷き、立ち上がって稔に言った。

「稔。渚ちゃんは、危ないこと、しよう、って言ってる、わけじゃない、よ。ただ、調べるだけ、だめ?」

  ここで桃花。

  稔は感心した。

  渚は人の注意を引くためにまず主題をはっきりと掲示した。次にこちらに質問をぶつけ、思考させる。
 ここまでで自分の興味は、間違いなく今朝の事件へ向かう。

  さらに資料による根拠の明確化。組み立てられた論拠。理由に詰まったところで、あらかじめ打ち合わ
 せしていた桃花が説得に加わることにより、断りづらい雰囲気を作る。

  すべて渚の演出。意識が覚醒しかけていた時の話し声も、おそらく注意を引くための演技だったに
 違いない。いまならそう言える。

  稔は観念したように肩をすくめた。

「お前たちのいいたいことはよ〜くわかったよ、仕方ない」

「なら手伝ってくれるのか?」

  稔は微笑み、一度立てに頷き、急に自分の両頬を掴んで左右に伸ばした。

「ぜぇぇぇぇぇっっったい、手伝わないぷ〜!」











 


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