日々、歩き












       

     第六歩/安寧・秩序










  日も傾き、空一面が赤く染まりつつある時。黄昏時は静寂に世界を覆う。子供たちが帰路に着き、
 友人たちとはしゃぐ声も遠く、小さく聞こえる。
  
  高井家の一室からも、深い紫色の境界がよく見えた。その光景は人を感傷的にするのに十分で、
 つい昔のことを思い出しそうな、ノスタルジアに心を動かす。

  …にもかかわらず、静かな外とは違い、高井家の部屋は騒々しかった。

「うちの学校の生徒が殺されたんだぞ? なのに何もしないって言うのか!?」

  眉尻を上げ、渚が手を振りかざしながら熱弁する。だが、稔はどこ吹く風、

「だって〜、その生徒のことも知らないし〜。ってゆ〜か〜。やりたくないし〜」

「お前には道徳とか倫理っつー言葉がないのか!」

「そんなもんは何年も前に犬に食わせちまったな!」

  キラーんと、歯を輝かせて、稔。右手の親指を突き立てている。

「いっぺん死ね!」

  渚は顔をうつむかせ、軽く頭を振る。

「いいじゃないか…、手伝ってくれるぐらい。なんでそんなに嫌がるんだよ?」

  問いに、稔は胸を張って答える。

「なんで? と聞かれたら、答えてあげるが世の情け。まず、理由は大まかに分けて三つある!」

  ひと時流行った、指を三本立てて、スリーピースをつくり、渚の目の前に突きつける。

「ひとつ! 危ないことはやりたくない! ふたつ! 頭を使うこともしたくない!」

  指を一つずつ折込み、一息おいて、

「みっつ! めんどくさい!!!」

  むふん、と鼻から息を出す。そう、稔は自身に満ち溢れていた。

  視線を下ろすと、渚は肩を震わせ、拳を握りしめていた。肩から、次第に全身が小刻みに揺れる。
 怒りのせいで顔が紅潮しているのだろう。、

「どうして、お前はそうなんだ……いつもいつも、面倒なことは嫌だって言って…」

  最後の方は声にならない。呼吸をし、肺に貯めた空気を言霊に変換する。

「稔のアホ!!!」

  急に叫び、部屋を飛び出す。ドアが猛烈な勢いで閉められ、家全体が軋んだように感じた。遠く、力
 を込めて床を歩いているのか、重低音が腹に響くだけだった。


                  #    #    #


  あとに残された二人の少年少女は呆気に取られて動けないでいた。

  桃花は呆然と立ち尽くし、稔はテーブルの上のアイスをとり、口に運んだ。口の中に広がる甘さを噛
 みしめていると、隣の桃花が言った。

「稔、追いかけた、ほうが、いいと、おもう、よ?」

  稔は首を傾げ、数瞬思案にふける。

「…めんどいから、追いかけなくてもよし」

「稔!」

  友人をほうって置こうとする稔に、桃花が叱咤する。だが稔はそれを制した。

「まあまあ、俺のことより。桃花。お前だ」

「え? 私?」

  どういうことだろうか? この状況での質問に、桃花は疑問を覚える。それにこころなしか、稔の声
 に普段聞かない響きが混じっている。

「お前、渚と密約を交わしたんだろ?」

  問いの内容に、桃花の胸が緊張で高鳴る。

  自分でもはっきりとわかるほど動揺していると思う。手のひらにはじわりと汗が浮かび、呼吸も荒く
 なっている。

  稔が知っている。私と渚ちゃんの約束を。それは知られてはいけない契約。

「なんの、こと…」

「とぼけなくてもよいゾヨ? 麻呂は全てを知っておるのジャ」

  稔が先を取り、桃花の言葉を阻む。桃花は覚悟を決め、息を呑み、稔の言葉を待った。

「桃花。お前もう渚と約束しただろ、今回の事件の調査を手伝うって」

「はえ?」

  吐息とも、呆れともつかない声が漏れる。

「ああ、みなまで言うな。わかっとる、わかっとるがな。渚と約束したことはいまさらとやかく言わんさかい」

  微妙な関西弁を織り交ぜ、稔が断言する。

「う、うん、あ、そっち、か。うん、約束、したよ」

  たどたどしい口調で桃花は答えた。

  同時に、自分の考えていたことを、桃花は恥ずかしく思った。

  稔は事件の方の約束、調査を手伝うほうの話をしていたのだ。断じて、『もう一つ』のほうではない。稔
 があまりに急に、しかも真剣な顔で言うものだから―――。

  早とちりをしたことが、たまらなく羞恥心を煽る。

「桃花は渚の手伝いをしたいんだろ? まあ、友達だもんな、当然か。でもな…」

  息を吸い、

「俺はやっぱり反対だよ。半年前の変質者、覚えてるだろ?」

  桃花は黙って頷く。今でも鮮明に覚えている。

  勝気な笑顔を浮かべ、たった一人で、犯人を捕まえて見せると意気込んでいた少女。

  渚と初めて出会い、事件を解決し、そのあと交わした約束も、全て克明に思い出せる。

「私たちと、渚ちゃんが、初めて、出会った事件」

  そうだ、と稔が言い。窓ガラスに手をあて、外の景色を見る。

「あの時は、偶然、結果として渚を手伝うことになって、事件も解決できた」

  けどな、と言葉を区切る。

「今回の事件は前とぜんぜん違うんだ。ただの変態事件と、本物の殺人事件なら比べるまでもない」

  手を窓から離し、稔がこちらに向き直る。その目にいつものふざけた色は無く、それだけで桃花に
 は稔が真剣なのだとわかった。

「それに、気になることもある。桃花はともかく、どうして役に立たない俺にまで渚が手伝いを求めたの
か。まあ、これは間違いなく―――」

  一息。止めて、稔が渋るように、

「俺たちの”力”だろうな」

「それは、ちがっ…!」

  桃花は何か反駁しようと口を開く。

  だが何も言う暇なく稔が続ける。

「待てい。勘違いするなよ桃花。俺はべつにそのことが嫌だってわけじゃないんだ」

「じゃあ、なに?」

  話の意図はわからず、桃花が問う。それに稔は、しっかりとした声色で、

「俺たちのことは渚には半年前の事件で知られている。それに実際、あの時は役に立ったし、今回の
事件の調査にも役に立つかもしれないっていう渚の読みは正しいとも思う」

  桃花は稔の顔をしっかりと見る。稔が言おうとしていることを一字一句聞き漏らさぬために。

  稔は、疲れたように肩を下ろした。

「結局、俺が言いたいのは事件の調査を手伝いたくないわけじゃなくてだな。殺人事件なんて
 物騒なもんは警察に任せて、もっと普通に高校生活をエンジョイしようってことだ」

  稔は一度目を閉じ、開く。
  
  その顔にはいつもの意地の悪い笑顔が浮かんでいた。視線は、こちらのさらに奥。唯一の入り口
 であるドアの向こうに向けられていた。

「だから、へんちくりんな正義感はタンスの隅っこにでもしまっちまえ。渚」

  ドアの向こうから、人が跳ねるような気配が伝わってきた。



                 #      #       #



  稔に気づかれ、渚は恐る恐るドアの隙間を広げていく。

  顔が半分ほど覗いたところで、なるべく声に動揺が現れないように尋ねた。

「稔。いつから気づいてた?」

  それに、稔はなんの抑揚もない声で答えた。

「最初ッから。渚、部屋まで出たんだから階段は降りようぜ? 階段を降りる足音が聞こえなかった
から、ああ、これは盗み聞きしてるなとすぐわかったぞ」

「渚ちゃん、ずっと、聞いてた、の?」

  渚はばつが悪そうな顔をする。

  事実、二人の会話を聞くために怒った演技までしたのだ。稔たちの反応を確かめるという目的と、
 もしかしたら、自分が怒ったことで稔の決心が変わるかもしれないと淡い期待を抱いてのことだ。

  どうやら稔には見破られていたようだったが。

  完全に部屋の中に入り、稔たちと向き合う。

「まあうん。だって、なあ…」

  言葉を濁す渚に、稔は話しかける。

「ともかく、だ。渚。俺は言うことは言ったからな」

  渚は、しばし考える。

  ふりをした。

  自分の中ではすでに答えが出ている。それは誰に言われるまでも無く決めていた。この事件を知
 ったときからその決意は変わらない。

  渚は、一度口元に手をあて、下ろして、言った。

「…わかった。今回は事件に関わるのは止めるよ。約束する」

「そうか。よかった」

  稔の、心のそこから安堵した声に、渚の胸がちくりと痛んだ。

  だからせめてもの罪滅ぼし、そう理由をつけて渚は言った。

「そうだ、二人ともせっかく家にきたんだ。夕飯食べていけよ」

「え、わるい、よ。そんな、こと」

「いいっていいって。遠慮しないでくれ」

  誘いに桃花は困った顔を浮かべた。

「でも、いいの?」

  遠慮がちに桃花が聞く。

「ああ、妙なこと言ってお前らを困らせちまったからな。それぐらいはさせろ」

「桃花、渚もこういってることだし。お言葉に甘えさせていただこうじゃないか?」

「お前はもうちょっと遠慮を知れ」

「で、どうする? 桃花?」

  稔が言って、桃花を見る。

  稔の言葉に桃花は頷く。

「うん、そうだね。じゃあ、ごちに、なります」




             #      #      #




  人々の安全な生活を維持するため、警察機構は存在する。
  
  それは鳴神警察署も例外ではない。まして今日の事件の捜査に追われ、多くの職員が殺気立っ
 ていた。デスクの上は荒れたまま放置され、ものを置くスペースはほとんどない。

  物が散乱するいくつかのオフィスの前を通る。すると、白色で照らされたプレートに文字が浮かび
 上がっていた。

  取調室。

  そのすぐ隣に位置する、隠し部屋ともいうべき場所で、マジックミラー越しに取調室内を見る男の
 姿があった。初老と呼ぶは失礼な、だが顔に刻まれた皺からは、相応な年齢であると推察できる。

  男は、名を高井正隆という。

  正隆は厳しい目で、睨みつけるように取調室を凝視している。五人ぐらいなら軽く殺していそうな迫
 力。だがそれはない。なぜならこの男は刑事なのだ。もっとも、それだけで決め付けるのもどうかと思
 うが。

「高井さん、様子はどうですか?」

  背後から軽薄そうな声が飛んでくる。名を呼ばれ、正隆はゆっくりと首を回し、相手を確認する。

「おう、村下。駄目だな、進展は無しだ」

  思った通り威厳のある発声。自分の考えを伝えるのに必要なだけの言葉をもって答える。

「そうですか。こっちもなにも無しですよ。凶器も動機も、まったくわかりません」

  村下と呼ばれた若い刑事。本名・村下和馬は、やれやれ、と言ってこちらに近づいてくる。

  正隆のとなりまで来ると、同じように取調室を見る。

「宇藤 孝治。三十二歳独身。教師としても決して不出来なわけではなく、むしろその熱血振りから一部
男子生徒から熱狂的な支持を受けている。勤務態度も真面目で、犯行を行う動機も無し。現場では被
害者に一番接近していたため、重要参考人として任意同行、そのまま逮捕、ですか」

  事務的に村下はいう。マジックミラーに寄りかかり、正隆に尋ねた。

「あの教師、本当に犯人なんですかね?」

  顎の先で、取調室で机をはさんで対峙している三人の男をさす。二人は刑事、もう一人は件の容
 疑者。

  教師のほうはすっかり弱り、衰弱しきった様子だ。

「わからん。だが一番黒に近いな」

「被害者に一番近かったってだけでですか?」

「それだけで十分だ。普通なら、な」

  歯切れの悪い言葉に、若い刑事が突っ込む。

「なにか、あるんですか?」

「ああ、実はな。目撃した生徒たちの多数が証言していることなんだが。あの教師、被害者にはそれ
ほど近づいていなかったらしい」

「どういうことですか?」

  話の要領が掴めていない様子の村下に、正隆が詳しく解説を加える。

「確かに、あの宇藤とかいう教師は被害者に近づいた。だがその距離は六メートル。それ以上近づい
たと言う証言は取れていない」

「ろ、六メートルって!? なら、どうやって被害者は殺されたんですか!?」

  正隆が低く唸る。

  六メートルという距離はたいした距離ではないのだが、人が人を殺すには物理的に離れすぎている。
 包丁は論外、ワイヤーを使うにしても人体に巻きつけることができなければ切断など無理である。

  ワイヤーの点で言えば、腐るほどいる目撃者から、体に巻きつけることは時間的にも距離的にも
 無理だとわかった。

  それにその肝心のワイヤーが現場はおろか、宇藤のアパートからはかけらも見つかっていない。さら
 に人の体を骨ごと断ち切るには人一人の力では無理だ。

  まして、あれほど鮮やかに体を切り裂く凶器など、長い刑事生活だが、一度も見たことも、聞いたこと
 も無い。

  現在、地球上には、この事件の犯行可能な凶器は無い。

  なら、それが結論だった。この事件は『起こりえるはずがない事件』。

「……超能力」

  ボソ、と聞こえないほどの音量で村下が呟く。

「あ、何だって?」

「え、いや。もしかして、超能力なんじゃないかって。だって凶器はない。犯行方法もわからない。なら、
きっと真犯人がいて。どこか遠くから、超能力で被害者を、っいたあ!」

  最後の悲鳴は痛みを訴える叫び。

  正隆に殴られた頭を押さえながら、村下が涙の浮かぶ目で睨みつける。

「なにするんですか!?」

「お前がアホなことぬかしやがるからだ。ちったあ真面目に考えろ」

  真面目なのに、とぼやく。

「っといかねえ。もうこんな時間か」

  正隆が時計を見る。長い針は十二を、短い針は六を指す所だった。

「あ、そういえば今日はアノ日でしたっけ」

「そうだ」

  正隆の顔が赤く染まる。鼻の頭をかるく人差し指で掻く。

  アノ日。高井家の恒例行事となっている。いわば家族団らんである。
  
  刑事という難儀な職業に就いている正隆は、家に帰れないことも多々ある。だが、月四回は必ず
 家族で食事を取ることに決めているのだった。

  それは正隆にとって至福の時。もし邪魔する輩がいたら即刻排除するだろう。

  正隆の脳裏に可愛い孫娘の姿が思い浮かぶ。

  両親を小さいころに亡くし、以来自分が引き取り、育てた。目に入れても痛くないと思っている。親
 バカならぬ爺バカかもしれないが、器量もよく、顔立ちも整っている。

  どこに嫁にだしても恥ずかしくない。

  と、自分の顔に視線が集中していることに気づく。

  見ると、村下がにやにやと唇を吊り上げながらこちらを見ていた。

「いいですね〜。高井さんの顔見てたら僕も欲しくなったいましたよ。孫とか」

「う、うるさい!!!」

  一喝。
  
  だが、その口調はどことなくふにゃけ、迫力に欠けていた。おかげで村下のにやけ面は収まらず。
 むしろその度合いを酷くするだけだった。

  気恥ずかしくなった正隆は、

「なにかわかったら連絡しろ!!!」

  怒鳴り、ドアがもげそうなぐらい強く叩きつけて部屋を出た。

  部屋の中から村下の叫び声がかろうじて聞こえてくる。

「渚ちゃんによろしく言っといてくださいね〜!!!」

  言われ、正隆はだれがよろしく言うか、と小声で言い。家路に着いた。










 


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