日々、歩き













       三歩目 / 悪意の具現









「観念するんだな、稔。もう逃げ道は無いぞ? ん?」 

  
両手の指をわきわきと動かしながら、渚が迫る。

「くっ!」
  
  稔は一歩引いた。だが背中に無機質な冷たさを感じ、それ以上、下がれないことを悟る。見なくともわか
 る。いつの時代も人の前に立ちはだかる、壁。

「だれの胸がマリアナ海溝より抉れてるって? グランドキャニオンより削れてるって?」

  稔はそこまではいってない、と言いかけて留める。いま渚に何を言っても悪い意味でしかとるまい。
 
  視線を巡らせ、退路を探す。だが、完全な袋小路になっているため、なんとかして渚の脇を突破しない限り
 逃げることはできない。

  助けてくれるであろう桃花も、大分前に引き離してしまったのでここにはいない。

  なんで学校に行き止まりなんかあるのか、嘆かずにはいられない。

「安心しろ、稔。せめて苦しまないように送ってやるから」

  口から白煙を上げ、目を金色に輝かせながら渚が距離を詰めてくる。この状況は何かに似ている。確か
 朝もこんなことをした覚えがあった。

  思案し、稔は一つの策を生み出した。成功率は決して高くないが、やらねば殺られる。なりふりは構って
 いられない。

「いらん情けは己を殺すぞ? すぐ俺に止めを差さなかってことを後悔するがいい!」

  悪役のようなセリフを言い、稔は胸ポケットから携帯電話を取り出した。

「携帯? そんなものでどうにかできるとでも?」

「できるとも、侮るなこの力!」

  すると、稔は携帯のディスプレイを覗き込み、叫んだ。

「おお、もう九時になるじゃないか! いいのかな? 渚みたいな優等生がこんなところで油を売ってて?」

「えっ!?」

  渚は慌てて右手を顔の近くまであげ、手首に巻いてある腕時計を覗き込んだ。確かに、時計の短い針
 は九を差している。

  真面目な優等生である渚は、悲しいかな、授業をサボるということになれていない。そのせいか、稔の
 一言は動揺を与えるに十分だった。おかげで、視線が僅かな間、稔から離れる。

  稔はその瞬間を見逃さなかった。短距離走で使う筋肉を極限まで絞り、爆発させる。

「ふん!」

「って、あ! させるか!」

  稔の狙いはすぐさま渚に悟られ、妨害しようと構える。空手のローハイの型、寸分の隙も見当たらず、
 渚は勝利を確信した。

  だが、

「え!?」

  突如、渚の視界から稔が消える。頭で考える前に、稔の姿が視界の端に映る。
  
  稔は渚の正面。だが、腰よりも低い位置を滑空していた。渚は稔の狙いがわからず、しばし呆気にとられ
 る。だが、気づいたときにはやや遅すぎた。

  時間にして一秒に満たなかったが、稔が渚の真下を通り過ぎるには十分だった。

  それだけではない、スライディングしながら、あらかじめ操作していた携帯のカメラを上に向け、決定ボタン
 を押した。

「激写、激写! 激写ボオォォゥゥゥゥイ!!!」

  カシャ、カシャ、カシャ

  携帯のスピーカーから、旧式のカメラがシャッターを下ろす音が静かな校舎に響き渡った。盗撮防止用に
 付けられた機能も、ここまで堂々とやられればその役目を果たさなかった。

  硬い廊下を滑り、渚のスカートの下を通り、勢いを利用して立ち上がる。渚に背を向けたまま、携帯を閉じ、
 唇の端を吊り上げながら、

「俺の、勝ちだな」

  そこで、渚はようやく自分の身に起こった悲劇を知った。

「な、何てことすんだよ!」

「ふ、パンツを撮られたぐらいでそうわめくな。みっともないぞ?」

「みっともなく無いだろ!? 稔、いいからその携帯寄こせ! ぶっち、壊す!」

「それはできない相談だな、けど安心しろ。武士の情けだ、『いま』、『ここ』で、見るのはやめておこう」

「結局見るんじゃないかよ!!!」

  僅かな攻防で立場は逆転し、いま稔は圧倒的有利に立っていた。

「ふふふふふ、それではお別れといこうじゃないか。じゃあな渚、アディオス・アミー・・・」
  
  言いつつ、稔は退散するために身を翻した。まさか、朝のやりとりがこんなところで役立つとは思っても
 いなかった。和葉は逃げることができなかったが、稔を遮るものは何も無かった。

  だが、視線を渚から移し、逃亡方向へ向けたとき、なにか奇妙な違和感を感じた。

  目の前を埋め尽くした、真っ白なシーツ。だがちょっと違った、僅かな陰影からそれが人の着ている服
 だと判断できた。なんとか避けようとするが助走をつけた体は急には止まれない。

「ゴッ!!!」

「うわっ!」

  一方は情けなく、もう一方は驚きの声をあげた。稔はバランスを崩し、廊下に倒れこんだ。持っていた携帯
 が手を離れ、転倒方向に疾走していった。

  あ、と稔が声をあげる間もなく、携帯は止まった。渚の足に踏まれて。

  バキッ!!

  稔が仰向けになったまま顔を渚のほうに向ける。そこでは般若が壮絶な笑みを浮かべていた。

  ・・・・・・さようなら、俺のパンチラコレクション。さようなら、俺の未来。

  がくりと頭から力を抜く。

「だ、だいじょうぶかい!?」

  空から困ったような声が落ちてくる。顔を前に、正確には天井を見る。そこには人の良さそうな顔があった。
 だがその顔も今はおどおどしている。

「ほら、立てるかい? ごめんよ、怪我はしてない?」

  言いながら、手を差し出してくる。稔は無言でその手を掴み、立ち上がる。軽く埃を払い、改めて目の前の
 人物の顔を見る。

  こちらを心配そうな目つきで見ている。その人物、名を佐藤修二と言う。いつもニコニコと笑みを浮かべ、気の
 弱そうな顔つきをしている。だが、その実直さと優しさで生徒たちからの人気も抜群に高い。

  担当科目は生物、普通は人気の無いこの教科も、佐藤の独特の教え方が人気のもととなり、高校でも屈指
 の名教師だ。常に来ている白衣がチャームポイントである。

  生物を選択している稔も、この教師とは面識があった。

「せ、せんせい・・・」

「どうしたの? やっぱり、どこかぶつけたりした? 大変だ! 病院に連れて行かなくちゃ!」

  一人先走る佐藤に、稔はがっとしがみ付き、

「助けて! 殺される! あの鬼に殺される!」

  べそをかきながら助けを請う。多重債務者もかくやという悲壮感漂う顔に佐藤は戸惑いながらも聞いた。

「殺される? 誰に、それに鬼って?」

「あ、あれです!」

  と、指をさす。指の先にいたのは渚だった。先ほどまでの顔は内に隠し、対先生用の顔をしている。愛想
 よく笑い、手を振って否定している。

「高井さんが? 稔くん、嘘はいけないよ」

「うそじゃねえです。オラ、嘘なんかついてねえです。信じてくだせえ!」

  必死の哀願と、優等生の否定。板ばさみになった佐藤はとりあえず逃げることにした。

「それよりも、二人ともどうして学校にいるんだい?」

「「え?」」

  何も知らない様子の二人に、佐藤はすまなそうな顔をして頭を掻いた。

「あちゃ〜、やっぱり知らなかったのか。まあ、仕方が無いよね、二人はいつも登校時間が遅いから。今朝の
ことをしらないのも無理はないか・・・」

「それってどういうことです?」

  近寄ってきて、渚が佐藤に尋ねた。

「今朝、ちょっと事件が起こってね。今日は休校ということになったんだ。TVとかでその報せは流したみたい
だけど、どうやら二人とも知らなかったみたいだね」

  仕方ないか、と佐藤が呟く。

「事件って?」

  再び、渚が尋ねた。

  佐藤は、少し気まずそうな顔をして口ごもった。

「う〜ん、話していいものか・・・」

「話してください。俺たちはこの高校の生徒なんです。ここで起こったことは知る権利があります」

  渚が毅然とした態度で言う。

「でも・・・」

  まだ渋る佐藤に、

「まあまあ、先生。そんな難しく考えない。かるく話しちゃってくださいよ」

  稔が、軽い口調で言う。このままいけば災害を逃れられると算段してのことだった。

「・・・・・・わかった、話すよ。でも、ぼくも全部知ってるわけじゃないから、そこは勘弁してね」

  そして、今朝起きた事件のあらましを話し始めた。






                 #   #   #






  事件は今日の朝、稔たちが通う私立セント・命樹(メイキ)高校で起こった。
  
  命樹高校は超巨大マンモス校である。その敷地の広さは山を二つほど飲み込み、稔たちが住む鳴神市の
 面積の十分の二を占めている。生徒の数も規模に見合い二千人前後いる。

  セントの名からもわかるように教育方針はキリスト教の精神と宗教的情操教育を通して、正しい世界観、
 人生観、道徳観を養うために建校された。

  卒業生の多くが名門大学に進学し、社会にでてからも大きく貢献していることで有名なこの命樹高校は
 勿論学力も高くなければ入ることはできない。

  指折りの名門私立高校に数えられる命樹高校に、稔は本来なら入学できる学力では無かったのだがそ
 こは内申点でカバーした。
 
  話を戻そう。

  命樹高校は非常におもしろい構造をしている。

  中央校舎を囲むよう九つの校舎があり、中央校舎を含めて十の校舎がある。また、それぞれの校舎は
 隣あっている校舎と三本づつ、全部で二十二本の渡り廊下でつながれている。

  一番北側から学長校舎。二つ並ぶようにして中央校舎の北西に警備員棟、北東に資料別館、すこし南
 に下がったところの西側に運動棟、東側に宿泊棟。

  中央校舎から南にさらに二つ、南西には三年の学舎。南東に一年の学舎。その二つに挟まれるように
 して職員棟があり、ホールを真南にいくと玄関専用の校舎がある。

  ちなみに中央校舎が二年生が普段の授業を受けるところで、天高くそびえる時計塔が他の校舎より人
 の目をひきつける。

  今朝、中央校舎の象徴ともいえる時計塔に人影があった。

  生徒たちは初め整備員かなにかだと思っていた。時計塔が整備不良を起こすのはいつものことでそれを
 直しにきたのだと。

  だが違った。
  
  人影は制服をきた命樹高校の女生徒だった。
 
  次第に教師たちも駆けつけ何事かと目をこらした。

  見ると、女生徒は何かから逃げるように時計塔のせまい足場を走り回っていた。しきりに耳を押さえたり手
 を振り回してなにか叫んでいる。

  教師たちが急いで駆けつけようとした瞬間、女生徒が足を踏み外した。

  誰もが目を閉じた。見ていて気持ちのいいものではない。

  数秒たってから恐る恐る目を開けると、驚愕の光景が広がっていた。

  女生徒が生きている。それも無傷で、土の上に立ち尽くしている。本人も何が起こったのかわかっていない
 ようで、自分の体を調べたり、頬をつねったりしている。夢だと思っているのだろう。

  奇妙なことだったが女生徒は無事だった。

  一人の教師が女生徒に駆け寄っていった。おそらく女生徒の安否を確かめにいったのだろう。 

  これで万事解決だと皆がほっとした矢先にそれは起こった。

  突然、女生徒の右腕が大地に落下した。本人はきょとんとした顔でなくなった肘から先を眺めている。

  同じように左腕までが、なんの予兆もなく落下する。

  誰も状況を認識できない。

  誰よりもはやく反応したのは腕を失った女生徒だった。恐怖に顔が引きつり、悲鳴をあげようと大きく
 口を開ける。

  だが、悲鳴があがることはなかった。

  そのまま女生徒の首から鮮血が飛びだし、目の前に教師に降り注ぐ。だれも声を出すことができない。
 女生徒の口だけが何かを言いたげに金魚のように動く。

  さらに彼女の体が八つに分断されて、ようやく人々は悲鳴をあげた。

  女生徒が死んでから一分後のことである。

  そして、いつの間にか地面には女生徒の血でこう書かれていた。

 ―次はおまえらの番だ、神の審判を受けよ―  〜eriel〜












 

 一歩進む  一歩戻る  振り返る



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