日々、歩き












       二歩目/永遠なる幸せの瞬間












  高鳴る鼓動を抑えて影は周囲の闇と同化していた。
   
  心臓の鼓動が大きく、速く聞こえる。早鐘なんて生易しいものではない。そのまま胸を突き破るのではな
 いかというほど脈打ち、まるで大砲のように鼓膜の奥に響いてくる。

  それは恐怖でなく、愉悦による歓喜の鼓動。

  目の前に転がる先ほどまでヒトだった肉塊を眺め、影は自分の顔にゆがんだ笑みが浮かんでいることに
 気づく。

  その後はもう堪えることができない。初めは低く、だがだんだんと笑い声は高くなりついには哄笑してし
 まう。

  だって、自分は"力"を手に入れたのだから。

  これで誰も自分には逆らえない、逆らわせない。

  この力をどこで使ってやろうか? 警察だって自分が犯人だとは思うまい。なら殺し放題だ、殺しは楽しい。
 泣きながら命乞いをする姿を見るのは実に愉快だ。それに死の宣告を叩きつけるのはもっといい、実にいい。

  ヒトが多く、すんなりと殺せて自分がそのさまをじっくりと観察できるところ。

  アア、ナンダ。ガッコウジャナイカ・・・。

  影の笑い声がさらに高く、宵に響き渡る。



             #      #      #



「あのやろう、人の飯まで食いやがって・・・後でもう一回制裁を食らわす・・・」
   
  呟きながら、稔は自分が通っている高校の校舎を歩いていた。先ほどまで桃花と一緒だったが、職員棟
 に用事があるらしく、途中で別れていた。

  朝の出来事のあと、結局朝食を食べ損ねたので登校途中コンビニでおにぎりをニ個とアイスを一個買った。
 おにぎりは食べ終えていたがアイスはあとの楽しみに大切に鞄に入れてある。

  しかも専用のクーラーボックスに入れてあるので長時間保存可能。完璧なまでの装備。稔はことアイスに
 関しては抜かりがない。

「それになんだ? 今日は全くイベントが起こらなかったじゃないか。ギャルゲーでも、昔のラブコメでも主人公
の登校シーンでは何かしらの出会いがあるはずなのに・・・」

  そう言って、廊下の曲がり角から目を覗かせる。

「・・・いない・・・・・・ちっ、食パンを咥えたあわてんぼう少女がいてもいいんだが・・・しょうがない、謎の美少
女転校生に期待をかけるか・・・・・・」

  舌打ちして、長い廊下を歩き続ける。朝のHRまで時間はまだあるので、悠々と歩く。稔の足音だけが校舎
 に反響して、後ろから追いかけられているような錯覚に陥る。

  あれ? と稔は疑問が浮かんだ。

「うちの学校ってこんなに静かだったかニャ?」

「稔、頭大丈夫か? なんならいい医者を紹介してやるぞ?」

「ニャ!?」

  背後から突然聞こえた言葉に、稔は猫のように反応して壁際に寄って威嚇する。

「シャー! って、ニャんだよ。渚か、驚かすニャよ。危うく秘奥義が炸裂するところだったではニャいか」

「ほう、ぜひとも俺に見せてほしいね、お前の秘奥義」

  突然の乱入者は拳をパキパキとならしながら、余裕の笑みを浮かべている。それもそのはず、高井渚は
 全国高等学校空手道大会・女子個人組手の部の覇者である。
 
  稔が彼女と知り合ったのは高校一年の秋、当時頻繁に出没していた変質者の事件の際初めてお互いの
 存在を認識した。文武両道、質実剛健、才色兼備を謳われる渚は、常に学年最下位を競い合っている稔
 のことなんか知りもしなかった。

  稔はというと、噂ぐらいは聞いていたが別に興味も無かったのに加え、ミーハーなクラスメイトたちに付き
 合ってわざわざ別の教室に行って噂の美少女の顔を見るのもなんだかめんどくさかったので見に行ったこ
 とはない。

  しかし、去年の事件以来交流が増え、今年の春に同じクラスになってからもよくつるんでいる。

  渚はモテる、とにかくモテる。それは男女の枠を超えるほどだ。

  若干きつい眼差しと鋭角的な顔立ち、短く切りそろえてある髪は健康的なツヤがあり、特徴的な男言葉
 は男である稔よりも男らしい。

  周囲には綺麗というよりカッコいい印象を持たれている。三ヶ月ほど前のバレンタインには持ち帰れぬほ
 どのチョコをもらったことが伝説となりつつある。

  稔は渚が大量のチョコをもらっているところを見て、

『俺が義理三個〔和葉・桃花・渚〕なのに、ま、負けた」

  と、ひどく打ちのめされたものだった。  

  そして、現在に至るわけだが、

「ふ、やめておこう。俺がおまえを倒したことが学校中に知れ渡ったら・・・」

「知れ渡ったら?」

「・・・・・・殺される・・・」

  稔の言葉は呟きよりも小さく、

「は?」

  渚が聞き返す。だが稔は小さく首を左右にふり、なんでもないと告げた。
   
  本人は知らないが渚には『全世界美少女崇拝委員会・高井渚支部』と大層な名前を持つ非公認のファン
 クラブがある。稔は彼らに普段から目を付けられている。

  理由は渚と親しいから、それだけ。だが狙われる根拠は乏しいものの稔が渚を傷つけようものなら、後日、
 太平洋にザ・ボディ(どざえもん)がぷかりぷかりと浮かんでいることだろう。同時に、稔の机には綺麗なお花
 が飾られているに違いない。

  そして、葬式の会場には俺の生前の顔写真が・・・

  えんぎでもない想像に身を震わせる。

「それより、ニャぎさ。ニャンか今日の学校おかしくニャいか?」

「いや、むしろおかしいのはお前のほうだと思うぞ? どうした、悩み事か?」

  渚の瞳には真摯に稔を心配する光が宿っていた。

「いや、渚。そんな目で見られても・・・冗談だから。ボケに対して真面目に聞き返されても虚しいだけで困
るんだけど」 

  渚は当然とばかりに頷き、

「ああ、知ってる」

  稔も、

「ああ、俺も知ってる」

  既に会話が成り立たなくなりつつある。意味を訳するとこういうことだろうか。

『ああ、ちゃんと稔がボケてるだけだとわかっていたよ。俺はそんなに鈍感じゃないぜ。ただこっちの方が
普通につっこむよりおもしろいかなって思っただけさ』

『ああ、俺も渚がボケだとわかっているのに、さも俺を変人のように扱おうとしていたことぐらいわかって
いたよ。お前ってそういうヤツだもんな』

  これだけの意味が含まれていたかはわからないが、稔達の会話はどうやら成り立っているようであ
 った。

「それはこっちに置いといて。真剣に聞け渚、妙に静かじゃないか?」

  稔が言う。

「ああ、それにさっきから変な唸り声も聞こえないか?」

  渚に言われ、稔は耳を澄ました。確かに聞こえる。

  校舎全体が不気味な静寂に覆われ、稔たちの息遣いだけがよく聞こえる。しかし、風に紛れて地獄
 の亡者が鳴く怨嗟の声のようなものが聞こえてくる。

  稔は周囲を見渡した。先ほどから結構な時間ここに立っているが、誰一人通らない。誰一人いない。

  どういうことだろうか。HR前の廊下というのは生徒たちが溢れかえり、昨日見たテレビのことなんか
 話しているものだ。

「とりあえず、教室にいこうぜ。稔。誰かにいまの状況を聞けばいいだろ」

「ああ、そうしますかニャ〜」

  その後は適当に話をして、長い廊下を歩いた。

  途中で、

「あ、渚ちゃん! と、稔!」

  突如現れた美しい少女に渚は軽く挨拶をした。

「おう、桃花おはよう」

「俺はついで、か・・・・・・」

  いじけている稔は無視して、桃花は首にかけたカードの束を揺らしながら駆け寄ってきた。

「渚ちゃん、おはよう」
  
「どうしたんだ桃花、いつもなら稔といるのに今日は見当たらなかったから風邪でも引いたのかと思ったぞ」

「ん、職員室にね、行ってた」

「なにか用でもあったのか?」

「課題の、提出。けど、立ち入り禁止、って紙が、あったから、入れなかった、の」

  桃花は残念そうにうなだれた。渚は桃花の頭をやさしく撫でた。

「それは残念だったな。それにしても課題の提出とはえらいな。課題なんか出したことがないどこかの
誰かとは大違いだな。なあ?」

  渚はそういって、稔をじっと見詰めた。稔は腕を組み、素知らぬ顔で口笛を吹いている。

「ほう、そんなやつがいるのか。全くけしからんやつだな。顔が見てみたいぜ」

「お前だ、お前」
   
  渚が稔を指差す。稔が振り返えっても指の先には誰もいない。稔が体を右に逸らすと右に、左に逸らすと
 左に、しゃがむと下、最後にはジャンプしてまで指から逃れようとしたがと追跡してきた。

  渚の指差す方向を、桃花もしっかり見据えている。

「もう! 人様を指差しちゃいけませんってあれほど言ってきたでしょ!」

  稔は頬を膨らませ、腰に手をあててぷんぷん怒り始めた。完璧逆切れだが。

「まったく、どこでこの子の育て方を間違えたのかしら・・・」

  額に手をあて、頭を左右にふる稔に渚は、

「いや、悪いけど、お前に育てられた記憶は無いから」

  正論を突きつけた。だが稔は困ったように肩を竦めて、嘲りの目で渚を見下した。

「ふ、心がちっちぇえな。渚」

「意味がわからん・・・」

  頭が痛くなってくる。渚は、僅かな頭痛をこめかみのあたりに感じた。稔の奇行は今に始まった事では
 ないがなかなか慣れることはない。

「稔、言いすぎ、だよ?」

  桃花が稔をたしなめる。常に濡れたような瞳であるためこの目で見られたものは桃花のためになん
 でもしたくなってしまう。

  だが稔は、まったく意に介した様子も無く、桃花を一瞥すると渚の顔を見詰めた。

「な、なんだよ?」

  稔に見詰められ、渚の顔が若干赤く染まる。稔は視線を顔から徐々に下に向けていき・・・

「・・・ちっちぇえな」

  渚の胸の辺りを見て、しみじみと言った。その目は、憐れみと同情と、諸々の悲哀の感情がこもっ
 ていた。

  渚のこめかみに青い血管が浮かび上がり、なぜか周囲からラップ音が聞こえ始める。ピシピシミシ
 ミシとコンクリートの壁がひび割れるようだった。

  稔は、隣の桃花の胸を見てまた渚に視線を戻した。

「・・・・・・ちっちぇえなあ・・・」

「ブッ殺ス!!!」

  渚の顔が般若の如く歪み、背中に禍々しいまでのオーラが見える。拳を振りかぶり、稔めがけて
 打ち込む。だが、稔はひらりとそれをかわす。
 
  稔の背後にあった掲示板が砕け散った。だがそれでも稔は焦った様子も無く、

「ひょほほほほほほほほほほほ」

  笑いながら走り去って行った。

「待てコラ!!!」

  ブチ切れ状態の渚は顔を怒りで真っ赤に染めたまま稔を追いかけ始めた。元々、渚は鋭い顔つきを
 しているので怒ったときはやばい怖い。その辺のレディースやヤンキー、本職のお方も裸足で逃げ出す
 ほどである。

  睨まれると、誰もが蛇に睨まれたカエル状態になる。その前に稔は逃げたわけだが。

「ま、まって、よ〜!」

  猛スピードで二人が走っていってしまい。桃花も取り残されないように走り出す。
  
  本人たちは必死であるのだが、なんとなくのどかなものに見えた。それは小さな子供たちが元気に走り回っ
 ている光景によく似ていて、思わず微笑んでしまう。

  中身はどうあれ、それは確かな幸せのかたち。













 


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