日々、歩き












       

     第十九歩/ 闇で奏でる者たち









  許せない―――
  
  鳴神警察署でうずくまるようにしている佐藤。拘置所の中は冷たく、凍えそうなほどだった。その中で
 佐藤の心を燃やし続けたのは稔、そしてなにより渚に対しての怒りだった。

  油断、慢心、自己満足、それらが起こした僅かな隙。ガキになんて事件のことを話しても害はないと思
 っていたことが間違いだったのだ。

  しかも、手錠は外れているというのに、腕が全く上がらないことが佐藤の苛立ちを大きくしていた。多少
 は上がる。日常生活を送るには若干困る程度だが、"力"の発動には不十分だった。

  ―――悔しい。もっとだ。もっと人を殺したかったのにこれでは殺せないではないか。

  今回起こった一連の事件の犯人として捕まることは、まずない、と思う。凶器が凶器なのだから。

  だが、それでも、思う存分に人を殺せなくなったには違いなかった。普通の方法で殺したのではあえ
 なく警察に捕まるだろう。

「くそっ!」

  殺したい、殺してやりたい。あの二人を、自分を嵌めたあの二人だけでも、どうなってもいいからせめて
 稔たちだけは殺してやりたいという殺意が轟々と湧き上がる。

「叶えてあげましょう」

  凛とした声が拘置所内部に響いた。

  いつからそこにいたのか、牢越しに一人男が立っていた。彼に佐藤は見覚えがあった。

  数週間前、自分に"力"を授けてくれた者たちの一人。ここからでははっきりと顔を確認できないが、
 独特の柔らかい雰囲気と優男のような物言い、間違いない。

  折原 恵美を殺した際、メッセージを残すように指示をだしたのも彼らだ。そしてそれ以降は好きにし
 ていいといったのも彼ら。

「どうやって、ここに?」

  ふっ、と男の口元が笑ったように見えた。

「答えねばなりませんか?」

  自己よりも圧倒的な存在。遥かな高みにある威厳が醸し出ている。佐藤はそれ以上何も言わず、畏怖
 と、尊敬を込めた目で相手を見詰める。

「あなたの願いを叶えてあげましょう」

「えっ?」

「殺したいのでしょう。その二人を…」

  読まれていた。佐藤の思考はあっさりと読み取られていたのだ。

  この拘置所に入ってきた"力"と、心を読む"力"。同時に二種の力を使える男は力強く微笑む。

「殺したいのは確かにその二人ですが、僕が犯人だと知っている者は他にもいるんですよ? そいつら
はどうするんです?」

「ああ、問題ありませんよ」

  佐藤の懸念は男が微かに頷くことでなくなった。

「私たちに任せておいてください。あなたは気づいていないようですが、ちゃんと『事後処理』はしてい
ますから。それより、あなたに二人を殺させることが先決でしょう?」

  だが佐藤にとって、そんなことはすでにどうでもよかったのかもしれない。即座に柵にしがみつくと
 玩具を与えられた子供のように目を輝かせる。

「どうやって?」

  殺せるのか、という問い。

  男は再び微笑すると、すっと手を差し伸べてきた。手のひらには錠剤が乗っている。真っ白で、あり
 ふれた表現でいう雪のように白い。絵の具の白をそのまま固めたような色合いだった。

「これは…?」

「〈贈り物〉と私たちは呼んでいます。それを飲めば一気に第五天マティまで能力が跳ね上がるはずです」

「マティ?」

  佐藤が疑問の声を上げるが、男は笑ったまま答えない。

  そこに確信を持ち、男の手からもぎ取るようにして錠剤を奪うと、佐藤は水もなしに黙って飲み込んだ。

  途中、喉が詰まりそうになりむせるが、どうにか飲み込む。

「これで…っ!」

  途端、佐藤の体は自身を覆う灼熱感に激痛が走った。まるで炎で焼かれるような、だが体は燃えて
 いない。完全な幻痛。しかしその痛みも一瞬だった。

「そう、それであなたは一歩、神に近づいた。さあ、使って御覧なさい」

  男が冷淡にいう。ともかく佐藤は腕を上げてみた。

「おお!」

  上がった、腕が確かに上がったのだ。同時に、膨大な量の風が一点に集い始める。

  軽く振ってみる。風の刃は鋼鉄で出来た柵に向かって飛んで行った。

  カランカラン

  乾いた音をたてて『鋼鉄』の柵が切断された。以前は鋼鉄を切ることが出来ず、それをもって稔た
 ちに一本とられたというのに―――。

「ありがとうござ…いま……す?」

  男に感謝しようと佐藤が見ると、既に男はいなくなっていた。佐藤は男のいた場所に一礼すると
 顔を狂気に染めた。

  為すことなど、すでに決まっている。

「くくく、待っててね。すぐに絶望に陥れてあげるよ」



       #       #       #



「じいちゃんお帰り〜」

「兄者、お帰りなさいませでございます」

「おかえり、なさい」

  各々が思ったとおりの言葉で正隆を出迎える。まるで孫が増えたような錯覚からか、正隆は恥ずか
 しそうに頭を掻いた。

  今日は日曜日、高井家恒例の家族団欒日であった。病院で入院していた正隆が帰ってくる日でも
 あり、稔、渚、桃花の三人は玄関で待ち伏せていた。

「おう、この通りだ」

  正隆は元気そうに腕を曲げた。鍛えられた筋肉が衣服の上からでもありありとわかる。"力"を
 正面から食らったにしては元気そうで、驚異的な回復力には驚かされた。

  出迎えを終えた稔はキッチンに戻り、調理を始める。正隆の退院祝いも兼ねて、会心の一食を
 振舞おうと気合いが入る。花婿修行の集大成を見せ付ける時だ。

「小僧、ちょっといいか?」

  と、包丁を振りかぶったところへ正隆が話しかけてきた。

「兄者? どうかしたのか」

  だが稔の手は止まらない、会話をしながら食材を切り刻んでいく。妙に所帯じみているところが
 稔らしかった。

「その、礼をいっておこうと思ってな…」

「別にいいですって」

「いや、そういうわけにはいかねぇだろ」

  正隆は稔にたいして深々と頭を下げると、微動だにせずそのままの体勢でいった。

  余りの甲斐甲斐しさに危うく包丁を落としそうになる。

「超能力なんていまだに信じられんが。小僧、お前がいなければ渚の命は危なかったろう。恩に着る」

  頭を上げると、正隆は後頭部をぽりぽりと掻いた。

「あいつの両親は小さい頃交通事故で亡くなっててな、それから俺がずっと一人で育ててきたんだ」

  稔もそのことは知っていた。確か、出会った当初の頃に聞いたような気がする。男手一人で育てら
 れたから口調が男勝りなんだ、とかなんとか。

「俺の嫁も体が弱くて若いうちに死んじまって、息子夫婦も事故で死んじまって、もうどうでもいいって
思ったとき、渚が残ってたんだ…」

  自分の家族が一人減り、二人減り、そのたびに正隆は自分を責めてきたといった。

  もし自分があの時こうしていれば、無理にでも行かせなければあいつらは死ななかったのではない
 のか、すべて自分のせいなのではないか。

  刑事という職業を選ぶほど責任感の強い正隆。その責任感は自らの力が及ばないことであったと
 しても自分自身を責め立てた。

  なんども諦めかけたという、なんども止めようと悩んだという、その度に、

「渚がいたからだな。俺がいままで頑張ってこれたのはよ……だから…」

  今度は腰を折り、膝を折り、土下座までしてきた。

「礼をいう」

  稔は突然のことに今度こそ包丁を落とした。危うく足の指が二、三本お別れするところだったが気にも
 止めない。しばらく思考がマヒしていたが、慌てて正隆に頭をあげさせようとする。

「ちょ、もういいって! 頭あげてあげて!」

「いや、しばらくこうさせてくれ。じゃなきゃ俺の感謝の気持ちは十分つたわらねえ」

「伝わってまス! その気持ちは伝導体のように伝わってきますカラ!」

  それはもう、電気のように。だが正隆は、

「いやいやいや、もっと伝わってくれきゃ困る」

「俺がこまっとるYO-!!!」

  稔の困惑に染まった絶叫は高井家に鳴り響いたが、正隆が頭を上げるまで数分の時を要したという。
 当然、その間稔が焦っていたのはいうまでもない。



       #       #       #



「じゃ、帰るか桃花」

「うん、そう、だね」

  楽しい時間は瞬く間に過ぎ去った。時間も更けてきたので桃花に帰宅の旨を伝える。

「なんだ小僧たち、もう帰るのか?」

  つまらなそうにいう正隆を、渚は母親のようにたしなめた。

「じいちゃん、もう九時だよ」

  外は真っ暗である。稔たちの家はここから結構離れているので帰るにはそれなりの時間を必要と
 するのだ。

  正隆は観念したように唸る。

「しょうがねえか、じゃあな小僧、嬢ちゃん」

「おじゃま、しまし、た」

「また来るぜい」

  正隆はおう、と豪快に笑って稔たちを見送った。そのままリビングを出て、玄関で靴を履いていると後
 ろから渚が見送りにきていた。

「それじゃあな、二人とも。また今度」

  渚は綺麗な笑みを称えて、手を振ってきた。しかし稔はそれほどの感慨も受けずにごく普通に別れを
 告げる。

「渚も、じゃあな」

「また、学校で、ね」

  稔は玄関を開けて、先に桃花を行かせた。続いて自分も出ようとする、と背後から呼び止められた。

「稔…」

「んあ?」

  声をかけてきた渚は黙っている。なにをいいたいのかなんてこれっぽっちもわからない。

  数瞬の後、

「なんでもないよ。じゃあな」

「? ああ、またな」

  訝しげに渚を見詰めるが、特になにもなさそうだったので、そのまま高井家を後にした。



         #          #         #



「はあ」

  少しばかり残念そうなため息。稔たちが帰ってから数十秒ほど、渚は玄関に立ち尽くしていた。

「おーおー青春してるじゃねえか」

「じ、じいちゃん!? いつからそこに…」

  渚のさらに後ろ、リビングへと続く敷居のあたりで、正隆は背を壁に預けて笑っていた。どうやら、
 一部始終見ていたようである。

「俺ぁいいと思うぜ」

「なんのことだよ」

「しらばっくれんじゃねえよ。俺にはわかる」

  心底楽しそうにからから笑うと、自分の両手を使ってハートマークを作った。

「これだろ?」

「じいちゃんっ!!!」

  渚が怒鳴りつけるが、怒りとは違う意味で顔が赤く染まっていた。動揺しているのか、いまいち声
 に覇気が籠もっていない。

「かっかっか、気にすんじゃねえよ。応援してるぜ」

  正隆はそれだけいうと、リビングへ姿を消した。

「ったく、好き勝手いって…」

  だが、渚は少し嬉しそうだった。怒ろうとしているが、怒れない。しかし恥ずかしさだけは止まること
 を知らずに湧き上がってくる。

「ああもう! 寝よ寝よ!」

  そういって階段を昇る渚の横顔は、やはり嬉しそうだった。






  ―――轟ッ

  風が吹いた

  とても強い風が

  家々の隙間を通り過ぎ、集い、形成されていく

  風はどこまでも狂気に染まっていた





  正隆が気づいたのは翌日、日曜日。朝から雨が降っていた。

  いつもは自分より早く起きる渚が起きてこない。

  どうしたのかと二階に向かう途中、玄関が削り取られ、ぽっかりと穴が開いていた。




  稔が連絡を受けたのはその数十分後。

  正隆から、渚がいなくなったという電話。









 


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