日々、歩き












      第十八歩/ 幸福なる夜











「まさか…またこんな目に遭うとは……」

「くそ、渚…誰のせいだと思ってるんだよ…」

  警察での事情聴取を終えた稔は渚と一緒に待合室でノビていた。可哀想なことに、桃花のほう
 はまだ終わっていない。

  月に二度警察から事情聴取を受ける高校生というのも珍しいなぁ、とか思う。まあ、事件を解
 決してしまったというのにも問題はあるのかもしれない。

「そういや稔。佐藤の"力"はどうなるんだ? あいつに"力"がある限りこれからさき何人も犠牲者は
出るだろ?」

  疲れ果てていた渚だが、ふと、終始気になっていた心中の疑問をぶつけた。

  さらに困ったことは超能力で人を殺害していた佐藤は現行の法律で裁くことができるのかどうかと
 いうことだ。

  現在は正隆に傷害を負わせた傷害罪の疑いで拘留中なのだ。

  だが稔は、そんなことかと漂々といった。

「そっちのほうは任せておけ、なんとかなるはずだ」

  いわれて、渚はほっと安心した。だが、胸中には一つの謎が残っている。皆が事件のことを忘れ
 ていくという事象。できれば自分の勘違いであって欲しいと思う。

「そうだ。稔、ちょっと聞きたいことがある」

「んあ? 俺とっても疲れてるんだぞう。疲れ度合いはマキシマータなんだぞう」

  わけがわからん、と渚は愚痴ってから叩きつけた。

「いいから聞けよ。かなり大事なことかもしれないんだ…」



       #       #       #



  稔は頬をぽりぽりと掻きながら、

「記憶を消す"力"、か? …ないとはいいきれないけど、そんな強い"力"は聞いた事がないな」

「だけど、じいちゃんは忘れている。やっぱりそういう力の持ち主がいるんじゃないのか?」

「んー。まあそう考えるとわかんなかったところはかなり浮き彫りになってくるけどな…」

  だが、そう仮定するには一つ問題がある。

「俺は覚えてるぞ?」

「そこなんだよ」

  渚は頭を抱えた。

  確認を取るため、他の刑事たちにも廃ビルの事件について訊いたのだが誰一人知らないといっていた。
 なのに稔は知っている。そして渚も。どうなっているのかちんぷんかんぷんである。

「まあ、めんどくさいけどそっちも俺が調べておく。それよりなぁ、お前にいいたいことは山ほどあるんだぞ?」

  うぅ、と渚が追い詰められた声を上げる。いわずもがな、稔は今回の事件に首を突っ込んだ渚を責める
 気満々である。

  どうしてこんな面倒ごとに関わった、とかなんで俺がこんなめんどくさいことしなきゃいけないんだとか
 の愚痴だけでも聞かせたい。そして、いうことを聞かずに先走ったことだ。

  今にも雷が来るに違いない、と渚は身を竦めて待っていた。

  そんな様子を見て、稔は嘆息するように俯いた。

「けどまあ、終わったモンは仕方ないからな。しょうがないからアイスで許してやるよ。これで三個に増えま
した〜。はい拍手〜パチパチ〜…本気で奢れよ?」

「なんだそりゃ…」

  表面上は呆れた様子の渚だったが、内心はそうではなかった。

  稔の優しさと思いやりに深く感謝。そして僅かばかりの高鳴り。酷く不安になる高鳴りだが、心地よい、
 それでいてどこか自分を満たしてくれるような。

  理屈ではない。論理立てて説明など持っての他だ。

「どうした渚?」

「はえっ!」

  驚くほど近くに稔の顔があり、渚は間抜けな声を出していた。ボーっとしていた渚の様子を見るため
 に近づいたのだが、これが裏目に出たようで、

「ななな、なんでもないっ!」

「ごふっ」

  短い呼気と共に、渚の正拳突き。的確に水月にめり込み、五センチほど渚の拳が埋まっていた。

  見事なジャストミートに声もあげられない。こと最近は渚によく殴られている気がしてならない稔で
 あった。

  加害者である渚は身を強張らせて俯いている。

  点々と灯りが灯る待合室、奇妙な静寂が訪れた。秒針の音だけが正確に刻まれる。ゆるゆると流れる
 時は、間違いなく渚のせいであった。

(なんなんだよ…)

  黙ってしまった渚に違和感を覚えながらも、稔は何も訊ねることができない。

  味わったことの無い雰囲気だった。こそばゆい様なむず痒さを感じるのだが、別にこのままでもいいか
 な、と思ってしまうような心地よい沈黙。

  だが次の瞬間、稔は心の奥底に恐怖を覚えた。

  心の内から盛り上がる怖れはなんのためか。稔本人にもわからない。

「…なあ」「…おい」

  全く同時。だが全く違う意味で沈黙に耐えられなくなった二人は声を出した。

「なんだよ?」

  こちらは稔。静寂が終わったことに安堵していた。

「お前こそなんだよ?」

  そして渚。少し残念そうな翳りを浮かべている。

「渚から先に言えよ」

「お前こそ…」

  不毛なやりとり。それっきり会話はなくなってしまう。どちらも言い出すことに躊躇っているようだった。
 空調が回る音がうんうんと低く聞こえ、切れかけた蛍光灯が点滅を繰り返す。

  先に語りだしたのは渚だった。

「稔。お前さ…その……好きなやつっているか?」

「好きなやつぅ?」

  いきなりで突然の質問。

  佐藤のせいで渚の頭のどこかがおかしくなったんじゃないか、とか大変失礼なことを真面目に考えたり
 したのだが、渚の目は本気と書いてマジだった。

  友人や家族に対する好意ではなく、異性として好きな者がいるのかと問うてきているのはすぐにわかった。

  どうやら話を転換することもできそうにない。

  この場面、この状況で聞かれるにはなんともおかしな話だと思ったのだが、稔は真面目に考えるしかな
 かった。

  こちらを見詰めてくる渚がつばを呑み込んでいるのがわかる。

  ああ、もう逃げられそうも無い。

「いない、な」

「そっか……」

  なぜか渚は肩を落として残念そうだった。だがむしろ答えを聞けなかったことに安心しているようにも見
 えたのは稔の気のせいだろうか。

  それにしても稔の中で心当たりは皆無だった。好きな人、恋人となりたい人物などいない。

  なにより、自分は一度たりとも人を好きになったことなどないのだから―――。

「……(桃花との約束は延期、かな)…」

  呟くように、渚はいった。

  だが稔にはぼそぼそという雑音程度にしか聞こえなかった。

「渚なんかいったか?」

「なんでもない。それより、稔。お前がいいかけたことってなんだ?」

「ン? ああ」

  急に投げかけられても困る。

  今から訊ねる事はもしかしたら聞かないほうがいいのかもしれない。少なくとも、訊いたら確実
 に険悪ムードになるだろうから。

  だが心に引っかかっていることも確かで。

「お前がこの前言ってた『俺を見てると不安になる』ってどういう意味なんだ?」

「ああ、あれか」

  渚は少し逡巡していたが、慎重に話し出した。渚とて、言えば確実に嫌な空気になることは知っ
 ているだろう。

「なんとなくなんだけどな、稔を見てると時々思うんだよ。なんだ、その―――」

  そこで区切り、渚は稔の目をまっすぐから見詰めていった。 

「お前が…」

  次の一言は稔の心の深い部分、無意識下のところを深く抉り取る。

「『人に好かれるのが嫌いなんじゃないか』、ってさ」

「ッッ!」

  よく、わかっていた。

  稔には渚の言葉の意味が明確と伝わってきた。

  なぜならそれは今まで自分が体現してきた生き方だったから。

「別に他人を拒絶してるわけじゃないんだろうさ。だけど、他人と深く付き合おうとしてないだろ?」

  反論の余地はない。屁理屈すら思いつかない。

「友人という友人も、いないんじゃないのか?」

  渚は知っていた。

  僅か半年という短い時間の中で、この少年がどのような生き方をしているのかを。

  一見だれとでも仲良くしていそうな稔が、他者から逃げていることを。

「お前がそれを意識しているのか、いないのか。そこまではわからないけどな」

  渚は知っている。

  なぜ稔が面倒ごとに関わりたくないといっているのかを。

  面倒ごとは他者と関わること。人との関わりを極力避けようとしているということを。

「…っ」

  何もいえない。言い返せるわけが無かった。

  渚のまっすぐな目などまともに見ることが出来ない。ただ歯噛みし、顔を逸らしたまま渚の観察眼に
 驚くほかなかった。

「眼を逸らすな」

  短く力強い言霊。

  顔の両脇を挟まれて、強制的に正面を向く羽目になる。目の前には、渚が強烈な意志を秘めた眼で
 こちらを睨んでくる。

「稔。俺がお前の考え方を変えることはできないかもしれない。だが聞いてくれ」

  顔に添えていた手を肩まで下ろし、がっちりと掴んでくる。

  ふっと、一瞬だが渚が泣きそうな顔をした。

「人が生きていく上で一番大切なことは、自分が何をしたいのか知っているっていうことだ」

  今にも泣き出しそうな子供みたいに顔をゆがめながら、渚はじっと見詰めてくる。

「逃げるなよ、稔。お前は、そのことを誰よりも知っているだろう?」

  渚の言葉を噛みしめる。

  自分のやりたいこととはなにか? だが何一つ思い浮かばない。きっと渚は自分のことを過大評価しす
 ぎなのだ。めんどくさがりな自分がやりたいことなどなにもない。

  すると、渚の眼から一筋涙が流れた。これに誰よりも驚いたのが稔である。

「渚、お前…」

「うるさい、なにも、いうなっ」

  本人すらわからぬ悲しみで、渚は泣いていた。

  ただ、稔を見ていると、ふと、どうしようもないほど哀しくなることがある。きっと本人は否定するだろうが、
 渚には稔の生き方がとても辛そうに思えてならなかった。

  他者と関わらず、自ら踏み込まず、こちらが踏み込んでいっても拒否しようとする少年は本人の意識し
 ないところでそういう生き方になってしまったに違いない。

  めんどくさいですべてを片付けようとする少年の優しさは、誰よりも知っていたから。

  優しいといっても稔は否定するだろう。そういう風に生きてきた少年が誰よりも憐れで、愛しく思えてな
 らなかった。

「え〜と、なんだ…」

  困り果ててしまった稔。こんなめんどくさいことになるならやっぱり聞かなかったほうがよかったかもしれ
 ないと内心で愚痴る。

  泣いている渚をどう扱っていいのかもわからず、あたふたする。

  気の利いたセリフも思いつかない。セリフは無いが、稔にはたった一つだけ方案があった。

「そうだ、アイスを食おう」

「…は?」

  渚が赤く腫れた眼で睨みつけてくる。普段の五倍増しで眼光が鋭くなっていた。思わず稔は悲鳴をあげ
 そうになったが、喉のところでぐっと堪える。

「ほほほ、ほら! あそこの自販機で売ってるだろ!」

  懸命に指差す先には一つ自販機があった。待合室の自販機コーナーでぽつんと目立っている。それはス
 ティックアイスを十数種類売っている普通の自販機。一個百円。

  渚は自販機を一瞥すると、向き直った。呆れたようにため息を吐くと、やっぱり睨みつけた。

「あのな、稔。泣いている女の子に『アイス食うか?』ってなんだ? もっと気の利いたセリフの一つもいえな
いのかよ…」

「す、すいません」

  呆れた声で渚。何か選択を間違えたかな、と思う。どこか不満げな渚はため息までついてきた。

  だが稔にも確たる根拠があっての提案だったのだ。

「でもだな! それで泣き止んだ奴らもいるんだぞ!」

「何人ぐらい?」

「ふ、二人です…」

「ふーん。なるほどね」

  強い目で睨みつけられて、なぜか恐縮してしまう。そんな態度がおかしかったのか、渚は顔を綻ばすと、
 目元の涙を拭った。

「まあいい、アイスでも食うか。もちろん俺の奢りでな。これで残りの借りは二つだろ?」

  ソファーから立ち上がると、渚は笑いながら服の裾を何度か叩いた。よし、といって軽く自分の頬を叩く。

「稔はバニラでいいんだよな?」

「うむ。糖分は控えめでありながら濃厚且つほのかな甘みを持つものを選んでくれたまえ」

  ほっとして、いつもどおりの調子で応答する。ともかく、渚が普段どおりの元気を取り戻してくれてなにより
 であった。

  右方、人が走ってくる足音。

「あ、二人とも、アイス、食べてる…」

  結局、事情聴取を終えた桃花が二人仲良くアイスを食べているシーンを目撃してブーたれたのだが、
 それはそれでいつも通りの日常。

  確かにいえることは、今日この日は実に幸せな夜だったということ。



      #       #      #



「ってことを頼みたいんだけど、できそうか?」

「う〜ん。今の私だとちょっち難しいかもしれないわよ」

  皆が寝静まった時間帯。夜が深く包み始めた部屋の中。古舘家の居間で二人の人物が向かい合って
 話をしていた。

  一方の女性。色素の薄さのため茶髪に見える髪が光になびいている。僅かな光に照らされる和葉の
 横顔は少し影が深かった。

「無理、か」

  和葉に頼もうとしていた稔はやや肩を落とした。だが、和葉は一度こちらを見ると何かを決意したように立ち
 上がって、胸元をドンと叩いてみせた。

「大丈夫よミッくん! なんとか頑張ってみるわ。佐藤っていう能力者の方はなんとかなりそう。でも、もう一つ
のほうはあんまり期待しないでね」

「それで十分だよ。その……ありがとう…」

  礼をいうのがこそばゆくて、思わず消え入るような感謝になってしまう。

  滅多に和葉を誉めない稔にしてみればかなり恥ずかしいことだったのだが、和葉本人は喜びのため踊り
 狂っていた。目をキラキラと輝かせながら、

「やったわ! ミッくんに感謝されちゃうなんて!」

  ひゃっほうとかいっちゃったりして。あんまり和葉が調子に乗るものだから、どんどん恥ずかしくなってくる。

「おい! あまり図に乗るなよこんのバカチンが! 俺が礼といったのは高度に政治的な社会問題が関わっ
ているのに加えてだなぁ!」

「うひょひょ〜い!!!」

  聞いちゃいない。

  和葉、大人の女性とは思えぬ奇抜ぶりであるが、どこか稔に似たところがある。さすが親子というべきだろ
 うか。

  ともかく和葉にとってもいい夜になったようでなによりである。 











 


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