日々、歩き







「隠れても無駄って…。どういうことだよ?」

  稔はふむ、と頷く。

「おそらくだけどな。あいつの力は大気を操れるんだろ? なら俺たちの場所を知るための方法があっ
てもおかしくない」

「でも、そんな馬鹿げたことが…」

「ありえるだろ。常識の範囲外の"力"なんだ」

  腰に手をあて、窓の外を見ながら稔がいった。

「渚、このままホールに向かうぞ」

「ホール? 逃げるんじゃないのか?」

  不安に溺れていく渚の声は、どこか弱弱しい。

  安心させるためか稔は渚の頭を軽く叩いた。呼応するように渚の顔が紅潮する。稔は特に気づいた
 様子もなくいった。

「でーじょぶだって、俺だって真面目に考えてるんだからよ」


  稔の顔から笑みが消える。だが、どことなく緩んだ表情で、

「渚、ホールに向かう途中でもぎ取れそうな鉄板ってあったか?」

「鉄板?」

「ああ、ちょうどいい大きさの、これぐらいかな? 何枚か欲しい」

  大きさは人の腹部を覆う程度。渚は疑問に首を傾げる。頷いて答えた。

「鉄板はないけど、鉄の棒なら心当たりはある」

「それでいい。さて、一泡吹かせてやろうじゃないか」

  稔の目が悪戯を仕組むようになる。

「もちろん、『四人』で、な」









     第十七歩/ 荘厳なる刃・後









「さて、何処へ行ったのかな?」

  ぐるりと周囲を見渡す。佐藤の目には鋭い眼光が宿り、狩人そのものになっている。
  
  佐藤は二人を追いかけて体育棟までたどり着いていた。佐藤の周囲は無音。渚たちの手がかりは
 おろか、気配すら感じることができない。

「仕方ないね、これは結構疲れるんだけど」

  つまらなそうにいうと、佐藤は腕を広げる。

  同時、佐藤の背後から亡者が苦しみに嘆くように唸りながら大量の風が流れ出した。無限に走り初
 めた風は止まることなく校舎のすべてを撫でて通り過ぎていく。

  しばらくして、佐藤に反応が現われた。うっすらと目を開ける。

「へえ、二人はホールに向かうのか…」

  怨怨と鳴り渡る風音はピタリと止む。沈みゆく太陽に照らされる佐藤の横顔ははっきりと笑みを浮か
 べていた。



          #       #       #



  ホールにあるすべての窓は開け放たれていた。低気圧が通過したせいで強風が吹き荒れ、外からの
 風が猛烈な勢いで入ってきている。

「大気が入り乱れてる…ちっ、これじゃあ探すことはできないな…」

  悔しそうに舌打ちすると、佐藤は周囲を見渡した。人影は見当たらない。

  佐藤は思案する。

  明らかに、≪荘厳なる風刃≫テンペストの能力を知っている者の仕業だった。もしくは、それに近い能力。
 すなわち、"力"について知っている者がいる。

  当然、渚は知っているが索敵能力までは知らない。索敵を予想し得る者がいて初めて窓を全開にす
 るという考えが浮かぶはず。

  おそらく、渚を助けた人物は自分と同じ能力者である。

「へえ…おもしろいね。誰なのかはわからないけど楽しませてくれるよ」

  ホールはかなりの広さを持っている。三百平方メートルほどで、前方には演説台とステージ。両サイド
 には長椅子が多数並んでおり、普段は講演会の時に使われることが多い。

「あはは、こまったな〜。これじゃあ何処に隠れているかわからないよ」

  本当に楽しそう笑うとゆっくりと手を前に掲げた。顔がさらに大きく歪む。夕日を受けて、おぞましいま
 での翳りを称えながら、

「でも、吹き飛ばしちゃえば問題はないんだよね」

  風が集い、大きな塊に変貌する。放たれれば、ホールごと吹き飛ばしそうな威力

  打ち出そうとした寸前、佐藤は視界に人影を認めた。

「ん、誰だい?」

  佐藤の眼前、ステージの上に立ち、見詰めている者がいた。一体今まで何処にいたのか、まるで
 たった今現われたような素振りだった。朱光に照らされ、シルエットが浮かび上がる。

「はろー、先生」

  気さくに呼びかける相手に佐藤はすぐに気づいたようだった。

「へえ、君だったのか。稔くん……」



           #        #        # 



  ほう、と妙に感慨に満ちたため息をつく佐藤。声にはどこか恍惚としたものが含まれていた。

  貯めていた力を解除して、佐藤はゆったりと稔を見詰めていた。佐藤の顔には獲物を追い詰めた
 ことによる歓喜が顕著にでていた。

「窓を開けたのは、君だね?」

  無言。

  佐藤はそれを肯定と受け取ったのか、無邪気に笑い出した。

「なるほどなるほど。つまり君も"力"の持ち主ってわけだ…」

  一人でうんうんと頷く。佐藤はたいして驚いた様子もなく、余裕に満ちて話を進めていく。

「僕の力は高井さんから聞いたかな? 君から見てどう思う? 強いかな? 弱いかな?」

  意見を求めてくる佐藤の目にはありありと狂気が宿っていた。彼の質問は、あたかも自慢のおも
 ちゃを見せびらかそうとする少年そのものだった。

「この"力"を手に入れてから文字通り人生が変わったよ。人なんて紙くずみたいに思えてきてさ。
それもこれも”彼ら”のおかげ、っとお。危ない危ない」

  佐藤は口元を覆った。

  当然、稔は佐藤がいった言葉の切れ端を聞き逃していない。やはり、と思うと同時に確かめてお
 かねば、と思考する。

「”彼ら”っていうのは、先生に"力"を授けた奴らのことだな?」

  意外だったのか、一瞬佐藤の顔が驚愕を表現する。だが瞬時に驚愕は消え、柔和な笑みが形
 作られる。

「彼ら? いったいなんのこと…」

「あ〜、先生。とぼけなくてもいいよ。あいつらは今から一ヶ月ほど前に先生に接触してきたんでしょ?
そして先生に"力"を与えた。まあこんなとこかな」

  右手を軽くヒラヒラ。今度こそ、佐藤の顔に簡単には消せない驚きが現われた。

「そんなことまで知っているのか…君はいったい何者だい?」

  問いには答えない。一気に、というよりも誰かに話したくて仕方ないのだろう。佐藤は稔の答えを
 待たずに語りだす。

「まあいいか。そうとも、僕は”彼ら”のおかげで力を手に入れた。誰にも邪魔されずに人を殺せる
"力"をね。見なよ」

  すっ、と佐藤が右手を掲げた。集い吹きすさぶ風が稔の適当に切られた髪を揺らして通り過ぎていく。
 ホールに並べられた長椅子が音もたてずに切り刻まれていく。

「これがあればどんなヤツだって僕には敵わない。最高の力さ。そういう君は、いったいどんな力をもっ
ているんだい?」

  興味津々と眼を動かしながら、問うてくる。

  力に溺れている、稔が思ったのはそれだけだった。方法は知らないが、一夜にして強大な"力"を
 得た佐藤の眼は狂気に染まり、爛々と輝いている。

  これだけの狂気に染まるには兼ね備えた資質が必要とされる。こんなやつが高校の教師としていま
 まで同じ環境にいたことに、少なからず恐怖を覚える。

  なんとしても、ここでその狂気を抑えねばならない。

「俺の"力"は…まあこんな感じかな……」

  いって、距離を詰める。先ほどの佐藤と同じように手を掲げ、佐藤にとって右側を指差す。

  佐藤は首を動かして指差す方角をみた。だが、視線の先には虚空だけがあり、他には何もない。

  ガタッ、と突然、佐藤の左側から音が上がる。瞬転、佐藤は軽快なバックステップを踏んで飛びのいた。

  突如出現した老人は両腕を前方に構え、手でしっかりとなにかを握っていた。

  腕に握られているものは、対象に同じ大きさの穴を開ける暗闇を含んでこちらに向けられていた。
 リボルバーを握り閉めた正隆は反動に負けないだけの型を作っている。既に撃鉄も起きていた。

「動くな! 警察だ!」

  渚よりも数段キツイ眼差しが佐藤を睨みつけている。いかな佐藤とはいえ、拳銃を向けられては迂闊
 に動くことはできないようだった。驚きと同時に憎悪の目をこちらに向けてくる。

  このとき初めて佐藤はおびき寄せられたことを悟ったようだった。

  ホールに逃げ込んだにはわけがあった。障害物が多いこと、そしてなにより窓の数が多いことだ。佐藤
 の力を予見して、気流を乱しておく必要があった。結果、正隆はばれずにかなり近距離まで迫っていた。

「くそ、超能力者なんて頭がおかしくなっちまった気分だ……」

  正隆は頭を振っているが、銃口だけは決して逸らさない。相手が刑事であるせいか、佐藤も大人しく
 なってしまった。

「やるね…稔くん……」

  苦渋を飲まされたように佐藤は睨みつけてくる。稔はステージを降りて佐藤に近づいた。

  正隆は額から汗をたらしながら怒鳴るように語りかけてきた。

「小僧! こいつが犯人なんだな!?」

  躊躇い無く頷く。

  すると正隆はじりじりと佐藤と距離を縮めだした。銃を片手で握り締め、コートから手錠を探り出す。
 いかな正隆でも緊張しているのか、若干の焦りが見られた。

「さて、大人しく捕まって貰おうか…」

  正隆が距離を詰めたとき、異変が起こった。

「やだね!」

「っ!?」

  佐藤は右手を正隆に向かって振りかざしていた。急速に風が唸りを上げ、佐藤の手のひらから
 放たれる。

「かっ」

  瞬時に練り上げられた風の塊は、正隆のがたいの良い体を軽々と吹き飛ばした。手の中の拳銃も
 からからと乾いた音で滑りながら何処かにいってしまう。

「大丈夫か、兄者っ!」

  すばやく力を使ったせいか、風は刃になることなく正隆にぶつかっていた。だが、数メートル先の
 正隆の体は全く動いていない。死んではいないだろうがKOは間違いなかった。

「ふう、危ない危ない。僕の力は右手を上げないと発動しないからね。手錠で縛られたら危なかったよ」

  本気で焦った様子もない佐藤は、顔に満面といった笑いを顕著にしていた。

「くそ…」

「やってくれたね稔くん。許さないよ…」

  佐藤は歯噛みする稔を凝視した。

  佐藤がすっと右手を掲げる。同時、佐藤の周囲から甲高い収束音が響き始める。一つ、二つ、三つ…
 無数に形成されていく風の刃。

「じゃあね」

  無邪気な一声。

  怒涛の如く、無数の刃が凶悪に唸りながら襲い掛かってくる。

  これで終り。後は隠れている渚を見つければすべておしまい。

  そう思ったからこそ、佐藤は見逃していた。俯いた稔の口元が勝ち誇ったアンニュイな笑みを浮かべ
 ていることに。



          #        #        #



「いまだ渚ッ!」

「応っ!」

  稔の呼びかけと同時、背後にある長椅子から渚が飛び出す。腕に数本の鉄パイプを抱えて、それを
 稔に向かって放り投げた。ちょうど、稔に降り注ぐ形になっている。

  渚は言われたとおりに行動した。佐藤が"力"を使ってきたら鉄パイプを投げろという指示。渚にだって
 意味はわからないが、稔を信じての行動だった。

  カチンカチン!

「な、なんだって……? なにが起きた…」

  わけもわからないといった顔で、うろたえる佐藤。

  不可視の刃は稔の体を切断することはなかった。ただ、硬い金属にあたる音を奏でて霧散してしまった。
 まるで、鉄パイプに邪魔されてしまったように。

  稔に一本もあたることなく、鉄パイプは落下する。稔はそのうちの一本を拾うと、軽く振り回した。

「稔先生のお勉強講座〜。第一問。どうしてこうなったか、わかるか?」

  呆然となった佐藤はぶんぶんと首を横に振って答える。数歩下がった佐藤の膝関節の裏が長椅子に
 当たって、座り込んでしまった。

「じゃあこれならわかるだろ。鉄と骨ってどっちが硬いと思う?」

  佐藤の"力"は確かに強大だった。人を容易く分断してしまうなど並みの能力者では敵わない。稔の
 持っている能力でまともにぶつかっても勝ち負けははっきりとしていた。

  そういうことか、と稔の後ろで渚は納得していた。

  桃花から聞いた"力"についての講義では、人によって限界が決まっているといった。コンクリートを
 切断できる者もいれば、紙切れすら切断できない者もいる。

  単純に、佐藤の≪荘厳なる風刃≫テンペストは鉄まで切断できないのだった。思い起こせば図書館で、佐藤は
 コンクリの壁までは切断していたが鉄製のパイプまでは切断できていなかった。

  同時に、ここまでか、と思う。

  あの状況を冷静に見分け、佐藤を貶めるにベストな場所を即座に考え、万が一正隆が失敗した場合
 に備えて防御策まで講じる。

  とてもじゃないが、こんな状況では考えられないことだった。

「ひぃっ」

  間抜けな声を上げて身を竦ませる佐藤は、もはや赤子同然に扱われるだけだった。

  二重三重に張り巡られた策略。

  特に先ほどまでの優位が佐藤の心を打ちのめしていた。人は希望や望み、そして圧倒的優位な立場
 から引きずり落とされると立ち直るのに時間がかかる。

  中には即座に立ち直れるものもいるのだが、佐藤はそうではなかった。

「くそ、くそ! 僕は、絶対捕まらないぞっ!!!」

  佐藤は右手、同時に左手も突き出す。最後の抵抗というにはいささか頼りない勢いで集う風は佐藤の
 動揺を物語っている。

「まずい、稔っ!」

  手持ちの鉄パイプはすでにない。だが、焦る渚をよそに、稔は左手を上に掲げていった

「第二問。まさかもう終わったとでも?」

  問い、というよりはYESかNOかの二択。

  瞬間、渚は背後から飛んでくる熱気を感じた

  振り向く。視界に移ったのは猛烈なまでのエネルギーの塊だった。そのエネルギーは無色透明なの
 だが周囲の空間を余りある熱量で揺らめかせながら飛来する。

「くそ!」

  悲鳴に近い叫び声をあげて、佐藤は精製途中の風をそちらの迎撃に使った。

  風の塊は重低音の唸りを上げて撃ちだされた。

  しかし、放たれた力の一群はエネルギーの波動にぶつかるや否や、実にあっけなく打ち消された。純
 粋に内包エネルギーが負けているのだ。

  人体を切断するほどの力を秘めた風を呑み込むほどの強大で圧倒的な"力"。佐藤の意識までも呑み
 込むのにコンマと時間を必要としなかった。

「ぎゃ」

  潰されたひき蛙のような声を出して、佐藤は長椅子ごと吹き飛ばされた。

  止まらない。佐藤の体は幾つもの長椅子にぶつかっているというのに椅子の背ごとぶち破って飛ん
 でいく。

  コンクリートの壁にぶつかり、ヒビをいれてからようやく崩れ落ちる。佐藤の意識は既に消失していた。
 といっても正隆と同じく死んでいるわけではない。

  そんな佐藤を一瞥して、稔はステージを振り向いた。

「よくやったぞ桃花!」

  ステージ上で、強烈な運動エネルギーを放った桃花が嬉しそうに飛び跳ねている。すべての嬉しさを
 極めたような狂乱ぶりは嬉王(うれしおう)って感じだった。

「うん、頑張、った! 精一杯、手加減、した、よ!」

  遠くで転がっている佐藤は白目を向いて泡まで吹いている、激しい痙攣も忘れてはならない。

  あれだけやっといて手加減したのかよ、と稔と渚は突っ込みたいところだったが味方の重傷者が一人
 いるので救急車とパトカーを呼ぶのが先決だった。

「渚、警察を呼んでくれ、あと救急車な」

「ああ、わかった」

  てきぱきとコールをする渚を確認してから、稔は気絶している佐藤にそっと近づいた。

  三人もの犠牲者を出した殺人事件の犯人は気持ちいいぐらいキレイに気絶していた。しゃがんで
 佐藤の頬を突付く。意識無し。

「確か、腕を上げることが発動条件だったんだよな……」

  安心したようにいうと、稔は佐藤の両腕にそっと触れた。

「―――ッ」

  聞き取れないほどの音量で呟く。芒っと佐藤の両腕が淡い青白い光に包まれた。

  なにかを言い終えた稔は立ち上がると肩をならした。

「これにて一件落着! ってか?」

  稔の耳に、ドップラー効果を持ちながら近づくサイレンの音が二種類聞こえたのはそれから数分後の
 ことだった。











 


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