日々、歩き







  正隆たちが鳴神市内を車で走り、命樹高校へ向かっている途中。覆面パトカー備え付けの
 無線機が、感情を欠いた声色で状況説明を始めた。

『事件発生。十六時二十分ごろ、私立セント・命樹高校で殺人事件が発生しました。被害者は
女子生徒のもよう、近隣の警察官は直ちに現場に急行してください』

  ノイズが若干混じっているのでポツポツと途切れるところもあったが、間違いなく聞き取る
 ことができた。

「これって…」

  助手席で、村下が声を震わせながら呟いた。険しい顔をしながら、正隆は舌打ちすると、村
 下に向かって怒号とも取れる警告を飛ばした。

「しっかり捕まってろ! 舌噛むなよ!!!」

  ギアをいれ、アクセルを力一杯踏み切る。ゴムが千切れるような音を放ち、タイヤが黒煙を
 上げて大地を蹴った。

「う、うわわああああああ!!!」











     第十一歩/ 更新される約束











  正隆たちが現場についてまず見たのが、異常なまでに溢れかえった人だかりだった。

  右を見ても人、左を見ても人。人ひとヒト、と酔いそうなほどだ。

「なんですか、これ?」

「さあな、いけばわかるだろうよ」

  既に鑑識課や他の刑事も現場に到着しており、ブルーシートに隠された場所へ出入りして
 いる。しかし、入ったと思ったら、すぐに出てきて吐いていた。中はよほど酷いらしい。

  現場では巡査たちが無線で連絡をとりながら、人だかりを蹴散らそうとしているようだ。だが、
 どうもうまくいっていないらしい。野次馬たちは増える一方である。

  興味をそそられた正隆は現場から離れ、人だかりの方へ向かった。

「あ、高井さん。どこいくんですか?」

  こっそり抜け出そうとしていた正隆を村下が鬼嫁みたいな眼光で捕らえる。正隆はカブトム
 シを見つけた少年のように顔を輝かせながら、

「なんつーか、楽しそうじゃねえか。向こうの方がよ」

  なんて刑事らしからぬセリフを言うもんだから、村下は厳しく眉根を寄せた。

「刑事がそんなこといって良いと…ってちょっと! 高井さん!」

  村下を無視して、正隆は群集に近づいていった。注意して見ると、人々は無秩序に集まっ
 ているのではなく、ある一点を中心として輪の形になっていた。

  どうやら、問題は中心部にあるらしい。正隆は、一般生徒の群れを掻き分け掻き分け進
 んでいった。なにやら、怒鳴り声みたいなものが聞こえるが、はっきりと聞こえない。

「ちょっと通してくれ」

  正隆の渋い声のせいか、やくざも裸足で逃げ出す強面のせいか、生徒たちは自然と道
 をあけ始めた。やがて、話題の渦中が見えてくる。

「あん?」

  あん? である。まだ距離があるので詳しい認識はできないが、生徒たちが輪を作っている
 中心に二人対八人で生徒がいた。

  男子生徒八人いるほうが、二人になにやら因縁をつけているらしい。どうやら彼らが原因
 だということがわかった。

  二人のほうは、一人が男子でもう一人が女生徒のようだ。しかも絡まれているのは男子
 生徒だけで、女生徒のほうはむしろ丁重な扱いを受けている。

  近づくにつれて、顔の輪郭がはっきりとしてくる。正隆には女生徒の髪型や顔立ちに見覚
 えがあった。

「渚?」

  渚だった。それに、もう一人の因縁をつけられている男子生徒は、先日、義兄弟の契りを
 交わした稔である。

  初めこそ、どうしてこうなっているのかわからなかったものの、円の中心までいくと、一体
 どうしてこうなっているのか、正隆にはよくわかった。

「古舘君。先ほど君は、我らが渚さまの御体を抱きしめていたね?」

  眼鏡をかけて、髪を七三に分けたリーダー格らしき男子生徒は、ずれた眼鏡をくいくい直し
 ながら稔を尋問していた。残る七人はそれぞれすごい目で稔を睨んでくる。

「な、なんというか…ええっと……」

  自分に向けられる好奇の視線が一身に突き刺さる。目を不自然に動かしながら、稔は
 打開策を思案していた。

  稔は、なんとかこの場を逃げ出したかった。変な行動の目立つ稔であるが、もともと大勢に
 注目されることが苦手である。この状況は拷問に等しかった。

  だが、下手なことをいえば現在立ちはだかる渚の非・公認ファンクラブ『全世界美少女崇拝
 委員会・高井渚支部』の面子に、それは恐ろしい制裁を被ることになる。尻の毛一本残してくれまい。

「あ、あれはぁ、不可抗力というか…その……仕方なかったことなんですって…」

「つ・ま・り。抱きしめていたと認めるわけだね?」

  眼鏡野郎の攻撃<あげ足をとる>。

「俺に二十のダメージ…」

「なにかいったかね?」

「イ、言ってマセンYOー!」

  背筋をピンと伸ばして答える。裏声になっているところからも、稔の追い詰められ具合がよ
 くわかる。ちなみに最後は手の振りまで付いたラップ調であった。

「我々をおちょくっているのかね?」

  七三眼鏡のくいくいが激しくなる。秒速二十回を超える動きは残像すら見えそうだった。
 残り七人まで各々の威圧方法を駆使して稔を責め立て始める。

「待てよ」

  と、それまで黙っていた渚が、『全世界美少女崇拝委員会・高井渚支部』の面々に言う。
 すると、錬兵済みの兵士のように全員が休めのポーズをとった。

「ハ! なんでありますか!」

  いや、なんていうかうざい。渚は、思わず出そうな言葉をぐっと堪えた。おそらく、渚の人生
 でも一番堪えた場面だったに違いない。

「稔は俺を助けてくれただけだ、問題はないだろ?」

  これで相手が引き下がってくれることを渚は期待したが、そうは問屋が卸してくれなかった。

「ですが! 助けたといっても何からでありますか! 我々にはドサクサに紛れて抱きついた
ようにしか見えなかったであります!」

  ここは何処かの自衛隊かと突っ込みたくなるような物言いだが、いっていることは至極当然、
 その上に正しかった。
 
  生徒たちは女性徒がバラバラになった場面しか見ていない。以降に降り注いだ、渚に対す
 る殺意の攻撃と、稔がそれから助けてくれたということを知らない。

  稔が渚に抱きついたように、見えなくも無かった。

  と、その場面を思い出して渚は赤面したが、すぐに頭を回転させる。このしつこい奴らを追い
 払うために一計を謀ろうと決め、眼をうるうるさせながら上目遣いで、

「お前ら、俺のファンクラブなんだろ? なら俺を信じてくれないのか?」

  渚の攻撃<猫を被る>。

「…眼鏡野郎どもに、五万ダメージ」

  拳を握って、稔はガッツポーズ。だが、渚は稔の言葉を聞き逃してはいなかった。

「何か言ったか、稔?」

「イイイっ、イッテマセンYOー!」

  結局蹴りを食らって悶え転がる稔だったが、渚がいった言霊は『全世界美少女崇拝委員
 会・高井渚支部』の者どもを震え上がらせるに十二分過ぎた。

  七三眼鏡を含む八人全ての顔が蒼白になる。中には全身痙攣を起こしたように泡を吹くも
 のまでいる始末だ。

「めめめ、滅相もございません! 渚さまをお疑いになるなど!」

  七三眼鏡は狂ったおもちゃみたいに弁解を始める。

  渚の演技は、オスカーも狙えそうなほど素晴らしかった。これにはどんな男も昇天だろう。
 唯一ひっかからないとしたら、渚の演技を見破れる稔ぐらいであろうか。

「まあまあ、そこまでにしとけ」

  突然の乱入者。

  『全世界美少女崇拝委員会・高井渚支部』全員が眼をやった。乱入者は悠々と歩いてくる
 と、『全世界美少女崇拝委…ファンクラブの奴らを逆に睨みつけた。

「ひぃっ」

  喉がつぶれたような声をだして、七三眼鏡以下七名は恐怖で顔をゆがめた。乱入者はそれ
 ほど恐ろしかったのである。思わず本職のお方では? と見紛うほどだった。

「あ、兄者ぁ!」

「じいちゃん…」

  おう、とそっけなく答えると、正隆はファンクラブメンバーを一人一人見詰めていった。

「失せろ」

「う、うわぁぁぁぁぁっぁん! おかあちゃ〜ん!」

  こいつら本当に高校生かよ、と言いたくなる捨て台詞とともにファンクラブは蜘蛛の子を散ら
 すように逃げていった。

  次第に、人だかりも瓦解し始める。ようやく落ち着きを持ち始めた校庭で、正隆は二人を優し
 げな目で見た。

「おう、大丈夫だったか」

  安堵のため息を稔と渚がつく。正隆は稔だけをちょいちょいと手を招いて呼んだ。

「いかが為された兄者?」

  何も知らずに、無邪気な稔が正隆の手のうちに入る。正隆は稔のかたを抱き寄せ、かるく身を
 かがめた。正隆の唇が意地悪そうに左右に広がる。

「渚を抱きしめたそうじゃねえか…」

「ハウっ!」

  瞬間、稔の顔が、先ほどのファンクラブメンバーに負けないほど青白くなる。稔は頭からすごい
 勢いで血が落ちていくのを感じた。脳裏に流れるメッセージは「正隆に殺される」。

  だが、予想に反して正隆は稔の肩をポンポンと気安く叩くと、

「どうだ、このまま渚を嫁にもらわねえか?」

「は、はいぃ?」

  いきなりの話を理解できない稔の脳内はパンク寸前になった。後方では、話を聞き取れ
 ない渚が首を傾げている。

「器量もいいし、顔だって文句ねえだろ。他の野郎ならぶん殴ってでも反対するが…小僧、お
前ならいいと思ってるんだよ」

「エ、エ〜」

「な、どうだ?」

  どうだといわれても稔に答えられるはずもなく、明後日の方角を見たり、何とか話の方向
 を変えようと奮戦した。が、正隆はしつこく迫ってくる。

  やがて、稔が答えに詰まっていると救いの手が差し伸べられた。それはかなり偶然だったが。

「高井さん!」

  顔を上げると、若い刑事がこちらに走りよってきた。

「どうした村下?」

「どうしたじゃないっすよ、探したんですからね」

  不機嫌そうだったが、やることはしっかりとやる男である。真面目刑事村下は息を切らしなが
 ら用件を伝えた。

「古舘 稔って男子生徒と、渚ちゃんを重要参考人として事情聴取しろって上からのお達しですよ」

「なにぃ!?」

  驚いて、正隆は腕のなかの義兄弟と、後方の孫娘をみたが、ふたりとも困ったような笑みを
 浮かべているだけだった。



           #        #        #



「稔!」

「ミっくん!」

  鳴神警察署の待合室に、桃花と和葉の声が鳴り響いた。稔がおもむろに顔をあげると、
 声の主であるお二人はこちらに向かって駆け寄ってきていた。

  三時間に及ぶ事情聴取と単調作業を終え、稔はかなりグロッキー状態であった。だが
 心配してくれる家族がいることに一抹のありがたさを感じ、疲れが吹き飛ぶ。

「ああ、家族って素晴らしいなあ!」

  稔が両手を広げて、「さあ僕の胸に飛び込んでおいで」ポーズをとる。でも稔が望むよう
 に感動のシーンは繰り広げられるはずがなく、

「この馬鹿息子!」

  ダッシュ速度を速めた和葉が問答無用のとび膝蹴りをかました。稔は綺麗な放物線を描い
 て待合室の床を滑空する。

(ああ、なんてお約束な…)

  瞬くお星様をまぶたの裏に見ながら、稔は固い床をバウンドした。だがそこで和葉は
 許してくれず、すぐさまマウントポジションを取ると、拳を振りかぶって稔に打撃、打撃、打撃。

「このバカばか馬鹿ちん! あれほど警察のお世話になるようなことにしちゃいけないって教え
たでしょう! それなのにこの子は、この子はぁ!」

「待て! 人の話はまず聞け!」

「うるさい! これは愛よ! 愛の鞭なのよ!」

  和葉が籠める力は半端じゃなかった。稔がもう少し幼ければ児童虐待防止法に確実に引っ
 かかるほどだ。

  なんとか止めさせようと、仰向け状態で稔が手を上に掲げるが、和葉は聞く耳持たない。パンチ
 パンチ、キックキック、パンチ、スタンピング、と多彩なバリュエーションで攻撃を仕掛けてくる。

  目を当てられない光景。突然のアクションシーンについていけなかった桃花は、呆気にとられ
 て立ち尽くしていたが、今気づいたように割り込んだ。

「ちょ、違う、違うよ。稔は、悪く、ないの!」

  事前に電話で詳細を聞いていた桃花が止める。

  本日、桃花の所属する剣道部は市内の運動公園にある剣道場で特別練習を行っていたため、
 事件に気づくことなく帰宅。電話で稔たちが警察の聴取を受けていると知らせを貰ったのだった。

  稔の悲劇は、ろくに話を聞かない和葉が早とちりしてしまったせいである。

「え? そうなの桃花ちゃん?」

「うん、そうだ、よ」

  桃花の言葉は信じるようで、和葉はバイオレンスを一時中断した。地面に組み敷かれていた稔は
 死に物狂いで抜け出し、いまだ訝しげな目で見てくる和葉に怒鳴った。

「おみゃーふざけるんでねーだよ! わーがなんべんいっとったと思うとるだぎゃ!」
(お前ふざけるんじゃねえよ!  俺が何回いったと思ってるんだ!)

  もう何がなんだかわからない。要は、かなりご立腹らしいということだ。

「おい稔、だいじょうぶか?」

  稔の後方から、いきなり声があがる。稔の後ろから現れるのが好きなのか、いつもどおり渚は
 背後から現れた。

  こちらも長時間の事情聴取で疲れ果てた様子である。

「渚、ちゃん。だいじょぶ、だった?」

「よ、桃花。ちょっち疲れただけだよ」

  渚は、なんとか手をあげて挨拶をする。疲労のせいでどこかやつれた様に見えるのは、精神的な
 ものが大きいのだろう。なんといっても殺害現場を間近で見たのだから仕方ない。

  和葉にも気づき、同様に振舞った。

「おばさんも、お久しぶりです」

「本当に久しぶりね、半年…いえもっと経ったかしら?」

  昨年秋、鳴神市に出没していた変質者の事件があったのだが、その際に和葉と渚も知り合って
 いるため二人は顔見知りだった。

「ええっと、八ヶ月ぶりぐらいじゃないですか」

「ほんと? もうそれぐらい経つのねえ」

  なんて、渚と和葉も和やかなムードで談笑を初めちゃったりして。話題はどんどん関係のない
 モノへ移り変わっていく、最近の芸能から、政治経済まで。

  稔は怒りの矛先を何処へも向けられなくて、地団駄を踏んでいた。

「ムキー! 俺はもう帰るからな! 後は好き勝手にしろ!」

  警察署の自動ドアをくぐり、憤然として稔はそのまま帰ってしまった。

「あ! 待ちなさいミッくん! この後優しく接することで信頼度アップという『飴』作戦があるのよ!」

  さっさと帰った稔に不満なのか、作戦を遂行したいのか、和葉は最後にもう一度だけ渚に
 一礼すると稔の後を追いかけて行った。

  残された桃花も和葉たちを追いかけようとする。

「じゃあ、渚ちゃん、私も、いくね」

  踵を返す桃花に、渚は口を噤んでから躊躇いがちにいった。

「あのさ桃花。ちょっとだけ話を聞いてくれないか?」

  頬を掻いて恥ずかしそうな渚に疑問を覚える。桃花は振り返りかけていた体を静止させて、
 渚に向き直った。

「うん、いいよ」

  とはいったものの、渚はなかなか喋りださなかった。待合室の時計が秒針を二回転ほど
 刻む。そこでようやく渚が口を開いた。

「あのさ…」

「うん」

「たしか、桃花って名義上は稔の『妹』なんだよな?」

「そう、だよ。前にも、話した、通り」

  そうなのだ。戸籍上で、桃花は稔の『妹』。正しい漢字であらわすと『義妹』となる。七、八年
 ほど前に古舘家に養子として入り、以来古舘 桃花としての姓を授かっているのだ。

  桃花が養子になった理由は渚も知らないが、過去に一度この話を聞いていた。

「でも、それが、どうか、したの?」

  問われた意図がわからない桃花は、渚に訊ね返す。渚の疑問はまったく意味がないものに
 思えたからだ。だが渚は問いに答えずに別な問いかけで返した。

「桃花。まだ、あの"約束"覚えてるか?」

  "約束"という単語に、桃花は過剰なまでに反応を示す。傍から見て取れるほどの慌てようで、
 ほっといたら大変なことになりそうだった。

「う、うん! もちろん、覚えて、るよ!」

「そっか…」

  再び沈黙。

  黙りこくった渚と対照的に、桃花はしきりに目線を遠くにやったり首にぶら下っているカードを
 いじっている。桃花の心は長い沈黙に擦り切れそうだった。

「"約束"が、どうした、の?」

  堪らず桃花が静寂を破る。

  しかし、渚は逡巡しているようで、桃花の問いかけに答えるまでにしばらく時間を要したようだ
 った。そして、葛藤の果てに紡がれる言葉。

「約束の内容を変えないか?」

  突然の提案に桃花は驚きを隠せない。

  八ヶ月前、渚と出会い、共に事件を解決した後に交わした"約束"を急に変更すると言い出した
 渚の考えがわからない。

「えっ、どういう、こと?」

  疑問に、渚は落ち着き払った様子で、

「簡単なことだよ」

  恥ずかしそうに顔を伏せていたが、意を決したように顔を上げて、いつも通りの毅然とした視線
 で桃花を射抜いた。

「いいか、まず……」

  変更、いや、正しくは更新された内容は、ひどく簡単なものだった。

  かつて交わした約束。それが若干変わるだけ、だがこの"約束"は持つ意味は遥かに大きくなっ
 たことは間違いなかった。

  二人だけの秘密の約束は、稔に関係がありながら、稔が全く関与できないところで結ばれて
 いく、やがてそれは確かな意図を持って稔に関わってくる。

  だが、まだ稔が知ることはない。









 


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