日々、歩き









     第十二歩/ 継ながる点へ









  命樹高校で第二の事件が起こってから既に三日が経った。ついに高校側も通常運行は
 できなくなり、しばらくの間だが休校状態となっている。

「殺された生徒の名前は、加藤 亜紀……と」

  渚は今回新たに知り得た事象をB5のルーズリーフへ事細かに書き留めていた。

  冷静に振舞っているように見える渚だったが、この三日もの間、事件の被害者である加藤 亜紀
 がバラバラになった瞬間と、襲い掛かってきた『何か』が脳裏に焼きついて離れないでいた。

  それほど圧倒的だった。生まれてこのかた、あれほどの恐怖を体験したことは一度もない。自分
 がいかに矮小で、脆弱であるかを頭に直接に刷り込まされたのだ。

「くそっ!」

  腹立たしさは自身へと矛を向けた。

  稔に宣言したように、第二の事件を未然に防ぐために調査をしていたはずなのに、全てが後手
 後手にまわっていた。

  奇しくも、『ただの変態事件と、本物の殺人事件なら比べるまでもない』といった稔の言葉が今更
 ながら身に染みてわかっていた。比じゃないほど危険で、難解。

  だが、今更だからこそ退けない。途中まで首を突っ込んだからこそ逃げない。心に佇む信念の
 下に止めない。

  この三日間で、渚はできる限りのことはやっていた。

  第一の事件、廃ビルの屋上で起こった事件の目撃者、石井 和弘と接触を図り。自分に襲い
 掛かった『何か』の正体を考えてみたり。いろいろだ。

  だがどれも失敗に終わっている。石井の点でいえば電話は繋がらないし、アパートにもいな
 かった。『何か』の正体なんてもっての他、かけらも思いつかない。

   一番重要な手がかりである実体験もまったくあてにならなかった。

  精神的なショックのせいか記憶の劣化が激しく、全てを思い出せない。鮮明に思い出せるの
 は甲高い収束音だけ。

  そもそも、アレがついこの前起きたことなのか、何年も前に起こったことなのか、いまいとつ実感
 が湧いてこない。まるで夢幻を見ている気分だった。

「あー! もう! ぜんっぜんわからない…」

  思考回路は焼き切れそうなほど駆使されるが、肝心なところはさっぱりである。

「仕方ないな、気分転換に街にでも出るか」

  部屋に籠もって考え事というのにも飽きてきているようだった。

  こういう時は行動に移すことで何かしら進展があるのが世の常である。

  と、決め付けて家を出た。



        #       #       #



  ショッピングモール『アカイア』には気持ちいい日差しが舞い降りてきている。まだ昼間という
 せいか、心地よい喧騒が周囲を包み、静寂の中に動を生み出している。

「さて、どうしようか…」

  ひとりごちて、渚は歩いていた。ウィンドウショッピングに近い形をとり、適当に食料品や、服な
 どを見て歩く。何かに気づいたように、アクセサリーを売っている露店の前で立ち止まった。

  別に気に入った商品があったからだとかそういうわけではない、見知った顔が近くのベンチに
 座っていたからだ。

  いつもにくたびれた様子の佐藤教師である。

「佐藤先生、どうしたんですか?」

「うわっ!」

  急に背後から声をかけられて、佐藤は異常なまでに飛び跳ねた。

「ってなんだ。高井さんじゃないか、おどろかさないでよ…」

「はあ、すいません」

  佐藤は酷く驚いたのか、胸を押さえて冷や汗をかいていた。

「先生はこんなところでどうしたんですか?」

  すると、生物教師は不機嫌そうに眉を吊り上げた。

「高井さん、その言い方だと僕がここにいたら変みたいじゃない?」

  失言に気づいて、慌てて否定する。

「いえっ、別にそういうわけじゃなくて…」

  怪訝な視線で窺ってくる佐藤から逃げるため、話題を別に持っていこうとする。

「あ、そういえば。確か先生が通報してくれたんですよね? 警察に」

「ん? ああ、そうだよ。だって生徒たちの身の安全を守るのは教師の役目でしょ」

  渚はぼやけた記憶の中で確かに佐藤の声を聞いていた。自分が『何か』に取り囲まれた時に
 『誰か! 警察を呼んで!』と叫んでいた人物がいたのだ。

「まあ、大して役にたたなかったみたいだけどね…」

  佐藤が言葉を濁す。警察を呼んだにも関わらず、いや、呼ぶほどの事態になってしまったことへの
 反省からかテンションは右下がりだった。

  一人の生徒が命を亡くしているのだから、しょうがないかな、と思う。

「い、いやいや先生! そんなことありませんよ!」

  深く沈んでいきそうな佐藤を引き上げるためにフォローを入れる。

「そう…だね。高井さんだけでも助けられたから、僕にしては十分、かな」

「そうですよ!」

  どうにか佐藤は調子を取り戻した。

  どっと疲れを感じたが、ふと、思いつくことがあった。あの時、唇から血を流しながら笑っていた
 井上 小夜子のことである。

「そういえば先生。井上 小夜子って知ってますか?」

「井上さん? ああ、知っているよ。確か二組の子だったね」

  ラッキー! と渚は内心で小躍りしていた。街に出てきて大正解。こんなところで井上 小夜子の
 情報を引き出せるとは思ってもいなかったのだ。

  三日前の事件以来、小夜子とも連絡を取ろうとした渚だったが、結局行方はわからずじまい。

  話を聞こうにも聞けず、もどかしささえ感じていたのだ。直接本人の話は聞けないが、大まかな
 人物像だけでも知っておいて損はない。

「どんな子なのか、教えてくれませんか?」

「別にいいけど…」

  佐藤から聞いた話は、大体知っているものだった。

  友達が少なく、よくいえばおとなしく、悪くいえば根暗。大体が図書館か、もしくはどこかで休み
 時間を過ごしているという。

  だが、佐藤の口からはそれ以外語れらない。三日前、渚に見せた黒滔々とした眼や、歪んだ笑
 みに関係がありそうな話は一切出てこなかった。

  つまるところ、あの日の姿は普段押し隠している本来の姿で、佐藤たちの前ではおとなしい振り
 をしているのだろう。

  まあ、他の人物の前と、稔の前では態度が違う渚がいうのもなんなのだが。

「ほかに何かありません?」

「っていわれてもなぁ」

  頭を捻って考える佐藤。なんとかこれら以外の情報が欲しい。佐藤から聞かされたのは既に知
 っている特徴ばかりで、このままでは進展なしである。

「あ、そういえば」

「なんですか!?」

  何かを思い出したようすの佐藤に、渚は詰め寄った。渚の剣幕に押された佐藤は体をエビ反り
 にしながらいう。

「あの子、いじめられてるんだよ」

  ああ、やっぱり。

  佐藤の告白は思っていた通りだった。既に図書館でも現場を見ている。それに、『普段』のおど
 おどした態度からならいじめられているのも別段不思議ではなかった。

「井上さんは大人しいからね、いじめっ子たちのいい的らしいんだ。そういえば、殺されちゃった娘たち
って井上さんをいじめてる常習犯じゃなかったっけかな?」

  額に人差し指を置きながら、疑問系でいう。

「え! それほんとうですか!?」

  さらり、と、とんでもなく重要なことを言ってのけた佐藤にさっき以上に押し寄せる。佐藤もマト
 ○ックスに負けないほど反り返りながら、

「う、うん。そ、そういえば、ほら、この前も井上さん図書館でいじめられてたよね?」

「ええ」

  それは渚にとって忘れようもなかった。そもそも、小夜子を認識した始めての場所が命樹高校の
 第2図書館で、しかもいじめられていたところを助けたことに在るのだ。

「亡くなった折原 恵美さんと、加藤 亜紀さん。それと福原 奈緒さんの三人組が主にいじめてる
らしいんだ。もっとも、いま生きてるのは福原 奈緒さん一人になっちゃったけど」

  佐藤はそこで話を終わらせたが、情報として十分だった。その場で鞄からルーズリーフを取り出し、
 ファイルを下敷き代わりに佐藤の話からわかったことを書き込んでいく。

  つながりかけていた。

  全てが、というわけではないが離散していた断片の一部がまとまり出していた。

  そして誰もが気づくことだが、次に危ないのは福原 奈緒という少女だろう。渚の記憶が識別す
 る限りでは、図書館にいた二人組みの片割れで間違いない。

  犯人の動機は復讐か怨恨か。そこまではわからないが、まず福原 奈緒を狙ってくるだろう。

  井上 小夜子と連絡がつかないことが何よりも心残りになっていた。一番怪しいのが小夜子だと
 踏んだ渚は、全身を掻きたてるような焦りに知らず目元を細めていた。

  手にもいらない力が入り初める。

  と、ファイルに気づいた佐藤がきょとんとした顔で訊ねてきた。

「あれ? 高井さん、その手に持ってるのは何? さっきからメモを取っているみたいだけど…」

  手元を覗き込もうとして、佐藤が立ち上がる。右手で軽くファイルを降ろし、内容を見ようとして
 きた。

「ああ、この一週間ぐらい前の事件。たしかバラバラ死体が見つかったんだっけ」

「って先生っ!」

  慌ててファイルを胸元に引き寄せる。

「女の子の秘密メモを勝手に見たらモテませんよ!」

「えっ! ホントに?」

「当然ですよ!」

  ひどいショックを受けたのか、佐藤の肩あたりにどんよりとした空気が浮かび始めた。だが渚の
 いっていることも正論なのでどうしようもないのだが。

「うう、そうなのか……」

  齢三十を超えようというのに、今にも泣きそうだった。どうしたもんかと困っていると、自らを奮い
 立たせてから、佐藤の方で切り出してきた。

「ま、まあ…僕のことはいいとして、高井さん。井上さんのことで相談があるんだけど…」

「なんですか?」

  なにか小夜子に関する重要なことがあるのかと思い、ファイルの準備をする。だが、渚の行動
 は全く意味のないものだった。

「彼女の友達になってくれないかな?」

「え? ……ええ〜!?」

  佐藤の口から出てきた言葉は渚の期待を百八十度裏切っていた。

「無理を承知でお願いするよ。でも僕には井上さんの気持ちがよくわかるんだ。彼女は淋しが
っているよ」

「どうしてそんなことが…」

「わかるの? ってことかな」

  哀しげに顔を染めて、どこか遠い眼で渚を見てくる。それだけで渚は何も言えなくなった。

「それはね、昔のことだけど、僕もいじめられていたことがあるんだよ」

  一人の生徒に聞かせるには重い独白。

  なんといって良いかわからないで戸惑っていると、佐藤はいつもと同じく気弱に微笑んでいった。

「そういうわけでさ。善処してくれることをお願いするよ」

  たはは、と今度は困ったように笑う。

「上手くいったらメール頂戴ね」

  渚は黙って頷いた。内申点の関係から、比較的どんな先生とも親しくしておきたい渚は命樹高校全
 ての職員とアドレスを交換し合っていた。

「じゃあね、高井さん。気をつけてかえるんだよ」

  言いたい事だけいうと、佐藤は風が吹けば飛びそうな足取りで立ち去って行った。太陽の日差し
 は六月になだらかな勢いで降り続ける。渚はしばらくその場に立っていた。

「善処、ねえ…」

  佐藤には悪いが、その願いは叶えられそうもなかった。

  小夜子のような性格の持ち主は嫌いだし、さらに先日の小夜子の様子からいっても、別段好かれ
 ているわけでもないだろう。

  互いに苦手意識をもっている関係から、どうやって『友人』までランクアップしろというのか。
 
  既に佐藤の後ろ姿は彼方へと消えて、残照すら感じない。

  待てよ、と渚は思考。

  考えているうちに微妙な違和感が湧いてきた。何が源泉なのかはわからないが、思考の網を広げ
 ているうちに違和感はどんどん大きくなっていく。

  渚の短い髪を夏の匂いが混ざる風が薙いだ。

  ふっ、と水溜りに輝く太陽のように、思い当たることが深い底から浮かんできた。違和感とは
 全く関係がない『点』ではあったが、もっとも重要なファクターの一つ。

  ―――――『何か』の正体とは、もしかして

  ……しばらく時が経って、真剣に悩んでいると、ふと痛いほど突き刺さる視線に気がついた。

  傍らを見ると、アクセサリーを売っている露店の店員が身を乗り出しながら、目を爛々とさせて
 こちらを見ていた。

  怖くなって視線をそらした渚だが、自分の体側面部にぶち当たる眼光は無視できそうもない。

  渚は、もともと散策に来ていたので、なにも買う気はなかったのだが……。

「あの、すいません。これください」

  このまま稔の家に行くことに決めたのだった。



      #     #     #



「う〜ん。高井さん、渚ちゃんたちの供述をどう思います?」

  鳴神警察署では先日稔たちが証言したことを、正隆と村下がじっくりと吟味していた。

「少なくとも、渚は嘘をついちゃいねえよ」

「なんですかそれ? 詳しくいってくださいよ」

  その、少なくとも、という表現に若い刑事が噛み付く。普段は正隆に威圧されて情けなさしか目
 立たない村下だが、実質かなり有能な男である。しかもエリートで出世街道まっしぐらボーイ。

「渚の『目の前で突然人がバラバラになった』っていうのは信じられねえが事実だろうよ。家族と
してじゃなく、刑事として、俺が見たんだからな」

  刑事として、僅かな言葉には威圧感と共に重厚な説得力があった。何十年も犯罪者たちと
 向き合うことで培ってきた観察眼。それだけの自負と自信がある。

  だが、疑問げな顔で俯いた。

「小僧、いや、古舘 稔の証言も間違いはねぇんだろうが……」

「どうしたんです?」

  それ以上続かない。

  黙ってしまった正隆にそれ以上問いかけるような愚は犯さず、村下も同じように黙っていた。
 正隆がこうやって思案している時は邪魔をしない方がいいと知っているのだ。

  正隆が稔の事情聴取をして悟ったことは、稔が思わせるほど馬鹿ではないということ。そして、
 振る舞い方に不自然さがあるということだ。

  取調室で、稔は一般人と同じように『警察に連れてこられてビクビク』していた。だが、それは
 どこか演技くさいというか、あまりにも基本的過ぎたように感じたのだ。

  妙に慣れているような、それでいて周囲を騙しているような、微妙な差異。おそらく豊富な経験を
 持つ刑事や、役者、それに人を扱うことに長ける心理学者などでもほとんど気づけないようなモノ。

  正隆がそれに気づけたのは、普段から渚の演技に振り回されているせいもあって、いわば僥倖
 ともいえたのだが。そうでなくては、気づくことなく見落としていた違いなかった。

「やはり、まだわからんよ」

「そうですか…」

  二人の間の空気が重く沈む。

  一新するように、前々から気になっていたことを正隆は尋ねた。

「そういや村下、なんだったかな? あの…あれだよ」

「あの、じゃわかりませんよ」

「そうなんだがよ、なんかド忘れしちまったみたいでな」

  そろそろ自分も歳なのだろう、というと正隆は腕を組んで唸り始めた。

  ようやく思い出したように、拳を手のひらにぶつけると、

「そうそう、村下。現場に残されてた『メッセージ』はどうなったんだ?」

「はい? 『メッセージ』ってなんですか?」

  今度は村下がわけのわからないといった顔をしていた。

「はい? じゃねえよ『メッセージ』つったら『次はおまえらの番だ、神の審判を受けよ』ってやつ
に決まってんじゃねえか」

  。どうやら村下もド忘れしたようで、思い出すまでに結構
 時間がかかったようだ。

「ああ! 現場に残されていたっていうやつですか?」

「そういってんじゃねえか…」

「さあ? 犯人の悪戯じゃないですかね。一応重要な手がかりなんで一般公開はされてませんけど」

  再び沈黙。

  進展しない事件への苛立ちから、警察署内でもピリピリしている者は増えている。この二人も
 例外ではないようだった。

「それじゃあ、今日は地道に聞き込みでもしますか!」

  気分転換にでも行くような調子の村下。

  場違いともいえる勢いをもつのは若者の特権であり、それゆえに失敗もあるのだが、この場合は
 重い空気を払うためにいい方向へ働いた。

「そうだな。いくか」

  こうして二人は聞き込みを行ったのだが、結果だけを言えば収穫ゼロであった。

  それでも、無意味だったということはないだろう。












 


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