缶詰ヒーロー






  管理用のブリーフィングルーム。
 
  普段は技術屋ばかりが蔓延るその部屋に、似つかわしくない男が一人コンソールの前で
 立ちつくしていた。

『そういうことだ。わかったな?』

「……ああ」

『約定は反故にされるべきではない。わかるな?』

「………………ああ」

『では、英断を』

  ぶつり、と回線が切られた。それで終わり。後には何もない。

  一息。先ほどまでつながっていた回線の残滓を吐きだす。2度目の停電のさい、緊急連絡
 で呼び出された徳野御言は猛烈な脱力感に襲われた。

  失策。失敗。なんでもいい、とにかく非はこちらにある。そしてその非を背負う青年の顔を
 思い浮かべ、自己嫌悪に全身を蝕まれた。

「結局、俺は……お前のようにはなれないんだな……――それが、堪らなく辛い」









          59缶詰ナリ *  【Eighth life】










  耳がおかしくなるほどの声援に包まれて試合会場を後にした翔太は、落ち着きなく選手用
 通路を歩いていた。

  一刻も早く千里救出に行かねばならないのはわかっている。しかし、肝心のキリイが簡易
 修理を受けている間はここを動けない。

  戦闘が終わった後、キリイは「大丈夫だ。すぐに、助けに行くぞ」と笑っていたが、改めて確認
 した機体損壊率は目も当てられないほどだった。

  せめて情報があれば心も落ち着いたろう。だが、それはない。

  どうして知り合ったばかりの千里が狙われたのか応えてくれる者は周囲にいない。誘拐犯が
 翔太とキリイを呼び寄せて何をしたいのかなどいっそうわかるものではない。

  右の拳を左の手の平に打ち付ける。結局、自分は何も知らないままじゃないか――。

  今の翔太にとって、如何なる賞賛も不快指数を上昇させることしかなしえない。

  だから、自分の控え室前に無数の記者が待ちかまえているのを見たときは思わず怒鳴り
 つけそうになった。

「いたぞッ、あそこだ!!!」

  一人が指さして翔太を発見したことで、続々と群れてくる人の波。翔太など藻くずになりそう
 ものだったが、彼等はその直前で急ブレーキをかけた。

  その代わり、間断なく焚かれるフラッシュとゴツゴツと差し出されるマイク、人垣の向こう側か
 ら撮影するテレビカメラが悪意もなく向けられる。最新型のネットワーク端末で情報を誰より
 早く発信しようとする輩までいた。

『今日の勝利の理由はそれよりリアルで勝つって言うのはどんな気持ちそういえばTOYの箱
入り娘の君香嬢と同級生らしいねいや武田重工の御曹司とも知り合いらしいじゃないか……』

  無限に続く質問の弾幕。我慢は限界だった。

  ――なんだこいつらは、こんな時にッ

「翔太くん、こっちッ!」

「早く来いッ!」

  沸点突破を果たすまさに一歩手前で聞き慣れた友人達の声が聞こえ、壊れかけた自制心
 を引き戻す。

  声の出所を捜すと、通路の奥で君香とユウキが手招きしていた。これはチャンスとばかりに
 翔太は歩き出す。

「あ、ちょっとちょっとッ! せめてなにか一つぐらいコメント頂戴よ!」

「たとえば?」

  無視するのもなんなので、それでもひどく迷惑そうに振り返る。変な質問しやがったら噛み
 つくぞと宣言した形相であった。

「ミソロジィに勝った感想、とか……」

  案の定、翔太の逆鱗に触れる。

「その程度の質問で人の邪魔をするなッ!」

  一喝してしがみつく記者を振り払う。モーセが割った紅海とまでは行かないが、鬼気迫る迫力
 に圧倒された記者達は自然と道を作りだした。

  二人のもとまで辿り着くと、全く同時に右腕と左腕を掴まれた。抵抗する間もなくずんずんと連
 れて行かれる。

「お、おいお前ら。これは一体なんの真似だ?」

  自分とてついさっきまで憤怒の化身と化していたのに、君香たちの常に見ない切羽詰まっ
 た顔つきに圧倒されてしまう。

  話があるのは間違いないが、ここで話せるようなことではないとオーラが語っている。

  終始無言を貫く二人。為すがままに任せて連行され、関係者以外立ち入り禁止の看板が張
 られた部屋にぶち込まれてようやく解放された。おかげさまですっかり手首が痛い。

「さて、それじゃあ話を、」

  聞こうじゃないかと言いかけたところで、

「翔太、絶対に行くな」「お願いだから行かないで」

  …………。

「はい?」

  というか、何処に? という感じだった。二人がいきなり何を言い出したのか、突然に突然
 過ぎるので欠片も理解できない。困り果てた翔太の表情は大変微妙に歪んでいた。

「聞いてるのかッ!」「聞いてるのッ!」

  両サイドから怒鳴りつけられれば嫌が応にも聞こえるのだが、君香もユウキもそれに気づく
 様子がない。

「いいか翔太。こういう時は警察に任せておくんだ。それに、もしかしたら今回はコンコルディア
スが動く。迂闊に行けばお前だって巻き込まれかねない。あの時みたいに上手くはいかないんだ」

「確かに翔太くんは優しいから人助けをしたくなる気持ちもわかるよ? けどね、やっぱり人間に
は限界があるの……。毎回毎回上手くいくとは思わないで」

  記者の猛攻が終わったと思うと、次は二人組の叱責が矢継ぎ早に繰り出される。しかも二人
 とも感情論に走っているようで聞く耳を持っていなかった。

  初めこそ二人が何を言っているのかわからなかったが、どうやら彼等が千里救出について
 言っているのだと理解すると話は簡単だった。

  だが、

「ちょっと待てよ……どうしてお前らがそれを知ってるんだ?」

「「え?」」

  沈黙。

「「ああ、えっと……それは……」」

  見事にハモり、かつシンクロして狼狽える姿は場面が違えば苦笑を誘ったかもしれない。

  そんなことをしている隙に、突然部屋のドアが開かれた。

「ちょっとッ! ここは立ち入り、禁……し…………」
  
  キッ、と威勢良く怒鳴りつけた君香の語尾がか細くなるにつれて、その男の眼光の鋭さはい
 や増すばかり。

「盗聴していたからだよ、翔太くん」

  TOY社長。徳野 御言は君香とユウキを一瞥しただけで翔太のもとまで歩み寄ると、襟元に
 手を伸ばす。

「全く、我が娘ながら随分姑息な手を使うようになったな。誰からそんな帝王学を学んだのか」

  それは絶対に気づかれないように仕込まれていた。翔太が来ているシャツの襟に米粒大
 の黒点がくっついており、そうと知らなければ糸くずに見られてしまう。

  御言に摘まれた盗聴器は、証拠品を扱うように慎重にスーツの胸ポケットに入れられる。

  悪戯が露見した子供さながらユウキが辛うじて言葉を送る。
 
「御言さんこそ……どうして俺たちがここにいるってわかったんですか?」

「なに、簡単なことでね。自分のマスターを心配した缶詰ヒーローたちが、その居場所を教え
てくれたというわけだ」

  ツイ、と御言が顎で指したドアの向こうから浮かび上がったのは二体の缶詰ヒーローだ
 った。

「ああ、翔太どの……――主殿が、主殿が……」

  虚ろな仕種でよろめく千里の缶詰ヒーロー【信乃】と、そしてもう一体は、

「マスター…………」

  心底心苦しそうに、自分自身を傷つけたような面持ちで、君香の缶詰ヒーロー【ク・フリン】
 が俯いて立ちつくしていた。

  信じられなかったのか、君香は眼を大きく開いた後、下唇を噛んで呟いた。

「…………最低……」

  何よりも辛い一撃に、ク・フリンの顔が歪む。

「そう言うな。彼は彼なりに悩み抜いた末に語ってくれたのだ。今までのことも、全て、な」

  それがどれだけの重さを含んでいるのか翔太には及びもつかなかない。

  ただ、君香が小さく「嘘でしょ……」と漏らしたのだけは聞こえてきた。

「今までに七度、か。これはまた随分苦しめさせたものだな、君香。そしてまた愚を犯そうと
しているお前には父としても、一人の人間としても言うことはなにもない。お前は黙ってそこで
見ていろ」

  わなわなと震えている君香から身を翻し、御言は翔太に顔を向ける。

「それよりも翔太くん、本来の用件はこちらの缶詰ヒーロー、信乃くんに関係があることだ。彼女
のマスターである入谷千里という少年が誘拐されたらしいことは知っているかい?」

  本来肉親にこそ与えるべき優しさを振りまきながら丁寧に尋ねてくる。

「ああ……知ってるよ……」

  一度首肯して、翔太は意思表示する。

  ついで、自分の知ってる限りのことを話すことにした。千里を素早く安全に救出するためには
 情報交換こそが大事だと思ったからだ。

「そう、か……。実は、君たちのグラディエイトの最中、こちらに犯人からの接触があった」

  それは――。

  それはどういうことなのだろう。

  犯人は、あいつは、自分たちばかりではなく主催者側にもコンタクトしたというのか。これが
 誘拐だというのなら、その事実は当事者にだけ知らせればいい。もし広く知られたなら、そこ
 から警察が動くことになるだろうから。

  わざわざ危険性を大きくするメリットはないはず、いや――あった。

  それは主催者側もまた当事者であるという一点。

「『もし石若翔太、並びにキリイが指定した場所に現れなかった場合、会場中に仕掛けた爆弾
を一声に炸裂させる』、それが奴の残したメッセージだ」

「なッ!!!」

  翔太だけでなく、部屋の中で聞いていた者全員が息を呑んだ。呑まざるをえなかった。

  犯人は、千里だけでなく観客の命もまた握っていたのだ。

「相手も相当の手練れだ。この施設全ての電子制御が乗っ取られてしまっている。ここから出
ることはできないし、強力なジャミングによって連絡手段もない。八方塞がりだ」

「非常口とかがあるんじゃ、ないのか……?」

「ある、が、相手にそこを使ったとバレた場合、確実に我々は灰燼となるな。奴は君たち以外
がこの会場から抜け出した瞬間に爆破するといってきた」

  聞けば、探索させた限りで爆弾の数は五つ。

  少しばかり爆薬に詳しい者の話ではそれら一個一個は大したことないが、連鎖反応を起こ
 すよう要所要所に設置されているのでこのドームなど砂の城より頼りないらしい。

  自分がテロ現場にいるということよりも、翔太は多数の人間が死の危機に瀕し、その大勢が
 気づいていない事態に目眩がした。

  ふらつく意識をしっかりと覚醒させるように、御言が両肩に力強く手を置く。

「我々が欲しいのは――……時間だ。なんとかして外部と連絡が取れるようにもする。爆発物
処理班も呼ぶ。だが、何より重要なのは時間だ。それがなければ何もできない」

「ちょっと待ってよお父さんっ! それじゃあつまり翔太君に行けッてことッ!?」

  御言は応えない。無言が答えであるかのように。

「そんなのダメだよっ! 危なすぎるっ、もし翔太くんになにかあったら私は…!!!」

「……――黙ってみていろといったはずだ」

  一欠片の慈悲もなく実の娘を拒絶する父親だったが、ほんの一瞬だけその素顔が覗えた。

  自分の力の無さを実感し、失いたくない夫が死地に向かおうというのに、それを引き留め
 るだけの言葉も力も持たない妻が示す自責の念。

  己がなにもできないのに、たった一人に全てを背負わせることへの罪悪感。

  子供が正義のヒーローにはなれないのだとわかったときに見せる、寂しげな素顔。

  その素顔が、大量の人命が掛かった背中を何倍も重くする。

  もし失敗したら? 

  犯人は自分たちが行けばみんなを助けるというのが常識だろうが、常識が通じないからこ
 そ犯罪を犯すのではないか。

  自分の行動が、まだ二十歳そこそこの男の選別で、数万人が圧死しかねない。

  失敗できない。

  そもそも何故自分なのだ? どうしてこう厄介ごとばかり自分にのし掛かる?

  ああ、――

  普通に生きていたかったのに。自分にしかできない。こんな重圧はイヤだ。見捨てることは
 できない。逃げろ。助けなければ。自分だけ。やるしかないだろ。誰かがやってくれるさ。

  それでも誰かが、――こんな苦しいことをやらなければいけないのか?



「なにを、ウジウジ、悩んで、おるのだッ――」



  誰も何も言い出せない不気味な静寂を打ち破ったのは、まだ修理中だったところを抜け出し
 てきたに違いないキリイの一声だった。

  装甲の下に埋め込まれているはずの人工筋肉やケーブルがまだそこここに露出し、本人も
 苦痛を堪えた顔でドアにもたれかかっている。

「き、キリイ殿。無茶はなされるなっ、液体樹脂による最低限の被膜もない状態ではありませ
ぬか!」

「構わん。この、傷は……そやつのよりも浅い……」

  口元に手をあて驚愕する信乃を、電流がまだバチバチと飛び跳ねる左腕で制する。

  今にも膝を着きそうに衰弱しながら、キリイは語り続ける。

「やられたのは……私だけでは、ないぞ。そやつは、翔太が、誰より、辛い……。まったく、見た
目と、性格に、よらず……つくづく……甘い。だが……その甘さが、他人を救うとわかっている、
から、こそ……お前は、今まで、それを、捨てて……こなかったのだろう?」

  とてもとても弱々しく、けれど真摯な瞳で語りかけるキリイの言葉が朗々と響く。

  聞く者全てを揺り動かすだけの秘めた力で。

「ならば、何を、迷うことが、――ある? 忘れるな。私は、缶詰、ヒーロー、なのだ……。ヒーロー
は、英雄は、人を救う者……だから、使え、私を、故に、――……迷うなッ!!!」

  烈火の如き文言は怯えていた心に平静をもたらしたのか、もたらさなかったのか。

  翔太は自問自答する。

  たとえば、他人からすればくだらないの一言で一蹴されようとも、その人にとってはなにより重大
 で、今後の人生ひいては生死に関わる事件が起きることがある。

  なんでもいい。

  好きな子に振られたとか、隣の住人が五月蠅くて不眠症だとかいった周囲から見ると軽いもの。

  親友に裏切られた、強姦された、大切な人を失った、爆弾テロに巻き込まれたといった誰が見
 てもはっきりと重いもの。

  別にこの世にそういうことは溢れているし、珍しくもない。現に、多くの人はそれに関わることを
 忌避する。汚いものを扱うように邪険にするし、傍観するだけで何もしない。

  メディアが報道することで、もう過去のこととなる事件。自分とは関わりがなくなってようやく人は
 同情する余裕が出てくる。ああ、可哀想だな。だがそれで終わり、たとえ現在進行形であろうとも
 薄い膜越しにしか感じ取れない。
 
  それは遅すぎるかもしれない。間違っているかもしれない。

  だが正直にいって、翔太は彼等の気持ちがよくわかった。

  面倒くさいこととは常にそうしたことに潜んでいるもので、関わり合いになることでこちらまで
 辛い目にあってはたまらない。翔太もできれば見捨てる側に回りたかった。

  それがとても楽だったからだ。

  だが――、翔太には悩み苦しむ人の気持ちも、よくわかる。わかってしまう。

  頼る者もなく。ただ独り。苦しみ。喘ぎ。絶望し。死にたいと願い。それでも生きるしかなく。途方
 に暮れながら。僅かな希望だけを夢見て。いつか救われることを切望し。寂しさの雨に打ち震える。

  いつか、きっと、――誰かが自分に毛布をかけてくれると信じて――待ち続ける。

  もし。

  運悪くそういう人を見つけ、周りに自分以外の誰もなく、後どれだけ待っても聖人が現れないと
 わかっているのならば。

  ――俺は、どうするのだろうか。

「いや……どうしたいんだろうなぁ、俺は…………」

  周囲の視線が一堂に集まる中、翔太は閉じていた瞼を開けてキリイの瞳を真ッ直ぐ見つめ返す。

「――行けるな?」

「ああ……――征くぞ」











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