缶詰ヒーロー











  ――ああ、そうだ……何の抜かりもない……せっかく引き取ってやったんだ

  負けちまうのはしょうがないが、ガキはガキなりに自分のお役目ぐらい果たすだろうさ――









          55缶詰ナリ *  【Fourth force】









  そして世界待望の日はやってきた。

  通称・第四コロッセオ。決勝戦のためだけに設営されたメイン会場より装飾が地味なのは仕様で
 ある。

  だとしても、神の威光を見せ付けるが如き荘厳なオーラになんら遜色はない。もはやそれだけで
 完成された神殿であり、英雄達が死闘を繰り広げる闘技場でもあるのだ。

  そして今、熱心な巡礼者たちが四方百メートル超のリングを取り囲んでその時を待っていた。

  運よく抽選で選ばれた観客は十万二千人。会場のすぐ外に設置された四面ディスプレイの前で立
 ち見をする者たちは十数万。

  テレビやネット上のストリーミングを眺める者まで含めると、膨大な数の人々がもどかしく感じてい
 たにちがいない――。

  試合開始、二時間前。緊張は未だ高まり続けている。



  来るべくして来た時を、石若翔太は一般の観客が行きかう通路で過ごしてた。とはいっても、空気
 清浄機の近くでタバコを吸いながら座っているというのほほんとしたものである。

  あまりの無気力無関心っぷりに誰一人その青年が今日の主役だと気付くはずもなく、モクモクと
 吸い続けるタバコの本数もすでに七本目。

  一流ホテルのロイヤルスイート並に技巧がほどこされた部屋にいると気分が悪くなってくるので、
 気分転換にタバコを吸いにきたのが三十分ほど前になるだろうか。

  豪奢な部屋を汚すことを怖れタバコも吸えないノミの心臓の持ち主は、がくりと首を落とした。

「どうにかなんねぇかなぁ……」

  ふー、と煙を吐き出す。

  今ごろ控え室では、なんの因果か昨日知り合った犬塚信乃と入谷千里がかしこまって座り、キリ
 イは瞑想しているはずだった。

  あいつらの仲がよくなったのはいいとして、のんきなもんだな、と思う。

  めんどうなことは全て自分が背負ってしまっているような気がして、翔太は脱力の影を濃くした。

  いくら翔太とはいえやらなければいけないことのプレッシャーは感じる。ましてそれが企業スパイ
 の手伝いや一人の人生を左右することならなおさらだ。

「……やるしかねぇよなあ……」

  呟きにあわせてくわえタバコもリズムを取る。

  しかし、やることが決まっているだけでもずいぶん束縛は軽くなる。

  ――勝つこと。それだけでいいのだ。

「成せば成る、成さねば成らぬ、人生はってやつだな」

  ポジティブシンキングも良いところなのだが、灰皿に吸い殻を押し付けて悠然と立ち上がった翔太
 のどこにも翳りは見あたらなくなっていた。

  そして、翔太が遭遇した第一の異常は、控え室に向かおうとして道に迷ったことから始まる。

  ぶきみな通路にまたたく照明もまた風前の灯火である。控え室にはもうついていてもおかしくない
 ころなのだが、行けども行けども茫漠の無。

  人はそれを迷子と呼んだ。

「……………………………………迷った………………」

  翔太の名誉のために述べねばならないことがある。彼は決して方向音痴ではない。複雑怪奇な
 構造が人の方向感覚を鈍らせるのだ。

  とうに現在地はわからない。無駄に広い会場のVIP専用通路に自分が紛れ込んでしまったことな
 ど気付くはずがない。

  イライラして壁を拳で思いっきり叩く。――後悔より先に激痛。あやうくを悲鳴をあげそうになった
 所で通路の奥から聞こえてくる声に気付き、どうにか抑える。

  足音を忍ばせ、翔太はそっと壁に身を寄せた。ごつごつとした強化プラスチックの感触が痛い。

「何度もいわせるな。もう二度と翔太には関わるんじゃない。いったいお前は幾度あの子を苦しめれば
気がすむ?」

「なっ! …………(俺ッ!?)」

  なにをいったのかまったく聞こえなかったもののかろうじて耳に入った自分の名に驚き、またも
 や声をもらしそうになる。

  口に手をあてて、翔太は通路の死角からそっと身を乗り出した。

  しかしここからだと、誰なのか、よく、見えない――。

「苦しめてなんかないッ! わたしはちゃんと距離を置いて接してるものっ!」

  激情に心を任せながら、眼には一杯の涙をうかべて、女性はいった。

  だがそれでも、染みついた威厳と高い背を持つ男は、鷹揚に肩をすくめるだけだった。

「そのセリフは聞き飽きた。君香、お前は親父にまで頼み込んだらしいな? 世界大会など……本来
ならもっと浸透してから行われるべきだったというのに……。缶詰ヒーローは贖罪に使われるために
創り出されたものではないんだぞ」

「わ、わかってるよそんなことっ!」

「いいやわかっていない。度重なる失敗から、お前はなにも学んでいない。それに、約束を破ったのは
おまえだ」

  バレないように細心の注意をはらいながらいっそう眼をこらす。電気系統の不具合で点滅を繰り返
 す電灯に照らし出される三人の顔を、翔太ははっきりと見た。

  とくにそのうちの二人を見たとき、翔太はアゴが外れそうになった。

(君香ッ!? それに……ユウキッ!?)

  なぜ。

  なぜ二人がここにいるのか、それに二人が(というよりも君香が一方的に)敵意を向けている背の
 高い男性はなにものなのか?

  足がその場で止まる。意識的にというよりは、むしろ本能に近い。

  奇しくもそのおかげで翔太は三人に気づかれることがなかった。いっぽう、翔太には聞こえない
 会話は進む。

「でも、それでも……御言さん。彼女にとっては、大事なことなんですよ……?」

  ウサギのイヤリングが通路に一瞬だけ輝く。枯れた声を絞りだすようなユウキの反論、だがそれ
 すら御言の一笑に付される。

「ユウキくん、なにも知らず、ただ結果だけを知っているキミが軽々しく口を挟める問題ではない」

「で、でも俺はッ………」

  虚しく開けた口からはしかし、ぐうの音も出ない。御言は穏やかな笑みを唇に貼り付けると、

「どうやら今は君香の味方のようだが、本来キミも君香を責める立場にいるはずだ。この馬鹿娘の
せいで親友は高校の頃キミと出会ったことや、なにより命がけでキミとキミの大切な人を助けたこと
すら忘れてしまっているのだからな」

「なっ…!? なんでそのことをあんたが知ってるんだッ!!!」

  激高するユウキがぶつける力一杯の覇気すらやすやすと受け流し、御言は子供を諭すときのよ
 うに首を横にふった。ものわかりのよい父親のように。

  翔太はもっと詳しく聞き取ろうとじりじり歩み寄る。この場所では何も聞こえない。せいぜい二、三
 の単語が聞こえてくる程度だ。

「なに、お互い様だ。キミの妹君がしていることと大差ない」

「う……」

「ただ、余り首を突っ込ませないことだ。TOYの内部にも、俺すら手をつけられない連中が生まれて
いる。これは本当の意味での忠告だ。このままでは妹が"不慮の事故"で死んでもおかしくないぞ?」

「お父さんッ!!!」

「お前は黙っていろ」

  ぴしゃりと拒絶して言葉を遮る御言はすでに一人の父親としてではなく、TOYの社長としての
 本質がありありと浮き彫りになっていた。
 
「それは……脅迫、です、か?」

  弱々しくユウキが訊ねる。御言はほんとうに悲しげに眉をよせ、ユウキの肩に手を置くと力強く
 囁いた。

「脅迫、ではない。忠告だ。キミだから話すが、今TOYはかなり危うい」

  ダメだ。ここでもまったく聞こえない――。

  ようやっとの思いで三人の会話が聞こえる場所までたどり着いたときと、迂闊だったと気づくの
 はほぼ同時だった。

「TOYの中に缶詰ヒーローを……――誰だッ!」

  鋭い叱責に思わず舌打ちする。壁から剥がれおちた欠片を蹴りつけてしまったのだ。カラカラと
 乾いた音が冷たい通路を転がっていく。

  三者三様、研ぎ澄まされた視線に凝視されては身動きも取れない。三人が慎重に近づいてい
 るのがわかる。掴まるのは時間の問題だった。

「よう、お前らこんなとこで何してたんだ?」

  意を決し、可能な限り平然とした仕種で自ら姿をさらす。

「え? あれ? しょうた、くん……?」

「どど、ど、どうしてお前がここにいるんだよ?」

  まともな成果は期待していなかったが効果バツグンだったらしく、君香とユウキはきょとんとし
 て固まっている。思わぬ登場人物の出現で状況を掴めていないらしい。

「それはこっちが聞きたいんだけどな。三者面談、ってわけじゃあないよな」

  軽口を叩く翔太だったが、唯一、御言だけじっと見つめていることにすぐ気づいた。

「…………すべて、聞いていたのか?」

  質問ではなく命令。答えはわかりきっているため、問いはもはや確認でしかなかった。

  ――ダメか。

  補足するとしたら翔太は『今から聞こうとしていた』のであり、『聞いていた』わけではない。そ
 れでもイエスと云わざるを得ない空気が辺りに充満している。

  下手な言い訳は自分の首を絞めるだけだ。

「ああ、聞いたよ。つっても缶詰ヒーローがどうのこうのってだけでなにがなんだかサッパリだけど
な。それより、あんたは誰だ?」

  正直に告白して翔太は目の前の男を見る。

  だいぶくたびれてしまったような雰囲気だが、それは年のせいというよりも心労のせいなのかも
 しれない。まだ黒い髪をもっていることから、翔太はだいたい自分の母親に近い年齢なのかもし
 れないと読んだ。

  一番話が通じそうな人物であるとはいえ盗み聞きの現行犯である。

  言い逃れもできない、はずだった。

「俺が、わからない?」

  突拍子もないことを真顔で尋ねる御言に、翔太は訝しげに首を傾げた。

「はい? いや、まあ、知っているようないないような…………ごめんなさい知りません」

  なんとなく悪いような気がしたので、翔太は頭を下げた。会話の断片から男が君香の父親らしい
 とわかるだけである。

  御言は束の間寂しげに、だが誰もわからないほど速く表情を切り替えると、満面の笑みを浮かべ
 て翔太に手をさし出した。

「いや、すまないな。変なことを聞いた。俺がわからないならいいんだ。何を聞いていようと、それなら
関係ないからな。むしろ言いふらして欲しいぐらいだ」

「はぁ、だからなにを……?」

  一人合点して安堵のため息をつく御言はなんだか満足そうだった。が、それも束の間、

「翔太くん。悪いことはいわない、いっそのこと世界大会を棄権したらどうかな?」

  あまりにやんわりかつ素っ気なくいうものだから、思わず頷きそうになるほどだった。

「は、………………………はぁ!?」

  目玉が飛び出さんばかりにカッと見開く。なにを云うんだこの人は――?

  君香は瞳の色を理解不可能な愕然から烈火のような憤怒に目まぐるしく変化させ、父親に食って
 かかる。

「なにいってるの! 翔太くんは自分の意志で出たいっていったんだから、お父さんにそんなことを
いう権利なんてないッ!」

「そうなのか?」

  うさんくさそうに君香を一瞥したあと、真摯な態度で御言は確認する。君香の言葉を信じていない
 のではなく、翔太の口からもその旨を聞きたかっただけなのかもしれない。

「ああ、まあ、そういうことに、なるな」

  聞かれて翔太はぶつぶつと答える。どちらかというと出場したくなかったのに、次々と巻き起こる
 連鎖反応のせいで出るはめになったのにはちがいない。

  しかし、今は自分の意志で選んでここにいる。いかな紆余曲折があったにせよ。

「そう、か……。それもまた仕方ない、因果の必然、というやつか……」

  難しい言葉を呟くと、御言はごそごそと自分のスーツをまさぐり始めた。

  出てきたのは一枚の名刺は、最新型の幻像処理と偽造禁止機構が使われた技術力の結晶。

  TOY社長・徳野御言の名が刻まれたカードタイプの名刺には、三人の賢者と七つの柱、そして
 奥ゆきすら感じられる広大な庭の絵柄が描かれ、中央下部にテキストが流れていた。

  ――I am sure to defend garden,if my name is not known――

  訳はわかるが意味はサッパリわからない。

  連絡先や役職が表示された表や裏をひっきりなしに見てもただの名刺にしか見えない。やや
 豪華な名刺ではあるが、名刺は名刺だ。

「何か困ったことがあったなら、いつでも連絡してきてくれ。全力で対処しよう」

  社交辞令にしてはやけに手厚い待遇だ。翔太は一抹の疑問を覚えるが、断るだけの理由も
 ない。

  後で使えることはないだろうが、ありがたく頂いておいた。

  貧乏の極地に至りつつある財布に無造作に差し込み、残る二人に相対する。

  だが君香もユウキもバツが悪そうに視線をあちこちに彷徨わせるだけで何も喋ろうとしない。

  黙して語らず。話しかけても上の空で何かを隠そうとしていることは火を見るより明らかだ。

  つれない奴らだ薄情だとひとしきり心の中で思い、とりあえずここから離れることを提案した。











       SEE YOU NEXT 『Fifth element』 or Back to 『Invisible third』  




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