缶詰ヒーロー




  闇。

「もしそこのお方。すみませぬが、このような少女を見なかったですかのゥ?」
  
  冥府の世界。

「なに? 写真のは外国の子? 見かけないなぁ。こんなかっこしてたらすぐ眼につくし」

  魂の大釜。

「そうですなァ……まったくどこへお行きになったのか皆目検討がつかんわい……」

  三兄弟で分けあった、空と海と死者の国。

「爺さんは、その姿からして缶詰ヒーローだよな? ならその子が爺さんの所持者なのかい?」

  アスフォデロス、エリュシオン、タルタロスの領主。

「うむゥ。そうじゃが……。どちらかといえば儂こそが保護者というべきじゃ……」

  富める者。

「ははっ、大変なんだな。気に入ったよ。爺さんの名前はなんていうんだ?」

  見えない者。

「儂か? 儂が冠する古神の名はいろいろあるが、そうじゃな有名どころでこう呼べばいいじゃろゥ」

  原子番号九十四。

「――ハデスと」










          45缶詰ナリ *  【Dis】









「で、なんの用事があってこの俺をこんな絢爛豪華な所へ連れ込んだのか説明しろよ?」

  薄暗いシャンデリアとランプの光が揺れて作る陰影は美しく。海外のオークションで一品一品丹念に
 選び抜かれた調度品は、店内のあらゆる空間を穏やかに包み込んでいた。

  いわずともここは貧乏学生に場違いなレストラン。

  ユウキに招かれたからこそ、否、しつこいエウリュアリから逃れられる口実だったから来たのだが。

  ともかく、集合場所がブルジョワジーな感じの人間やセレブなマダムが多く訪れるのだろう場所だと
 は知らなかった翔太は、呼び出した張本人に向かって凶器をかざす。

「まぁ落ち着いてくれ翔太。とりあえずナイフを喉元に突きつけるなって、俺死んじゃうから。ね?」

  両手を上げユウキはやや引きつった微笑みを浮かべるが、男が男に笑いかけても意味は無い。

「ね? じゃないよな? んん? お前が来てくれっていうから来てみれば、なんだここは……」

「ああ、俺の叔父さんが料理長兼経営者を務めるフレンチ専門店だ。いっとくけど三つ星だぞ?」

「知るか、全部流れ落ちちまえ。俺が聞きたいのは、なんでよりによって金持ちな店なんだよ。いくら俺
だって羞恥心というもんがあるんだぞ?」

  そういって、翔太は己の体を見渡した。バーゲンで買ったジーンズ。五枚で二千円のシャツ。
  
  店内にはタキシードこそが似合う雰囲気がある。よってみすぼらしい格好をしている自分が村八分
 されている妄想に落ち込んでいた。

「世の中の金持ちは九十九パーセントが悪どいことしてんだろ? 知ってるんだぞ俺は!」

「しょ、翔太……そういうことは大声で言うな、とりあえずこの場は残り一パーセントが来ていると信じと
いてくれよ」

  忌々しげに舌打ちして周囲に敵意をまき散らす翔太を宥めようと、ユウキはいろいろとお世辞をいう。
 
  けれど、貧乏人根性で凝り固まった人種に何をいっても効果はない。

「何をしているんですか、お兄様?」

  底冷えした侮蔑のニュアンスに、思わず男二人は首を向ける。下々の者に対して一片の慈悲すら与
 えないだろう視線を、実の兄にだけ向けて美姫はそこに存在した。

  これから初詣にでもいくのかという着物姿は、しかしそれでも彼女にマッチしていた。

「や、やあ妹よ。約束通り翔太は連れてきたじゃないか? なんでそんな怖い顔をする?」

「いえいえ、何でこんなのが私の兄なんだろう死ね虫けらなどとは欠片も思っていませんからお気になさ
らずに」

  固まった体を動かせずにいるユウキを掴んで押しのけると、美姫は翔太に対面する形で席をとった。

「お久しぶりです。翔太さん」

  先ほどの兄に対する仕打ちとは打って変わって優しげな笑みを浮かべる美姫に翔太は改めて末恐
 ろしさを覚える。

  いつかきっと、この娘は有能な人間となる、と。

  美姫はウェイターを呼び止めて何か注文する。翔太には微かにセカンドフラッシュという単語が聞こえ
 てきたが、頭を振って聞こえなかったことにした。

「実は今日お話があったのは私のほうで、この愚兄ではありません。騙すようなまねをして申し訳なく
思っています」

「べ、別に気にするほどでもないだろ」

  深々と頭を下げる美姫に得もいえぬ不安を覚えながら、翔太はただの水を飲んで緊張を解していた。

  まさかとは思うが、借金がこれ以上増えるという可能性も否定できない。なにかトラブルがあったと
 か見積もりが違っていたとか、一度借金を払うといった以上を撤回するつもりはなかったが辛いものは
 辛い。

「それで話というのはですね……」

「ふんふん。それでそれで?」

  話の腰を折る絶妙な横やり。いつの間にか復活したユウキがちゃっかりと席に座り、しきりに頷いて
 いた。

「……お兄様? 何故そこに?」

「ん? ああ気にしなくていいぞ妹。俺は寛大だからな、なにを聞かされても動揺しない自身はある」

  デリカシーの欠片もないユウキだった。

  額に青筋が浮かびそうになっている美姫の様子にすら気づかず、ユウキは無遠慮に、どっしりと構
 えている。

「お言葉ですが、邪魔です。失せなさい。それにここにいるぐらいならあの人に会いにいってあげれば
よいでしょうに」

「ぐっ、確かにな。だが妹よ。俺もお前の兄である以上は然るべき対応というものをだな……」

  矢張りというべきか、非道いことをいわれてもユウキは去る気配がない。そこに兄としての自覚が
 本当にあるのかが不明だが。

  やがて決意したように、美姫が最終兵器を使う。

「失せなさい童貞」

「ぐはっ!」

  苦しそうに胸元を押さえるユウキは相当な精神ダメージを受けたらしく、今にものたうち回りそうだ。

  いった張本人である美姫もそれなりに恥ずかしかったのか俯いて顔を真っ赤にしている。なら初め
 からいわなければよかろうに。

  しかし効果は絶大。ユウキは遂に咳き込んで苦しんでいる。

  だが翔太は助け船一つ出さない。実の妹にここまでいわれる兄を不憫だとは思うが、これまでの
 恨み辛みがたまりに貯まっていたからである。

「な、なにいうんだ妹よ……お兄ちゃんはこれでもモテモテ……」

「何にもてているんです? いってみなさい?」

「…………う、うわぁぁぁぁん!!!」

  虚しい反論を返そうとしたユウキは、逆にベソをかいて走りさってしまった。レストランを出る直前に
 「俺の彼女は液晶画面の中だけさ」と捨てセリフを残して。

  全然キマっていなかったが。

「さて、これで安心して話ができますね」

「ん? ああ、そうだな……」

  どこかそこはかとなく違和を感じるが、翔太はとりあえず借金の話をされなければよいので真面目
 に返済してる風の男を演じることにした。

(でも、そんなキャラってどんなんだ?)

  自問するが答えはない。とりあえず普通に振る舞うことにして、翔太は水をおかわりした。

「話したいことというのは、これです」

  タイミングを見計らったように机を滑って差し出されたのは翔太が自室で厳重に封印している封筒
 と全く同じモノであったから、思わず水を噴き出しそうになる。

  すなわち、世界大会に関する召集令状と要項。

  翔太がこの世界で今もっとも忌避する文書であった。

「翔太さん、私がいわんとするところはわかりますか?」

「い、いや……」

「私が予想するに、あなたのもとにもこれは届いているはずです。そしてあなたは嫌々ながらも世界
大会に出場はしますが、一回戦でわざと負けるつもりでいる。違いますか?」

  ウェイターが運んできた紅茶に目もくれず、美姫は正確無比なプロファイリングをしてみせた。

「俺は別にそんなこと考えてな、」

「嘘ですね」

  断言する彼女はとても年下とは思えぬ眼光を潜ませ、マイセン(らしい)のティーカップにそっと
 指を添えていった。

「私としては、それはあまりにも惜しい。いいですか、翔太さん。私はあなたを尊敬しています。だから
こそお願いしたいんです」

「待てよ、尊敬? なんだそりゃあ、なんだって俺が尊敬されなきゃならん」

  不思議な気分で翔太は首を傾げる。

「それは後々、機がくれば話しましょう。その時には兄もいたほうがいいでしょうから」

「ユウキが、か? さっぱりわけがわからないんだが、どうしてユウキがそっちのいう尊敬に関わっ
てくる?」

  素っ気ない疑問のつもりで淡々と述べたのだが、どういうわけか美姫は悲しそうに眼を細め、
 俯いて初めて紅茶を口にした。

「今は機でない、ということです。……話題が逸れましたね。要は翔太さん、私はあなたにこの世界
大会で容易に負けてほしくないということです」

「だからそれもわからないな。別に俺がどこで負けようが、そっちとは何も関係ないだろう?」

  一個人である翔太が、世界大会のどこで負けた所で文句はあるまい。

  嫌なモノを無理して、我慢して、耐えて、貫くほど翔太は主人公気質ではない。

「関係ないわけではありませんが……いいでしょう。これを見てください」

  先ほどと同じように封筒が卓上を滑り、世界大会に関する文書の隣に置かれる。それは翔太も
 よく見慣れた色合いの封筒であった。

「これは、請求書か? それも俺が返さなくちゃならない分のやつだな」

  二ヶ月近く前に戦い、右腕を完全損傷させた缶詰ヒーロー【ジャンヌ】の修理代として請求された
 七百万。

  中の紙切れ一枚にはその旨が書いてあるはずだ。

「どうか、中を確認してください」

「? 意図がわからん。借金はちゃんと返してるだろ? なら今更確認する意味もないと思うんだがな」

  毎日死ぬほど働いて作ったお金は、ちゃんと指定の口座に振り込んでいる。返済が滞っているはず
 はないし、文句があるならこんな回りくどい真似をしなくてもいいじゃないかと翔太は思う。

  憮然としながらも律儀に封を切る。

  そしてそこで感じる違和感。

「あれ?」

  何故今ここで封を切るのだ? 確かにこの封筒は以前開けたはずだ。わざわざ中身を新品の封筒に
 入れ替えたというのか? いや、そんな利益のないことするはずがない。

  それがなぜ閉じられている――。

  そして膨れあがった違和は眼を紙切れに落とした瞬間最高潮に達した。

「――……これはどういうことだ?」

「わかっていただけましたか? 何かおかしいと思ったんです。もう十分ジャンヌを修理完了するだけの
お金は頂いているのに、翔太さんからの送金が止まらない。不審に思ったので、私たち一家が経営する
業者へ内密に再検査させると、そういう結果になりました」

  翔太は己が眼を疑った。

  手元に広げられた請求書には修理費しめて十五万程度だったのだから。

「翔太さんが斬ったジャンヌの右腕ですが、非常になめらかな断面で、間接部を縫うように斬られていた
ために、たったそれだけの修理で本来は済んでいたはずなんです」

「なら、この前見せられたあの七百万っていう金額はなんだったんだ――?」

  ここ二ヶ月の苦渋に満ちたバイト生活が思い起こされる。自分はいったいなんの為に働き(戦い)、そ
 して稼いで(散って)いったのか。

  全てがどうしようもない虚脱感に襲われて、翔太は肩をがっくりと落とした。

「もちろんそれも調査済みです。ですが……」

  美姫は直前に周囲を見回すと、ある一点で視線を止めた。そこに座っていたのはいかにも品がいい
 老夫婦で、結婚記念日を祝っているらしい。

  だが、美姫が指を一度鳴らすと、どこに控えていたのか黒ずくめの男二人組が現れた。美姫が顎で
 示した方向に向かい、即座に老夫婦を店内から追い出す。いや、拘束しようとしている。

  夫婦は困惑と驚愕に顔を染めていたが、どうあっても男たちが自分たちを拘束するのを諦めないと
 悟ったのだろう。とても老人とは思えぬ動きで機敏に立ち上がり、男たちを振り切って逃走した。

「追いなさいッ! 二人、いえ一人だけで十分ですッ!」

「「御意に」」

  男二人は敬礼して、こちらも巨躯に似合わない俊敏さを持って追撃を始めた。

  翔太が呆気にとられて茫然自失していると、目の前で美姫が困ったように笑う。ざわめく一般客も
 何事かと互いに囁き合っており、こちらをちらちらと伺っている。

「なん、だ、ありゃあ? まるで映画か何かのスパイみたいだな……」

「ええ、まあ、スパイですから」

「な、なにッ!?」

「ですからそれも後日説明しましょう。それよりも今は、これです」

  がばっと立ち上がる翔太は自分の予想が当たっていたことよりも、むしろスパイなんていうモノが
 実際いることに驚いていた。

  我を失い欠けた翔太を、麗しき姫は指でテーブルとトントンと叩き座るように促す。

  そして改竄されていた請求書の両端を指で摘み上げ、翔太に見えるように掲げる。

「おそらくこれはあなたをなんらかのアルバイト、缶詰ヒーロー関連に縛り付けておくための楔でしょう。
七百万という金額なのも、多すぎず少なすぎずのギリギリのラインを狙った故意のもの……」

  確かにそれはいえた。七百万より多いようだったらとてもじゃないが払うつもりはなく美姫の申し
 出を受けていただろうし、少なければ担保なりなんなりで比較的簡単に返済できただろう。

  だが、

「いったいなんの為にこんなことをする必要があるんだ? まあいい、ともかく俺がバイトを止めれば
いいってことだな」

  一人納得して頷く。自分を缶詰ヒーローに縛り付けたいという奴の目的はわからない。だが、そう
 とわかってしまえば話は早い。

  しかし美姫はゆっくりと首を振った。

「ところがそうはいかないようです。だからこそこれがある」

  彼女が次に指さしたのは、さっきのハプニングで頭から抜け落ちていた世界大会に関連する資料
 が詰まった封筒だった。

「これが、だがいったいなんの? ――いや、そうか……」

「さすがですね。そう、七百万の楔はこの世界大会の通知が届くまでの中継ぎ。世界大会の通知が
届くまででよかったんです」

  実に巧妙極まる。

  一つの障害を取り除いている間に、もう一つ本来の障害で四方を囲まれていたというわけだ。

「この、キャンセル料で数千万単位を必要とするということです。もちろんグラディエイトの世界大会、
棄権するものがいないからこそ、こういう無茶な要求をしてきたのだと私は思いました。ですが――」

  そこで一つ息を吸って、吐く。

「どうやらこれは、いえ、世界大会そのものがでしょう。翔太さん、あなたただ一人のためだけに用意
されたように思えてなりません」

「俺、一人だけの……?」

「はい、ですからここからが私のお願いです。翔太さん、あなたには世界大会で出来る限り勝ち抜い
て貰いたいんです。この大会には、何か裏があります」

  真摯な眼でそう告げた美姫の要求は、しかし、余りに急なことである。

  第一何故、世界的企業であるTOYが一個人の為だけの大会を開こうというのか。

  そこから生まれる利益は? 損失は? 全て顧みないというのだろうか。

「ま、待ってくれ。少し整理したい……仮に世界大会が俺一人の為に開かれるんだとして、これ自体
馬鹿げた考えだが、いったいなんのために? それに、俺が勝ち抜くと何が関係がある?」

「TOYの目的はわかりません。ですが、私にはこの世界大会が翔太さんだけのモノだと考えた方が
非常にしっくり来ます。この無茶な条件も、設定も。そして、これに便乗して動こうという一派も確認
しています」

  混乱する頭を少しでも落ち着かせるために三杯目の水を飲むが、少しも喉は潤わなかった。

  むしろ乾く、いや、いやいやいや、これは、この予兆は。
 
  あの、頭痛――。

「だからこそ、翔太さんには勝ち抜いて貰いたいのです。おそらく相手、TOYは翔太さんが勝ち抜く
ことで何某かの動きを見せるでしょう。そこを、我が武田重工で調査します。まず相手に動いて貰わ
ねば、こちらも動きようがありません」

  だからこそ、自分に世界大会で勝ち抜いてほしいというのか。

  つまりは、囮になってくれと。そういうことなのだろう。翔太はしかし、それに不思議と嫌な感じは
 受けなかった。

  しかし、ここで語られたことは余りに突然で突飛すぎる。頭だってまともに回転していなかった。

「少し、考えさせてくれ……――」

「当然です。下手をすればこれは、あなたの人生そのものに大きな禍根を残しかねない。無理に、
とはいいません。ですが……」

  美姫はそこでいった言葉を句切り、穏やかな素の顔を見せた。

「世界大会で勝ち抜いてほしい、というのは私の純粋な願いでもあります。そうでないと、リベンジ
の機会が失われてしまいますから」

  その一瞬だけプライド高き一輪のバラとして美姫の瞳が光る。おそらく、私情が六割ぐらい入っ
 ているのかもしれない。

  と、まさにその時。

「もし、すみませぬが。一つお尋ねしたいことが」

  翔太と美姫は二人そろって声の主を見上げた。

  黒いフードをすっぽりと被り、手には長い錫杖のような物を持っている。本来百八十はあろうか
 という身長は、やや曲がっている腰のせいで低く見えた。

  そしてその缶詰ヒーローである翁はこう訪ねた。

「この写真に写っている少女。名をエウリュアリと申すのですがな、つい先日から行方不明でして。
どこぞで見かけませんでしたかのゥ?」











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