缶詰ヒーロー







  美姫が「それではまた」と言い残し、女優のように帰ってからそれほど時間は経過していない。
 
  キリイに連絡を取った翔太は、隣に佇む奇妙な老人(缶詰ヒーロー)と共にあの少女を待って
 いた。

  待ち合わせ場所はわかりやすく『ヴァルハラ』ということにしてある。後はキリイがエウリュアリ
 を連れてくればいいのだが……。

  いや、すでにもう目の前にいたのだけれど声をかけるタイミングを見失っていたことは否めない。

「ぐ、ぐむむぅ。ぷはっ。だから頬を引っ張るのはやめろといっておろうにっ! ああ、蹴るでないッ!」

「ううーッ! あーー!!!」

  幼女を無理矢理抱きかかえてきたらしいキリイは、激しい抵抗に袴の裾などがこれでもかという
 ぐらい汚れてしまっている。破れてるといってもいい。

  小さな犯人はそんなキリイにお構いなく駄々をこねて暴れ狂う。その光景は、おもちゃ屋で母に
 対するものとはかけ離れて凄惨だったとだけ述べておこう。

  翔太と老人――ハデス――は互いに呆れ顔を見合わせて、曖昧に笑ったあと、やっぱりお互い
 情けなさそうに肩を落とした。









          47缶詰ナリ *  【King of Knights】








  和やかなムードを意識して造られたヴァルハラの休憩室は店の規模にくらべればそれほど広い
 わけでもないが、落ち着いて話ができる場としての役割はきっちりと果たしていた。

「いやはや……、それを置いてもこの子が見つかって安心しましたわィ」

  それはこちらとしても同じことだったので、今朝の悲劇、或いは喜劇を思い出した翔太は大きく頷
 いた。

「悪いな。昨日確かに届けたはずなんだが……」

「ふむ。しかしこの子は迎えの者たちごと撃退せしめたようですからのゥ。そちらに非はあるまい……」

  しみじみと、プログラムに違いないが年齢と経験の重みある口調はずっしりと威厳を感じさせた。

  そしてハデスという缶詰ヒーローが守るその子、エウリュアリはちゃっかり翔太の隣の席をキープし
 ていたりする。今にも飛び跳ねそうに、実に嬉しそうである。

「ふぐ、も、戻らん……。それより翁。ある程度わかってはおるが、このエウリュアリとかいう小娘はい
ったいなんなのだ? 返答如何によっては――」

  ほんの少しばかり弛んだように見える頬を抑えながら、ニコニコと笑って翔太を見上げる幼女を
 睨むキリイの瞳は恨みの炎が逆巻いていた。

「もうご存じだとは思うのじゃが、この子は見ての通りじゃよ……――」

  左手で錫杖を支え、そちらに体重をあずけながら老齢の翁は眼をすっと細めた。なにがしらの
 過去を見るような、ふとすれば今にも消えそうな灯火を見るように。

  自閉症。

  この症状について世間の誤解はまだ多い。親の躾が悪いからだとか過保護だからとか、周囲の
 環境が子供を極限的な内向型へ変えてしまうのだと。

  しかし現実はそうではない。自閉症とは生まれついての先天的なものであるからだ。

  そして、全ての病にランクがあるように自閉症にも軽い重いの違いがある。本人もそうだとわから
 ないほど症状が軽ければ世間に慣れて暮らしていけるだろう。だが逆に重ければ誰か支える者を
 必要とすることになる。

「エウリュアリはのゥ……割と症状が重いほうでしてなァ。空港で行方しれずとなってから、よく無事で
おられたもんじャ」

  これは赤の他人が聞かされるべき、立ち入ってはいけない領域にあたる話だというのにエウリュ
 アリは微笑み続けている。重大な話だということに気づいていないのだろうか。

  いや、敏感に察しているに違いあるまい。

  周囲の空気が深く沈殿しようとしているときに自分だけでも笑顔を振りまく。無意識の更に深い心
 が過敏に反応したからこその笑顔に違いなかった。

  だが翔太は知っていた。ゾロアスターやキリスト教的な善悪二元論を信じてはいないが、まるでこ
 の世の善のみが集った無垢な笑顔が、何故か自分のみに向けられているのだということを。

「爺さん。ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいか――?」

「別段、構いはせんが?」

  何を問われるのか、皆目検討も着かない様子でハデスは頷く。

「今朝、こいつが俺のことを『お母さん』って呼んだんだが、それについて心あたりは?」

「――……それは、真ですかな?」

  だらりとした猫背をすっと伸ばし、眼を大きく開いてハデスは訝しんでいる。猫科の動物がそうする
 ように瞳孔が細まる。灰色に染まっていた光彩も、深い海の色へ変化した。

「真だとも」

  何度も伸びた頬を直そうと苦心していたキリイはとうとう諦めたようで、伸びた頬はどこからか拝借
 してきたセロハンテープで引き延ばしている。

  実に滑稽で、そして哀れだった。けれど同情はしない。

「それに関して間違いはあるまい。なにを隠そうこの私が翻訳してやったのだからな!」

  その顔でキリイが翔太の言葉を裏付けたのだが、ハデスは疑いがまだ晴れていないのか俯いて
 思案しているようだ。

  別にキリイの顔が変だったから笑っているわけでは断じてない。

「くくッ……」

  きっと。

  やがてハデスはハッと息を呑んで顔を勢いよく上げた。その瞳に移る自分の姿を確認しながら、
 翔太はポリポリと頭を掻いて疑問符を頭上に浮かべる。

「どうした? 俺の顔にマジックの落書きでもあったか? 最近タマゴの奴も調子に乗りすぎだな……」

  ゴシゴシと腕で顔を拭う翔太。一人合点の言葉が聞こえなかったのか、ハデスは右手で口元を
 覆い、驚愕、といった感じで声を漏らした。見開いた瞳が大きくなり、一瞬雷鳴のようなモノが光る。

「なるほど、いや、なるほどのゥ。確かに似ておる……この子の母御殿に……」

  翔太の腕を掴んでクイクイと引っ張るエウリュアリに向けられ

「はい?」

「じゃから、似ておる、と。どこがというわけではない。そうじゃな、いうなれば雰囲気のようなモノが非
常に近い……」

  じろじろといろんな角度から見られては翔太の心地もいいものではなかったが、とりあえずこれ
 でエウリュアリが何故自分を母親だと呼んだのかは知ることができた。

  ただ、ハデスはそこで再び俯いてしまった。

「どうした? 腹でも痛いのか? 修理ならこの店で頼むぞ、紹介料で俺の給料が上がるからな」

「愚人め。缶詰ヒーローが腹痛など起こすわけ無かろうが? その頭は何のためにある? んん? 
ただの飾りか?」

  どこまでいっても守銭奴である翔太を尻目に、キリイは冷ややかに侮蔑をくれるが、

「そういうお前こそ、そのだらしないほっぺたをどうにかすることだな。自称・傾城の美女の顔が傾
いててどうするんだ? ああん?」

  頬杖を着いて鼻で笑う。翔太も負けてはいなかった。

「? ……エヘヘヘヘッ!」

  一気に形勢が翔太に傾いたと見たのか、エウリュアリは無邪気にキリイの顔を見て笑い始めた。
 
  それは幼くとも間違いなく嘲笑の類で、嘲りとか、侮辱とか、見下しとか、それらがわかるから驚
 きである。

「な、何を笑っておるッ! いいか? 私のこの美しさは城や国レベルではなく、もう地球規模を傾け
る美しさなのだぞ? って、ああ! 頼む! 頼むから頬はッ! 頬は許してくれいッ!」

  静寂を突き破るように騒がしいキリイと、それを見て腹を抱えて笑っている翔太、残る頬を掴んで
 引っ張るエウリュアリたちの光景は何に似ていただろう。

  ふと、いつの間にか顔を上げていたハデスが口元をほんの少し緩ませて笑みを浮かべていた
 ことに、この時は誰も気づいていなかった。

  ――と。

「数時間でいいんです。もしお時間がありましたら、是非この私と一緒にお茶をしてくれないでしょ
うか? なぁに、手間は取らせません」

「困ります。それに私にはもう好きな人がいるので……――」

  いっせいに皆の視線が声のほうへ向けられた。

  よくあるナンパの会話が聞こえてきたのは、キリイの残った方の頬がエウリュアリに引き延ばさ
 れて、本気でキリイが泣き入って詫びをいれようとしたまさにその時である。

  翔太たちの位置からは後ろ向きで顔が確認できないが、短く刈り上げた銀髪の男がふわふわ
 とウェーブがかった金髪の女性を口説いているようである。

  女性は距離をとっているのだが、男のほうはジリジリと詰めていく。

「好きな人? 確かにそれは心苦しいこともありましょう。ですが、まず私という人間のことも知って
頂きたい」

「知る必要はないですから、早々に立ち去ってください。これでも忙しいので」

  しかし女性のほうも手慣れた感じであしらっていた。

  翔太は別に誰が誰を口説いていても興味がなかったので、ぼんやりとポケットからマルボロを
 取り出し一服しようとして、

「ですが、こんなところであなたのような美しい人に会えるなんてこれは運命の女神の仕業ですよ?
ましてそれがTOYの社長令嬢、徳野君香さんだなんて」

  思わず握りつぶしてしまった。まだ十数本残っていたのに……。

「ふむ、あんな戯曲のような口説きかたをする男が本当におったとはのゥ。知らんかったわい……」

  ハデスがやや珍しそうに口にする。都合よいことにキリイ達の視線も君香たち(後ろ姿)に向け
 られていたのでこれ幸い。

  その隙に翔太はそろりそろりと忍者もびっくりの隠密機動でこの場を後にしようとしたが、

「あれ? ……翔太くん……だよね? ああ、こんな所で会えるなんて運命の必然だよねッ!」

  それが男も使っていた口説き文句だと気づいてただろうか。

  絶妙のタイミングで振り向いた金髪の女性、君香、は席を立つと足早にこちらに駆けてくる。疲れ
 果てた顔をしていたが、会えたことがよほど嬉しいのかすぐに翳りは消える。

  知らない振りも隠れる場所もこの開ききった空間にはない。翔太は俯いて観念するしかなかっ
 た。

「あれ? 両手をあげてどうしたの? まるであとちょっとで戦線から離脱できたのに、木の枝を踏ん
で場所がばれて降伏した兵士みたいだよ?」

「まあな……降伏っていうか、捕縛って感じだけどよ……」

  首を傾げて理解できていない君香の背後から、件の男がゆったりと歩いてくる。

  だがしかし、そこで翔太は己が眼を疑った。その銀髪の男は、もう、なんというか、これ以上ない
 というほど、完璧な、文句のつけようがない、まさしく美青年だったからである。

  しかも外人だ。

  かといって細身というわけではない。体格もそこらの格闘家なんぞより遙かに優れ、鋭い目で
 見つめられればどんな女性でも多少なりとも心は動くだろう。

  もしも翔太が女だったなら、君香のように無下に扱うことはできないはずだ。

「その男性は? ああ、いえ、見ればわかります。なるほど、確かに私が入り込む余地はなさそうで
すね……」

  しかもわりと紳士だった。勝手に間違ったほうへ解釈して欲しくなかったのも確かだけれど。

「どうも初めまして。ローワン・ペンドラゴンと申します」

「あ、ああ……翔太、石若翔太だ……」

  流暢な日本語を扱い、そういって左手を差し出す青い眼をしたローワンは、これまた絶妙な微笑
 でどこか親しみやすい印象を周囲に撒き散らしている。それは彼のカリスマ性がそうさせるのだろう。

  益々君香がこの男を拒絶した理由がわからなくて翔太は一人困惑する。しかし心当たりは、まあ、
 ないわけではない。

「ローワン? ははァ、それなら貴公があの≪円卓の騎士ナイツオブラウンド≫の長、例の“不壊者”というわけじゃなァ?」

  ということはやはり、この男も世界大会に出場するのだろう。

  何かに気づいたように顎を人差し指で掻くハデスの眼光を真っ正面から受け止め、ローワンは驚
 いたように眉をひそめて座する翁を見つめる。

「知っているんですか?」

「おう、おう、当然知っておるとも。グラディエイトEU支部主催のSリーグにおける前回の覇者じゃろ
う? 今までの戦闘で、何故か傷一つ機体に負っておらん、そういう男ではなかったかのゥ?」

  ローワンは少し頬を朱く染めてから照れたように視線を泳がせて、

「そういう貴方たちは≪不愉快な言語話者バルバロイ≫のハデスと、その二代目長であるエウリュアリですね?」

  ハデスと、翔太の隣にいつの間にかぴったりと寄り添っているエウリュアリを交互に見ている。
 
「ほゥ。儂らのことまで知っておるか」

  冥王の名を持つ翁の眉が、ぴくりと上がる。

「ええ、雑魚のうえゴロツキばかりのバルバロイ幹部たちが不祥事ばかり起こしているから未だ出場
を認められていないようですが、その長たる者の強さは本物であると」

「先代の頃はそうでもなかったんじゃがなァ……そうじゃ、試してみるかね?」

「え?」

  ローワンだけでなく、その場にいて会話を聞いていただけの翔太達からも声が漏れた。

  それだけハデスの言葉は唐突であった。

「六日後に控えた世界大会で相まみえることもあろうが……、可能性が無くなってしまうことも考慮
できるじャろう? それなら、今ここで試し合戦のようなモノをしてみたいではないか?」

  エウリュアリを顎で指し、含み笑いでアンニュイな表情を造ったハデスの顔を、品定めるように
 ローワンは凝視している。

(これは、チャンス――か?)

  いつの間にか自分は渦中にいないと気づいた翔太が、再びそろそろと脱け出そうとする。が、腕
 と足下にへばり付く力で思わず転びそうになる。

  エウリュアリと君香、ちびっこは足にしがみつき、同期生は腕にしがみついている。偶然だろうが
 阿吽の呼吸で翔太の動きを封じ込めていた。

  まさしく手も足もでない。

「そう、ですね。それは実にいい考えです。ですが、どうします? 世界大会に向けて自機を傷つけ
るわけにもいかないでしょう?」

  折角、多くの猛者が集う世界大会直前に、なんらかの事故で出場できなくなってはグラディエイト
 に夢持つ者なら死んでも死にきれまい。

  ハデスはふうむと唸ると、やがて、

「アレで、よかろう? この子とおぬしで」

  エウリュアリを顎で指し、次に店内に設置された二つのゲーム筐体を指さした。

  それは缶詰ヒーローを買えない者が、擬似的に遊べる、ただし何万回ものシュミレートとデータ
 で造りあげられた本物さながら質を所持する『グラディエイト』体験マシンだった。









       SEE YOU NEXT 『The child of savan』 or 『Dis




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