缶詰ヒーロー













          44缶詰ナリ *  【Stand by me】









  疲労骨折でもするんじゃないかと思うぐらい働いた日の翌日にしてはすっきり爽快に目覚めるこ
 とができ、翔太は我知らず驚いた。疲れもほとんど残っていない。布団から上半身を起こして頭を
 掻きむしった。

  腕や足に筋肉痛がないかチェックするが、ほとんど感じられなかった。昨日の行いが善くて神様
 がプレゼントしてくれたのかもしれない。

  エウリュアリという少女を警察に連れて行った後、翔太にしては珍しく何の見返りも要求せずに
 帰宅していたという善行である。。

  『もう少し待てばお父上が来ますから』と礼をいう執事らしき男の申し出も丁重に断り、それでも
 と渋る男へ住所と電話番号だけを教えて颯爽とその場を後にしていた。

  別に『当然、金はお礼として欲しいけど、今日は疲れたから早く帰って寝たい』なんていうわけだっ
 たのでは、もう、当然、全く、断じて、そういうわけではない。

  あまりの清々しさに、部屋のスペースの大半を陣取って《充電中》と点滅している邪魔極まりない
 二つの巨大な缶詰に対しても慈悲をもって接することができそうな、聖人君子の心地を初めて翔太
 は味わった。

  今日はバイトも大学もなんだか記念日で休みである。

  いっそうテンションが高くなる。ここ最近、ゴタゴタとかイベントとかでまともに休日というモノを過ご
 していなかった気がする。次は何時取れるかわからない。

  休日は慎重に有効活用しなくてはならないのだ。

「ふ……そういえばこの前買ったばかりのゲームを開封すらしてなかったな」

  しかし、貴重な今日という日をゲームなどで終らせてもよいべきか。

  二秒で却下。

「街にでも行くか? 洗剤と野菜が足りなくなってたな……」

  窓の外を見る。今はまだ涼しいが、正午にはアスファルトを溶かすだろう太陽が笑っていた。

  わざわざ汗をかきにに外へ? まさか。そういえば今日はユウキに呼び出されていたが、ギリギリ
 まで家にいたい。

  五秒で却下。

  なかなかいい案が思い浮ばない。こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎて浪費されていく。勿体
 無い、勿体無さ過ぎる。

  待て。そもそも休日といったらすることは決まっているではないか。あの夢心地を味合わずに休日
 は語れない。

「よし」

  二度寝しよう、と翔太は抜本的かつ改革的な結論で脳内会議を終結させた。

  それがいい。それこそがいい。休日たるものそうでなくてはならない。時間を気にせず、何時まで
 も眠ることができるこの快楽の宝庫。

  「おやすみなさい」と、誰にでもなく呟いて翔太は引越しのバイトをしていたとき譲って貰った羽毛
 布団に身を委ねる。

  繊細に選び抜かれた羽毛が、陽光の慈しみと大いなる大気で体を包む。音もなくふわりと全身を
 くるむあの瞬間といったら、

  ――グニュ

「そうそう。この、まるで人肌、みたい、な、グニュっとした……――」

  言葉に窮して黙り込む。

  あれ、俺の布団ってこんなんだったけ、と。こんな人肌温度を持っていたっけ、と。

  恐る恐る、一週間放置した弁当箱の封印を解き放つときのように、翔太はギリギリと首を動かした。
 潤滑油があれば少しはまともに動いていただろう。

  勢いよく布団を剥ぎ取る。

「……」

  即刻に元に戻した。

「あれ……? おかしいな……? やっぱ疲れてんのかな……――幻覚が見える」

  だがここで切ない気分を味わっていても仕方ない。いついかなるときも現実とは非情にして酷薄、
 それでいて時は決して止まることを知らない。

  悲劇の主人公ごっこ終わり。翔太はもう一度布団を捲って、昨日の少女、陽光に照り映える髪が
 眩しい、何故かそこにいるエウリュアリの存在を認めた。

  見渡すと、少女のものらしいハンドメイドなバスケットが枕元に置かれている。長年使われているの
 だろう、所々すり切れてほつれていた。

  エウリュアリは昨日見たゴスロリ服のまま、赤子が母親の胎内にいる時さながらに丸まり静かな寝息
 を立てていた。

  その姿はまるでこの世に生まれ墜ちた天使。だが、

「巫山戯んなっ」

  何故自分の絶対領域(安息の布団)が侵されなければならないのか苛立った翔太は中指に貯めた
 エネルギーを一気に解放。容赦ないデコピンが幼女の額に炸裂した。

  が、

「むぐぃ? ……くぅ……すぅ」

  問題の赤子は一瞬だけ起きる気配を見せた。しかしすぐに深い寝息を立て始める。

  かなり強く打ち込んだはずなのだが石のごとく起きない。そういえば昨日の頭突きでも悲鳴一つ
 あげなかったのを翔太は思い出した。

「……――なかなかすばらしい根性だな。いいだろう。たった今から、お前を俺の敵として認めてやる」

  まだ寝ぼけている頭で翔太はのっそりと立ち上がり、台所からタライを持ってくるとエウリュアリの
 上空に構えた。

  これからするだろうことは大人げないの典型だが、怒りのスイッチは人それぞれで他人にとって
 は些細なモノが多い。

  彼が父親になったら児童虐待で間違いなく訴えられそうであった。

  数呼吸、間をおいて目をカッと開き、意地悪く唇を吊り上げる。天使に対する悪魔。

「これでも喰らえ」

  刹那。

「おぬしがな」

  背後で突如膨れあがった殺意に翔太は有無をいわず咄嗟に反応。後を追って落ちたはずのタラ
 イが空中で真っ二つに斬られた。

  振り返ることもなく、翔太は前方に飛んで弐撃を逃れる。後方から大気ごと切り裂かれた音が飛来
 するが翔太自身は無傷で済んだ。落ちかけていたタライがさらに四等分に斬られる。

  翔太がこの斬撃を避けられたのは幸運の女神が味方についていたからとしかいいようがない。。

  後方ではたった今充電が完了したキリイがそこに立ち、抜き放った刀を構えて翔太に対峙して
 いる。切れ目がちの双眸が羅刹となっていた。

  幸運にもタマゴはまだ目覚めていないらしい。二人同時に説得するのは至難の業だ。

「お、お前っ! あと少しで体がきれいな四等分になってたじゃねえかっ!!!」

  説得する余裕も失っていたが。

「……安心しろ。峰打ちだ」

  そうはいうが、どうみても刃がこちらを向いている。

「嘘ぬかせ! なんだお前は!? 缶詰ヒーローは人を傷つけられないはずだろうがっ!」

  缶詰ヒーローに組み込まれた【ヒーロー概念】はヒーローらしからぬ行動を制限するほか、人間
 に対して一切の危害を与えられないという機構が一コードたりとも明かされていない完璧な抑制
 プログラムがあるのだ。

  キリイは妖艶、というよりは鬼女の顔で微笑む。

「ふふふ、最近発見したのだがな。いくらヒーロー概念といっても私が意図しない"不幸"な行動で、
"結果"としてなら人を傷つけてることもできるらしい。ふふふ、そう、私は思っているとも、これは峰打
ちだと」

  全然完璧じゃない。翔太はTOYに抗議の電話をしてやろうと決意を固めた。

  キリイは言い終わるとジリジリとすり足で近づいてくる。牛歩のように遅いのだが、ただですら狭い
 部屋の中では二歩下がらない内に壁を背にすることになってしまう。

「さぁさぁ、ゴミ屑虫のペドフィリアンは観念するがよい。今なら武士の情けでおぬしはただのロリコン
だった死んだあと公言してやろうではないか」

「そんな情けいらんっ!」

「そうか? ペドとロリでは月とすっぽんほど世界に存在する価値が違うと思うのだが……そこまでい
うならペドのままでよかろう。まぁ、ジェロントフィリアよりは幾分ましか……あれは気持ち悪い」

「なに遠い目してんだお前はッ!? 第一俺はロリコンでもペドフィリアでも…じぇ、じぇろ? と、とも
かくそんなもんとはまったく関係がない!」

「ならこの娘はなんだ? ん? おぬしの子だとでもいうつもりか? それはそれで非常に面白いが、
どうみても髪の色が違う。白状せい、攫ってきたのだろう? そして淫ら卑猥な行為が昨夜から早朝
にかけてせっせと繰り広げられていた。ああ、なんと嘆かわしい……」

  よよよ、としなを作るキリイ。だが口元でははっきりと笑みをかみ殺していた。

「……てめえこの野郎マジで殺してもいいですか?」

  敬語になった翔太の額には青筋が何本も浮かんでいたが、状況が状況だけに強く出られない。

  誰が見ても自分がこの寝ている少女を連れ込んだとしか思えないし、相手を納得させるだけの
 証拠がないのだから。キリイじゃなくても誤解するだろう。

  この、寝ている少女は――と、ふと気づく。布団にいない。いつの間に?

「む? 娘がいないが、どこへいったのだ? まさかまた誘拐? おぬし、計ったな……」

  見当はずれもいいところの予想を立て、こちらを睨むキリイ。その上空、安アパートにしては比較
 的高い天井に舞う漆黒を翔太は目撃した。

  翔太の視線を追ってキリイも自らの主視覚センサーで目撃しただろう。自分に迫りくるく黒い花弁、
 そこに生える二本の肌に巻き付けられた歩行補助器具が猛烈な唸りを雄叫びを放っていたのを。

  もともとは足が不自由な者やバランスがうまく取れない者たちのために、缶詰ヒーローの機構を
 応用して造られたこの器具は上々の成果をあげていた。が、一つだけ欠点とも長所とも呼べること
 があった。

  それは、あまりに威力が強すぎてプロのアスリートでも容易には勝てない脚力や跳躍力といった
 ものを得てしまうことである。もちろん日常ではほとんど支障はない。

  とはいっても、この器具を着けた者が飛ぼうと思えば地上から三階建てのビルを飛び越えること
 は容易であり、キリイたちの身長分飛び上がるのは造作もないことなのだ。

  そして、ついに、エウリュアリの体がゆっくりとキリイに覆い被さっていき――。

  キリイの側頭部に見事な飛び膝蹴りが撃ち込まれた。しかし電磁装甲と複合装甲でもっとも強固
 に守られるそこは普通の人間の一撃なら効果はない。プロの格闘家であってもたいしたダメージは
 与えられない。

  だがこの一撃は重みが違う。総エネルギー量が違う。しかも器具そのものが通常版とはいささか
 違うようで、まさに岩をも砕かん突進力を秘めている。

  キリイといえでも二、三メートル吹き飛ぶのは仕方がないことだった。

「がはっ」

  部屋に置かれていたあらゆるモノを巻き込んで木の葉のようにキリイは玄関まで水平に飛んで
 いった。

  翔太はただ呆然と立ちつくし、、久しぶりに聞く隣人からの抗議のスタンピングと荒れた部屋を見
 つめ『これ誰が片づけるんだ? 俺か?』という当たり前の疑問を噛みしめた。

「…………――ッ!」

  直後、猫よりも身軽に着地したエウリュアリはキリイが飛んでいった方向に向かって何事かを叫ん
 だ。語学が苦手な翔太にはわからなかったが、感じられるのは明確な怒気。

  直後、くるりと振り向いたエウリュアリは得意げに笑って見せる。にこり。

  紅色の義眼からギアが回転する音。焦点がこちらにあうと少女は駆け寄り翔太の傍らにピタリと
 張り付いた。

  かといって触れられるのは嫌らしい。翔太が戸惑って押しのけようとすると、するりと手の間を潜り
 抜けて後方に回り込まれて再びピタリ。またにこり。

「なんなんだよお前は?」

「……なん? おま、い? エヘ」

  意味がわかっていないだろうに、ただこちらの言葉を復唱する。

  エウリュアリは翔太を見上げ微笑むだけで満足なようだ。

「くっ、効いた……一瞬CPUが止まってしまったぞぅ」

  ほこりにまみれ、頭を押さえてよれよれと歩いてくるキリイもどうやら無事だったらしい。

  すぐにバランス機能も取り戻してキリイは服の汚れを払っていた。

  キリイの見た目が思ったよりダメージが少なそうので思わず翔太は舌打ちしようとしたが、

「……おぬし、その態度はなんだというのだ? まさか『あーあ、あのままCPUもぶっ壊れてくれれば
手間が省けたのに』とか思っていたりしないだろうな?」

  図星を突かれてかろうじて留める。

  翔太は遠い目で窓の外を眺め、口笛を吹く。

「それにしてもその娘はいったいなんなのだ? いくら補助器があったとしても、それなりに訓練を積
まねばあれだけ正確に飛べるモノでもあるまい」

  胡散臭そうに白眼視していたキリイだが、諦めたのかすぐに話題を変える。しかしその問いに翔太
 は肩を竦めるしかない。

「俺だって知るか。昨日確かに送り届けたはずなんだけどな……」

  翔太は昨日の出来事をキリイに話してみた。誤解を解くいいチャンスでもあったし、一人で考える
 よりは効率も上がる。

  自閉症であること。バルバロイの長であること。昨日確かに送り届けたこと。

  翔太の説明にキリイはしぶしぶだが納得してくれたようで先ほどのようにロリだとなんだのと叫ん
 でくることはなかったが、別の疑問が浮かび上がったようだ。

「ふむ、それが真実だとして、なぜこの娘はおぬしにそれほど懐いている? 一日二日でこうなるもの
でもあるまいて。それに、さきほどその娘がいった言葉……」

「言葉? そういえばなにか喚いてたな。なんていったのかわかるのか?」

「当然、現代科学の結晶体を舐める出ない」

  ふふんと得意げにあざ笑うキリイなのだが、翔太としてはすでに科学の粋に落胆させられていたの
 で関心するどころかため息しかでない。

  しかし事実、缶詰ヒーロー全機に百を超える言語パッチがあてられており、海外旅行にいっても通訳
 が必要ないという機能もあるのだ。

  そしてキリイは、なめらかに口を滑らせた。

「この娘、エウリュアリといったか。なにやら怒った様子で叫んでいた。『おかあさんをいじめるな』、と」

  沈黙。

  数秒間。

「誰が母親だって?」

「前後関係から推測するに、おぬしで間違いあるまい。そういうおぬしはいつ性転換手術を受けた?
というかもとより女だったのか? それなら私は完璧に欺かれていたことになるが」

  相づちを打つキリイは真剣な顔つきだが、翔太は自分が過去女だった記憶はない。

  当たり前だけれど。

「……嘘だろ?」

「むむ、私を疑うのはかまわんが、私の知識を疑われるのは酷く心外だ。はっきり誓おう、翔太、おぬし
が母親といわれたのは間違いないぞ」

  あんぐりと開いた口がふさがらない。

  自分が母親? 父親だと間違えるのならわかるが、なぜよりにもよって母親なのだ。染色体の記号
 がひとつ違うではないか。

「わけがわからん……」

  突然布団に入っていた幼女。バルバロイの長。知っていることも少なくないが、理解を超える部分が
 多すぎる。

  頭を抱える翔太の袖が、軽い重力に引っ張られる。エウリュアリは服の裾を握りしめ、心配そうな眼
 で上目遣いで覗き込んでいた。

「……――ぃ?」

  やはり聞き取れない。翔太が困った顔でキリイを見上げると、キリイも眉をひそめて律儀に通訳して
 くれた。

「訳すとな、『頭痛いの、おかあさん?』といっておる。どういうことだ? いつから私は不思議空間に飲
み込まれたのだ」

「知るか、俺が聞きたい」

  誰も事態を把握できていない。

  エウリュアリだけが翔太の傍にピタリと寄り添って、肉親に対する安堵の笑みを浮かべている。

  しばらく茫漠と時間が流れた後、キリイは優しく菩薩みたいに微笑むと、翔太の肩を二度三度叩い
 て拳を握った。

「……おめでとう、お母さん」

  余りに無情な宣告だった。

  石若翔太。

  二十歳。

  彼はこの日、"一児の母"となった。












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