缶詰ヒーロー












  ――ああ、どうかもう少しだけ








          40缶詰ナリ *  【Bear all the sad and live】









  その気になれば、降り注ぐ雫一つ一つに映る自分の顔が見えそうなほどに大きな雨粒。

  呆然と、自虐的に、孤独を、静寂が、すっぽりと包む場所に座りながらタマゴは考えていた。

  生物学でいえば、感情というのは原始的で本能的、生物が持つ脳の機能としては基本中の基本
 であるらしい。
  
  人間だけが感情を持つのではない。犬だって笑えば、涙だって流す。

  突き詰めていけば脳内のニューロンを走る電気信号が感情を呼び起こすのだ。

  だから人工知能だろうが、生物の脳であろうが本質的な機能は全く大差がない。

  自分のHDDに予め入力されている情報を検索して調べ、タマゴはそう結論付けた。だが何の慰め
 にもならない。

  ひどくなる雨に打たれて、体中のシステムはクールダウンされていく。だが心は体よりも冷たくなって
 いる、と電子の頭脳であっても、そう思いたい。

  最近完成したというテーマパークに潜り込み、タマゴはしばらく歩き回って様々なアトラクションを
 眺めていた。

  綾小路の下で、まだカトブレパスとして戦っていたときには建設途中だったこのテーマパーク。

  廃棄されていたメガフロートを改良して造られるというのに興味があったタマゴは、綾小路に一度で
 いいからいってみたいといったことがあった。

  その時、彼の"友"はいった。

『わかった、必ず連れて行くよ。でもその大きな体だと無理かなぁ?』

  本当に可笑しそうに口元を押さえながら、彼はそういった。

  当時はそうなるのだとなんの疑いもなく信じていた自分。あまりにも愚かで泣けてくる。

  今はもうわかっている。盲目なまでに信頼を寄せていた綾小路から離れたことで、物事を見る視野
 は嫌が応にも広がっていた。

  今の自分が昔に戻れたなら気づけただろう。彼はただ自分を利用するためだけにあの比類無き
 優しさを演じていたのだと。

  ただそれに気づけたことはいいことなのかどうか、断言できない。

  知らないでいたころは確かに幸せだった。だが周囲からすれば滑稽。知った今は不幸だ。だが
 周囲はよくやったと褒めるだろう。

  これほどすっきりとした思考ができるのは、おそらくボディをチェンジしたおかげなのだろう。

  思考回路そのものが別の体系となったからだ。

  でもそれでも、だがそれでも、心の奥底で自分は彼の幻影を断ち切れていない。

  体が新しくなっても回路が良くなっても記憶が色褪せ始めていても、厄介な"感情"は残る。唯一
 普遍の感情は、醜く歪んで今では目も当てられない。

  だからこそ今の生活に慣れることができなかった。

  幻影を断ち切れば、なるほど綾小路のことを忘れられる。だが、今度は裏切られる恐怖に怯える
 羽目になる。

  幻影を断ち切らなければ、今の生活には慣れない代わりに、裏切られるという恐怖が無い。

  あの痛みと眼がくらみそうな絶望はもう二度と味わいたくなかった。あんなにまで酷い哀しみをもう
 一度体験するとしたら、決して立ち直れない。

  今厄介になっているアパートの住人が自分との距離を埋めようとしていることはわかる。

  青年のほうはお世辞にも優しいとはいえないし、女侍の缶詰ヒーローは無邪気に結構酷いことを
 する。
 
  それでも気持ちだけは有り難かった。

  だからこそ、もうあのアパートには帰れない。

  このまま時間が終わりを迎えるまで座り続けて、何もかも遮断してしまうことがタマゴにはできる。
 全てのセンサーを停止させれば、事実上は死ねるのだから。

  時間は流れ、この暗鬱とした世界から逃げ出せるのかもしれない。

  目の前には無量の雨が集って生まれた、一晩限りの小川が滔々と流れていた。

  いやいっそ、この冷たい雨に体が溶けて何処かへ流れてしまえないか。そのほうがもっといい。

  アスファルトに座り込んでいるタマゴの横、雨が降っているのに傘も差さずに立っている人影。その
 人物に気づいたタマゴが視線を上げて見詰める。

  若い青年。おそらくは大学生だろうか。降りしきる雨に長時間打たれているせいで彼の全身という
 全身が濡れていた。

  もしかしたらこの人は、ずっと前からそこに立っていたのかもしれない。そう、思えるほどに。

「隣、座っても構わないな?」

  彼は恥ずかしそうにそっぽを向いてからいった。余程無理をしているに違いない、声が掠れていた。

「あ……うん〜」

  返事を聞いた青年はそうか、といって水溜りもお構いナシにアスファルトへ腰を下ろした。

  しばらく無言が続いた、が、息苦しさは感じない。

「その頭、いったいどうしたんだ? 中身が出てきそうなヒビだな」

  切り出すように、青年はガムテープで補修された頭部に眼をやった。タマゴは先日ついたヒビに
 手をあててさする。

「これ? これは〜ね〜…」

  こういうときは、なんていえばいいのだろうか。

  よく、わからない。

「意地が悪い主人にでも遊ばれたのか? たとえば、バイト先の店から譲り受けたおもちゃで飛ばさ
れた、とかな」

「………うん〜」

「そうか、そいつは災難。しかしひどい主人だな、俺なら絶対逃げ出してる」

  彼はにやり、と笑って肩を震わせている。おかしいことを思い出しているに違いなかった。

  タマゴが何も言えずに押し黙っていたら、青年は指を眼前に突きつけてきた。

「ずばり当ててみるか。お前、その主人のこと嫌いだろ?」

  この人はなにをいいたいのだろう。何をいわせたいのだろう。

  わからない、わからないが。

  その答えなら既に持っていた。

「うん〜〜。どちらか〜っていうと〜……すごく嫌い〜」

「…それは迷うところか……?」

  今のやりとりの何がおもしろかったのかタマゴにはさっぱりわからない。けれど今の会話が彼に
 とってはとても面白いことだったようで、全身を揺らして笑っていた。

「ああ、ポンポンが、ポンポンが痛い…!」

  しばらくは今にも転がりまわりそうに腹を抱えていたが、笑いの発作が収まると彼は途端に真剣
 な顔になった。

  その眼が、態度があまりに真摯だったから、タマゴは自然と気圧されていた。

「どうしてそれを今までそのご主人様とやらにいわなかったんだよ? いいか? 気持ちって言うのは
言葉じゃないと伝わらない。態度で全てを伝えられると思うのは馬鹿か小説を読みすぎの奴だけだ」

「ぼく〜僕は〜………」

「嫌いだっていうと、また捨てられるんじゃないのかって思ったんだろ?」

  ギシリ、と心が大きく軋む。

  彼のいったことは正確で緻密で精確で綿密に心を揺り動かす。ずばり的を射ていた。

  前髪から滴り落ちる水滴越しに、彼の眼がじっ見詰めてくる。タマゴは動揺を隠すように眼を
 逸らした。

「今の主人は嫌い。けれどもう一度『いらない』といわれるのも怖い。厄介だな、お前も」

「……………」

  タマゴは何も答えられない。

  隣に座る彼がいうことはいちいち痛みを伴う。

  事実、自分は彼を今まで認めようとしていなかった。なぜなら自分から信頼を寄せることで、再び
 いらないといわれるよりは、自分から相手を見限っていたほうが随分楽だった。

  苦しみに溺れていたほうが、きっと自分に一番優しいから。

  もう傷つかないように。誰にも傷つけられないように。全てが痛みにならないように。痛みにいつ
 しか耐えれるように。

  タマゴは自分を戒めていた。

  だが彼は全てを語れという。

  随分酷なことをずけずけというのが彼の悪いところだが、時にそれは、どんな鍵よりも優れていた。

「僕は〜…ぼくが〜……認められないのが〜…一番怖かった〜」

  一つ言葉が漏れたのをきっかけに、永遠とも思える数の言葉が堰を切った。

  タマゴは、自分が考えていること、悩み、痛みを忘れてしまいたい、というような意味の話をした。

  これまでは考えられなかったことだと思う。

  思えば綾小路にすら自分の悩みや痛みを相談したことは無い。何故この隣にいる青年に語って
 いるのだろう。

  もしかしたら、自分と彼の間の溝がまだ遠いからこそ話せたのだろう。近いから、近すぎるから
 こそ言い出せないことは確かにある。

  彼らを見たモノがいたなら随分奇妙な光景だったろう。卵型の缶詰ヒーローの傍らで、一語一句
 聞き漏らすまいと熱心に相槌を打つ青年。

  話を終えると、彼は大きく、何度も、うなづいて見せた。

  話、いや真剣に語り合った彼らの話が終わったと同時に空が開けてきた。

  もうすっかり空は夜のベールに覆われていて、埋め込まれた星と月が普段より美しく力強く光っ
 ていた。

「うぉ、もうこんな時間かよ…びしょぬれだしな……肺炎になって死んだら呪い殺すからな」

  彼、は立ち上がると自分の全身を見回して、眉をしかめた。Tシャツを絞って水を出し、打開を試みる
 がいささか吸い込んだ水分のほうが多い。

  タマゴの視線に気づいたのか、彼は再びそっぽを向いた。

「それじゃあ俺は帰る。どっちを選んでもお前の決断だからな、文句はいわねぇよ。お前の好きにす
ればいいさ」

  ぶっきらぼうに明後日の方角を見やる青年。

「随分〜無責任〜〜」

  恨みまがしいオーラを視線に絡みつかせて青年にぶつける。彼は右手で追い払う仕草をすると
 得意げに胸を張った。

「おおよ、俺のモットーは他力本願、テイク&テイク。俺が受け取らないのは厄介ごとと、めんどくさい
責任だけだ」

  いうだけいうと、彼は後ろを向いてスタスタと歩き始めた。

「じゃあ、もしかしたら、またな」

  振り返ることもせずに片手を挙げて、青年は立ち去る。もう二度と会うことがないかもしれないの
 に、随分あっけなかった。

「うん〜……」

  遠ざかる背に向けて答え、タマゴはそっと手を振った。




       #            #             #




  再びタマゴは冷たいアスファルトに座り込んでいた。

  考えることはたくさんある。今も翔太が残していった言葉が反芻されて、答えを求めようとしていた。

「いいか? お前が選ぶってことがかなり重要なんだ。俺は強引に来いなんて絶対言わないし、行け
なんていわない。だけど来いとも言うし、行けとも言う。つまり……複雑なんだよ」

  本当に、誰よりも自分自身がわからないせい様子で翔太は頭を抱えて悩んでいた。。

  言いたいことが纏まらないせいだろう。何度も息詰まっては言葉を変えて、必死に語ろうとしていた
 ことは形を成していなかった。

  それでも続けて言葉は放たれた。

「ここ何週間かはな、どうやったらお前が一番納得できるか考えたんだが……やっぱり俺にはわから
なかった。満足だけじゃあ、本当に望んだことなのかわからない。望んだからといって、それが間違って
いたら訂正してやりたい」

  今日だけで随分いろんなことがあったからな、と愚痴をこぼすと、翔太はゆっくりため息を吐いて
 「俺もわりと不幸だよな」、と呟いた。

  ここでまた言葉を見失った翔太が唸って時間が経過した。

  しかしなお、言葉が止まることは無かった。

「けど俺は訂正する権利を持ってないし、持っていなくてもしてやるつもりだ。……俺もよくわからねぇよ。
ただ、後悔っていうのは、とんでもなく辛いってことだ」

  翔太が伝えようとしていることは、少なくとも同情ではない。  

  きっと翔太に嫌いだと告げれば、彼は自分が嫌いになる理由を幾つも重ねていくだろう。

  自分が汚れても―――。

  そして、今自分がいわんとすることがなによりも偽善だと知っていながら。

  彼は問うた。

「どうすれば、お前"が"、幸せになれるんだ?」

  ほんの少し、言葉が違うだけだった。

  『は』ではなく『が』。

  既に自分が幸せであり、不幸な人を見つけたと仮定した見下しの『お前は』ではなく。

  自分も同じ位置にたって、其処から上に押し上げるための『お前が』。

  ただ唯一、他の誰でもない。

  タマゴだけを指す言葉だった。

  ひとえにこれは、表面上には全く現れない翔太の優しさなのだと気づいた。

  そのことを彼にいってやると、翔太はこちらを思いっきり馬鹿にした目つきになった。

「まあよ、俺は世界一優しい心を持った男だからな」

  無自覚な優しさは、自覚した優しさとどちらが上位なのだろう。むしろ自覚した優しさのほうが多く
 の人間を救う。

  正しい正義の戦争と、偽善に満ちた平和ではどちらが望ましいのだろう。

  だがそれでも、無駄な要素を切り取ると残る根本に差異はない。

  タマゴはゆっくりと立ち上がる。

  難しいことは数多くある。考えるべきことは無数にある。自分はまだ何も知らない。

  とりあえずは、あの、彼らが待つ家へ帰ろうと思えることができた。










       SEE YOU NEXT 『The ghost and the darkness』 or 『Yellow light




  目次に戻る




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送