缶詰ヒーロー













          41缶詰ナリ *  【The ghost and the darkness】









  
  御坂市の中央。

  中世の王城がそのまま現れたようなビルは見る者がなんであろうと心を惹きつけた。

  現代建築の精髄、世界NO.1の大企業『TOY』本社ビル。

  会社が興ってから僅か十とニ年で世界を押しのけた企業の本社ともなると、およそ規模が違った。

  二千台収容可能な駐車場や、イギリスの老舗が進出して建てた宿泊施設、ニューヨークのセントラル
 パークより整備された運動公園といった、広すぎる敷地にこれでもかと詰め込まれた被造物。

  この会社は小さな国だ、という者たちもちらほらいる。もちろんそんなわけないが、実際、小国の
 国民総生産すら軽く上回る資産を持っているのが『TOY』である。

  この企業に独占禁止法がどうの、なんたら法案がどうのという団体は国連ですらいない。

  この突如出現した企業のおかげで世界経済は上手く循環していたし、ここを摘発しようものなら、
 以前までの世界恐慌がカワイイと思える大恐慌が、というのは経済学者たちの常識だった。
 
  中央に佇むビル。

  地上七十七階の玉座にいるのは、ビルと同じ威厳がまとわりついている、壮年をやや過ぎた男
 だった。

  髪はまだ黒く、身長も高い。顔もよく整っていて、若いころはそれなりの美丈夫だったに違いない。

  だが、今の顔には疲れが濃く映し出されて、お世辞にも健康には見えない。

  男は、名を――徳野御言――といった。

  強化ガラスに右手を当てて、すっかりと暗くなった世界をただただ見詰めて動かない。ぽっかりと、
 口だけが虚しく開かれた。

「ようやく黄昏時も終ったか……」

  この場にいるだけなのに、何も考えていないようで、何もかも考えているような、不思議と逆らえな
 い空気を支配している。

  そのせいか彼がいうことは常に絶対だった。

  父から会社を受け継いでからというもの、帝王学を具現したような風貌がいう言葉に逆らう部下は
 いなかった。

  たとえ何が起ころうと、彼は自分に鞭打って進んできた。

  脇の机に放置されている企画書、これに関して開かれ、ついさっき終わった会議でも御言の意見に
 反対するものはいない。

  はずだった。

「……なにが、気に入らない? ……これまでも、上手くいってきたというというのにっ――…!」

  忌々しげに呪詛を吐く声が、怒りもあらわに震えている。

  御言が今にもガラスを叩き割りそうに右手を振り上げる。憤怒や赫怒といった、何人も侵しがたい
 巨大で畏怖的な激情があふれ出す寸前で止まっている。

  あるページで開かれたままの企画書。そこには赤い文字で【極秘】という判が押され、そして肝心
 の一行目はある一節で始まっていた。

  『缶詰ヒーロー・軍事転用企画草案』

  御言は遂に耐え切れなくなったのか、企画書を掴むと力の限り引き裂いた。細かくなった幾つか
 の紙片がパラパラと舞い堕ちる。

  それだけでもまだ足りないのか、御言は忌々しいものを見る目つきで睨む。

  そこへ、ドアをノックする音。

「――入れ」

「失礼します」

  ドアを開けて入ってきたのは社長室付きの女性秘書である。凛としたい風貌で、事実、敏腕の名
 に恥じない仕事をこなしてきたという自負と、それに劣らぬ質が見るだけで伝わってくる。

  まずドアの前で一礼してから、コンパスみたいに精確な歩調で詰め寄る。秘書は数歩手前で止ま
 ると、腕に抱えていた報告書を読み上げ始めた。

  御言はそちらに眼もくれず報告を待つことにする。

  いつも通りの事務報告。会社内外での動きや、およそ判断を必要としなければならないモノが毎日
 伝えられる。

  とはいっても、もうTOYの地位は不動を確立しているのでたいした意味を成さない。

  収穫逓増という経済学の言葉どおり、一度付けた差を詰めるものはいないので、誰も追いつくこと
 ができないのだ。

  やはり、というべきか。淡々と告げられる報告に目立った異変はなく、TOYがどれだけの地位を維持
 しているかを知る指針にもならない。

  しかし、この日だけは違った。

  最後のページを捲った秘書の顔が、大きくしかめられる。

「どうした、なにか渋るような異常が?」

「――いえ、これまでです。他の報告すべき点はなにもありません」

  秘書はそういったが、右足でトントン、と合図を送る。御言がそれに頷き、机に設置されていたジャミ
 ング装置のスイッチを押すと部屋にある電子機器は全て動かなくなる。

  いつ他の企業やマスコミが部屋に忍び込んで盗聴器の類を仕掛けていくのかわからない。

  不動の王座にありながら、御言は用心深く注意を怠らない。どういう事象から革命が起こされるかも
 わからないのが現実だという心構えがあればこそだった。

「それでは改めて報告します。報告するべきなのは、二つ」

  咳払いして声を整えた秘書の口が開かれる。

  だが、しばし逡巡したようでなかなか言葉が出てこなかった。それほどの非常事態なのだろうか。

  しかしTOYと、そしてTOYの社長を務める者は一国が滅ぶ程度では揺るぐことがない精神を兼ね
 備えていなければならない。

  御言が安心させるように首肯すると、秘書はようやく話す決心がついたようだった。

「まず、蓮沼にある"廃盤倉庫"で一つ問題が……」

  ここに他の上役たちがいたとしても、大半は首を傾げたに違いない。

  廃盤倉庫。

  それは『TOY』が管理する内部機関。これまで製作された缶詰ヒーローの中でも、致命的な欠陥や
 問題があるとされた『缶詰ヒーロー』を保管・調査を行う極秘機関の名称であった。

  地下に作られた施設のため、倉庫の存在を知るものは極めて少ない。

  廃盤倉庫について知っているのは、倉庫のメンバーを除くと前社長である徳野秀雄や御言、初期の
 創生メンバーを含めても十人に満たない。

  それほどの機密機関で問題が起きるということは、別企業が謀反を企んだ、というのより遥かに
 事態は深刻であった。

「本日午後四時に行われたメインCPU"黒箱パンドラ"の定期検査の際、最重要管理区画"永久凍結コキュートス"で管理下
にあった例の七体の内、『CH-T9S』が消失したという報告がありました。ログ解析の結果、消失時期は
およそ半年前らしいとあります……」

  とんでもない大失態である。

  こういう場合、真っ先に責められるのは物理的にもっとも近い秘書であり、何の責任もない彼女を
 叱咤するのは社長である御言の役割。

  だが、この会社を統べる者がそんな愚かであるはずがない。

  即座に最も的確な指示を出し、最適な手順を教え、最高の結果を出せる。それが『TOY』社長を務
 める御言の才能だった。

  しかし、このときばかりは多少違った。

「……そうか………やはり……むしろ遅かったというべきか…」

  口元に笑みを浮かべ、御言はあごを何度も擦っているている。遠く、愛する我が子を見守るような
 優しい目付きで。

  その顔にはもう落ちないのではと懸念される疲れや暗い影はない。

  妙に納得した御言に疑問を感じたらしく、秘書は首を傾げてを出す。こんな様子の御言を今まで
 一度も見たことがなかったに違いない。

「最もシステムが堅固なコキュートスから、最も危険な機体が消失するというのは早急に調査、被害が
出る前に回収が必要です。なにより、倉庫内部に裏切り者がいることの懸念が…」

「それはない」

  笑みを消し、きっぱりと御言が断言する。

「確かに倉庫には電子を操作することで事実上"魔法"を生み出そうとする奴や、相対性理論に七歳で
矛盾点を突きつける奴しかいないが、あいつらは独立世界を持った究極の引きこもりだ。あそこは世界の
滅亡が三秒後だと知らされても『で? それが?』というような者たちだけだしかいない。自分の利益に
ならないことは今際の際になってもやらないだろうな」

  かなりの奇人、いや奇人だからこそ全く異なる見地というモノが持て、それ故に世界は進歩する。

  御言は続ける。

「中でも、コキュートスにいる彼らが裏切ることは最もない。あいつらが裏切るとしたら、それこそ俺が
大きな間違いを犯した時だけだろう」

  部下に対する絶大の信頼。そしてなにより自分が信頼されているからこそ彼はここまでやってこれ
 たし、成功を掴めた。

  部下が頼りなくては上司は何もできない。上司が無能なら部下は何もすることがない。

「では、一体誰が……?」

  最終的に疑問はそこへたどり着く。

  廃盤倉庫の防衛システムは、世界で最も堅固だといわれる『サークリング・ファイア・ソード』という
 ファイア・アタックウォールが守っている。

  機械工学、電子工学、情報工学などエレクトロニクスに関係するありとあらゆる技術者に非公式の
 ハッカーも加えて創られたこのプログラムは電子上で『最強の矛楯』の名を欲しいままにしている。

  "矛楯"という言葉は決して揶揄や皮肉ではなくそのままの意味である。

  従来のファイアウォールと異なる点は、不正な進入を探知したら相手のネットワークを瞬時に追跡し、
 端末に対して攻撃を行う他、逆探知までこなすという優れもの。

  内部からの脅威に対しても有効で、他にも欠点だといわれてきた短所を改修して作られた、電子
 世界における最初の砦でありながら最強の砦。

  これに対抗できるハッカーやクラッカーは、現在あらゆるコンテストなどでも確認されていない。

  だが、

「――いや、犯人の検討は十中八九ついている」

  御言はこみ上げる笑いを堪えるようにいった。

  深刻な事態であるはずなのに、友人に同窓会であったような、そんな顔をしている社長の姿に
 秘書は眉をひそめる。

「にわかには信じられません。ですが、犯人に検討がつくと言うのならなら早速手配すべきだと…」

「それもそうだ。だが、証拠がない以上捕まえることはまず無理。そうだな?」 

  じろりと秘書を見る。

  報告されていないことを、御言は言い当てていた。

「どうしてそれをッ…確かに報告では一切の痕跡が残っておらず、まるで正規のパスワードを使って
入り込んだとしか思えない、それほど鮮やかな手口だったと…」

  コンピュータはハッキングされたことすら気づいていなかったらしい。

  コンマを数千万分の一単位で割った時間の、ただの一瞬も僅かな異常すら感知できなかったと。

  いつ入り込んだのか、いつ持ち出したのか、全てのコンピューターを騙して記録は一切残さず。

  否。騙す、という言葉が似つかわしくないほどに、コンピューターは全く疑いすら持たなかったのだ。

  御言は「問題は」といって秘書から眼を逸らし、窓ガラスの向こう側へ視線を差し向けた。

「こちらが調査を開始したら、"彼女"が腹いせにTOYのヘキサマザーワークステーションごと乗っ取り
かねん。そうなったら…TOYなんぞ泡沫のように消滅する怖れがある」

  大企業、しかも他の追随を許さないTOYですら崩壊させるという腕の持ち主がいるのなら、社長
 である御言にとっては最も脅威であるはず。

  それを示すように、御言は両手で顔を覆って上を向いた。

  しかしそれが昔の友人を思い出すような顔つきで、とても穏やかなものだったことにどれほどの
 人間が気づけるだろうか。

「……そんな、そんなことをできる人間が本当にいるのですか? 」

  秘書の問いへ、聞こえるように御言は呟いた。

「間違い無い。報告通りのことができるのは、現役時代≪代り身の亡霊ゴースト・オブ・ドッペルゲンガー≫と呼ばれていた電子
の申し子しかいるまい…」

  秘書は首をかしげてうなる。しかしそれも仕方ないことだった。

  大人ですら覚えている者は少ないだろう。最早伝説になっているハッカーの二つ名だった。

  活動期間は二十年以上前のこと。それも僅か二ヶ月間だけ。もともと裏でのみの名だったから、
 亡霊を知っている個体数そのものが少ない。

  だが亡霊の残した爪痕は、人類がこの世に足をつけ始めてから起こったどの戦争よりも多くの
 被害を出していた。

「『アンラッキーバースディ』を知っているか?」

「は、確か原因不明の株価異常高騰や低下、低迷によって、一日で何万人もの"元"大金持ちが誕生
したという日であったかと。その余波だけで世界中に何百万もの失業者も生まれた…現代社会の講習
で、習いました…」

  そして、世界は混迷を極めた。

  当時はまだロボットなど夢の話。まして、人間と対話できる高度なAIなど天地がひっくり返っても
 無理だとされていた時。

  突如設立された『TOY』という会社が、革新的なブレイクスルーでこれらを実現し『缶詰ヒーロー』と
 いう玩具が現れるまで、混乱は続いた。

  というのが歴史の教科書に載っている。事実は多少異なるが。

「あれは"亡霊"の仕業だ。だが当時俺は"亡霊"と知り合いではなかったから、後から聞いたことだが」

  それだけで亡霊の話は終らない。

  当時の銀行や各国政府機関の独立したコンピュータにすら進入、データを全て破壊。及び漏洩。

  当時最高と謳われていた機械工学と電子工学の権威が作り出したセキュリティソフトで守られて
 いた国連のデータ改竄。

  そのソフトの欠点を完膚なきまで指摘、自分のアレンジを加えて完璧な状態にして送ってきた際に
 は、多くの技術者が夢を諦めた。

「本人がいうには、あとちょっとで全世界の核のスイッチを押せたらしい」

「まさか…そんな……」

「本気だ。彼女は世界を滅ぼそうとしていた…」

「…ですが、どうして……何故その人は世界を滅ぼそうと…?」

  御言がいった言葉の数々に最早疑うべきところはなく、核を発射できたというのも嘘ではあるまい。

  だが、それほどまでに世界を破滅させたがる理由というのは容易ではないだろう。

  御言は言葉を捻じ曲げるようなことをせず、ただありのまま話す。

「少なくとも世界が憎かったわけではないらしい。ただ世界にいることが苦痛だったと……違うな、世界が
在ることが苦痛だったといっていた。詳しくは聞いていない、だが、彼女にとってはそれが唯一だった」

  純粋な願いであるだけ理屈や論理で突き崩せるはずがない。

  言葉だけで説明できるようなモノは、言葉だけで覆せる。

  秘書の額を一筋、冷や汗が。もしかしたら、今日自分はいなかったのでは、という恐怖。

「しかし、亡霊が残したものは大きな爪痕だけではなかったよ。"成仏"の際にはプレゼントがあった」

  ある時ネット上に公開された理論と設計図。

  それは不可能だといわれていた、宇宙の法則すら観測可能な量子コンピュータを製作するために
 必要なモノの数々だった。

  量子計算アルゴリズムの応用公式。デコーヒレンス計算の改善点。qubit集積化に対する個人的
 な見解と欠点、集積化に代わる代替理論。

  もっとも、それを理解できるものがいなかったため、この夢のコンピュータは今現在でも作られて
 いない。

  ―――ほんの一部を除いて。

「当時は間違いなく滅びへ向かって世界が動いていた。急速に、誰もがわかるように」

「そんな人物が……なら、どうしてその人は世界を破滅させることをやめたのですか…? 亡霊は、
その、世界を滅ぼせるはずだったのでは?」

「それか……」

  世界を滅ぼそうという亡霊が、突如人様に役立つ理論をおいてそれ以降姿を消した。

  当時の人々は犬に噛まれた、それにしては被害が大きかったが、その程度に考えて長いため
 息と一緒に諦めるしかなかった。

  どうして亡霊が消えたのか、まことしやかに諸説があるなかで唯一の真実を知っている御言。

  秘書が息を飲む傍らで、御言は告げた。

「愛を知ったから、だそうだ」

  一瞬の間。

「え……?」

「大学時代の親友がな、結婚した女性が例の"亡霊"だった。本人たちから聞かされたときは悪い
冗談だと。事実、あれだけの被害を出した割りに彼女はなんというか…いかにも天然だったからな」

  懐かしい風景を眼の奥に浮かべているらしく、御言の眼が焦点を失って泳ぐ。

  本人にとってよほどいい思い出なのだろう。

「親友と結婚したから世界を滅ぼすことを止めて、息子を産んだら逆に世界を発展させようとして夫婦
そろって協力してくれた。『少しでも息子が見る世界が美しくあるように』、彼女はそういっていたよ…」

  御言はため息を吐いて。

  一瞬だけ、苦笑した

「しかも、ご丁寧に幼かった俺の娘にまでハッキングの基礎を教えてくれた。それがきっかけで、よく
あいつの息子と俺の娘は遊んでいたよ……――もっとも、昔のことだ…」

  苦い物を吐き捨てるようにいった御言の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

  秘書には見られないように立ち位置を移動する。目の前には広がり続ける安寧の暗黒が広がっ
 ていた。
 
  懐かしむ過去はもう訪れない。つい懐かしさから余計なことまで話した自分を叱咤する。

  全てを切り替えるように息を吸い、指導者然としたオーラを纏わせて御言が佇む。無駄な話は
 そこで終わりだという無言の合図だった。

「報告は、もう一つあったな?」

  引き締まった空気に秘書の背筋が普段異常に伸び、整然とする。もう無駄な話はしないという、
 こちらもそれに見合った態度だった。

  報告書を捲り、並んだ文字列が秘書の口から漏れ出す。

「本日、お嬢様がなにやら男性とデートに出かけたようです。場所はテーマパーク、最後には寄り添
う二人を確認していた模様。複数の監視委員が確認との報告です」

「君香が、か? だがそれの何が問題だ?」

  特別に驚くようなことではないと、御言は思った。

  娘もいい歳である。彼氏の一人二人いてもおかしくないし、亡くなった母の面影を強く受け継いだ
 綺麗な娘だ。今まで浮いた話がないことを疑問に思っていたぐらいである。

  監視委員はあくまでTOYの社長令嬢たる君香を護衛するためであって、プライバシーを侵害する
 ためのものではない。
 
  だが、と嫌な予感が頭をよぎる。
 
「問題なのは、その男性のほうです」

  思えば、あれほど彼に執着していた君香が、そう簡単に他の男とデートするだろうか。

  ならば、君香がデートした相手とは……。

「君香様の相手は、特別保護対象の――石若翔太です」

  瞬間、静寂が流れた。

  嵐の前の静けさに、それはよく似ていた。

「……なん、だと…?」

  廃盤倉庫の機体がいなくなったことにすら動じなかった御言が、たった一人の青年に関して驚愕
 を隠せずにいた。

  御言とて、娘と彼が同じ大学に通っていることは知っていた。いや、御言こそがそう仕組んだのだ。
 泣き顔で娘に頼まれたからこそ、せめてもの助けを、と思って許していた。

  だが、それは条件付き。「決して石若 翔太には近寄らない」という限定付きで。

  それが違えられた。

  途端、生涯でも数える程の巨大な感情が全身を焼き尽くす烈火の怒りとなって喉を唸らせる。

「……あのっ、馬鹿娘がっ……これ以上、翔太を苦しめるつもりかッ!!!」

  ガァァン、とガラスを力の限り叩く。

  強化ガラスであったからこそ割れなかったが、彼の怒りの余波はガラスだけでなく大気すら燃やし
 尽くさん勢いで広がっていた。

  秘書もさすがに怖気づきかけたが、まだ仕事を終えていないと判断したのだろう、彼女はどこまでも
 優秀だった。

「内密に調査したところ、どうやら会長もこの件に関わっているようです。いえ、語弊がありました。会長
と君香さま、お二人で画策しているらしく…」

「親父までがかッ!?」

  怒りを通り越して、それは悲鳴に近かった。

「君香も、親父も、いったい何を考えている…? 翔太に関しては俺に一任するといったはずだ……」

  ハッ、と何かに気づいたように御言は散らかっていたファイルを漁り始めた。

  すぐさま見つけ出した膨大な量の紙束をバラバラと捲り、目的のページを探す。

  ファイル名は『缶詰ヒーロー・グラディエイト及び第一回世界大会開催について・招待選手名』の欄。

  先日、会長である徳野秀雄が提案したこのプロジェクトは会長権限で半ば強引に通過させられた
 『TOY』始まって以来の、現在大急ぎで準備が整えられている一大計画である。

  そして、その選手名簿に問題となる名を見つけた。

「そうか、だから親父はいきなり世界大会を開くといったのか……それなら二人が接近することも多い。
…それに、もうここまで計画が進んだ以上取り消しもできない……くそ、なぜもっとチェックを…」

  後の祭りとなった事態が御言を焦らせる。

  ここまで進んだことはどうしようもない。なら何をすべきか、まずなにをすべきか。切り替えも相当早く、
 御言は秘書に指示を出した。

「翔太にはこれまで通りの監査、君香には俺が直接伝えておく…親父にもだ」

  娘の気持ちはわかる。だからこそ御言にできる最大限の譲歩がこれだった。

「CH-T9Sはどういたしますか? 確かに機体は<リアル>の能力しか持ちませんが、あのプログラムを
持つがゆえに、七体の中でも唯一危険度SSS+の烙印を押された機体です」

  秘書のいうどこまでも率直な問いに御言はすぐに答えを返す。

  『TOY』の社長として、頭の回転は最高速に達していた。

「CH-T9Sは、おそらく翔太といるはずだ……近づけさせたままでいるのは翔太にとって、なにより世界
にとって危険だが……<キリイ>に関して今はまだ大丈夫だろう。記憶中枢へプロテクトも掛けてある。
十年間一度も発動の気配はなかった。第一、回収する最もな理由も見当たらない…」

  だが御言は舌打ちした。なんと言い繕おうが、廃盤倉庫から『CH-T9S・キリイ』が持ち出されたこと
 はやはり痛いのだ。

「廃盤倉庫の機体が活動したとしても、正規登録でないからには異常な機体だとは判断されない。
それが仇になったな……正統な理由もなく回収しようものなら、どこに足をすくわれるかわからん……。
なにより楓が黙っていないか……それが一番厄介だ…」

  しばしだけ逡巡して、御言は決断した。

「CH-T9Sに関してはより厳重な監視をつけろ、アレが再び起きるのだけは防げ。少しでも異常が発見さ
れたなら…構わん、その時は直ちに回収しろ。力づくでもだ」

  言い終えると同時、秘書はすぐさま社長室を後にした。疑うまでも無く、先ほどの指示を下している
 に違いない。

  誰もいなくなった部屋の奥で。

「これは、本当に偶然なのか…? まるで何か超越した意志が動いているとしか思えん……それだけ
罪深いというのか…俺は…俺があの時見つけていなけばこんなことには………」

  御言は自分の正しさを誇示するように俯いて呟いた。












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