缶詰ヒーロー








  あの日以来。

  タマゴはただ信じていた。

  信じるしかなかった。

  だが誰よりも自分が気づいていた。

  それでも信じることしかできない。

  そんな自分が嫌いだった。

  振ってきた一粒だけの、一人っきりの雨が冷たくて。

  何よりも何よりも何よりも何よりも。

  誰よりも誰よりも誰よりも誰よりも。

  嫌いだった。









          39缶詰ナリ *  【Yellow light】










  会場から出た翔太は、まずポケットに捻じ込んであったライターとタバコを取り出して一服した。

  マルボロの先が赤くちりちりと燃え、一息吸うたびに赤が濃くなってその領域を増やす。比例して
 灰色の侵食も増えていく。

  吐き出した紫煙が夕暮れの空に伸びていく様を見守りながら、翔太は沈みかける太陽と立ち込め
 ていく雨雲を交互に眺めて大きく息を吐いた。

  ――大変なことになった。

  八坂とナタラージャはその後もいっこう議論が終わる気配がなかったので、チャンスとばかりに逃げ
 出した翔太だが、この逃げは所詮一時しのぎだとよくわかっている。

  八坂は今後もチームへ引き入れるためにアプローチしてくるだろう。意外としつこい男だった。

  そしてナタラージャという厄介な相手も強制的に増やされた。あの性格を見れば、八坂以上にしつ
 こいだろう。

  面倒ごとばかりがどんどん増えていって頭が痛くなってくる。

「神様だろうが仏様だろうが悪魔だろうが、この際どれでもいいから……誰か俺を助けて下さい」

  生まれて初めて心のそこから祈る翔太。合掌したり十字を切ったり節操が無い。

  最後なんか丁寧口調で祈りを捧げたが、黄色く染められるテーマパークの一角に光の塊や天使が
 光臨することは決してありえない。

「…何がキリスト、なにがムハンマドだ。クスリでラリッた奴の思想を一時でも信じた俺も恥ずかしいが、
あいつら嘘つきはもっと最悪だな。どれだけ祈っても偉大なる神の奇蹟とやらは起こらないぞ……」

  もし困ったときの神頼みで人々の願いが適うなら、世の中随分おかしなことになっているだろう。

  聞くものはいないと知りながらも、言わずにはいられない翔太だった。

  普段よりも悲観的な翔太にとって必要なのは、心の支えでなく根本的な現物の支援だからしょう
 がない。

  刹那主義ともいえたが。

  自分の考えで虚しくなり、気分を変えようとタバコを指で挟んで、空を眺めると綺麗な黄昏だった。

  しかし、

「吐き気がするぐらい嫌な色だよな、ほんと……」

  時刻はちょうど夕方。世界が、空気が、色ある物全てが黄色く染まり、時が空の青を食い尽くして
 いく時間帯。

  翔太はこの時間があまり好きではなかった。いや、どちらかと聞かれればすぐさま嫌いだと答える
 だろう。
 
  いつから黄昏が嫌いになったのかは覚えていない。ただ漠然と、見ているだけで憎しみが湧き
 上がってきそうになる。

  だから、翔太はこの時間帯が大嫌いだった。

  一刻も早く雨雲の闇で塗りつぶされて欲しいと心から思う。

「いたッ! こんなところに、やっと見つけたよっ」

  突如後ろから上がった喜びの声に振り向くと、世界を染め上げる黄色すら消し飛ばしかねない
 金髪の君香が満面の笑みを浮かべて走り寄ってきていた。

「げっ…」

  すっかり忘れていた。

  …いや……覚えていた?

  ともかく、グラディエイトの会場となったドーム入り口から駆けてくる君香が近づいてくる。笑みこ
 そ浮かべているが、内心では怒っているだろうと思う。
 
  なにせ今ここに自分が佇んでいるということは、君香を置き去りにしてしまったということだ。

  息を切らせた君香がようやっと近くまでたどり着くと、じっとりと恨めしげな眼で見上げてくる。

「ちょっと翔太くん、置いていくのはとてつもなく酷いよ…」

「いや、コレにはちゃんとしたわけが……」

  ない。ので、ポリポリと頭を掻いて遠い眼。

  普段なら別に謝るつもりも無いのだが、仮にもデートである以上は詫びの一つでもいったほうが
 よいだろう。翔太は右手を上げて謝ろうとしたが、君香が両手を振って静止させる。

「あははっ、いいんだよ別に。特別に許してあげようっ」

  笑いながら人差し指を口元に当てて君香は許してくれた、らしい。

「理由も聞かないでか? もし俺がとてつもなく自分勝手な理由でお前を置いていってたらどうする?」

「ん――――……ミンチ、かな?」

  本気と書いてマジな眼だった。

「すいませんでした」

「じょ、冗談だよっ! そんな本気にしないでってば」

  命惜しさから誠心誠意を見せる翔太に驚いた君香はぶんぶんと腕を振る。

  そして後ろめたい良心をちくちくと痛めつけるように、それほど優しく君香は微笑んで胸を張った。

「ある人はいいました。『説明はするな。味方であればあなたを理解し、敵であればあなたを信用し
ない』ってね」

「…? なんとなく意味はわかるけどな。今の状況でいうものなのか、それは……?」

「う〜ん。まぁ、翔太くんは翔太くんなりに考えたほうがいいよ。他人の意見で簡単に導かれる答え
なんて、いきなり最強データでゲームを始めるくらいおもしろくないでしょ? 邪道だよ、そんなの」

  それもある意味気分は爽快なんだが、確かに虚しさしか残らないのも事実なので、何もいわない
 でおいた。

  直後、君香が跳び付くように右腕に抱きついてきた。

  思わずいつもの頭痛が、と懸念したがあの激痛はない。だが激痛があったとしても翔太は痛み
 を自覚できたかどうか。

  なぜなら、

「な、なにすんだッ!」

  驚きすぎて指に挟んでいたタバコが零れ落ちる。

  吸う者がいなくなった煙はもうもうと天へ昇っていった。

「気にしない気にしない、気にしたら負けだよ。あんまり深く聞かれたら困るけどね」

  翔太とて君香がどれだけ綺麗であるかは認めている。それが突然腕に跳び付いてきては動揺
 だってしてしまう。

  君香は濡れた眼でこちら見上げ、

「置き去りにした代償、だよ。いちおう、これぐらいはしてもらわないと。それに……この空…」

  黄昏の光が君香の瞳に映る。

  先ほどより強い圧迫感を右腕に感じる。君香の手が、不安に怯える子供みたいに掴む力を強め
 ていた。

「嫌いなの。太陽が沈む間際の忌まわしい色。この色は嫌な記憶しか思い出させないから」

「まぁ、俺だって好きじゃないけどな…」

  呟いて覗える君香の全身が小刻みに震えているように見えたのは、逢魔の燭光のせいか。

  普段は負の感情と無縁に見える君香が明らかな嫌悪を黄昏に向けていることに多少驚いたが、
 それよりも重要なことがあった。

  咳払いして内心の動揺を誤魔化す。いくら翔太とてそろそろ気づいていた。

  ―――何故これほどまでに君香が自分に対して好意を寄せているのだろう

  当面の問題はそこであるが、さっぱり見当がつかない。

  もっとも人を好きになる理由なんてまさに人それぞれだから、考えたところでどうしようもない。
 本人に聞ければ別だが、聞くのは野暮というものだし、聞くほどの仲でもない。

  纏まらない考えに溺れかける思考の外で、やがて雨雲が上空をすっぽりと覆っていた。

「これからどうしよっか? 雨が降りそうだし……どこかで休憩する?」

「え、あ、ああ……いいんじゃないか、それで」

  心ここにない翔太の無関心が悟られたのだろう。君香の瞳が前髪越しに、ちょっと怒ったように
 ひそめられた。

「それで、ってねえ。そんな情緒ないこといわないで。どこかで休もう。私もいろいろ聞かれて疲れ
ちゃったよ」

「ああ、そうか。悪ぃ…」

  君香を見る。

  たった今まで忘れていたが、彼女は先ほどグラディエイトを終えていたのだ。しかも終った後は
 マスコミやメディアのインタビュー。

  社交界で慣れているとはいえ、さすがに辛いのかもしれない。

  しかも自分で缶詰ヒーローの負荷を処理する、という戦い方(らしい)をこなしたあとだ。かなり
 疲れだって溜まっているだろう。

  八坂がいうには、誰かに師事しなければアレだけのことはできないのだという。

  曰く、『その技術を教えたものは電子の化け物だろう』と。

  しかし翔太はあの熱狂的なストリーキングとは違って他人の戦い方などどうでもいい。神業的
 技術だろうが借金返済には全く関係ないうえに興味がない。

  と、思ったところでさらに重要なことを思い出した。

「おい、徳…君香。そういえばク・フリンはどこにいったんだ? お前と一緒だったんだろ?」

「え? フリン? フリンならもう帰ったよ。『それではおさらば』とかいって、かっこよく」

「帰った?」

  わざわざ隠密術まで駆使して君香を尾行していたク・フリンが、グラディエイトを終えたからと
 いってすぐさま帰るとは思えない。
 
  そんな簡単にかえるタマなら、あんな恥ずかしい格好でここまで追いかけてこないだろう。

  周囲の木陰や建物の影。身を潜ませることが可能な場所全てを注意深く観察する。



  ―――ガサガサガサガサ!



  そう遠くない茂みの隙間から、どうやっても隠しきれていないボディのパーツがいくつかはみ
 出ている。

  そんな姿を見て翔太は不意に目頭が熱くなってきた。

  ―――あれが、あんなのが本当に人類の叡智の結晶なのか…?

  開発者もさぞ悔しいだろう。アパートにいる侍を名乗る缶詰ヒーローもわりと馬鹿だが、アレも
 相当の馬鹿だ。

  どうやら少しも学習していないらしい。あんなのが人間に最も近い人工知能を持つ最新機器
 なのだからやってられない。

「どうしたの翔太くん? 涙が浮かんでるけど? 」

「いや、ちょっと眼が汗にな……」

「? 意味がわからないけど、とりあえずちょっと見せてみてよ」

「大丈夫、俺は大丈夫だ……俺はな…」

  悟られないようにやんわりと断る。

  最後の涙は遠くから主を見守ろうというク・フリンの健気さのためだったのか、それとも本当に
 眼が汗だったのかは翔太しかわからない。

  しかし、本当に人の運命とは何処で脇道に逸れてしまうのかわからないものだ。

  顔を上げた翔太の視線が向かう先、この世の終わりを背負って生きていくような足取りのソレ
 を見つけてしまった。

「あいつ、こんなところで何やってんだ……?」

  熱心なキリスト教徒がいたなら、十字架を背負いゴルゴダの丘へ向かうイエスだといっていた
 に違いない。

  黄昏が向かう先。ある意味で、それは神秘的で荘厳だった。

  見とれていたのも束の間、姿はひっそりと消えていく。翔太は追うべきなのかと逡巡した。

「もう、何処見てるの翔太くん。早くここを出ようよ。あっ、そういえばこの前おいしい懐石料理の
お店を見つけたんだよ。そこにいこう、ね?」

  袖を引っ張って君香が見上げてくる。どこか熱っぽいような、子供が駄々をこねる時の目つき
 にそっくりだった。

  君香の提案に言葉を返さずに、翔太は考えていた。

  こういうときにはどうすればいいのか。

  懐きもしない、可愛くも無いただの居候を追いかけるべきか。

  美しき子供である彼女と、このまま食事に行くべきか。

  賢いものはどちらを選ぶのだろう。

  凡人はどちらを選ぶのだろう。

  学者はどれを選ぶのだろう。

  偉人はどちらを選ぶのだろう。

  翔太は一度だけ、誰にも気づかれないようにため息をついた。

  ――考えるまでもない

  これ以上の厄介ごとだけは御免したいのが本音。精神的にも疲れた今日は早く帰って休みたい。

  ようやく空を食い尽くした雨雲が黄色い光を遮り、変わりにH2Oの洗礼をもたらす。振り出した雨
 が、さきほど落したタバコの先に当たって、ジュっと音を上げて炎を奪う。

  これからもどんどん雨足が強まっていくことが予想された。

  それでも雨は、夕立に違いない。

  翔太は振り返ると、君香にいった――。









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