缶詰ヒーロー








  寸前の獣が、咆哮した。
  
  頭は垂れて地面を睨んだままに、数千を超える電磁モーターが回転して哭をあげる。咆哮は人工
 筋肉を軋ませ、ただですらの巨体をさらに膨れさせる。

  喉元にある発声機関から搾り出された波は、観客席ごとドームを揺さぶった。

  カトブレパスの間近にいるキリイ、いまは翔太の体を衝撃が包み、それだけでボディが揺らぐ。

  だが翔太は怖じずに半身に構えながら凝っと見詰めていた。






       4缶詰ナリ *  【Catoblepas】






『さあ、始まりました。缶詰ヒーロー専門店「ヴァルハラ」主催のラインの黄金杯。それにしても、緒戦
からカトブレパスが出てくるとは思いませんでしたね』

『まったくです。カトブレパスを操る綾小路 矜持は他のアマチュア大会では優秀な成績をあげてい
ますし、これは今回の優勝も期待してもいいんじゃないですか?』

  会場を包む号に負けぬ音量で、会場各地に設置されているサラウンドスピーカーから司会者と
 解説者の談笑が流れ出す。

  話題は当面、優勝候補である【カトブレパス】。

  会場の至るところからもカトブレパスコールが飛び出している。だがそれも仕方がない、ヒーロー
 の世界は強いものがカッコいいのだから当然応援はそちらに集中するのだ。

「やっぱり俺たちは眼中になしか……」

  電磁シールドを背にしながら、翔太はひとりごちた。

『仕方あるまい。なんといっても我らは最弱の〈リアル〉なのだから』

  翔太は戦闘開始まもなく、距離をとってカトブレパスと向き合っていた。直線距離にして二十メート
 ル。初めの立ち位置が闘技場中央部であることから、取れるだけの距離をとっていた。

  今回がグラディエイト初めての翔太がとった安全策。とりあえず攻撃が届かないところまで逃げること
 で相手の出方を視ることに専念する。

「我ら、じゃなくてお前だお前。テメエがわるいんだよ。最弱の〈リアル〉さん?」

  キリイは翔太の皮肉に笑って答えた。

『なにをいう。その最弱に普段ズタぼろにされているのは誰だ、ん?』

  戦いが始まっているというのに口げんかをヒートアップさせる二人。緊張感に欠けているのか、とても
 収まりそうもない。

  絶好の好機を、対戦相手 綾小路 矜持【カトブレパス】は待ってくれなかった。

  急速に迫る破壊意思。

「なんだッ!」

  己目掛けて飛んでくる威圧感に<スキーズブラズニル>にあった翔太の意識は地上に引き戻された。

  しかし避けようにも、空気を切り裂きながら飛来する力の意志は翔太の反応速度を悠々と上回り、回避
 行動を不可能とする。だがキリイが反応した。

『チィ!』

  背にしていた電磁シールドから、右方に飛びのく。体の制御をキリイに奪われた翔太は耳元を過ぎ去
 った轟音だけを聞いた。身近で飛行機が飛んでるんじゃないかという、爆音。

  鼓膜が破れるかと思うほどだ。だが次の瞬間には別な音が耳をつんざいた。

  それは、電磁シールドと矜持【カトブレパス】が放った攻撃が拮抗する音。甲高く、悲鳴に近く、セイ
 レーンの泣き声にも聞こえた。

  次に翔太が聞いたのは蛇が這うように硬い物体が地面を擦る音と、柔らかく大気を切り裂く気配。
 するするとカトブレパスのほうへ戻っていく。

『ばか者! 私の体をキズモノにする気か!』

  キリイの怒号とともに、体の制御を返された翔太は崩れかけたバランスを整えた。まだなにが起こった
 のかわからず、意識がはっきりとしない。

  ようやく見えるのは、赤紫色をした物体の背後に、柳のように踊る三本の鋭く長い棘。

『出ました! カトブレパスの主要兵器・三尾(みつび)! 自らの尾を三本の剣に分裂させ、伸縮自在の
ワイヤーで伸びる計三本の矛先は五十メートル四方の闘技場全てをカバーします!』

  興奮で息を荒げながら、司会者が叫んだ。伴って会場も沸く。

  彼らは初めて出場したトーシロが気に食わないのだ。真剣勝負の世界に〈リアル〉などで挑んできた
 翔太たちを嘲っているのだ。

  皆が皆、翔太たちがいかに惨めに、惨敗するか期待しきっている。そういう目をしている。

  再び会場がカトブレパス一色に覆われる。

  自分たちに向けられる、三下を求める空気にキリイは意識だけで歯噛みする。

『おい、起きろばか者。おい』

  だが翔太の反応は無い。

『まさか……』

  キリイはかなりまずい失敗を悟った。

  失敗。それは先ほどのカトブレパスの攻撃を避けた際に起きたことである。

  缶詰ヒーローの身体能力は、人間のそれを遥かに凌駕することは一般にも広く知られている。

  そして、先ほどはカトブレパスの攻撃を避けるために、キリイは全力で回避を行った。翔太のことな
 どまったく省みない俊足の回避行動。

  それが災いした。

  五感、痛覚を除く全ての感覚が機体とリンクする【グラディエイト】。速さを感じる器官も例外ではなく、
 超速に慣れない一般人にとっては意識の追いつかぬ世界。

  それまで通常の速度で動いていたビデオが、急に五十二倍速で回りだしたようなものだ。誰だって
 目をまわし、引きづられる感覚に意識は朦朧とするだろう。

  慣れたものなら、ある程度の速さにも耐えられるが今回初めて味わった感覚に翔太がついてこれる
 はずがない。

  今、翔太は朦朧とする意識の中を彷徨い、とてもじゃないが【キリイ】を操作できる状況ではなかった。

『クッ!』

  こちらのことなぞさも知らず。カトブレパスは手を抜かず、次々と攻撃を放ってくる。

  三本の剣は鎌首をもたげ、じっくりとこちらに狙いをつけて放たれる。右へ左へと避けるものの、キリイ
 が逃げる範囲は徐々に狭まっていく。

  袈裟がけ、唐竹、右薙ぎ。逆袈裟、左切上げ、刺突。風逆、左薙ぎ、右切上げ。
 
  およそ考えられる限りの攻撃パターンが繰り出される。繰り出される剣戟は全てが重厚に染められ、
 一撃粉砕の威力をもっている。

  剣戟を避けるためには、意識が戻らない翔太のかわりにキリイが体を動かさねばならない。そしてま
 た、翔太は限界を超えた動きに意識を混濁させるという悪循環が生まれていた。

  キリイ内部に、処理しきれない余分なプログラムが「疲労」として溜まっていく。そして疲労がピークに
 達した時、キリイの身体能力は急激に下がり、動けなくなるのだ。 

『さあ、カトブレパスの猛撃によりキリイは追い詰められてきました。やはり、〈リアル〉がグラディエイトに
出るなど間違いだったのでしょうか?』

  司会者はわかりきった質問をした。

『そうですねえ、そもそも〈リアル〉がグラディエイトで勝ったという事実は缶詰ヒーローの十年という歴史
のなかでもありませんしね』

  既に観衆には、偉そうにうんちくを語る解説者の言葉など耳に入ってこない。矜持【カトブレパス】が、
 どんな方法で敵を叩きのめすのか爛々と見入っている。

  キリイは、なんとか翔太の意識を戻そうと呼びかける。

『おい! 起きろ! 私の体がどうなってもいいというのか!?」

  それでも翔太の意識は戻ってこない。

  キリイの疲労も限界に近づいていた。このままでは処理できずに溜まっているプログラムに押しつ
 ぶされてしまう。

  あと一度。あと一度避けるのが限界だった。それ以上はもう避けられない。避けたら決定的な隙を
 つくることになる。

  いまだ所定位置から動かぬカトブレパスは、頭を垂らしたまま、自身の尾から分かれた三本の剣を
 右、左。毅然と揺らめかせている。

  ―――瞬閃

  一本の剣が襲い掛かった。内に秘められた破壊衝動を全く感じさせぬ、ぞっとするほど滑らかな一本
 の殺意。

『ぬう!』

  寸での所で避ける。三尾は大理石の闘技場を抉り取りながら、やげて力尽きる。

  が、すぐに三尾はカトブレパスによって巻き取られる。そして鎌首をもたげ、もう狙いをつけ始めた。
 三つの刃が陽炎の如く揺らぐ。

  限界だった。

  あと一回は避けれるとタカをくくっていたキリイだが、避けた直度に「処理落ち」してしまってた。動作が
 鈍くなり、調子が下がっていく。

  体の間接部が悲鳴を上げ、いくつものエラーメッセージが自分の視界の端にウィンドウを開いて表示
 される。

≪プログラムエラー・強制終了≫

  ただそれだけの文字を最後に、一気に体から力が抜ける。視覚と姿勢制御機能だけが残り、他の聴覚
 などは失われる。腕が体の横に垂れた。

『おっとぉ! ここでキリイが『ダウン』した模様です!』

  司会者の言葉に観客は総立ちになった。処理落ち、『ダウン』は対戦相手にとって格好のチャンスで
 ある。相手は防御もできず、回避もできない。

  特撮ヒーロー番組の、敵キャラにヒーローが必殺技を打ち込む瞬間に似ている。

  カトブレパスの三尾は今まで以上に高い唸りを上げて空中を旋回しだした。遠心力による威力増加、
 叩き込まれたらキリイの体は残骸と化すだろう。

  二回、三回、回転は続く。その間もキリイは必死にサブCPUから指示を出し、プログラム【キリイ】を
 立ち上げようとしている。だが、間に合いそうも無かった。

  気味の良い切り裂き音。

  鋭く、今までのどれよりも研ぎ澄まされた一撃が迫る。視覚だけが残された状況で、迫り来る凶刃を
 キリイは見せられていた。

  が、

『ぬ?』

  キリイが疑問に困惑した。なぜなら三尾はキリイの体を砕くことなく、ことごとくが見当違いの方向へ
 外れたのだ。いや、相手が外したのだろう。

『奇跡! 偶然! まぐれ! なんということでしょう! キリイ、ゴングに救われました!』

  ようやくプログラムが立ち上がる。キリイは徐々に蘇る五感を感じていた。

  耳に届いてくるのは、スピーカーから流れる第一ラウンド終了の鐘と観客たちの落胆に沈んだため
 息であった。

  渦中でも、カトブレパスはただ一歩も動かず三尾を揺らしていた。



          」     」     」



  【グラディエイト】も格闘技である以上、ルールが細かく決められている。主な禁止事項は対戦相手を
 必要以上に傷つけることや、およそ危険とされる行為をすること。

  そして、もちろん休憩時間もある。十分三ラウンド。間に五分の小休憩を挟み、より対戦相手にダメー
 ジを与えるか、撃破すればグラディエイトは勝利となる。



  翔太は意識を朦朧とさせながら徐々に集う意識郡を感じていた。

(目が回る。かなり、いや、もうことばでは表せない。そういえば一体自分は何をしていただろうか。確か、
電気料金がカトブレパスで、いやいやちがう。カトブレパスが十二万円で……)

「って、違うだろ!」

  自分の思考に自分で突っ込み、翔太はスキーズブラズニル内で飛び起きた。ヘッドギアは外れている
 ため、ぼんやりと紅く灯る室内が目に入る。

『ようやく起きたか。こんの役立たずが』

  直後聞こえてきたのは、酷く気分を害したようなキリイの声。それきりキリイは黙ってしまい空調の喧騒
 が聞こえるだけだ。ようやく翔太は自分の身になにが起こったか理解した。

「そうか、俺は…」

  酔った。

  まさか缶詰ヒーローであれほどの感覚障害を起こすとは思っていなかった。意識を失い。すっかり伸び
 きっていたようである。なぜか恥ずかしかった。

  翔太はとりあえず現況を把握しようと、茫、と赤のみが照らし出すスキーズブラズニルのメインディス
 プレイを覗き込んだ。

  酷いものだった。たいして機械に強い翔太ではないが、おおよその意味ぐらいはわかる。

  ディスプレイは紅く綴られるアルファベットと、琥珀のような色を持つエラーマークが前面に現れては溶け
 る様に消えていく。

  猛烈な速さで処理されていくそれらは、翔太がダウンしていた際、キリイが回避行動を行うために必要
 としたプログラムである。

  翔太は恥ずかしさの理由がわかっていた。アレだけ大口を叩いておいて、肝心なところで自分は目を回し
 ていたのだ。情けない、情けなくて腹が立ってきた。

「なあ」

  翔太がスキーズブラズニル内の会話用マイクに、息を吐き出すように語りかける。

『なんだ』

  クールな電子音声。いまやプログラム上に自我が存在しているキリイの姿はないので表情はわからない
 が、怒っているように感じる。

  だがそれは気のせいだろう。キリイはいつものように氷の態度で振舞っている。

「勝てそうか?」

『……』

  無言。答えずとも、わかっているだろうという意味。

「そうか……」

  乗り出し気味だった体を、深くシートに沈める。後悔は無かった。もともと僥倖で参加したようなものだ。
 まして素人もいいところの翔太たちが勝てるはずがなかった。

  けれど、悔しかった。何もできない役立たずな自分が。

  とその時、

『いや…』

  躊躇いがちに流れる音声があった。

『手がないわけではない』

  苦渋の決断なのだろう、キリイにしては珍しく声に震えが混じっている。だが、手があるのなら黙って
 いる翔太ではない。

「なんだとっ!」

  雷鳴に打たれたように叫び、翔太は沈みかけていた腰を浮かせた。

『ワンラウンド戦ってみてわかったことがある………』

  キリイは、自らが収拾したデータを統合し、ある結論を出していた。

『あやつ、どうやら我らをいたぶるのが好きらしくてな…』

「と、いうと?」

『これを見よ』

  電子上で溜まったプログラムを処理する一方、キリイはディスプレイに【カトブレパス】との戦闘映
 像を出した。

  ウィンドウ型に映される映像は、先ほどの戦いを上空カメラで捉えた顛末だった。キリイ自身が操る
 【キリイ】がカトブレパスの攻撃を韋駄天の如く避けている。

『これを見て、何か気づくことはないか』

  しばし思考、特異な点がひとつ。カトブレパスのいる位置だ。

「こいつは、開始地点から一歩も動いていない」

  キリイは、満足そうに鼻で笑った。調子は変わらないが、興奮気味に語る。

『戦闘開始から一分、三分、六分、どれをみてもやつは身動きひとつとっておらん。これが、私がヤツ
の背後に回りこんだとき』

  場面が映り、三尾の追撃を避けるキリイの姿と、動かぬカトブレパスがいる。

『この時も、私が後ろにいるというのにやつは振り向こうともしておらん』

  確かにそれはおかしかった。キリイが後方に移動したことで、主視覚センサーで相手を捉えられ
 なくなったカトブレパスの攻撃が雑になっている。

  見えないのなら、「動いて」相手を確認すればいいというのに。

『これだけでも十分だが、もうひとつ根拠がある。こやつの姿を控え室で見たか?』

  いや、と翔太は呟くように答えた。記憶の糸を辿るが、視界の端に映った気配もない、そもそもあ
 れだけの巨体、気づかぬほうがおかしいだろう。

  控え室が狭くて入りきらないのではない。控え室はカトブレパスも悠々と入りきるスペースを備えて
 いるのだから。

  閃くようにある推理が浮かんだ。

「そうか、だからこいつは控えにいなかったんだな」

  カトブレパスが控えにいなかった理由、簡単だ。「うごけない」カトブレパスを選手控えに入れたら、
 特殊車両でもない限り運べなくなってしまう。

  おそらくカトブレパスは、直接試合会場に入場したのだろう。それこそ、特殊車両でも使って運び込
 まれたに違いない。控えにいないわけだ。

『我らがこのことを知らなかったの理由は、こやつより後に会場入りしたことにある』

  確かに、翔太が会場に辿りついたときには、既にカトブレパスは所定位置についていた。

  もう準備を終了しているものだから、翔太たちはてっきり、カトブレパスは動けるものだと錯覚していた。

『こやつが動けぬのなら……よいか、いまから言うことを頭に叩きこむのだ』

  やっと掴めた反撃の糸口、翔太の中で、目を回していた自分に対する怒りは風船が沈むように縮小し
 ていった。

「まかせろ、暗記は得意だ」

  不適に笑う。

  やがて、五分という短い時間が開けた。















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