缶詰ヒーロー











          38缶詰ナリ *  【Doom sayer】










  君香たちのグラディエイトが終わってから、かれこれ二十分以上が過ぎている。

  控え室に戻ってきた八坂と翔太はそれぞれ好きなように寛いでいたが、八坂は落ち着かないらしく
 膝を小刻みに揺らしては立ち上がることを繰り返している。

  彼の苛立ちの原因は君香がグラディエイト終了直後、報道関係に捕まってしまって未だ帰ってき
 ていないことにあるらしい。

  SSリーグの試合では世界各国からメディアが集っている。易々とは抜け出せないだろう。

  よって、缶詰ヒーローの人格に戦わせ、自分は処理演算を担当するという君香独自の戦い方につ
 いて詳しく知りたがっている八坂はそわそわしているらしい。
  
「本当に代替理論を実践できる人間がいるというだけで驚きだが……それだけの技術をいったい
どこで学んだんだ?」

  八坂の自問がまるでこちらに向けられたような気がして、壁にかかっていた絵画へ手を伸ばしかけ
 ていた翔太の手がすばやく引っ込む。

「び、びっくりさせんなッ! 心臓が不整脈を起こしたらどうする!」

  早鐘を打つ心臓の鼓動を抑えた右手で感じながら、翔太は冷や汗が止まらなかった。

(あと少しだったのに……)

  絵画だけでなく犯罪へも手を伸ばしかけていた翔太だったが、八坂のおかげでどうやら捕まる心配
 は無くなった。

  もっとも、このままの追い詰められた生活では他の物を盗もうとするのも時間の問題だろうが。

  先ほどの翔太の叫びも聞こえていなかったらしく、八坂は考えるときの癖で口元に手を当てながら
 うろうろ歩き回っている。

「だが待てよ。ここで他人の切り札を知ってしまったら、後々戦う時におもしろくないな……」

  喉を震わせて八坂は微笑む。身が竦むほど優しく語り掛ける姿はたまらなく魅力的だったが、それ
 以上に振りまかれる畏怖が強かった。

  というのは周囲に他人がいた場合に感じるモノ。

「今度は独り言か、やっぱり俺の周りは変人だらけなんだなぁ」

  どこか悟りを開いた翔太。翔太は八坂を別の意味でアブない奴だと思い込みこそすれ、恐怖を感じる
 ことは無かった。

  八坂の戦歴やグラディエイトを知っているものなら畏怖こそすれ、なにぶん翔太は八坂を怖れる理由
 を持ち合わせていない。そのことが重要だった。

  対峙するだけで相手を跪かせることすらこの男はできてしまいそうな……八坂の本質は本来そう
 である。

  ―――プルルル、プルルル

  控え室に備え付けの電話が鳴る。音によってようやく思考をやめた八坂が受話器を持ち上げると、
 部屋のスピーカーから音声が流れた。

『申し訳ありません。八坂さま、準備のほうはよろしいでしょうか?』

  恐れ多くも、と断るスピーカーからの声。気づけばもう三十分は経っている。次の試合が始まらない
 と観客の鬱憤も解放されないだろう。

  だが、途端に八坂はばつが悪そうに舌打ちをした。

「……俺の準備はいつでもできているんだが、もう少しだけ待てないか?」

  極度の緊張に耐え切れず、もう少し精神集中の時間が欲しい、というわけでは勿論無い。そうだと
 したら翔太はもっと八坂に親近感が沸いていただろう。

  なにを隠そう、肝心の缶詰ヒーローがまだ到着していないのだ。

  翔太が聞いていた限りではもう到着してもよさそうなものだが。一時間以上来ないというのはどうな
 のだろう。

  何かあったのか。もしくは…

「道に迷ってる、とかか?」

  だがその可能性は低いだろうと翔太自分で否定する。仮にも缶詰ヒーローなら、無駄だと思えるぐ
 らい内臓されている機能の中にGPSもあったはずだ。

  それで道に迷うのなら、よほどの方向音痴かドジだけである。

『当方でも八坂さまの缶詰ヒーローが来るまでお待ちしたいのもやまやまですが、先ほどの試合が予定
より早く終わったために時間が非常に巻いておりまして…』

  電話越しの声が苦渋に満ちている。オペレーターが首を左右に振る様まで見えてきそうだった。

  結果も予想外なら時間も予想外だったのだろう。皮肉にも君香があまりにも早くバロールを倒してい
 たがために、観客の中からポツポツ不満が漏れ始めているという。

「そうか…なら仕方ない……」

「? なにかいい考えでもあるのか?」

  自身に満ちている八坂が気になって思わず尋ねると、グラディエイトの覇者は当然だと答えて大き
 く頷いた。

  八坂は咳払いして受話器に口を近づける。どんな名案が出てくるのだろう、と翔太も気になったの
 で耳を傾けていた。

  が、そこで誰もが耳を疑うアイディアが控え室の壁という壁に乱反射した。

「棄権する」

  それ以外に可能性などないというほど率直に、切れ味のよい刃物でストンと野菜を切ったときの
 ように軽快な口調だったせいで誰もが耳よりもまず頭を疑った。

『……ハ? 今なんと?』

  きょとんとした調子をそのままにオペレーターが聞き返す。八坂は夕暮れと暗雲が近づいてくる窓
 の外を眺めるだけで、微塵も動じていない。

「棄権だ。あいつが来ない以上、当然グラディエイトなんかできない。なら棄権するしかないだろう?」

『は、いえ、ですが、しかし…』

  それこそ暴動が起きそうなものだった。

  観客は君香たちの試合を前菜として扱いこそすれ、やっぱりメインを楽しみに高いチケットを買って
 までこの会場に集っているのだ。

  まして未だ無敗、加えて今年も連覇を期待される八坂 照雅が棄権ということで初の負け星をつける
 と知ったら…いったいどうなるのか誰にも予想できない。

『そんな、ここで連覇記録が途切れてもかまわないんですか?』

  暴動に荒れ狂う会場、なんてことを考えてしまったのだろう。オペレーターは涙声で嘆願する。
 
  電話の向こう側にも八坂・棄権の事態が伝わったようで慌しく人が動く気配がする。なんとかして
 棄権を取りやめさせろ、という怒声すら聞こえてくるぐらいだ。

  しかしそんな説得など無意味。缶詰ヒーローがいないなら八坂がグラディエイトに出場するという
 こと自体不可能。

  第一、当人が棄権することに後悔していない様子なのだ。

  八坂は穏やかに眼を閉じた。

「おい、本当に棄権するのか。確か連覇記録更新とかいわれてるんじゃなかったのか?」

  別に八坂がどうしようが興味ないとはいえ、あまりにも淡白な八坂の態度が本物のグラディエイト
 覇者だとは思えなくて疑問が湧き出る。

  翔太がこれまで見てきた、なにかしらのチャンピオンというのは自分の地位を守ることに躍起な
 人間達だったのに、八坂は何かが違う。

「人が作ったモノは全て風化してしまう。所詮忘れ去られる記録なら、今ここでなんといわれようが構
わないだろう? 俺の強さと誇りは、後にも先にもただ俺一人が知っているだけでいい」

  言い切る言葉には塵芥ほどの躊躇いも悲観も無く、ただ本当にそうであればいいという願い。曇り
 ようもない王者たる威厳が自然と漂っていた。

  八坂は棄権の旨を丁重に伝えて受話器を置く。

  が、会場中、ひいては世界中の人々の声を代表するような怒声が轟いたのはまさにその時だった。

「遅いと思って訪ねれば、棄権ッ!? ふざけるなッッ!!! 」

  流暢な日本語だが、聞き慣れないイントネーションと烈火の如き怒りがビシビシと入り口から伝わっ
 くる。

  翔太は自分が悪いわけでもないのに、知らず背筋を伸ばしてしまっていた。おっかなびっくりドアの
 前に立つ人物を眼に入れる。

  翔太は最初に鬼が来たと思った。目は血走り、眉間には青筋が浮いて、覗く犬歯がここからでも
 はっきり見える。

  だがその人物は平時なら十二分に美しい女性だった。パンジャビスーツから覗える浅黒い肌はきめ
 細かく艶やかで、女性らしい丸みが引き締まった肉体に宿っている。

  今は整った眉も険しく歪められて、黒い瞳には炎が燃え盛っているが、祖国インドの地では美と舞踊
 の神が現世に光臨したと呼ばれるほどの女性。

  インドが誇るチーム≪輪廻サンサーラ≫が長。

  彼女こそ八坂の対戦相手、缶詰ヒーロー【シヴァ】の操舵者であるナタラージャであった。

「ナタラージャか、盗み聞きとは性質が悪い。それよりどうかしたのか? 顔が真っ赤だが、風邪か?」

  冷ややかに侮辱する八坂の言葉で、よりいっそう顔が怖くなる。

(またおかしな奴が一人増えた……)

  翔太は何故面倒ごとが起こる前に帰らなかったのかと猛烈に後悔した。しかし、厄介ごとというのは
 いつだって準備が終わらないうちにやってくる。

  だからこそ、厄介なのだ。

「私は怒っている! 折角今日という日のために、キサマを倒すためだけに毎日訓練してきたという
のに、それを…棄権ッ!? そんなこと私が許しはしないッ!」 

「落ち着け。そう気を立てるな」

  まぁまぁと両手で落ち着かせようとするが、いささか上手くいかない。むしろ八坂の行動が彼女の
 怒りを煽動しているようだった。

  もうナタラージャは怒りのせいで言葉を失っている。肩だけが大きく上下して、彼女の激怒がどれほど
 強いかを物語っていた。

  さすがに八坂も参ってしまったようで、やれやれと肩を落す。

「一ついわせてもらうがな、お前は俺に何回敗れたと思っている? 五年前にお前を完膚無きまで叩き
のめしてから、事あるごとにやり合ってきたんだぞ」

「たとえ敗れても心は負けていない。失ったモノを取り返すまでは祖国の地を踏まないッ!」

  彼女の怒り、そして恨みの粘着性を見る限りでしか判断できないが、当時の八坂は文字通り完膚
 無きまでに叩きのめしたのだろう。

  それこそ、相手のプライドをズタズタに引き裂いて恨みを買うぐらいには。

「くだらないプライドだ。すっかり日本語が上手くなるまで居続けて、俺に勝てないということはお前が
一番よく知っているだろう?」

「だからこそ、今日この場で決着をつけようとしているッ!」

  紛うことなく、ナタラージャの決意本気だった。

  相当強い思いがなければここまで出来ないだろう。たとえそれが良くても悪くても、何人も彼女を揺る
 がすことはできない。ただ一人八坂の除いて。

  だが、あくまで八坂は王者として君臨していた。

「そこまでいうなら俺もいうが、正直お前の強さはよくわかっている。そして今のお前が五年前から全く
成長していないということもだ。俺の興味の対象は最早お前にはない」

「―――ッッ!!!」

  ぎり、とナタラージャが握った手が普段よりは白く変わる。強く握りすぎたせいで血が回らないのだ。

  仮にもSSリーグの最終決戦。その対戦相手に興味がないといわれれば致し方ないだろう。

  ただひたすらこの場から逃げ出したくてしょうがない翔太。会話の断片から、八坂の狙いがある程度
 わかってきた。

  何が狙いかは明確にわからないけれども、八坂は明らかにナタラージャを怒らせようとしている。怒り
 は動揺を生み、また心にも大きな隙を作る。

  八坂はその隙を見逃さない。どれだけ小さなひび割れでも、大きく広げる術を知っている男なのだ。

「そうだな、どうしても俺と戦いたいというのなら。戦ってやらんでもない」

「…な……に?」

  提案という形で相手をコントロールする八坂の狙い通り、ナタラージャは食いついてきた。

  何故、と問うた時点で彼女は心理戦で負けていることに気づいていない。

  八坂の口元が楽しげに歪んで、こっそりドアから出ようとしていた翔太へ指が差された。

「あそこにいる、石若 翔太に勝つことができたならもう一度お前と戦ってもいい。だが、それ以外では
二度とお前とは戦わない。翔太に負けても同じだ」

「な、なに勝手に決めてんだお前はッ!」

「どうするナタラージャ。チャンスを選ぶ権利はお前にあるんだぞ?」

  しかし翔太の言葉は虚しくスルーされる。

「この男と……?」

  じろじろとナタラージャに足元から頭の先まで見詰められ、品定めされているようで嫌な気分になっ
 たが文句もいう暇がない。

  どうして初対面の、しかも外人にこうまで見詰められなければならないのか。翔太はどこから自分
 の人生がおかしくなり始めたのか確認してしまう。

  第一、自分なんかをグラディエイトのトップレベルの操舵者たちが知りようはずが無い。

  上から、下へ。下から、上へ。二度ほど視線が体を行き過ぎただろうか。

  突然、翔太の顔で止まったナタラージャの眼に驚愕の光が浮かんだ。

「たしか、現世型リアル伝説型レジェンドを倒したという男……いいぞ、戦ってやる。いま、ここでか?」

「あせるな。こいつだって今は缶詰ヒーローがいない」

  どうやら翔太は戦う価値ありと判断されたようだが、やはり翔太の意見は関係なく二人だけで話が
 進む。

「近いうちにもっとふさわしい舞台があるだろう? それで決着をつける」

「"アレ"で? 確かにいい、けれど"アレ"は招待状が無ければ無理だ。しかも勝ち残らなければ…」 

「おい、お前ら、俺の意思は?」

「こいつが負けるはずがない。だが招待状か……まあいい、届かなかったなら捏造でもなんでもす
ればいいだろう」

「わかった。ただ目前になって逃げるのは許さない」

「聞いてんのか?」

「俺は絶対届くと思うが、万一のために別の手段も考えておこう」

「やる以上は私も全力だ。手加減はないと思っておけ」

「聞いてねぇ、よな……」

  アレ、だの、招待状、だの見当のつけようもない単語が織り交ぜられた会話がこうして終わる。

  結局、翔太にはなにが起こっているのかもわからないままだった。

  唯一わかっていることは、責任者が試合はナタラージャの不戦勝だと観客に伝えたときに、どう
 にか奇跡的に暴動は起きなかったというだけだ。











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