缶詰ヒーロー











       31缶詰ナリ *  【Unlimited Cherry Blossom】









  この世で記憶とはどういうものか、誰が定義づけられるだろうか。

  経験、知識、人間関係、それら全てが形作るのが記憶である。これなくして思い出はなく、過去というも
 のは存在しない。

  ならば、個人とはなんなのか。

  個人の性格というものは記憶と同じようにこれまでに培った経験から誕生する個性である。つまり、記憶
 なくして個性は無く、個性なくして記憶はない。

  人が記憶を造るのか、記憶が人を造るのか。まるで鶏と卵のような問題が存在するのだ。

  紅く照らされるスキーズブラズニル内。翔太は今日だけで起こったこと、それ以前から起こったことを思い
 出していた。

  キリイと出会い、戦い、タマゴとの確執、君香の涙、在り得ない痛み、赤毛の男との条件。

  あの、映像―――。

  一瞬だけ蘇った映像と音声、もう、はっきりと思い出せない。うっかりと沼に金貨を落した時のように、手で
 探ろうとしても金貨はどんどん沈み、もう届かない。

「くそっ…」

  小さく、独り言より小さく呟く。拳を握る力が自然と入り、掌がぎちぎちと音を立てる。

  アレは、なんだ。果たして過去だったのか、疲れが見せた白昼夢か、どちらにせよ現実感がない。

  もうすぐ戦闘が始まる。それも、事実上、人一人の人生が賭かったようなものだ。負けられるわけがない、
 が、このままでは散々な結果になることは翔太自身よくわかっていた。
 
  あの時は君香を励ますために強がって見せたが、翔太の体はやはり限界だった。まだ大丈夫だと思って
 いたが、無理だと体中が悲鳴をあげる。

  投げやりに体を背もたれに預け、翔太はため息を吐いた。

  そうしてみると、本当にこの箱の中は静かだった。会場の歓声などはよく見える、だが、音は入ってこない。

  だからこそよく聞こえた。いつもはうるさい筈のキリイまでもが黙り込んでいることに。

  先ほどから気づいていたが、どうしたというのだろうか。と思った瞬間、憮然とした声が聞こえた。

『……一つ、訊ねておきたい…』

  たった今まで呻き声一つあげなかったキリイが突然喋りだすものだから、翔太はいささか訝しげに眉根を寄
 せて応じる。

「なんだよ…文句でもいう気か?」

  観戦途中、一方的に呼び寄せたのだ。キリイが不満でもいうのかと思って、翔太はまだ若干鈍い思考で
 応じる。

『茶化すな、真面目な話をしようというのだ』

  キリイは平時の冷静など幻であるかの如く弱々しく、神妙な声色で電子上から呼びかけてくる。

  戦闘開始前。残り僅かな時間をたっぷり使ってキリイは語りだした。硬い決意を語るように、だが今にも
 消えゆく火を灯した蝋燭のように。

『……私は、なんだ?』

「なんだっていわれてもな…」

  翔太は翔太なりに真剣なキリイに圧されてそれなりの心の準備をしていたが、驚くほど簡単な質問だっ
 たので無意識に呆れてしまった。

「つーかお前はそんなことで悩んでいたのか? …というか、悩むなんてことが似合わねえな」

『な、なんだとッ! 私は恥を忍び、本気で聞いたのだぞ!?』

  憤慨しているキリイ。もし生身の体をもっていたなら、頬でも赤く染めていただろう。

  翔太はそんな光景を思い浮かべて、思わず笑いが漏れてしまった。そして、翔太は答える。

「お前は缶詰ヒーローだよ、間違いなくな」

『………いや…やはり、そうか…』

  何が不満か翔太にはわからなかったが、キリイは声のトーンをやや落した。

  そして、当然付け加えるべき一言をいい放つ。

「しかも、とびきりムカつく、な。おかげでお前が機械人形だなんてことはよく忘れちまうよ。このアホ」

  それは紛れもない本心から生まれた言葉だった。

  缶詰ヒーローが人気を保ち続けるわけ。ただの玩具と違い、長い間愛着を持って親しまれるのは、
 一個人としての個性があるからだ。

  今なら翔太にもわかる。これほどまで人間として性格が造られるのなら、缶詰ヒーローは家族同然
 に扱われてもおかしくない。翔太は本気でキリイに腹を立てることもあるが、それはお互い様だ。

  そして、

『ふ、ふははッ! なるほどっ、そうきたか!』

  突然、キリイは笑い出した。

『ははは、そうか、そうなのか……いや、いいだろう、今のところはその答えで納得してやるとしよう』

  いきなり笑い出したから、翔太はこいつ頭がイカれたのではないかと本気で心配したが、どうやら
 大丈夫だったらしい。

  なにより、弱々しかった声は張りを取り戻し、声には傍若無人さが戻ってきている。

『本当におぬしはおかしな男よ。おぬしと話しておると悩んでいた私が馬鹿みたいだぞ……』

  その声は小さく、翔太に届くことは決してなかった。

  が、次の瞬間キリイは電子音声で嘲った笑いを起こした。

『全く、おぬしのような阿呆を主人とした私は日々悩むことがあり大変なのだぞ。今度からは私に労わりの
心をもって接することを推進しようではないか』

  まるで先ほどまでが嘘のように、キリイは毒舌っぷりを発揮させた。

  そしてこれに黙っている翔太ではない。いささかカチンと頭にきたので、相応にいい返してやる。

「はん、寝言は寝て言え、ふざけた事は部屋の中でいってな。こっちだって大変なんだよ」

『ほう、おぬしが大変? 大方、女に金をつぎ込んで一文無しにでもなったというところか?』

「んなわけあるかこの鉄屑。一度リサイクルされたほうが世の中のために有効活用されるだろうよ」

  会話は協調性の欠片もなく知らぬものが見たならば彼らの負けを確信しただろう。

  だが、翔太たちの中にもはや落ち込みや余念は見当たらず、どこまでも透き通る意志が燃え盛っていた。

  翔太は背もたれにゆっくりと寄りかかった。

  追い詰められた状況で、体調も最悪。痛みの余韻は僅かに残っているし、眼前の敵は体格を一層巨大に
 見せるなにかが覆っている。

  だが、絶望的といってもいい状況にありながら、今なら全てが上手くいく気がし始めていた。

  原因はすぐに思い当たった。キリイだ。キリイと普段どおりの口喧嘩したからこうなったのだ、と思う。

  キリイと喧嘩すると、小さな悩みなどどうでもよくなる。今回は決して小さくなどないのだが、小気味いいま
 での応酬が翔太のなかである種の踏ん切りをつけさせた。

  とりあえず悩むのは止めた。わからないものはわからないのだ。あの映像と声がなんであろうと、今この
 場には関係がない。あの映像の残滓は後で考えればいい、それよりも優先するのはこの戦いだ。
 
  なんといっても、君香がかかっている。そして、勝利の暁には若干の資金が手に入るのだ。

  もう、負ける気がしない。というか負けない。

「作戦は?」

『決まっている。あやつの口を開いたままにしてやろう』

「は、いい考えだ。なら……」


            #             #             #



『初めっッ!!!』

  会場に設置されたサラウンドスピーカーから戦闘開始の合図が零れ落ちた瞬間。

  観客が雄叫びをあげるその数瞬前に、ケルベロスがとてつもない速さで動いた。おそらくスピードだけな
 ら缶詰ヒーローの中でもトップクラス。

  キリイと距離を取ると、即座に三つある頭部を下に、逆に尾の部分を高く掲げた。

  その尾と三つの口に付けられた小型荷電粒子砲、さらに体の各部に内蔵されていた炸裂成形弾を搭載
 したランチャーが全て開放された。

  初めから全力。獅子が兎を全力で狩るとか、そういう次元ですらない。白蟻が、人間にとってただ目障り
 な存在でしかないように、圧倒的な力で害虫を駆逐する。

  そこに自分が負けるという考えは微塵も無く、気持ち悪い昆虫は即座に屠る。人が虫を殺すとき、まして
 それが嫌悪の対象であるときは全力で殺そうとする。

  そういう力の象徴だった。

  キリイは動けない、動かない。ただじっと力の嵐を見詰めていた。

  時間にしては一秒に満たなかったのに、会場の観客には見えただろう。

  小型の砲に、赤紫色の荷電粒子が集っていく。やがてそれは紅い粒子となり、絶対の破壊をもたらす
 光となる。

  破滅の光が集束する一方で、全開放されたランチャーから丸い弾頭が少しずつ、ゆっくりとその身を露
 にしていく。

  瞬間、ごう、とも、がっ、とも聞こえる音が聞こえた。

  光はなによりも速い。この真理に従って、まずキリイが佇んでいた場所に四本の光の奔流が襲い掛か
 った。光の到達点は融解し、白く発光しながらエネルギーを爆発させる。

  これで、闘技場の石版が空中に多くの塵と爆煙を巻き起こした。

  少し遅れて、計数百発はあろうかという爆発成形弾が到達する。一つ一つの威力は少ないながらも、
 全弾当たればビルなど跡形も無く倒壊させる威力があった。

  凄まじい爆炎と疾風。闘技場四隅に設置された搭から展開される電磁シールドがあるとはいえ、観客席
 にまで届きそうな熱と音の束。

  わっ、と会場全体が沸いた。圧倒的な力による、圧倒的な完殺がもたらす魔性の魅力。

  三秒の時点で、司会者が置いていかれぬように絶叫迸るアナウンスを実行する。

『これは、なんということか!! 余りに圧倒的、余りに開いた実力の差! これが……ッ!!!』

  四秒。

  立ち込めたまま当分消えない煙の横に、ポンと穴が開いた。煙に穴が開くということは動いた物体がある
 ことの証明であった。

  反対側からは見えなかっただろうが、ちょうど指定席の側からは見えた。

  銀と見紛うほど白い特殊繊維の上衣。闇よりもなお暗い袴。この袴よりもなお黒く美しい髪を持つ影が、腰
 に帯びた刀の柄に手をかけて飛び出てきた映像。

  衣装に乱れこそあるものの、機動面での故障もなさげに前方へ疾走する。

  五秒。

  異変に気づいたケルベロスがようやくキリイの姿を確認した。機械の六眸にまでも驚愕がはっきりと現わ
 れていたが、歴戦を闘ってきた者の経験によって一瞬の迷いなどすぐ消える。

  スピードに分があると読んだケルベロスが退こうと全身の人工筋肉から運動エネルギーを搾り出そうとし
 た時には、もうキリイが眼前にまで迫っていた。

  六秒。

  会場の誰もついてこれない状況の中、【キリイ】はそっと、まるで慈しむような仕草で抜刀した。

  ここから四秒の間。人々はただ桜の花びらが舞ったという事実しか認識できない。

  七秒。

  抜刀した刀はケルベロスを逃すことなく両断する。まずこれで何枚かの装甲板と細かい部品が宙を舞
 った。それは光に反射して、花弁の如く振舞っている。

  キリイの攻撃は止まらない。回転の勢いを利用して、そのままもう一回転。また回転。三度斬りつけた
 かと思うとまた回転を繰り返す。

  異常なバランスと速度。以前体験していなければついていけない世界だった。

  そして翔太は経験している。ジャンヌという騎士型缶詰ヒーローとの戦闘で使ったものと全く同じ原理だ
 った。システムを限界まで駆使し、強力な回転で斬りつける。

  八秒、九秒、十秒―――。

  一秒ごとに花弁は無数に増え、闘技場の空間にきらきらと煌くパーツが美しく舞い上がる。

  そして十一秒。

  遂にキリイの回転が止まった。悠然と、斬りつけた相手など確認せず、刀を振って鞘に戻す。

  瞬く速度に観客も司会者も、時すらついてこれなかったのかもしれない。息を呑む音も聞こえず、 ただ
 照明に照り輝く銀の桜花が舞い散る。

  魔犬を斬り伏せた武士は、無限の桜花に包まれ勝利と共に佇んだ。










       SEE YOU NEXT 『My Lord』 or 『From inferno




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