缶詰ヒーロー






  熊谷が会場の責任者と話をつけたことで実現したSSリーグ会場をそっくりそのまま使用可能となった。

  なにより驚くべきは、熊谷のたった一言でSSリーグの会場をそっくり使えるようになったことだが、まだ
 若干朦朧とする意識で考えるのには複雑だった。

  それなら目前に迫った戦いに集中するほうが効率的である。

  闘技者専用舞台<スキーズブラズニル>。

  薄ぼんやりと紅い照明が照らす個室で、翔太は備え付けのヘッドギアから得られる情報を右から左へ
 受け止めて行った。

  視界を覆うフェイス・マウント・ディスプレイに表示されるカウントダウン。

≪五感リンク・オールコンプリート…戦闘開始まで残り300秒……≫

  複雑に練りこまれた合成音声が頭に届く。戦闘前だというのに、キリイと翔太は互いに無言。

  あの後、熊谷が呼んで来たキリイはいつも通りの態度こそとっていたものの、心に影を落した仕草が
 時折現われた。

  なにかあったことは間違いない、と思う。

  かといってどう訊ねればよいかわからなかったし、気力はもとよりなかった。

  キリイが悩むのなら、それは所詮他人事であって自分の悩みではない。他人に語って解決しない
 悩みがあることも事実で、語る語らぬは当人の自由。

  無理に近付けば相手を引き裂き、返る刃でこちらも傷つく。

  なにより、翔太自身、過去と思われる映像の陽炎を掴もうと必死で、周囲に構うだけの余裕も無か
 った。








       30缶詰ナリ *  【From inferno】








  SSリーグの闘いが終わったあとでも、会場内に残っていた人々は結構な数に昇った。

  滅多な事態を一目見ようと残った者、また、闘う者たちの名を知っていた者。理由は様々だが、空席が
 目立たないほどの人員数が残っているのは事実だった。

  闘技場中央部で向かい合うのは威嚇を繰り返す一体の獣と流水の如く構えた一体の侍。

  闘いが始まるほんの少し前の時間帯は、ざわめく心と時間が互いに反発しあい不思議な高揚感と喜悦
 を生む。

『え、えっと……というわけでもうすぐ始まる戦いだが、と、とにかく盛り上がっていこうぜぇい!!!』

  急遽駆り出されたMCが戸惑いながらも場を盛り上げる。

  もとより興奮冷めやらぬ会場内だったせいか、それだけで沸点ギリギリまで近づいてくれる。観衆のテン
 ションが上がれば上がるだけ充足感は会場を満たす。

  勝敗の行方を予測する者達は惜しげもなく知識を披露し合い憶測を飛ばす。熱中して会話を交わす言葉
 の中に、聞き覚えのある単語が行き来する。

「おい、あのキリイっていう奴はなんなんだ? 見たところ〈リアル〉タイプ。負けは確実かな…」

「なんだよお前、知らないのか? あいつは前にあの<レジェンド>タイプに勝ってるんだぜ」

「はぁ? それはいくらなんでも嘘だろ……? 仮に本当だとしても、相手はバルバロイだぞ? 無理に決ま
ってる」

「まあ、そのあたりは見てればわかるさ。きっとな」

  以前からの、たった一度きりの記録に残る活躍と、非公式な一戦を知る者。

  知る者は知らぬ者の呼び水となり、波紋となってキリイのことが認知されていく。

  しかしそれでも、あまりに高レベルの闘いが後ということもあってか、人々の中には今から行なわれる
 戦いなど余興程度だと決め付けている者も多い。

  彼らの視線が行き着く先には、夜闇を取り込んだが如き漆黒の髪を持つ侍と、地獄で生じた闇を装甲板
 に刻み込んだような体躯を持つ三つ頭の犬獣。

  鋼鉄の侍と対する犬は、まさしく獣と形容するほどの巨躯だった。とはいっても、実際の犬からすればと
 いう意味だが、それでも十分巨大。立ち上がれば、二メートルはゆうに超えるだろう。

  ケルベロス。公式記録における戦績は25戦 23勝 1敗 1引き分けという栄えある結果。

  圧倒的な自負からか、特徴的な三つの頭に供えられた計六つの電子眼は最早対峙する女の侍など捉え
 ていない。

  視線は遥か先、指定席に座る日本人の顔立ちに金髪をマッチさせた女性を貫かんばかりに凝視していた。

  番犬の舐めあげる気迫に圧されてか、君香は胸の前で手を組んで目を閉じた。恐怖、焦燥、それと揺ぎ
 無い信頼が彼女の中で蠢きせめぎ合う。

「怖いのかい?」

「……えッ…」

  傍らで不動明王さながらに座す熊谷が、会場に目を配らせながら声をかける。君香は冷や水を浴びせら
 れたみたいに仰天してしまう。

  意識しようと、しまいと、彼女の中で追い詰められた状況は消せることはない。

  ―――なによりこれは……

  どうとも答えられず、ただただ呆然と熊谷を見詰める君香。普段の芯が強い彼女とは違う。少女の面影
 を顕著にする君香に微笑を向け、熊谷は言葉と意味を変えてもう一度問うた。

「君は、捨てられそうな子猫のように震えながらも翔太くんを信頼している。だから、その震えは赤毛の男と
した約束なんかにではなく、もっと違う事柄に対しての恐怖……」

  問いではなく確認、疑問ではなく確信。

「違うかい?」

  瞬転して、君香は小さく息を呑んだ。どうやら、本当に図星らしい。

  そしてそれは、

「―――……翔太くんだね?」

「ッ!!!」

  今度こそ、君香は驚愕で目を開き息を呑む。可憐な虹彩に映るのは幾重もの疑問色。どうしてわか
 るのか、と。

  わかりやすい態度をとれば誰でもわかるものだが、熊谷は拳を口元にあてて軽くおどけてみせた。

「ま、これでも君の二倍は長く生きているからね……」

  いって、頬骨の辺り人差し指で掻きながら、熊谷は力強い視線を君香に向けた。彼の態度に一欠片の
 不純はなく、あるのは眩いばかりの経験の差だった。

「君の問題だろうから、僕からは何もいわないでおこう。いや、いえることなんかなにもないんだが」

「……すいません…私からは、なにもいえないんです…まだ」

  まだ、とはいっても決して君香が話さないことを熊谷は直感で悟った。

  が、視線を落して心底申し訳なさそうに頭を下げる君香を見ているとまるで、こちらが悪人になったみた
 いで罪悪感がこみ上げてしまう。

「まぁまぁ、話したい時に話してくれればいいさ。お? どうやら始まるみたいだ」

  一人嘯きながら、熊谷は会場を指差した。つられて、君香もそちらに顔を向ける。

  戦闘開始を告げるカウントダウンが既に十を切っていた。

  シヴァとスサノオの戦いの後、やはり観客の沸き具合は高いとはいえない。それでも、彼らの期待に
 濡れそぼった瞳が全てを語る。

  何を思い、何が集い、何に馳せるか。

  疑問を持つものなど何処にもなく、人々の思念は混じりあい、一つの混沌となって会場を包んでいた。

  熊谷はそっと隣に座す姫君を盗み見た。身を乗り出すように、君香は何の疑念も持たずに彼の青年に
 視線を向けている。純粋に、観客と同じようにただ純粋に。

「……本当に疑っていないのだな…」

  言葉以上に深いモノを含み、熊谷は呟いた。

  君香は呟きに気づかない。当然会場の誰も気づかない。

  熊谷がいった言葉の本当の意味を。

  会場を右からぐるりと見回して、失望を感じさせるため息を吐いて熊谷は首を左右に振った。

「狂ったシステムが完成しつつある、ということか……ただの娯楽が、核にも勝る兵器となりつつあるじゃ
ないか」

  熊谷と同じ考えを持つ者がこの会場にいったい何人いるか。よくて二人、悪くても一人はいるかもし
 れない。

  僅か十秒の思念でありながら、幾星霜もかけて紡ぎだされる想念の渦は誰にも知られること無く消え
 ていく。

  観客が沸くと同時、戦闘開始のゴングは鳴る。

  全く同じ空間にいながら、この会場からは三つため息が漏れたことを知る者は誰もいない。









       SEE YOU NEXT 『Unlimited Cherry Blossom』 or 『Phantom pain




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