缶詰ヒーロー











       27缶詰ナリ *  【Phantom pain】









  どうしてこんなに息苦しいのか。走っているからだ。なぜ走っているのか。それは眼の前をいく人物
 に追いつくため。

  久しく動かしていない体のあちこちが抗議をするが、翔太は無理やり捻じ伏せて走り続ける。

「来ないでよッ!」

  通路全てに響き渡るのではないかという悲鳴に、翔太は一瞬たじろぐが、走る速度は落とさない。

「ちょっと待てっていってんだろ!? 人の話は聞けよ!!!」

  翔太の数メートル先を走る君香は、脱兎の如き速度で逃げるため、翔太がどれほど速く走ろうと追
 いつくことができないでいた。

  呼吸は乱れ、息苦しさはピークへ上り詰める。もう走っているのは誰の意志なのかさえわからない。

「なんで追いかけてくるのッ!?」

「なんでってお前が絶対誤解してるからだろうが!!!」

「誤解なんかしてないッ!」

  喚きながら薄暗い通路を走る二人。傍目にどれほど奇妙に見られようと、翔太は構わなかった。
 ここで誤解を解いておかなければ、取り返しのつかないことになる。

  漠然とした不安が胸中に宿っていた。

「いいじゃない! 私のことなんか放っておいて、翔太君はとなりにいた彼女といっしょに試合観戦でも
してればッ!?」

  薔薇数千本分の棘のある物言いに、翔太の心は罪悪感で気詰まりになる。

(っていうか彼女……?)

  ここ久しく縁のなかった単語に、翔太は息を切らしながら思案する。脳内ネットワークはフルに酷使
 され、心当たりを絞り込み検索していく。

  隣にいた+女+彼女+試合観戦=巫女。

(あいつかァ!)

  翔太の脳裏にとんでもない重さの巫女が浮かび上がった。

「それが間違いだっていってんだろうがッ! あいつはそもそも人間じゃない! 缶詰ヒーローだぞ!?」

「え?」

  流石に予想外だったのか、僅かばかり君香の速度が鈍る。

「で、でも…私が誘ったのを断ったよね!? ならどうしてここにいるの!?」

「事情も知らないくせに好き勝手いうな!」

  元々興味もなかったのに、職権乱用の名の下に借り出された挙句、まるで昼ドラのような修羅場を
 迎える羽目になった翔太の苦悩は確かに一理ある。

  それに、最近ようやく話をするようになった仲なのに、平然とデート紛いなことをするのは翔太としても
 あまり好きではない。

  そう、自分と君香はいわば知り合ったばかりなのだ。話こそなんとかするが、苦手な印象は消えない。

  だが、君香はまるで旧知であるかのように翔太を誘ってきていた。それが、翔太の心に引っかかりを
 与えているという複雑な事情がないわけではないのだ。

「とりあえず待てよッ!」

  君香が一瞬速度を落したことが功を奏し、ようやく追いつき、翔太は君香の腕を掴むことに成功する。

  多少乱暴ながらも、腕を捻らせてこちらを向かせる。ともかく、このままじゃまともに話すらできそうも
 なかった。

  だが、君香はキッと翔太を睨みつける。

「事情!? 事情ってなに!? 翔太くんは、どうせ―――…どうせ私が憎いんでしょう!?」

「…は?」

  思わず腕から力が抜け、君香を解放してしまう。それだけ、君香のいった言葉に力があった。

  理解できない。君香がいうには、自分が君香のことを『嫌い』なのではなく『憎い』のだという。
 前者は理解できるとして、どうして一足飛びに憎しみという感情までいかなければならないのか?

  だが、翔太には心当たりがないわけではなかった。

  力が抜けたことをチャンスとみたのか、君香は踵を返してまたもや走り出そうとする。

「待てっていってるだろ!」

  なんとか正気を取り戻し、翔太は再び君香の腕を掴み、一寸の間もなく君香を振り向かせる。

  刹那、翔太は呼吸することすら忘れた。

  先ほどまでの憤怒に塗れた表情は既に君香にはなく、代わりに、幼い、ほんとうに幼い子供が見せ
 るような、泣き顔があった。

「…ごめんなさい」

  視線を逸らしながら、君香が謝罪の言霊を紡ぐ。涙を堪えようとするも止まらないようで、なにか言葉
 をかけなければと翔太が口を開きかけた、刹那。

  ―――ごめんなさいっ

「ッ!」

  どういうわけか、何故なのか、脳裏に鮮明な画像が浮かび上がる。黄色い世界、真紅の大地、紫が
 触手を伸ばし始めた蒼穹、立ち竦む彼女、泣いている女の子、ありったけの絶望。

  網膜に焼き付けられた映像に体を強張らせる翔太だったが、君香は異変に気づかなかったようで、
 うな垂れた視線の先に言葉を落す。

「……ほんとうは私がこんなこといえる権利なんてないのにね………勝手に取り乱して、逆恨みして…
ごめんなさい……ほんとうにごめんなさい……」

「い、いや、俺は…俺が………」

  翔太は刹那浮かび上がった記憶の残滓に翻弄されながら、茫漠と君香の顔を見続けていた。

  謝る君香の両の瞳からは、ぽろぽろ、ぽろぽろと、永遠とも思える時間、涙が零れていく。それは全て
 を洗い流すように、しがらみも、痛みも、過去も、未来も。

  全てを……涙が。





  ―――ズギィィィ!!!





「ぐ…ぁ……」

  激痛。

  コンマ秒前までは何の兆候も見せなかった頭痛と、右手の痛みが初めからそこにあったように
 溢れ出した。

  しかも、これまでの比ではない。以前から、いや、君香と出会ってから何度かこの痛みはあった。

  だが、これは、あまりに、強烈過ぎる。

  脳細胞が焼かれていく、右手が金槌で打ち砕かれるような、限りなくそれに近い痛み。何度も、何度
 も、痛みは絶えず思考を貪り始める。

「…ぐ……痛ぅ…」

  頭を抱え、なんとか壁に寄りかかったところで体勢が崩れる。意識が白く染まっていく、世界が暗転
 する。侵食される、宵闇の光に。

  激痛の最中、突如として頭の中に浮かぶイメージと、確かに聞こえる幻聴。

  ―――ごめんなさいっ、わたし、まさかこんなことになるなんてっ

  理由はわからないが、翔太の眼の前で女の子が泣いていた。これは幻影だ。もしくは、記憶の中に
 埋もれていた映像。

  痛みで割れそうな頭でも、湧きあがる映像と音声の奔流を認識するだけはできた。
  
「翔太くん、翔太くんッ大丈夫っ!?」

  頭が痛い。右手までも痛い。限界を超えるの痛みに、とうとう膝を屈してへたり込んでしまう。

「どうしたの? ねぇ!!! ………まさかッ…!」

  君香がなにか叫んでいる。叫んでいる。叫んでいる。叫んでいる―――。

  圧倒的な痛みと息苦しさ。遠ざかる世界の淵。

  現実にあるものとは違う場所で、翔太は己の意識が緩慢に鮮明さを増していくのを感じていた。











  ―――ごめんなさいっ

  一つの世界に反響して、共鳴して、不協和音が生まれる。謝罪の言葉、だろうか。

  ―――ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、私があんなことするからッ

  数時間、ほんの数刻前までは藍の水面を映し出していた空は時間に侵食され始めていた。

  時が空から蒼を奪い去り、変わりに紫や、赤、紅、朱―――忌まわしい呪色が西側から零れて、堕
 ちてくる。一粒ずつ、ゆっくりと。

  零れた色は、空気と混じり、気味悪い黄色となり、体を侵食する酸素となる。

  ここに転がっていたのは死。頭、腕、足、精密機器、コード。人とも機械とも区別がつかないだけの
 死が増殖していた。

  血と圧搾オイルが生み出す池に座り込んで泣いている少女。いつも自慢に見せ付けていた金髪が
 色褪せ、くしゃくしゃに乱れていた。

  さっきまで護ってくれていた彼女は、動かない。踏み砕かれた右手は激痛で動かせない。

  謝る少女を許そうとして、真っ白な心のまま左手を差し伸べる。大丈夫、仕方がない、運が悪かった
 のだ、と。

  ―――きゃっ

  だが、気づいたときには少女を突き飛ばしていた。今日のために選んできたという綺麗な服が、
 見る間に血で染まっていく。少女は、泣きやまない。

  ―――ごめんなさいっ、私のせいなのっ、だから、だからっ

  崩れた姿勢で泣きじゃくる少女は、ただひたすら一心に謝り続けていた。

  頭ではわかっていた。本当に、悪いのは少女ではない。だが、心からぶくぶくと湧き上がる憎悪は
 心の堤防を破壊して、口から醜い言葉として変換されていく。

  許さない。そういったのだけは覚えている。後は、ありったけの蔑みと侮辱の言葉をもって少女を
 責めた気がするが、あまりにも多すぎて覚えていない。

  そもそも、この少女は誰なのか。ここはどこなのか。

  純白の闇が広がっていく意識の中で、彼はなんども反芻していた。

  もう二度と、彼女を許すことはできないのか、と―――。

  逢魔が刻訪れる世界の中心で、彼はなんども確信していた。

  もう二度と、彼女を許すことはない、と―――。













       SEE YOU NEXT 『Battle for venus』 or 『Tear in my head




  目次に戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送