缶詰ヒーロー












       13缶詰ナリ *  【Combat prelude】









  結果だけを言うならば逃走失敗。

「ね、ね。翔太くん、このドレスどうかな? 似合う? アクセサリーはもっと地味なほうがよかったかな?」

「どうでもいい…」

  リストラにあったサラリーマンのように、哀愁漂った背中が物悲しい。今はもう頭痛も右手も痛まないが、
 翔太は先ほどから無制限に続く質問と周囲からの憎悪に近い視線がただただ痛かった。

『どうしてあんなやつが君香さんと』
『許さない』
『むしろ殺す』

  ひしひしと射抜き殺される。かといって、動けないでいた。

  徳野という名字。どこかで聞いた覚えがあると思っていたら「TOY」の名誉会長徳野 秀雄だったのだ。
 まさか、とは思っていたが本当に君香が孫娘だとは度肝を抜かれた。

  遠くで、徳野 秀雄が著名人に挨拶をしている様を呆然と見ながら、翔太は己が不運を嘆いていた。

  全ては熊谷のせいだった。徳野 秀雄の挨拶が終わってから、再び会場は話し合いで回り始めた。翔太
 はバレないうちに逃げようとしていたのに、熊谷が君香を呼び寄せたのだ。

  肝心の熊谷もどうやら知人がいたらしく、今この場にいない。

「もう、ちゃんと見てよ。どう?」

  業を煮やした君香が、翔太の両頬を掴んで強制的に振り向かせる。それだけで周囲の殺気が跳ね上が
 った。

  社交界の華、徳野・S・君香嬢。金持ちのボンボンたちにも当然人気は順風満帆だった。

「あ、ああ…似合ってると思うぞ……」

  自分の意志というより、人々の視線に後押しされる形で出てきた言葉。

「ほんとにっ!? よかったぁ」

  飛び跳ねそうな君香は、真珠のような笑みで応えた。一身に向けられている殺意の渦はとぐろを巻いて
 大きくなっていく。

  翔太は誰にもばれないようにため息をついていた。

  なんなのだこのはしゃぎ様は、君香が喜んでいる意味がわからない。それに、ただ周りからこちらを睨み
 殺す勢いで取り巻く男ども。

  自分で行動を起こそうともしていないくせに、嫉妬だけは一人前じゃないかと翔太の胸中で苛立ちは色を
 濃くしていった。

  どういうわけか、腹が立つ―――。

  ともすれば憎悪にすら変わり兼ねない感情の波。支配されないように、翔太はゆっくりと息吹を繰り返
 した。

  矛先がわからない憎悪が育つに応じて、頭痛が蘇り始めた。それを、息吹に併せて収束させていく。

  だが、全ての感情が静けさを取り戻さないうちに、それは起こった。

「嫌だといっているでしょう!!!」

  怒声。

  シン、とそれまでの雰囲気は一変して、寂しい水面が作り出された。皆の視線が注がれる先、着物を
 翻しながら、真っ白な肌を嚇怒で染める少女がいた。まだ、十六歳程だろう。

  傍らに中世の女性騎士を模した『缶詰ヒーロー』が悠然と立っている。純白の鎧が眼を眩ませる。缶詰
 ヒーローは主人の行動をじっと見詰めるだけで、これといった感情の起伏は見られない。

  激昂している少女は他人の眼を気にもしていない。芯が強そうだった。艶やかな黒髪が月光をあてられ
 たように煌いた。

  現場を見ている者たちの中から『黒薔薇』だ、という驚嘆のため息が漏れていた。まだあどけなさの残る
 顔立ちだが、どうやら金持ちの間で称号を貰うほどの注目株らしい。

  確かに、印象に残る黒髪は美しい。それに、棘もあった。

「そのお話に関してはお断りしたはずです。これ以上付きまとうというのなら訴えますが、あなたはそれでも
よろしいのですか?」

「そ、そんなっ…」

「なら付きまとわないください!」

  ドレスではなく着物。ゲストのほとんどがスーツやドレスという会場で、少女の姿は殊更に眼を引いた。
 徳野 秀雄も着物だが、別な意味で眼を向けさせる。

  怒鳴られている男のほうは蒼白を通り越して土気色に顔を変えながら、喉から引きつったような声をあ
 げて怯えていた。遂に腰も砕けたのか、しりもちを着いた。

  険悪なムードに押され、激震地から人が波のように引いていく。

  ようやく、どういう状況であるかが目視できた。どうやら、男は少女に付きまとっているストーカーであり、
 我慢の限界を突破した少女が遂に切れたという状態だった。

「ぼ、僕はあなたのことが本当に好きで……」

「好きならなんでもしていいとでもいうつもりなの? ならとんだ勘違いですね。ともかく、これ以上は私に
近寄らないでください。気色悪い」

  半分涙声交じりで懇願する男は、誰がどうみてもストーカー顔だった。

  外見で人を判断するのはよくないが、まず間違いない。人相判断でも同じ結果がはじき出されること間
 違いなしだ。

  しかし、この光景は煌びやかなパーティムードに似合っているとは言い難い。

「やめろよ」

  といったのは翔太ではない。

  人だかりから見ていたのだろう。ユウキは男の前に庇うようにして立つと、少女を睨みつけていった。

「今日はせっかくのパーティなんだぞ。美姫、いざこざはこれぐらいにするんだ」

「なにをいうんです。その男はこの世の屑です、ゴミです、バクテリア並みの価値もありませんよ。それ
とも貴方はそこの塵芥を弁護するつもりですか?」

   美姫、とユウキに呼ばれた少女は揺るがない。互いに睨み合って、牽制している。二人は、お互いの
 ことを知っているようだ。

「すげえな」

  翔太はちょっとばかり感心していた。この少女、翔太からしてもなかなかの毒舌っぷりである。

  ユウキを見る。大して気に留めたわけでもないが、ユウキの意外な一面に驚いていた。真面目な顔で
 相手を諭そうとしている様など、今まで見たことがない。

「どうしよう、ね、どうしようか…?」

  隣で、君香はおどおどしながら事の次第を見守っていた。無論、翔太とてそうするつもりだ。下手に関わ
 ってややこしくすることもない。

  二人の応酬は続く。

「そういうわけじゃない。ただ、何もこの場で責め立てなくてもいいだろ。彼だって反省している」

「それはどうかわかりません。心の底で何を考えているのかなんて誰にもわからないんですから」

「確かにそうだが、ここまで追い詰めなくてもいい」

  鼻で嘲笑うと、美姫は続けざまに、皆に聞こえるようにいった。

「そうやっていつも善人のフリをする……だから私はあなたのことがイヤなんです。いつまでも逃げ回って
いる貴方が」

  人々は、何をいっているのかわからないという顔で首を傾げた。無表情で固まっていた女性騎士型の
 缶詰ヒーローも僅かに眉をひそめた。

  ただ、少女が言いすぎだということはわかっている。間違いなく、美姫のニュアンスには侮蔑が多く混ざ
 っていたからだ。それまでは少女側に同情的だった空気が、変質する。

  一人、ユウキだけが拳を震わせ、下唇を噛んで何かに耐えている。

  美姫は勝ち誇ったように侮辱の笑みを浮かべると、缶詰ヒーローを伴って、そのまま立ち去ろうとした。

「あれ、翔太くんどこにいくの?」

  君香の声が後方から飛んでくる、が、翔太の耳には届いていなかった。

  沸々と、湧き上がってくる感情があった。誉められるようなモノではない。おそらくは人の感情の中でも
 醜い部分に値しただろうから。

  気づいたときには、翔太は渦中に飛び込んでいた。

「待てよ」

  今後こそ翔太がいう。

  美姫は何事かと振り向いた。あどけない、無邪気な悪意だった。だからこそ、許せない。

「なんですか?」

  ―――パシン

  肌と肌がぶつかる乾いた音。

  あっけないほど小さく、それでいて確かに響いた。

  ユウキは眼を点にしているし、回りの人々はハッと息を呑んだ。ジーンズにシャツというラフな格好の
 乱入者の行動が理解できなかったようだ。

  ざわめきが様々なところから生じる。美姫は殴られた頬を押さえつけながらこちらを睨みつけてきた。

「いきなりなにするんです!!!」

  その態度が、翔太の勘に障った。先ほどから溜っていた苛立ちが、ここで爆発していた。ただしそれは、
 穏やかな噴火に近い感情の蜂起。

  理由は、よくわからなかった。もしかしたら、ユウキが馬鹿にされたことが決め手だったのかもしれない。

  そう思って翔太は自分に驚いていた。まさか、ユウキの為に自分がここまで怒れるとは思ってもいな
 かった。

  なぜだろうか。自問する。自分でも、どうしてユウキが馬鹿にされただけでキレているのかがわかってい
 なかった。ただ、

「ムカつくガキだな…」

  腹立たしい。眼の前の少女は見るからに自分勝手で、自分とは質が違う傲慢。

  不可能など味わったこともないのだろう。自分以外の他人を見下した目線は感嘆に値する。

「コイツのことをよくもまあいけしゃあしゃあと馬鹿にできたもんだ。テメエは何様だよ?」 

  もう一度手の平を振りかぶる。美姫の口から、ひっ、と怯えた声が漏れた。

  構わない、叩く―――。

  軽く腕をしならせ、的確に打ち込もうとした、が、途中で手が止まる。いや、止められていた。

「それ以上、見過ごせません」

  件の缶詰ヒーローが振りかぶった翔太の手首を押さえていた。鎧が白銀に輝き、強い意志を秘めた人工
 の瞳で貫いてくる。

「離せ」

「嫌です」

  ぎりぎりと、手首が締め付けられる。骨を折ることは【ヒーロー概念】があるからできないだろうが、思わぬ
 苦痛は耐えがたかった。

  舌打ちをして、力を抜く。やっと手首が解放され、痛みは無くなった。だが、内から生み出てくる感情は止
 まらない。美姫をギッと睨みつける。

  当然、美姫も憤怒を隠そうともしないで睨み返してきた。

「翔太、もういい」

  ユウキが諭すようにしていってくる。

  なにをいっている、馬鹿にされてそのまま泣き寝入りするというのか、こんなクソガキに―――。

  背後から、複数の人が駆け寄ってくる気配を感じた。

「翔太くん、やめなよ」

  君香だった。

「そうだ、やめよ。無駄なことぞ」

  続いてキリイ。

  間を置かずにタマゴがトテトテと歩いてきた。何もいわず、嫌悪の眼差しでこちらを瞳の中に入れている。

  先ほどまでとは別な、凛とした緊張感が広がっていた。

「これはいったい何事じゃ?」

  張り詰めた糸を、良い意味で断ち切ったのは他でもない。缶詰ヒーロー専門会社「TOY」名誉会長で
 ある徳野 秀雄だった。

「う〜む。さっぱりわからん。どうしてこういう状況になっておるのじゃ? 誰か、説明してくれんか?」

  他に類を見ないカリスマ性がここに幸いした。全ての注意は秀雄一人に注がれ、意気を削がれる。

  秀雄は近くのウェイターに語りかけて、事情を聞いたようだった。ふむふむとしきりに頷いてはこちらを
 見てくる。

  ことの成り行きを聞き終えた秀雄はにんまりと笑うと、やや禿げ上がった頭を撫で付けていった。

「ならば【グラディエイト】で決めればよかろう? 負けたほうが勝った側に謝罪をする。どうじゃ?」

  老人らしからぬまでに歓喜に表情を変えて、秀雄は提案してきた。

  異議が無いわけではない。なんでこの場面で【グラディエイト】なのかがまず意味がわからない。だが、
 老人の目は本気だった。

「おい爺さん。いきなり首を突っ込んでくるんじゃねえよ。そんないい加減な方法で善悪の区別をつけるっ
ていうのか」

「いかんかね?」

  遥かに慎重が劣るはずの老人の気迫に圧倒された。翔太はぐっ息をすることすら止めてしまっていた。

「それでいいですよ」

  意外にも、美姫が賛成した。まずい、という表情に固まったユウキが物語るのは、美姫という少女の
 圧倒的な自負と自信。

  黙っていればこちらが悪役で済んだろうに、どうやらこの少女は自分で物事を確定させないと気に入ら
 ないらしい。この場合は勿論、翔太の謝罪と敗北だ。

  生意気な眼。まるで、この世の全てを手に入れたかのような不遜な態度。

「俺もいいぜ」

  意識せずに、翔太は宣言していた。

















      SEE YOU NEXT 『La pucelle d'Orleans』 or 『Birthday party





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