≪幻妖御神楽草子≫











        一幕 / “いちごいちえ”








  白い閃光に包まれた道を、どれだけ走ったことか。

  もう走れない。そう思うまで細道は続き、視界が列挙する建物群を捉えた時など砂漠にオアシスを見つ
 けた旅人の気分を味わいさえしたものだ。

  突然開けた眼前には名状しがたい物体がごろごろある。見慣れない、とはいいきれないが…。

  ――ふむ。

  まずは現状を確認することが目下の最優先事項のようだ。ここで焦るのはもちろん得策ではない。背
 負っていた荷物をまず降ろす。さすがに三人分は結構な重量だった。

  よし、肩の荷がおりたところで状況確認は戦場の鉄則だ。まだここが戦場だと決まったわけではないが、
 普通の場所なわけない。

  最初の脳内会議はそもそもここは何処だという事案で満場一致。情報収集のためぐるりに眼を走らせる。

  それが誇りであるかのように理路整然と敷き詰められた煉瓦の道。道を挟んだ両岸に林立した建築物
 は和洋折衷というかなんというか、素人作りのちぐはぐパッチワークに似ていた。

  けれど。何処かで見たような空、何処かで見たような街。

  奇妙なデジャヴの後、なるほど納得。頭上で豆電球が点滅した。

  モノクロームを突き抜けて垣間見える、陰鬱と改革が入り乱れた様相を放つ新しい街並み。西側諸国
 に追いつけ追い越せの精神をもって推し進められた、文明開化という名の洗脳が着実に普及し始めて
 いたかつての帝国。
 
  ここの雰囲気はテレビや写真でよく見た、明治、いや大正当時の日本と酷似していた。

  ――そのものといっても過言ではないだろうが、やはりここは日本ではないな。

  まず空気が違う。いつも吸っている空気が退屈な日常だとしたら、地を這う重苦しいこの空気は退廃
 と怪奇で彩られている。あまりここにいたくない、長くいるだけで肺がべちゃべちゃの障気で満たされそ
 うだ。

  しかし、ここが仮に日本なのだとしたら、あの閃光で満ちていた道は時間が入り乱れたなんたら空間
 とでも名付けられるSF的現象を引き起こす場所だったのか?

  一つの言葉が頭を過ぎる。

  タイムスリップ。

  ……それは実にナイスだ。できればこの事態そのものが夢オチであることがベスト、が、圧倒的な現実感
 はこれを否定。質の悪い白昼夢。

  これも否定。二人はあそこから消えてしまっているじゃないか。

  不毛だ。夢だのなんだの、そんな都合のいい逃げ道が許されているならどれだけいいか。

「まったく、格もあきらたんも何処にいったんだ……」

  呟く自分がやけに虚しい。深く暗澹たる心地とはこのことか。

  もしかしたら太陽が顔を覗かせていないからなのかと思って空を見上げ、自分がどれほど混乱して
 いたか思い知らされた。くそ、冷静でいるのは難しい。

  なぜなら今は夜だった。妙に大きく見えるお月様が輝いている。

  ダメだダメだ! 落ち着け、ちょっとばかし思考が散らかっている。

  目頭を押さえて頭を振る。もう一度だけ街を観察すれば心は平静を取り戻すだろうか。

  歩道にぽつぽつと設置された街灯(ランプか……?)は灯っておらず、頼りになるのは月光だけ。

  しかしその月はどう見ても大きい。生まれてこの方、これほど巨大な月は見たことなかった。
  
  何だろう――、まるで、――今にも隕ちてきそうな……。

  ずん。ずん。

  ふと、何処からか意識の膜を突き破るほどの地鳴りが。

  ずん。ずん。

  徐々に大きくなる地鳴りは規則正しく鳴り渡る。遅まきながら気付いた。ここで俺の常識が通用す
 るなら『街』という概念でくくってしまって間違いないだろう。

  ずん。ずん。

  これまた確証はないが、月の位置を見た限り、時刻は夜八時前後。

  ずん。ずん。ずん。

  ならば、この街にあるべき住人はどこにいるのだ?

  不安に駆られた俺は月のことも忘れ、周囲に注意深く意識を向けた。近い。地鳴り、いやもう否定
 はしまい。

  その足音といっしょに聞こえてくる怒声、嘆き、雄叫び、絶叫はもうすぐそこだった。

  視界のど真ん中にそびえていた二階建ての、それはそれは由緒あったろう、瓦葺きの屋根を漆黒
 に輝かせた建物が轟音をぶちまけて弾け飛ぶ。吹き上がる白煙、飛来した木くずが俺の体をしたたか
 打ち付けた。

  木と瓦が地面に落下して起こる続けざまの葬送曲。思考は巡り巡る現実を把握できず、ただ眼から
 送られる視覚情報を受け取るだけだ。

  ちくしょうめ! 何だって云うんだ! 頼むから冷静になる時間をくれ!

  ――言葉にならない慟哭は誰も受け取るはずもない――また聞き届くことがあったとしても――俺
 の言葉を吟味する暇が彼らにはあったろうか――。

  建物は完全に粉砕され、ようやく立ち昇っていた白煙も晴れかけた頃、また一歩、

  ずん。

  白のヴェールから進み出た、人と形容するには余りに巨大な骨格。先ほど破砕した建物より少し
 小さい程度の巨躯をまた一歩進ませ、完全に姿を現したソレ。

  後々考えると、それは間違いなく人型だった。ただしあくまで人型なのであり、人ではない。三メー
 トルを超す巨人など此の世に有り得ないし、文字通りの『白骨』が歩き回るのは自然の摂理に反する。

  人の白骨死体を巨大化したソレにまとわりつく青白い鬼火。ぼっかりと空いた眼窩には当然目玉
 なんぞなかったが、代わりに全生物に対する嫉妬の焔が渦巻いていた。

『共に――、共に――……』

  もしソレに声帯があったならば間違いなく続きも発音されていたはずだ。何故なら紅の双眸は間違い
 なく俺を睨み付けていたし、ガチガチと不揃いに鳴る歯の動きだけで命ごと無へ誘われそうになる。

  ふっ、と意識が遠退きかけた次の瞬間、目前までソレは迫っていた。

「なっ……」

  まるで煩わしい虫を振り払うのと全く同じ動作でソレの腕が薙ぎ払われる。

  太い骨。動けなかった体。余りに単純明快な打撃。痛みより先に衝撃。竦む体を突き抜けた破壊
 と間をおかずに激痛が体を貪り尽くす。

  今度は純粋な痛みで意識がなくなりそうになった、が、逆に激痛の残滓で意識が覚醒する。

  僥倖といえば僥倖。不幸といえば不幸。鮮明になった判断力はソレが振り下ろした圧殺の一撃を
 避けるために功を奏し、死ななかったおかげで恐怖と正面切って対峙することは残酷だ。

  白骨はなお仕留められなかったことで怒り心頭に発し、声にならない雄叫びと闇に溶けざわめく
 骨音をもって僅かに芽生えかけた命の萌芽を摘み取るべく追撃をかけようとする。

  ――ああ、死んだな。

  上位の存在に対する諦め。この辺り一帯はすでにソレの侵食で絶望に塗りつぶされている。

  今度こそ鋭く研ぎ澄まされた殺意の波動。決定的瞬間の認識は――できない。

  今から自分は死ぬ。何の感慨もわかない。恐怖に狂うこともない。何故ならここには、人を狂わ
 せる希望の光は一切なかったからだ。

  すまん、格、あきら――。

  諦めが俺自身の命を断つ。わかっていてもどうしようもない。

  だが。

  寸前まで迫っていた不可避の一撃は、闇を打ち払う無明の光によって、闇がそうなるように霧散
 した。

  突如として出現した細長い光。白骨の動きを制限する拘束。人形を繰る糸のように絡みつき蠢めく
 光の束は白骨を完全に支配していた。

「光束式――配布完了。小隊は隠密を解凍、直ちに十号型に肉薄。私が七番を打ち込むまで攪乱、
陽動せよ」

  声だけが聞こえ、そこかしこから鋼の擦れる華麗な和音が鳴り響いた。

  途端、霧霞みのように景色が揺らぎ、空間歪曲の場所にはそれぞれ武装した者たちが具現化して
 佇んでいる。巨大白骨を円形に取り囲みながら、文字らしきものが刻まれた刀剣や符を構え相対する
 様子は、まるで御伽絵巻に描かれた妖物懲悪の一枚を眺めているよう。

  さしずめ彼らは異形と戦う抗魔の一族だ、と無意識に思いが浮上してきた。

  と、もの凄い力で襟首を掴まれ強制的に立たされる。

  子猫を扱うときそうするように体をくるりと反転させられ、自然、彼女と睨み合う形となる。

「少年、感謝する――」

  長い時間と密な経験を感じさせる尊大さ。彼女、というには似つかわしくない侠気を兼ね備えた
 雰囲気は、この人こそ彼らの頭目であることを明確に示唆していた。

  惚けた頭では彼女が何に礼をいっているのかわからない。

「故に、立ち入り禁止区域でこそこそ何をしていたのかは不問に処す。即刻この場から離れ、安区まで
ゆけ」

  応える前にどさりと離される。情けないことに地べたに座り込んでしまったが。

  いっそう強烈になる陰と陽。奇妙なアンバランス。緊迫した状況。

  なお激しく拘束に抗う『白骨』と自失している『俺』を交互に見比べ、彼女は訝しげに眼を細めると
 やがて瞳に理解の色を灯し、「そうか、少年は……」と呟いた。

  もしここで俺の意識がしっかりしていたとしても、彼女の言葉の真意は汲み取ることができなかった
 ろう。

「柳原ッ」

  まるで普通に話しかけるようでいて、距離を関係なく伝わる声で呼びかけると、おそらく柳原と呼ば
 れた男本人が包囲網を意識しつつこちらに駆けてきた。

「此処に」

「この少年を連れて安区、いや、三世院御所までゆけるか?」

「神家の下へ? 何故にでございましょう?」

  柳原に遠慮なく隅々まで観察され、厭な気持ちはしたがこちらなどすぐさま意に介さなくなる。

  彼女は俺を顎で指した後、

「この少年、“隔し子”に相違あるまい――」

  聞き慣れぬ言葉。隠し子といったのだろうか? だが、俺が知っている言葉通りなら、直後柳原が
 驚愕に絶句したことの説明にはならない。

「ならば責任がないとも言い切れぬ。即刻、“呪術王”殿に知らせよ」

「そ、それではこの柳原は……」

「知らせよ」

「……――御意に」

「無傷で送り申せ。柳原、頼んだぞ」

  まるで今生の別れを交わしあった後のような寂寥感が漂う。彼らが何を話しているのか十割方
 理解できず、やはりここは夢の中なんじゃないかと真剣に思い始めたその瞬間、

「立てるか、少年」

  彼女が手を差し伸べ、ほとんど無意識のうちに掴んで起こして貰う。

「なんとか……」

「ほう。なんとか、か……」

  彼女は顎に手をそっと添えて、

「だが、なんとか立つことができたのなら、なんとか走ることもできよう?」

  束の間なにを言われたのかわからなくて直立不動で静止。

  走れ、というのか。自慢じゃないが、この臆病にも震えがちな両の足で。

「道筋はこの柳原が案内する。駆けよ。二人とも、例え何が聞こえようと――振り返らずな」

  ここを離れる最後の瞬間、名前も知らない彼女は、これまで誰にも見せたことがないのではないか
 と思えるほど、柔らかくたおやかな微笑みで俺たちを送り出してくれた。

  もっとも彼女はすぐに他の者同様白骨に向き直ったのでじっくりとその笑みを見続けることは出来な
 かったのだが、

「行こうか少年。ぬしの案内はこの柳原が、ぬしの命は仲間らが保証してくれる」

  逃げるべき道を指で示してくれる。遠い、それに足を引っ張ろうとする闇の色はどんどん濃くなって
 いた。

  けれど、この道を通らなければいけない。

  いなくなった友人二人を探し出すためには、いずれにせよ一歩進まなければ。

  柳原が俺の肩を力づけるように叩く。たったそれだけのことでも、気持ちを奮い立たせることはでき
 るのだと知った。

  それに、先ほどの名前も知らない彼女の笑みは恐怖で凍てついた意志を間違いなく熔解させてく
 れていた。

  きっと、そのためだけに状況を顧みず微笑んでくれたに違いないと断言できるほど――。

  また会えたら、お礼を言わなければ。

  俺は先行する柳原の後を追った。



  ……あの笑みがもう二度と見れなくなってしまったと知るのは、まだ少し先の話だ。










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