≪幻妖御神楽草子≫





















   とーおりゃんせ……




















        開幕 / “おくのほそみち”








  神社。それは素晴らしい所だ。まず神様がいるから御利益がある、運が良ければ僅かなお金と手を
 合わせるだけで願い事だって叶う。元旦には甘酒、おみくじ。夏祭りなんか出店を見て回るだけで楽しい
 気持ちになるだろう?

  なにより、雨宿りができるのは極上だ。

  俺の趣味の大事な要素として山巡りを終えた後。雨がしとしと降り注ぐ初夏。徐々に上がっていく湿気
 が体に張り付いてくすぐったい。

  古ぼけた鳥居。朽ちかけた賽銭箱。よれよれのしめ縄。忘れられた社は前時代の遺産そのもので、
 前述した機能のほとんどは失われていること間違いない。

  だが軒下で雨宿りできるだけましだろう。世の中にはお家がない人だって沢山いるのだ。

  にわか雨に掴まってしまい、偶然見つけた神社で雨宿りを開始してから長いこと経つ。

  振り固まった水滴はそこら中に水たまりをつくり互いに結合を繰り返していた。上から下へ。小さな川
 のように変化している。出逢い繋がり流れる人生もまたこれに近いのかもしれない。

  小石を投げ、水たまりに波紋を広げる様を眺めながら親友の加布里かふりいたるにその旨を話す。

  俺の右手側に佇んでいた格は首に提げた一眼レフのレンズ越しにこちらを見て、「そうだね」と呟いた。

  さすが格。我が友よ。話がわかる奴だ。そんな格の爪の垢を煎じて飲んだほうがいい奴は世の中に
 数多いるに違いない。

  例えば俺の左側の奴とか。

  だが垢を煎じて飲ませ「こんな所に来ようといった俺が馬鹿でした」なんて謝っても隣の怒り狂った奴
 を諫めることはできまい。ああ憂鬱だ。

「もうっ、雨が降りそうなんて空を見てわかってたじゃない! それを『大丈夫だろ、西の空が晴れてるか
らな』、なーんていい加減な知識で探索を続けた馬鹿は! こっちの身にもなってよね! もう四時じゃな
いの、塾に間に合わなかったらあんたのせいだからね!!!」

  ぷんぷんすかすか。……勝手についてきたくせによくもぬけぬけと。

  あきらは普段はいい奴なのだが、怒りに溺れると手に負えない。

  校則をこれまで一度も破ったことがないと豪語する槻影つきかげあきら、十七歳。多くの人に『清楚で可憐』と
 いう印象を与えるこいつは身長も百六十に届くか届かないか。お世辞で整ったといってやってもいい
 顔立ちに惹かれる男共もざらにいる……らしいがたぶん嘘だ。

  だが仮にそんな奴らがいたとして今のあきらをなんというだろう? わかりきった一言、「ビースト」。

「! ……! …………!!!」

  人間様に獣の言葉はわからない。ああ、なんだか耳がぼーんとする。耳に両手を当てて声は聞こえなく
 なったが、あきらの表情と身振りからどれだけ怒っているのかよくわかるぞ。

  冷静に分析してみる。

  俺を睨みながら喚き立てる同級生にして幼なじみ。かれこれ小一時間この調子でがなり声をあげてよく
 喉が嗄れないものだ。さすが演劇部。日頃から発声練習を怠っていないのだろう。感心感心。

「ちょっと聞いてるの八頭峰やずみねッ!」

  耳を塞いでいることがばれたらしく、あきらの声量も一段上昇する。ヒステリーに陥った人間の話な
 んぞまともに聞いちゃいられないのでしていた解決策なのだが。やれやれ、この女の逆鱗は多すぎて
 困る。

「加布里くんもなんといってあげて。こいつのおかげで私たちもう一時間も足止めだよ? こんな所にッ!」

  おお、神前でありながらこんな所とは酷い言いぐさだ。しめしめ、あきらには天罰が下るに違いない。
 
「うーん、隆也のいう通り僕もこれはにわか雨だと思うんだ。あとちょっとだけ待ってみよう、ここまで待って
ずぶ濡れになるんだったら今まで耐えた時間も、それにいろいろ無駄になっちゃうよ?」

  甘い笑顔で格が諭すと、あきらは頬をほんのり朱に染めて俯いてもじもじしだした。

  似合わない。

  これはあくまで俺の主観なのだが、あきらはおそらく格に惚れているのだろう。こんな一昔前の恋愛
 小説的状況がなにより物語ってはいまいか? 

  二人の恋路、共通の友人である俺としては応援してやりたい。だが、なんだかんだで格はモテる。
 現時点だけでもあきらのライバルは多いだろうな。ふむ、幾多の悩みと苦難を乗り越え成長する一夏の
 ボーイミーツガール。ああ素晴らしきかな青春、というやつだ。しょうがない、俺も手伝ってやろう。

  照れ隠しに息を整え顔を上げたあきらの表情はもう紅くなかった。

「それも、そうよねぇ。でもさあ、八頭峰の判断ミスで私たちまで被害を被るってどういうこと?」

  よよよ、と大仰に泣き崩れてみせるあきらの芝居っぽい仕種(実際演劇部だからな)。格は困り果てた
 表情で頬を掻いていたが、それ以上何もいわなかった。

  責任をこちらに押し付けたとも云う。やれやれ、中途半端に援護射撃しようとするから言いくるめられる
 のだ。二人が夫婦になったら格は尻に敷かれてしまうだろう。

「だから初めにいっただろうが、ただ山を歩き回るだけでつまらんから来ても意味ないと。人の忠告も聞か
ずにやれ歩き疲れたのやれ喉が渇いたのと、お前さえいなければより早く散策は終わっていたんだぞ?」

  事実そうだ。あきらがいなければもっと早く家に帰れたろう。

  あきらが関わることによってイレギュラーが起きているとしか考えられない。そもそも朝から異常事態
 ばかりだ。

  どこから聞きつけたのかはしらないが今朝いきなりあきらから携帯にメールが届いたかと思うと、その
 内容はたった一言。

  ――わたしも連れてけアホ。

  それに対して俺の返信は、

  ――ふざけるなよペタンコ。

  確かにそう送り届けたはずなのに、こいつは俺と格の待ち合わせ場所でアンブッシュしていやがった
 のだ。胸のラインを協調する――残念ながら成果はなかった――ワンピースを着るという準備万端で。

  そんなに格によく見て欲しいか? ふふふ、性格によらずウブな奴よ。

「なによ、人のせいにしようっていうの? 女々しいわねぇ……、女々しい上に趣味も登山? 老成した
ご趣味をお持ちですこと」

「ふ、666の獣如きに人間の趣味の偉大さはわかるまい」

「獣ぉ? なにわけのわからないこといってるの、ドタマかち割るわよこのくされポンチ」

  なんと。やはり怖ろしい女だ。「ドタマかち割る」、だの「くされポンチ」なんていう表現、今時だれも使う
 まい。死語だ。そう、死語なのだ。

  今度から死語マスターあきらちゃんと呼んでやろう。今は魔女ッ子ブームだしな。

  悪の魔法使いと戦うあきらちゃん、戦い方は死語を駆使して相手に懐かしさを与えるのだ。懐かしさを
 取り戻した悪の魔法使いは死語と共に成仏する。宇宙から敵だってやってくる。戦え、みんなのあきら
 ちゃん。

  間違いない。きっと空前絶後の人気を博すだろう。漫画化、映画化、実写化、フィギュア化、際限なく。

  そしてネット上では「あきらたん、はあはあ」という状況に陥り様々なデフォルメ化を施される始末。

  そう、そうだ! 秋葉原を中心に巻き起こる絶大なるあきらたんブーム! や、やばい! 今の内に
 商標登録しといたほうがいいかもしれん!

「あーあ、曇ったまんまで全然晴れる気配ないし。どうしよう、ここ、電波も悪いしな……」

「な、なに! あきらたんは電波まで受信できるのか!? ゆ、ゆんゆんなんだな!?」 

「…………は?」

  ち、ノリが悪い奴め。そこは「そうだゆーん」というべき場面だろうが。断じて人の寿命を縮めかねない
 視線で睨み付ける場面ではない。

  テレビの前のリスナーのためにも、少しばかり教育を施すべきか?

「ね、ちょっと二人とも」

  ハブとマングース状態に陥っていた俺たち二人の緊張を解くように、それまで傍観していた格が神社
 のある場所を指さして止まっていた。左手に持ったカメラを使い、しきりにその地点を覗き込んでいる。

  あまりに滑稽な所作だったので思わず噴き出しそうになってしまったが、格の真剣な顔からただならぬ
 印象を受け、口元を引き締める。格は普段から穏やかな微笑みを浮かべている、だからこいつが真面目
 になったことそれ事態がただならぬことなのだ。

「これを」

  短くいってカメラを差し出してくる。受け取ったはいいが何をすればいいのかわからない。

「ファインダー越しに覗いてみてよ」

  云われるがままに従い覗いてみる。きちんと格が指さした方向を、だ。だが、なんてことはない。通常
 の景色そのものだ。

  木は生い茂っているし雑草も雨に打たれてしとどに濡れている。地面はいわずもがな。しめ縄が結ば
 れた二本の大木の間にはちゃんと細く伸びた小道がある。特筆すべきところは何もなかった。

「特になにもないぞ? ははぁ、さては格、俺とあきらの喧嘩を止めるためにこんなことをしたな? 安心
しろ、人間は獣の戯れ言なんて相手にしないもんだ」

「八頭峰、あんた、殺すわよ」

「ノンノンノン。ここは最近のニーズで『もーう、ヤズちゃんったらぶっとましますですわよ。キャピッ!』という
べき場面だから以後気をつけろ。重要だ」

「あ、あんたね……」

  カメラを降ろしあきらに向かってさわやかに微笑む。あきらは震えながらもはち切れる寸前で赫怒を
 堪えているようだった。そりゃあ好きな男がわざわざ喧嘩の仲裁に入ってくれたのだ、お膳立てをぶち
 こわしにするまねはしまい。

  乙女パワーはすごいらしいのだ。

  と、ここまで読み切ったからこそ挑発しているのである。しかしこれは邪魔ではない、先ほど俺は二人
 の仲を応援するといった。心に誓ったのだ。

  だから俺が憎まれ役を買うことで、あきらは自分の怒りっぽい性格を自ずと改善することができる。

  こういってはなんだが、身を挺す自分がとてもカッコイイ。ふふん。

「隆也、違うんだ。よく見て。今度はカメラを使わないで」

  む、せっかくの好意も水泡に帰す、か。

  ただならぬ様子で必死に懇願する格の願い通り、俺はもう一度同じ方角を見た。なんのことはない。
 先ほどと変わらない風景があるのみだ。

  木は生い茂っているし雑草も雨に打たれてしとどに濡れている。地面はいわずもがな。しめ縄が結ば
 れた二本の大木の間にはちゃんと小道が――なかった。

「道が、ない、な」

  そんな馬鹿な。まだ持ったままだったカメラをもう一度目線まで上げて、凝視。

  木は生い茂っているし雑草も雨に打たれてしとどに濡れている。地面はいわずもがな。しめ縄が結ば
 れた二本の大木の間にはちゃんと小道が――ある。

  だが、カメラを降ろし肉眼で確認すると道は綺麗に消え去っていた。少し早い蜃気楼か? 今日は初夏
 に似合わない暑さだったし、雨が降ったことで空気中の光反射も多様になっているだろう。

  道一つが消えたり現れたりしたところで不思議はない、ように思える。

  けど、わかる。あれはベツノナニカだ。近寄ってはいけない道だ。まずいぞ、アレは……。

「私にも見せて」

  云うが早いか、固まって動けない俺の手からカメラをぶんどるとあきらも同様にして大木の間を見る。

  二、三度同じ動作を繰り返し、ちょこまか位置を変えて確認している。それでも結果は変わらないだろう。

「うそっ、なに、あの道……」

  小さく息の呑み込む音。あきらは口元に手をあてて眼を大きく開け、愕然としていた。

  蜃気楼、ではない。幻、でもない。異質だ。アレは見てはいけないものだったのだ。寒気が止まらない。

  寒い。今は、夏じゃないのか?

  スゥ、と視界が明るくなる。今まで見ていた世界がまるで虚構で造られ、醜く彩られていたかのように思
 えるほど美麗に彩られた世界。

  気付けば空が雲一つなく晴れ、蒼天が眼を突き刺す。が、――雨は降り続け、なにより光の元たる太陽
 が何処にも見あたらなかった。

「はは、隆也、これって狐の嫁入りっていう、のかな……?」

  気弱に笑う格もまた、なにかしらを感じているようだ。普段の俺たちなら晴れてる状態で雨が降っても
 ああだこうだ何がしか理由を見つけ、また理由があるからこそ、気楽に笑い飛ばせたろう。

  しかし、今ここは隔り世と化している。現世? ここが現世なものか。そもそもこの神社は何故ここにあっ
 た? 古くからあり見捨てられた? ほんとうにそうなのか?

  俺たち、もしくはこの中の誰かが曳きつけられたのではないか?

  思った瞬間それが確信に変わる。普通ならそんな馬鹿げた考え固定化するはずもない。だが、異質に
 気付いたことが引き金となり、ここの定義が変わる。

  ここは、此岸ではない。彼岸との境界だ。渡ってはいけない、川の向こう側へは。渡れば最後、帰ること
 などできない!

「ここから、離れるぞ。早く、逃げるんだ」

  掠れがちな声でようよう伝える。なにもいわずに二人は頷いてくれた。ほっとする。俺の中で、嫌な感覚
 があったのだ。

  道を認めたあの瞬間から、二人が既に彼岸の住人だと感じてしまった。だがここにいるのは間違いなく、
 俺のクラスメイトだ。

  決して、向こう側に曳きつけられてなどいない。


  ――……とーおりゃんせ


  ……待て、なんだ今の声は?

  あれは確か、小さい頃聞いたことがある歌だ。どこの誰から教えられたのかすら思い出せない、もしか
 したら“生まれたその瞬間”から覚えていたのかもしれないと思えるほど、遠い昔に知った歌。

  だが何故、今?


  ――……とおりゃんせ


  じゃり、と神社の前に敷き詰められた小石を踏む足音が、二人分。俺の左右それぞれから聞こえた。

  じゃり、じゃり、じゃり、じゃり……。足音は止まらない。


  ――……こーこはどーこの細道じゃ?


  ああ、そんな。神様。ほんの、ついちょっと前、さっきまではまだ大丈夫だったじゃないか。


  ――……天神さーまの細道じゃ


  虚ろな眼。空ろな生気。あきらと、格。二人は既に船頭の歌に従い、川をゆっくりと渡り始めていた。


  ――……ちっと通してくだしゃんせ


  ただ俺は幸か不幸か、舟に乗ることはなかったらしい。だが体も動かず声も出ない。朧気に進む
 二人を止めることができない!

  どうしてだ! 動け!


  ――……御用のない者 通しゃせぬ


  用? 用だと。用ならある。……帰せ、二人を。

  ふと突然、念じた瞬間、体の自由が戻った。ひたすら前に進もうとしていたから前につんのめり転び
 そうになる。すんででバランスを取り直し、体が動くこと再確認。


  ――……この児の七つのお祝いに お符を納めにまいります


  カメラを使うまでもない。二本の大木にあった道は、もう肉眼で確認することができる。何処までも
 伸び、遠近法で伸びた消失点は遙か遠い。

  あの道に入ることは別の世界へ行くことだ。この世界に帰ってこれるか保証もなく、本能が警鐘を
 鳴らしているのに進めるわけはない。

  だが二人は幽鬼のようにゆらゆらと揺れながら(もしかしたら景色が歪んでいたのかもしれないが)
 迷わず道を歩いてゆく。


  ――……行きはよいよい 帰りは怖い


  今度こそ景色が歪み、二人の姿は幽界に消えた。道が何処に繋がっているかわからないのに。追
 いつけるか? 俺に進めるのか、前に? まだ何が起こったのかすら理解できていないというのに。

  でも、ああ、もう始まってしまっているんだな。時間が滔々と流れる。助けは、来ない。これは、夢な
 んかではない。


  ――……怖いながらもとーおりゃんせ とおりゃんせ


  迷うのに時間はかけない。

  俺は軒下に置き去りにしてあった三人分のバッグを引っ掴み、

  強く駆けた。








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