缶詰ヒーロー













       20缶詰ナリ *  【Windmill turns】









  零れた水が絨毯に吸い込まれるように、空から降り注ぐ雨は音もたてずに大地に落下する。

  梅雨入りを迎えた日本列島は、湿度の高い空気をバリアのように満遍なく纏っている。こんなときは梅雨
 が無い北海道が実に羨ましい。

  叶わぬ願いを願わずにはいられないほどジメジメしていたし、絶望の名を持つアパートの一室で、うずくま
 るように屈んでいる青年の周囲に漂っている空気も負けないほど湿度があった。

  六畳一間の狭い部屋。隠れようとしているなら全くの無駄であるが、心理的にせざるをえないのだろう。

  口元に携帯をよせ、声が漏れぬように開いた手のひらでマイクを覆っている。何度も通話ランプが明滅
 を繰り返していた。

  翔太は早くつながれという気持ちと、このままつながらなくていいという微妙な気持ちの狭間を往来する。

  だが、人生という荒波に今にも呑まれそうな翔太が頼れるのは一人しかいなかった。

『はいもしもしぃ、石若ですけどぉ』

  つながった。

  翔太の葛藤を知ってか知らずか、遥か彼方にいる相手は通例どおりの応答を繰り出す。

  意識の範囲外で、翔太は唾を飲み込み、そろそろと息ごと言葉を吐き出す。こころなしか、声が震えて
 いた。

「もしもし……俺だけど」

  数瞬の間。

  相手は、思いもよらぬ人物からの連絡で僅かに戸惑ったのかもしれない。あっ、という呼吸音が耳に届
 いた。

『あら、翔太なのぉ。久しぶりねぇ、元気にしていたぁ?』

  電波となって舞い降りた電話相手は、ここ数ヶ月は食料援助の依頼以外ではほとんど会話もしなかった
 翔太の母―――石若 楓―――である。

  久方ぶりに聞く母の声は、胸の奥に郷愁の想いを湧き上がらせる。

  だが、翔太には先に言わねばならないことが残っている。こちらの安否を気遣う言葉を紡いでいる母を
 制し、翔太は喉をもう一度鳴らして語りかけた。
 
「言いづらいんだけどな、相談がある」

『どうしたのぉ? 翔太が相談なんて珍しいわねぇ』

  母独特の語尾が妙に延びるのんびりとした口調が耳朶を打つが、この先を言おうとするだけで言葉が出
 てこようとしない。もちろん相談とは借金七百万円の件ある。

  最終手段として母に頼むしかないと決心した翔太。母に頼むというのは、翔太としても心苦しい。

  だが、もともとこうなったのは自分が美姫と闘ったことにあり、そもそもキリイが届けられていなければ起き
 なかった事態なわけで、つまり送ってきた楓が悪いのだと翔太は自分を鼓舞した。

「実は、俺しゃ…」

  意を決し、借金の旨を伝えようとした刹那。

『あ、そうだ聞いてちょうだいぃ! 実は私とってもいい仕事を見つけたのよぉ!』 

「……は?」

『たった一ヶ月でお金持ちになれるのぉ!』

  待て、と言う暇もなく楓のマシンガントークは続く。

  楓は一度火がつくと止まらないタイプだった。そしてなにより、人の話を聞かない人柄を持っていた。

『私がみんなに勧めてぇ、そうすれば私は支部長さんになれるのよぉ。そうすれば何もしなくてもお金が入っ
てくるようになるのぉ』

  止まらない母のトークに腰を引きかけた翔太だったが、どこかで聞いたことがある話に疑念が生まれた。

「……おい、待て。それはもしかして…知り合いがさらに他の奴らに勧めていくっていうヤツか?」

『あらぁ? よくわかったわねぇ、翔太も知ってたのぉ?』

  楓は実につまらないといいたげな口調でいった。電話の向こうでは首をかしげて、何故、という顔をしている
 母の姿が翔太には容易く創造できた。

  ある程度知識を持っていれば誰でも良く知っているだろう。それが、ねずみ講で間違いないということも。

  ならば、非常にまずい。

「それはすぐ止めろ今すぐ止めろ! 取り返しがつかなくなるぞ!?」

  自分の相談事も重大だったので放置しておくのも問題があったが、翔太としては母がマルチ商法の餌食に
 なることのほうがよっぽど重大だった。

  なぜなら、楓が被害に遭うということは下手をすれば借金を背負うわけで、そうなると翔太自身の借金問題
 どころではなく、毎月の援助物資事態が危うくなりかねない。

  が、ポジティブ天然マザーはけらけらとおかしそうに笑った。

『なぁに? 翔太は私に先を越されるのが嫌なんでしょうぅ? 負けないんだからねぇ!』

「おい! 人の話はちゃんと聞け!」

  翔太の声が届くか届かないかのうちに、電話はぶつりと音を立てて一方的に切断された。

  はぁ、と翔太は肩を落とした。落とすしかなかった。これでは掴むべき藁も見つからない。

  思えば、翔太には母に口で勝てた記憶がない。まだ翔太が幼いころから、楓は言われたくないことがある
 と、のらりくらりと暖簾のようにこちらの言い分を聞き流していた。

  小さいころ、そうあれは……アレは………まあいい、思い出せないがとにかくそうだったのだ。

  今回に限ってはまだ何もいわないうちから冗談交じりで電話を切られてしまったが、なにか自分に聞かれ
 て困ることが母にあったのだろうか、と翔太は考えた。

  確かに借金は頭が痛くなるぐらい深刻だが、まだ伝えてもいない。

  結局考えただけではなにも浮かんでこなかった。ともかく、母親の援助が期待できない以上、自力で何とか
 するしか残されていない。

  ふと、翔太には心当たりがあった。ユウキと約束していたことがある。上手くいけば藁ぐらいは掴めるかもし
 れない。

「だからだな…いいかげん睨むのは止めろ……」

  先ほどから厳しい視線を感じる背中越しに、言葉を投げかけた。

  楕円形に近い形状を持つほうはどうでもよいオーラを出している。背を向けているのでこちらの話など聞い
 ていないようだったが、侍の姿をしたお方がご立腹のようだった。

「ふん、塵ほども使えん男だな。おぬしは」

  振り向いた先にいた侍が見事に着こなした袴は開けっ放しの窓から吹く風でゆれ、彼女から感じる全体的
 なイメージとして凛とした意志を持つ、柳の如き静けさが秘められているようであった。

  すっきりと整った鼻筋をやや横に向けながら、キリイは嘲笑を浮かべて吐き捨てた。
 
「おぬしのあまりにも愚かな行動のせいで多額の借金を負ったあげく、母殿に頼む始末。あげく用件を伝える
こともできないとは……全く使えん」

「ぐっ」

  せっかく電話口を押さえて声が漏れないようにしていた翔太だが、六畳一間でこそこそ電話しても会話の
 内容は筒抜けのようだった。

  言葉に詰まっていると、キリイは疲れ果てたため息をつき、首を左右に振りながら肩をすくめて見せた。

「……まあ、期待はしておらんかったよ………」

  確かに、翔太のせいで不測の事態が起こった以上、何も言い返せるわけがなかった。翔太としては何を
 いわれても耐えるつもりでいたのだ。

  が、

  最後の諦めた物言いに、ただですら沸点の低い翔太の頭にスイッチが入った。意地悪く唇を吊り上げ、
 キリイが一番いって欲しくないことをいう。

「ああ確かに俺が意地を張っちまったのが悪いさ。だがな…」

  人差し指を勢いよく指し、キリイに突きつける。

「テメエみたいな暗所恐怖症ヤロウにそこまでいわれる筋合いはねぇな」

  ビクン、と大げさなほどキリイの体は揺れ動いた。

「なっ、なんのことだ…?」

「俺が気づいてないとでも思ってんのか? なら随分おめでたい頭の作りしてんな」

  焦るキリイ。人間であれば、顔を真っ赤に染めているか、冷や汗の一つも流れていようものだが、如何せん
 精密機器の集合体であるキリイはそうとわからない。

  だが間違いなく、恥ずかしさ、とか、焦燥、の感情が浮き彫りになっている。

「どうして一週間やそこらで電気料金があんな高額になったのかと思って調べてみれば、肌のためだなんだ
とか抜かしがったてたくせに、ただ単に暗いと怖いから照明つけてるだけじゃねえか!」

  一週間で十二万という破格の電気料金を記録した悪夢は、今でも翔太の一番鮮明な記憶倉庫に収めら
 れている。

  いくらなんでもキリイが増えたぐらいでここまで増えるはずがないと疑問を感じた翔太が調査したところ、
 夜中キリイは充電用『缶詰』の内部照明を使っていたのだ。

  キリイはその状態で一晩中充電をしていた。内部照明はかなり大量のW数を使うから、金額がオーバー
 するのも無理はなかった。

  しかも、最大出力でつけっぱなしだったのだ。

  これが、キリイが暗所恐怖症であると悟った由縁である。

「ぐ、ぐぅ……別によかろうがっ! 暗いのが怖いことの何が悪い!?」

「だってなぁ、機械なのに暗闇が怖いって……くく、冗談にしては笑えなさ過ぎるぞ……くくく」

  笑えないといっておきながら忍び笑いが絶えない翔太。。

「ま、アレだな。暗いのが怖いんなら泣きついてもいいんだぞ? 遠慮なく胸は貸してやるからな」

  両腕を広げて、最早準備は万端である。もう少しまともな場面だったらロマンスの一つも起きそうな予感
 があるのだが、嘲りが張り付いた翔太の表情では土台無理であろう。
 
  翔太の笑いに比例するように、キリイの手がわなわなと震えだした。

  怒り、憤怒、嚇怒、激情の類が全て拳一点に集中していくように見える。

「武士に向かってなんたる侮辱……許さんっ!!!」

「お? やるってのか、この恐怖症!!!」

  おのれ等以外誰もいないと豪語するかのように声を荒げていく一人と一体。知らぬ存ぜぬを貫き通し
 ているタマゴは完璧無視状態であった。背を向け、なにやらぶつぶついっている。

  傍観するつもりも無いらしい。

  翔太とキリイのケンカが開始までカウントダウンされ始めたとき、ゴングの代わりに薄い木材を打ち鳴
 らす抗議の音が聞こえてきた。

  スタンプスタンプ、いつもどおりお隣さんから無言の抗議だった。

「…」

「…」

  興を削がれた二人は、ぐるりと周囲を見渡した。身近にある物を検分するように眺めてから次々と視線
 を動かしていく。

((なにか、別なことで決着をつけられないか? なにかちょうどいいもの…そう、たとえばダーツなんかで
 勝負をつけよう…ならちょうど良い的が必要だ、そうちょうどよい的が……))

  こういうときだけは意見が一致する彼らである。

  そして、例外なく二つの双眸が見事な楕円物体を捉えた。ただならぬ気配を察したのか、タマゴはビクリと
 跳ねると、恐る恐る、ゆっくりと体ごと向き直った。

  タマゴの視覚センサーに映ったのは、悪魔の笑みを浮かべた非道人たち。恐怖のためか、トラウマのせ
 いか、タマゴの全身が震えだしていた。

「あ、あ〜う〜」

  腰が抜けて立つことは出来ない。這って逃げようとするも、タマゴの腕は虚しく空を切るだけだった。

  キリイと翔太、彼らの思考はまたもや重なった。

「「見ぃつけたぁぁ」」

「い、いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

  思わず耳を塞ぎたくなる断末魔は、果たしてどれほど遠くへ届いただろうか。

  いつの間にか晴れ上がった空。

  真南に昇りきった太陽が容赦なく日光をぶち撒け、じりじりと熱帯へと気温を近付けていく。気の早い蝉
 が木立の隙間から合唱を始めているが、夏はまだ来ない。

  和やかな日常風景は地平の彼方まで伸び、陽炎で揺らいで境界線をはっきりと明示させない。しかし、
 雨上がりから漂ってくる土と草の匂いは、かぎなれた季節の匂い。

  つまり、夏はもうすぐだ。

  忘れられない夏になればいいと、心からそう思う。













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