日々、歩き







  午前中で学校が終わり、数時間後。つまり夕方

  一度家に帰って私服に着替えた稔と桃花は、鳴神市最大のショッピングモール『アカイ
 ア』でラブラブカップル様を周囲の人々に見せつけ二人楽しくウィンドウショッピング、は少
 なくともしていなかった。

「どけどけ! おい! その卵は俺のモンだ! 離せ、ムラサキ婆ぁ!!!」

「キー! うるさいわよ、こわっぱが!!」

  稔と、パーマ頭に紫色の頭髪をもつ主婦が戦いを繰り広げている。しかし、鬼の形相であ
 るのはその主婦一人だけではない。

  スーパーに集う五十人を超える者全てが、怒る容貌羅刹の如しである。

  時は夕方、スーパーのタイムセール。それは命を賭した主婦たちの戦場。愛しい我が
 子と、最近はどうでもよくなってきた夫に、より新鮮な、より安くすむ食事を提供するための
 フロンティア。

  稔は、悪鬼の如く押し進むオバタリアンの群れを突き進んでいた。だが、初めのうちは
 果敢にも交戦を続けたものの、膨大に膨れ上がった『主婦根性』に呑み込まれつつあった。

「激・無双乱舞!!!」

「グハァ!」

  油がのった主婦の太っ…まあ、よく言えばふくよかな体格に押され、稔は突き飛ばされた。
 それでも人の波は止まることを知らずに稔を巻き込みながら動き出す。

「だ、だれか! 衛生兵ぃ! 衛生兵ぃぃ!」

  群集に押し流されだした稔は、必死に救援を呼んでいる。人の流れの上流へ、上流へ。
 時折、頭や腕が見えるが、目的の聖地(特売コーナー)からは離れつつあった。

  被災地から遠く、体を恐怖でぷるぷる震わせながら、桃花は稔の無事を祈っていた。

「ぁぁ、天に、まします、我らが、父よ…」

「おっと、ごめんよ」

  桃花の肩に誰かがぶつかるが、今はそれどころではない。

  死者に対する祈り。いまや現実のものとなりつつあった。

「衛生兵ぃぃぃ! 衛せ…ッ!!!」

  怒涛の如く押し寄せるオバタリアンは強かった。主婦は強しではない、オバタリアン強し
 だ。稔の意識は、迫りくる肉塊を見たのを最後に、死に絶えた。





     第九歩/ 異なりて、能ありき、力






「どれどれ、今日の戦果は…と」

  夕焼け空を望める透明なドーム型天井の下。舗装され、赤いタイルが幾何学模様に敷き
 詰められた歩道。通路脇、木製の長椅子に腰掛て、稔は本日の戦功を確かめる。

  かろうじて買うことができた商品を、中学時代に家庭科の時間で作った手提げ鞄から
 取り出していく。余分な袋は貰わない、稔はグリーンコンシューマーだった。

「卵二パックな〜り、ほうれん草一束な〜り、サバの味噌煮四パックな〜り」

  桃花は稔の隣に座り、息を呑みながら顔を強張らせている。袋に入っている食材
 が古舘家の水より大事な食料となるのだから当然といえる。

「三百グラムの牛肉三パックな〜り」

  カエルの柄が縫われた買い物袋に手を入れる。もう何も入っていない。だが稔は
 満足げに頷いた。

「ふむ。なかなかの成果が上がったな、バニラアイスも買えたし」

「ほん、と!?」

  不安げだった桃花の顔が満面と輝く。

「ああ、こんなにボロボロになったかいがあったってもんだ」

「そう、だね」

  桃花は同意する。稔は満身創痍だった。掴み、掴まれ、破き、破かれの攻防を繰り広げた
 結果。丈夫さが命のジーンズまでも引き裂かれ、着衣は乱れていた。

  だが、稔の顔には幾人もの豪傑と戦ったことである種の達成感が煌々と輝いていた。

「うむ、やはり猛者は三丁目の『赤い彗星・新橋さん』と『柳の田渡さん』だったな」

「そ、そうなの?」

  若干引いた様子で、桃花が訊く。

「ああ、すごいぞ。新橋さんは相手を突き飛ばすことで常人の三倍速で動くし、田渡さんは
痩せ細っているから僅かな隙間を漂々と通り抜けていくんだ……」

  そして、付いた「あざな」が『赤い彗星』と『柳』。後者はともかく、前者は何が元ネタか
 丸分かりである。

「そ、そうなん、だ…」

  話題についていけなくなりつつ桃花を無視して、稔は更なるトリップを続けていた。
 
  今蘇る、豪傑たちとの武を競い合った悠久の思い出の数々。中でも根強く残るは伝説を
 謳われた三代目主婦頭・進藤さんとの戦い…。彼女のあざなは『呂布』であった。

「俺もいつかいわれてみたいなぁ、『お主こそ、万夫不当の豪傑だわよ!』とかさぁ」

「ふ、ふ〜ん」

  遠い目をしながら空を見詰める稔の目には、空に浮かびながら、歯を白く輝かせて親指
 を突き立てる幾多の英霊の姿が克明に映っていた。

  思い出す。初めて商店街デビューしたのは小3の時だった。あの頃、轟々と殺気立つ
 主婦たちの気迫に押し負け、何も買えずに泣きじゃくりながら帰った記憶。あまりに辛いトラウマ。

  だがいまや自分も立派に戦えるまでに成長していた。これまでの間に、幾多の豪傑た
 ちの死闘を見た。目当ての商品が手に入らず無念に涙する者たちを見送った。

「俺、立派に戦えてますか?」

  夕日に浮かぶ、散っていったかつての英雄たちが稔に優しい視線を送っていた(幻覚)。

  大丈夫お前は十分やっているよ(幻聴)、と。

  零れ出そうな涙をぐっと堪える。戦いの日々はこれからも続くのだ、こんなところで立ち
 止まってはいられないのである。

「あ、れ?」

「どうした?」

  突如、隣からの困惑に囲まれた声に、稔は顔を向ける。桃花が、ブラウスやスカートのポケット、
 バッグ等全てをまさぐり、何かを探しているようだ。朱光が顔の造形に深い翳りを作っている。

「お財布、落とし、ちゃった、みたい…」

「なんとぉ!?」

  意味不明な言葉を叫んだ稔は、しばし突然のカミングアウトに呆然。やがて桃花が絶望
 に肩を落とした。

「ごめん、なさい…」

「む、むう」

  既に買い物を終えているからまだいいとして、困ったことには変わりない。無くなった財布
 には古舘家の家計を支えるカードやらなんやらが入っていたのだ。

  必要な分以外の金は桃花に預けることで、二重の警戒態勢をとる。

  稔は家計を、桃花は現金を管理することが基本体制となっている古舘家。和葉の仕事は、ない。 

  厳しい事情を察してか、桃花の目には涙が浮かび始めていた。夕日に輝き、雫は普段ない
 美しい朱を中に留めていた。次第に、嗚咽が混じりだす。

「ご、ごめん、な、さ、い…ぅ」

  顔のラインが赤を基調とした光に縁取られ、泣いているといるのに桃花の美しさを引き立てる
 役目を果たし、見るものを魅了する。

  高鳴った。稔の心臓は激しい動機に襲われた。

  …まあ、恋の予感など微塵も感じさせない意味で、であったが。

(ま、まずいっ!)

  周囲を目視する。長椅子に座っている稔たちを、通行人たちがチラチラ見ているではないか。
 
  ある女性は女の宿敵でも見たように、辟易した目線で稔を睨みつけ、またある男性は
 稔を嫉妬と嚇怒の視線で射殺そうとしていた。

(激しく勘違いされてる…)

  事情を知らぬものが見れば、間違いなく稔が桃花を泣かしているように見える。稔の
 心臓は他の生物から寄せられる殺気に、生命の危機を察した。

  危機的状況から避難するために、稔はある策を思いついた。

「そ、そうだ桃花。財布にくっついてた物が残ったりしてないか? キーホルダーとか
レシートとか、財布に一度でも触れたものがあるなら出してくれ」

「ぅ?」

  目元を手で拭いながら、桃花は服やバッグを調べ始めた。と、桃花は何か見つけたのか、
 掴んだものを握り締め、稔に差し出してくる。

「ぅ、これで、いいの?」

  桃花が取り出したのは、鈴が四つ付いたキーホルダーであった。秀麗な鈴音を奏でさ
 せるそれを、稔は受け取る。

「ああ。これ、財布にくっついてたんだろ?」

「うんっ。チェーンが、ひくっ、さっき、壊れちゃった、から、はずして、ぅ、おいたの」

  目を赤く腫らしながら、桃花は言葉を紡いだ。

「でも、それで、ひぅ、どうする、の?」

「おいおい、俺の"力"を忘れたのか?」

  人指し指を左右に振る。愚問だと言いたげな稔の言葉に、桃花はアッと息を呑んだ。ここ久しく
 見ぬせいで念頭からはすっかり欠落していたようだった。

  まあ待ってろ、というと、稔はゆっくりと目を閉じて、集中し始めた。桃花は黙って、涙を
 拭き取りながら見守っている。

  数秒後、稔はゆっくりと目を開いて、日が沈んでいく方角、西を指差した。

「こっちだな」

  立ち上がり、指差した方向へ稔は歩き出した。置いていかれないよう、桃花も立って
 小走りで稔に追いつく。

  その後、稔の先導する通りに歩く。

  信号を渡り、スクランブル交差点を右へ、歩道橋を二つほど通って、左、徐々に『アカイア』
 から遠ざかり、住宅街に移った。

「もうすぐだ」

  稔の重い言葉に、桃花は目を瞬かせた。こんなところに来た覚えはないからだ、てっきり
 『アカイア』の商店街で落としたものだと思っていたのに。

  稔の導きで来たところは思い当たる節がまったくない住宅街だ。しばらくとぼとぼと歩い
 ていると、前方に人影が見えた。

  後姿に、稔が声をかける。

「すいませ〜ん!」

  稔に呼びかけられ、前方の人影、背の高いジャージを着た、二代後半らしきの男は振り返
 った。稔は小走りで駆け寄る。桃花も続いた。近くまで行くと、男はいかにも嫌そうな顔で、

「なんだよ」

  ため息交じりの無愛想な反応に、稔は嫌な顔見せずに、

「ちょっと聞きたいんですが…」

  先を濁しながら、しかし毅然とした態度で、

「あんたの右ポケット見せてくれよ」

  口調がガラっと変わる。これに驚いたのは、目の前の男と隣にいる桃花だった。

「稔。なに、いってる、の。失礼、だよ」

「そうだ、その姉ちゃんの言うとおりだぞ。テメエ何様のつもりだ?」

  眉を吊り上げ睨みつけてくる男の眼光をさらりと受け流し、稔は冷然と続ける。

「黙れよ。見せるのか、見せないのか、どっちだ?」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。頭おかしいんじゃねえのか? ほらよ、満足したか!」

  憮然として、男がジャージのポケットを裏返す。だが、何も出てこない。桃花が謝ろうと
 一歩進もうとする、が、稔が左手で制した。

「そっちじゃない、上着のほうだ」

  男は急に青ざめると、眼光を鋭くした。

「なんでテメエみたいなガキに命令されなきゃいけねえんだよ」

「うるさいんだよ、スリのくせにいい気になるな!」

  稔が叫んだ。すると、男の顔が緊張で固まった。桃花も僅かに身を竦ませる。稔は
 桃花を顎で指しながら。

「お前がこいつからスリをした現場を見たんだよ。ジャージの上ポケットに財布が入ってるこ
とも知ってる。今なら警察は勘弁してやるから、はやく返せ」

  右手を差し出して、返却を求める。もっとも、稔がいったようにこの男がスリを行った所を
 見ているはずがない。全ては稔の"力"からわかったことだ。

  おそらく、人ごみの多い夕方を狙われたのだろう。さらに、一人激戦区から離れていた
 桃花は、稔のほうに集中していた分、気づかなかったのだ。

  顔を蒼白にしながらも、男はジャージのポケットに手を突っ込んだ。

  財布を返してくれるのか、と、思った刹那。
  
「うおらぁ!」

  十センチほどの銀光が、瞬く。男が取り出したのは財布ではなく、バタフライナイフだった。

「くそっ」

  舌打ちとともにバックステップで避けるが、追撃は稔に迫っていた。男のナイフが向かってい
 るの顔面、がむしゃらに振り回しているので狙ってはいないのだろうが、当たればまずい。

  鈍色の光沢をもつ凶器が迫る―――瞬刻。

「ダメっ!」

  桃花が叫んだ。手のひらを前にかざし、男に向けている。だが殺意を持つ男を止めるには、
 一人の少女の懇願は意味を成さない。

  …はずなのだが、

「がッ」

  声にならない悲鳴とともに、男の肺から全ての空気が搾り出される。男が感じたのは、脇腹に
 綺麗に決まった強烈な衝撃、ハンマーでぶん殴られたものによく似ていた。

  稔に向けていたナイフはそのまま握り、男の体が水平に吹き飛び、電柱の脇に捨てられ
 ているゴミ袋に突っ込んで行った。この辺りの主婦はゴミを出す日を守らないらしい。
  
  と、どうでもいいことが頭をよぎったのを最後に、男の意識は低迷に沈んでいった。

「稔、大丈、夫!?」

  すぐさま稔に向き直り、桃花が心配する。稔は、冷や汗が流れていた額を拭いながら、

「な、慣れない事はするもんじゃないな」

  桃花はホッとため息。だが即座に、稔の無謀な行為を責め立てる。

「なんで、あんな、ふうに、いった、の」

「いや、強気にいかないと返してくれないかな〜って思って…」

「駄目、だよ。稔は、弱いん、だから」

「ぐはっ、心に突き刺さる」

  気にしていることをいわれた稔は、胸を押さえてうずくまった。地面に、涙で「の」の字を書き
 始めた。大人げ無さすぎである。

「いいさいいさ、俺は渚みたいに空手チャンピオンでもないし、桃花みたいに強い"力"も持ってな
いんだからさ………」

  夕日に黄昏る稔の表情が、一気に年をとったように感じる。幼い子供みたいにいじける稔
 を、桃花はなんとか元気づけようとする。

「あ、でも、稔の、"力"が、なければ、お財布、見つから、なかったよ!」

  そういって、桃花は完全ノックダウンしている男の上着から、取られた財布を取り出した。
 確かに古舘家の生命線である財布だった。

「ほら、ね?」

  初めてのフォローらしいフォローに、稔は、

「そうか? そうだよな、そうに違いない! あっはっは! 俺すげえ! 俺最高! 俺崇めよ!」

  頭にのった。

「あぅ」

  だから言いたくなかった、とばかりに桃花は肩を落とした。

「あっはっはっは! やっぱ俺すげえな! ファンクラブとか出来ないかなぁー?」

  高笑いを続ける稔のテンションを下げるのに、四十五分。さらに家に帰るまでに三十分。
 桃花が家に帰ることが出来たのは、すっかり太陽が隠れてしまってからであった。



            #       #      #



「ふんふ〜ん」

  カーテンで締め切られ、隙間までもガムテープで塞がれ、真の暗闇が支配する部屋。人
 の姿をしているものは鼻歌を歌いながら机の上に置かれた二枚の写真を交互に指差していた。

「つぎはどっちにしようかな〜」

  女生徒が映っている二枚の写真上を、白く細い指が妖しく滑る。

「ひとりはもう殺したし、残りは二人・・・」

  すると、何が嬉しいのか、人影は低く笑い出した。

「あはは、この二人の怒りようといったらなかったな〜。あんなに焦っちゃってさ」

  人影は、図書館で見た二人組の姿を思い起こした。偉そうにわめき散らして、汚いもので
 も見るようにさげずんでいた彼女らを。

  今までは奴らのする行為を、ただ指を咥えているだけだった。だが今は違う。

  いままでストレスを発散する為に殺してきたのは、犬や猫。

  本当は人間を殺してみたかった。どんな感触がするのか、どんな悲鳴を上げるのか? 
 一体どれほど妄想に悶える夜を繰り返したことだろう。

  だが、もう我慢する必要がなくなった。

  一週間ほど前、初めて”力”を試した時の快感といったらなかった。まさかアレほどイイ
 なんて、もう小動物なんかじゃ満足できない。
  
  もっともっと殺したいのだが、とりあえずこの二人を殺してからゆっくりと、少しづつ被害を
 拡大させようと思っている。
 
  …………自分の欲望の赴くままに。

  指がさらにすべり、一枚の写真の上で止まる。

「やっぱり、殴ったほうが初めだよね」




   ――――そして、また日が昇り、時は夕方。




 


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