日々、歩き












       

     第八歩/流れゆく運命










『十四日の朝八時前後、鳴神市内のミッション系ハイスクール、聖・命樹高校に通う 折原 恵美(17)
 さんが殺害された。同日、鳴神署は命樹高校職員 宇藤 孝治容疑者(32)を殺人容疑で逮捕。
 なお、凶器は不明。動機もわかっていないとのことである。事件の早期解決を願いたいものだ』

  いいかげんな内容。何が起きたのかすら定かにされていない。

「なんだよ、これ?」

  新聞記事を見て、渚は歯噛みした。そこに書かれている内容が信じられなかったからである。

  ―――――――――あまりにも扱いが簡単すぎる。

  異色の、または異例の事件であったことは明白である。そのことは昨夜、酔ってベロンベロンに
 なった祖父から聞き出したことで間違いなかった。

  『今回の事件を実行可能な凶器は世の中に存在しない』

  渚は、そう聞いている。新聞記者なら喜んで憶測を飛ばすような、美味しい事件のはずであった。

  なのに、事件の記事はかなり後ろの面、二十面の隅っこに縦横四センチほどの枠内に書かれ
 ているだけであった。

  だがここに書かれているのは簡単な説明だけ。

  気になる点はそれだけではない。

  事件の容疑者として、渚の担任である宇藤教師の名が挙がっているが、にわかには信じられなかった。
 それは安易な情による憶測などではなく。確固たる根拠あってのことである。

  渚は、八日前に起こった謎の人体切断殺人事件の犯人と今回の事件の犯人は同一人物だと考えて
 いる。その点から推理すると、昨日はともかく、宇藤教師の八日前のアリバイなら自分、それに稔や桃花
 たちも証言できる。

  よって、宇藤教師は犯人ではない。

  渚としては、思うところは数多くあったのだが登校時間が迫っていたので、記事を切り取り、クリアファイ
 ルに入れ、自分なりの注釈を書き込み、家を発った。



               #      #      #



「ん〜ありえない〜ありえない〜♪ 明日からも普通に学校だなんて〜♪ ありえない〜♪ ふ〜ん♪」

  歌っているのは稔。ハミングが良く効いている。

  そんな稔の美声(?)は教室を包む不平不満のざわめきに掻き消されていった。

  命樹高校の全校朝会は通常の高校と違い、教室で行われる。体育館に全校生徒が入りきらないのだ。
 それは命樹高校の抱える生徒の人員数の多さを物語っており、朝会自体は各教室の設置されているテレ
 ビを通して行われる。

  そして、つい二十分ほど前、時間にすると八時四十分ごろに全校朝会は開かれた。

  それが現在、生徒たちの不満を買っているのである。

  テレビに現れたのはシスター兼学長のマリア・ベルナデッタ・スビルーであった。名前からもわ
 かるように外人である。年齢は五十代半ばといったところ。

  命樹高校はミッション系、つまりキリスト教の教えをカリキュラムの中に組んだ高校である。よって職員
 の中にはシスターも含まれるのだが、シスター兼学長というのは大変なものである。

  それでも彼女は嫌な顔一つせず、学長としての職務を行う傍らで、日夜生徒たちにキリストの教えを
 説いている。

  いつもは顔には親しみ易い皺がいくつも浮かんでいる。しかし、今はどこか凛とした面持ちで、修道衣に
 身を包みんでいる。そしてブラウン管越しにゆっくりと語った。

「皆さん、昨日の事件は大変悲しいことです。皆さんの中には心に深い傷を負った方もたくさんいるで
 しょう。しかし、本校はこれまでどおり授業を行います。これは亡き折原 恵美さんに対する慰霊でもある
 と考えるからです」

  随分流暢な日本語で言って、ベルナデッタ学長はあれこれと理由を語り、注意事項も述べ、今日はこの
 朝会が終わり次第、HRを行い帰宅する旨を生徒に伝え、最後に祈りの言葉でしめた。

「それでは皆さん、祈りの言葉を言いましょう。天にまします我らが父よ、願わくは御身のもとに折原 恵美
 が安らかに召されんことを。エイメン」

  こうして朝会は終わったのだが、通常通り学校が運行するということに納得できない生徒たちが
 数多く現れ、稔は歌いながら愚痴っていたのである。

  そんな稔の姿を見ていた渚はため息をついて言った。

「お前、ほんっとテンション高いよな」

  隣で、桃花も頷いた。

「ほんと、どう、して?」

  と、言われても稔は頭を捻るだけであった。本人にとってはどうやら普通のテンションらしい。

  稔の頭の上にクエスチョンマークがいくつも浮かんで消えていく間に、教室のドアがスライド。
 入ってきた男は二年六組担任、宇藤 孝治ではなく。いつもだらだらの白衣に身を包んだ生物教師の
 佐藤 修二であった。

「はいはい、みんな席に着いて。出席をとるよ。早ければ早いほど、すぐ家に帰れるんだからね」

  気の弱そうな線の細い声で佐藤が言う。すると、教室の後方から質問があがった。

「先生! 宇藤先生はどうしたんですか?」

  佐藤の顔が一瞬困ったように歪み、すぐに持ち直して言った。

「宇藤先生は昨日の事件の重要参考人として警察に行っています」

  教室中にどよめきが起こる。

  佐藤の答えで生徒たちの好奇心を抑えられたはずも無く、続けざまに質問が飛び交う。

「やっぱり、昨日の事件、宇藤先生が犯人なんですか?」
「本当に宇藤さんがやったのかな?」
「でも宇藤先生がそんなことするなんて・・・」

  ざわめき始めた教室は静まる気配なくさらに沸き立っていく。佐藤は息を深く吸い込んでいった。

「みんな静かに!」

  教室の視線が、教卓の佐藤に集中する。

「宇藤先生のことは僕にもわかりません。けど、みんな宇藤先生が殺人なんて出来るとおもい
 ますか? どうです?」

  問われ、教室全体がしばし考えてから、皆が首を横に振った。宇藤教師、なかなか生徒たちの人望
 が厚いようである。

「そうでしょう。なら、真犯人がいるに決まっています。皆さんは宇藤先生の無実を信じているだけで
 いいんです。そして犯人が捕まったら、宇藤先生をやさしく出迎えてあげましょう」

  し〜ん、と教室が静まり返る。

  佐藤は、自分があまりにくさいセリフを言ったことがわかり、赤面した。

  だが、教室からはまばらながらも拍手が起こっていた。

  その第一人者は稔であった。

「よっ! 佐藤先生! 男前!」

  稔がはやし立てると、まばらだった拍手がいつの間にか喝采に変わっていた。

  桃花も微笑みながら拍手を送っている。

「佐藤先生かっこいい!」
「さすが、言うことが違う!」
「俺、感動したっす!」

  佐藤はただ戸惑った様子で教室を見回していた。

「え? え? ええ?」

  このような演説を素で行えるあたりが佐藤の、佐藤たる由縁であり、人気のつぼでもあるのだろう。



              #       #       #



  第2図書館。

  そこは命樹高校の北東に位置する資料別館三階に位置する巨大な図書館である。そこはもはや
 本の博物館といっても障りは無い。

  ちなみに、第1図書館はすぐ真下の二階にあり、そこにカウンターがある。二階と三階は螺旋階段で
 繋がっており、三階のほうが静かに勉強できるところである。

  そこに、渚はひとりでいた。

  稔たちとは『図書館に用があるから』といって既に別れている。稔がいると調べられるものも調べら
 れない。なぜなら、稔は今回の事件に、自分が首を突っ込むことに反対しているのだから。

  渚は今回の事件を自分ひとりで調べようとしていた。もともと自分ひとりでやるつもりだったのだ。

  桃花は手伝ってくれると言っていたが、下手に手伝いを頼むと稔に感づかれてしまう。

  それに、図書館なら静かだし、邪魔も入らない。考え事をするにはもってこいだ。

  佐藤の言うように、渚は宇藤が犯人だとは微塵も思ってはいない。渚は鞄から事件記事のスクラップ
 されたファイルとルーズリーフを何枚か取り出し、手近な机に座って今わかっていることを書き込んでいった。

  昨日の事件の発生時刻、あらまし。八日前の第一の事件、時間の経過、状況。考えうる凶器。

  B5のルーズリーフの二分の一も埋まらなかったが、現況ではこれで精一杯だった。それを眺めて、
 改めて事件の全貌を掴もうと思考する。

  渚が考える事件の第二の犠牲者、折原 恵美は中央校舎の時計塔から落下している。時計塔
 は、中央校舎と合わせて四階建てのビル程度の高さである。

  折原 恵美はそんな高さから落下して、自力で立っていたらしい。もっともその直後にさらに酷い目
 にあったのだが。

  ともかく、折原 恵美が落下した時、生徒たちの誰もが目を閉じた。そして、このタイミングしかないという、
 絶妙の時に、彼女を殺害した。生徒たちが彼女の無事を確認し、安心した瞬間である。

  これまた絶妙のタイミングで宇藤教師が折原 恵美に近づいていたことも災いした。

  ―――あきらかに愉しんでいる。

  これらのことから、犯人は愉快犯か、殺しに愉悦を覚える人間であり、しかも、殺害に計画性をもって
 行えるほどの高い知能の持ち主ではないかと渚は思っているのだ。

  新たに浮かんだ考えを書き込み、斜線で消しては書き込んでく。

「う〜〜ん」

  三十分ほど経って、渚は疲れたようにイスに寄りかかって背伸びをした。

  わからないことだらけであった。それだけに推理もまったく進まない。

「あっ」

  と、渚の脳裏に閃くものがあった。メッセージである。現場に残されていたという予告文。

  『次はおまえらの番だ、神の審判を受けよ  〜eriel〜』

  それが唯一にして、最大の鍵だと渚は睨んだ。eriel、エアリエルと読む、おそらく名前であろう。
 渚は思い立つと、さっそく調べ始めた。

  図書館内にいくつも配備されている、案内用の端末を使ってデータベースにアクセスする。

  この端末は図書の検索だけではなく、単語から特定の文書、または書籍を見つける機能を持って
 いる。これを使えばエアリエルという単語の意味を容易く調べることが出来る。

  やがて、ディスプレイに片翼が天使、もう片方が悪魔の翼を持つ天使を象ったマーク。下には英語
 で『Azazel』と表示され、検索画面が映る。打ち込み、検索結果が上からスクロールするように表示された。

【エアリエル 〜eriel〜】

  ・大気の精霊。風の精霊シルフィ

  ・語源は聖書イザヤ書、エゼキエル書で出てくる「神の祭壇の炉」という意味、ギリシャ語では
   アリエルと言われる。

  ・シェイクスピアの作品「嵐(テンペスト)」の中では、エアリエルは魔女シコラックスに松の木の中に
   十二年間閉じ込められていたところを助けてくれた魔法使いプロスペロに、十六年間忠実に仕える
   使い魔ファミリエールとして描かれている。身体が小さく、優美な翼を持ち、自在に大気・火・水・風
   の中を飛び、姿を消す力を持ち、パックのように悪戯好きで陽気な性格の独自の妖精とされている。

  ・アレキサンダー・ホープ「髪盗人」では、エアリエルは美女ベリンダの守護精霊の一人となっている。

  ・ミルトンは「失楽園」の中で、エアリエルを天に反逆した堕天使の一人としている。

  ・天王星の第一衛星


「・・・・・・はあ・・・」

  渚は落胆のため息を漏らした。閃いたまではよかったが、これではなにがなんだかさっぱりである。
 渚としてはもっと事件の核心に迫るようなものを期待していたのだが、人生そう上手くはいかないらしい。

  と、渚の背後、いくつか先の本棚を超えたところから聞こえる声があった。いや、性格には声では
 ない。それはどことなく気まずい雰囲気であった。

「・・・・・・・ッ」

「ぁ・・・・・・・っ!」

  短い悲鳴のようなものが聞こえた。何事かとおもった渚は声がしたほうにゆっくりと忍び足で近づいていく。
 どうやらその声は図書館の右側に八つほど作られている、防音素材の壁に囲まれた個室からのようだった。

  ドアが少しばかり開き、そこから声が漏れ出している。よく声は聞こえないが、中は見ることが出来た。

  渚が見るに、なんというか、単純にいじめの現場であった。

  一人の眼鏡をかけている女生徒を二人の女性徒が囲み、怒鳴り散らしている。時々、
 眼鏡の女性徒の胸倉を掴んでは、平手打ちを加えている。

  渚は、思い切って飛び込んだ。

「おい! なにしてんだ!」

  渚の怒声に二人の女生徒は一瞬怯んでから、先ほどまでいじめていた女生徒に向かって怒鳴った。

「ともかく! どうやったかは知らないけどあんたがやったってわかってるんだからね! よくも、恵美を・・・!」

「ちょっと、見られたからまずいよ! もう行こう!」

  怒鳴っていたほうを相方が制した。名残惜しそうに床に倒れている女性徒を睨んでいたが、鼻から息を
 だすと。渚を押しのけて早々と部屋を出て行った。

  あとに残されたのは渚といじめられていた女生徒のみ。渚は、女生徒に手を貸して立ち上がらせようとした。

「大丈夫か?」

「あ、ありがとうございます・・・あの、ほんとうにありがとうございました!」

  眼鏡の女性徒はいきなり叫び、自分で立ち上がって個室を走って出て行ってしまった。

「なんだありゃ?」

  渚は、伸ばしていた手をそのまま後頭部にまわして頭を掻いた。

「ん?」

  目の端に分厚い何かが見えた。床に落ちているそれをかがんで手に取る。ハードカバーに覆われた
 本のタイトルが目に入った。

  「失楽園」 著・ミルトン

  短いが、どことなく力強いタイトルである。その本の持ち主に渚は心当たりがあった。
 先ほどいじめられていた少女。あの眼鏡はいかにも文学少女といえた。

  というのは偏見だが、渚はこの本をあの少女が抱えていたのを部屋の外から見ていたのだ。

  ともかく、この本は彼女に返さねばなるまい。

  背表紙を見ると、命樹高校の判子が押されいた。つまり、この本は図書室の本である。
 渚は端末に本のタイトルを入力して、この本を借りた人物の名を調べることにした。

  なぜなら、本を返すためにはまず名前を知ることが先決である。

  タイトルを先ほどの端末に入力し、表示を待つ。やがてリストが現れ、最新の貸し出し記録を見る。

  六月六日、借りた人物の名前は井上 小夜子。

  貸出日は第一の事件発生の二日前であった。








 

一歩進む  一歩戻る   振り返る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送