日々、歩き












       

     第七歩/ 旧き約束











  太陽はすっかりと沈み、世界を照らすのは無機の光。家々から漏れる白い光が路地の闇を切り取り、
 幾筋もの亀裂を生む。外灯は己が足元のみを照らし続けている。

  警察署から帰ってきた正隆は、リビングのドアを開けたまま固まっていた。

  動けない理由は他でもない。見知らぬ二人の少年少女のせいだった。

  少年は孫娘と共にキッチンにたち、料理をしている。時々、指示を出しては自分でフライパンを
 振るっていることから少年が取り仕切っているらしい。

  左手のほうでは、一瞬、女神かと見紛うほど美しい少女が食卓に食器を並べていた。だが、手つきが
 危なっかしく、四苦八苦している。

  用意されているのはきっちり四人分。
 
  渚は、敷居の前で立ち止まっている祖父を見て、呼びかけた。

「おかえり、じいちゃん。今日は結構早く帰れたみたいだね」

  渚に続いて、少年と少女もこちらを見やり、手を止めて挨拶をしてきた。

「おじゃま、して、ます」

「おじゃましてマンモス」

  予期せぬ事態に、正隆は渚に問う。

「渚、これはどういうことだ?」

「ああ、こいつら? 俺の友達、こっちのアホ面が稔で、そっちにいる可憐な少女が桃花っていうんだ」

  稔が顔を上げ、桃花に訊いた。

「アホ面? 俺いまアホ面って言われた?」

「うん、言われ、たよ」

  がくりと稔が頭を垂れる。そんな二人のやり取りを尻目に正隆は改めて確認した。

「そういうことじゃなくてだな。今日は、その、アレだろう?」

  正隆は所々言葉を切る。両手のひらを上に向けて、腰の辺りで宙に浮かせている。顔には
 戸惑いがしっかりと浮かび、深い造形をさらに深くしていた。それほど、この事態に納得がいかないらしい。

  正隆にとって、渚との月四回の食事は大切なものである。いくら孫の友人とはいえ、今日は勘弁して
 ほしいというのが内心だった。まして、男なんぞ。一歩でも渚に近づいて欲しくなかった。

「? ああ、なるほど。じいちゃん、それなんだけどさ。たまにはこれぐらいの人数で食べるのもいい
 んじゃないかって思ってこいつらを誘ったんだけど。駄目かな?」

「む、むむう」

「やっぱ駄目?」

  可愛い可愛い孫に、上目遣いで懇願されたら、NOといえない正隆であった。

「・・・わかった、今日だけだぞ」

「やった! さすがじいちゃん!」

「うむ」

  正隆が鷹揚に頷く。

  しかし、表面上は仕方なく了解しているように正隆は振舞っていたが、内心は渚に誉められ
 たことで鼻の下伸びまくりの、顔中の筋肉緩みまくりのデレデレ状態であった。

  それでも、桃花はともかく。稔にだけは心を許さないで厳しく監視せねばと心に固く誓っていた。




                #       #      #




  数十分後。高井家での食事も終わり、各々が好き勝手にくつろいでいた。

  桃花は自分から進んで皿洗いをすると言って、キッチンの奥に消えて行った。たまに聞こえる
 蛇口を捻る音と、水の流れる音。どうやら、順調に洗っているらしかった。

  渚は自室に戻っている。理由は、二人の世界についていけなくなったから。その二人は、テレビを
 置いてあるリビングのソファーに、互いに向き合う形で座っていた。

  互いに、楽しそうな顔をしている。

「がははは! やはり小僧もそう思うか!?」

「そりゃそうでしょう。メリケンごときに日本の武士道がわかるわけ無い!」

  馴染んでいた。かなり馴染んでいた。その姿はどこか、十年来の親友にすら見える。

  きっかけは食事の途中。

  食卓は異様な雰囲気に覆われていた。なんというか、怖いのである。原因は他でもない、正隆であった。
 そのまま飛び掛りかねない様子で、稔を睨みつけていたのだ。

  正隆の顔は、確実に、間違いなく、極道まっしぐらな顔つきである。その顔が、睨みつけてくる。
 それだけで稔は寿命が縮みそうな感覚を覚えていた。

  しかし、険悪なムードに包まれていた二人を、というか一方的に正隆が稔を敵視していただけなのだが。
 ともかく、その二人の間に渚が割って入り、仲を取り持った。

  初めこそギクシャクしていたが、そのあたりは渚のフォローと、稔の楽観的な性格が幸いした。

  それに元々、正隆は悪人ではない。むしろ、気に入った人間にはどこまでも心を許す、昔かたぎの人種
 であった。

  だからお互いに話してみて、正隆は、稔が渚に害を与えることがなさそうだと悟り。
 稔は、顔は怖いがいいやつだと悟ったため二人の仲は今、急速に近づきつつあった(キモい)

  その後、話は二転三転し、今話題の映画の話になっていた。

「そうだ! なーにがラスト○ムライだ! どうせ興行収益をがっぽり稼げたもんだからきっと続編を
 作るとか言い出すに違いない!」

「『ラスト○ムライ・アゲイン』。ありそうだな〜。 『今、再び』とか謳うに違いない!」

「小僧、どうやらお前とは気が合うようだな」

「ふふふ、じいさんのほうこそ。なかなかの映画評論家でいらっしゃる」

「くくく、小僧のほうこそ」

  お互いの顔を見やり、にやりと笑う。その光景は、江戸時代のお代官様と越後屋の関係に見えなくも無かった。

「ふう、なんか暑いな。じいさん、俺ちょっと外出てくる」

「おう。だが、夜はまだ冷えるからな、体冷やしすぎるなよ」

「わかっとるよ〜」

  後ろに向かって軽く手を振り、稔は玄関から夜空の下に出て行った。




                 #     #     #




  春。

  といってもすでに六月の半ばである。暦の上では夏になりそうなのだが、まだまだ夜の空気は冷たい。
 それはどうやら近づきつつある梅雨前線のせいでもありそうだった。大気が、確かな湿り気をもって肌を
 撫でてゆく。

  高井家の前にある道路に立ち、その感触に、しばしの間、稔は浸っていた。

「星が綺麗だな。稔」

  今朝の学校のように、突然背後から声をかけられた。だが稔は、朝のような過度の反応はしなかった。

「そうだな〜。こんな日はアイスを食べながら月見だな。そう思うだろ? 渚」

  のんびりと答える。だが、渚はつまらなそうに口を尖らせた。

「なんだそりゃ? もっと良いセリフを思いつかなかったのかよ」

「悪かったな、俺はどうせ詩のセンスなんてないっちゅーの」

「やってみなきゃわかんないだろ?」

「うっせい。無いもんは無いんだよ」

  逆に、稔が口を尖らせた。振り返って渚を見る。渚は玄関より数歩こちらに寄ったところに立っていた。
 渚の容姿が、幾万もの星と、唯一の月に照らされ、鋭角的な美しさを引き立たせていた。

  稔は、渚に話しかけた。

「それより、渚。いいたいことがあったら言ったらどうだ」

「え?」

  問いに、渚がたじろぐ気配が伝わってきた。稔は続けて問い詰めた。

「お前は、何か言いづらいことをいう時、決まって意味のないことをいうからな。・・・まさか、お前?」

  何かを悟ったように、稔が渚を見る。だが渚は両手を振って否定した。

「安心しろって.。もう今朝の事件には関わらないっていったろ?」

「それならいいんだけどな」

  何かが歯の間に挟まったような顔をして渚を見詰める。稔の見た限りでは、どうやら本心らしい
 としか判断はできなかった。それでもほとんど納得出来ていなかったが。

「俺が言いたいのは桃花のことだよ」

「桃花が、どうした?」

  稔が訝しげな顔をする。渚は、街の明かりで紺色に照らし出された空を見て言った。

「あのカード、いつも桃花が首から下げてるやつ。まだやってるんだな」

「・・・・・・」

  稔は無言で問いに答えた。否定とも、肯定とも取れない沈黙。  

  稔が何も喋らないのを見て、渚は続けた。

「今日見たのだと、もう四枚半は埋まっていた。残り一枚と半分ってところか・・・」

  言って、渚は視線をこちらに向けて問うた。

「お前、ちゃんと約束を果たす気があるんだろうな?」

  渚は、じっとこちらを見ている。

「約束? 約束ってな〜に? ぼくちんわかんな〜い」

  稔がいつものふざけた調子で答える。だが、体全体がこわばり、緊張している。知らない振りをするには、
 稔の演技は下の下過ぎた。普段滅多に表に出さない動揺が現れていることから、稔は虚を突かれた
 らしいことが見て取れた。

「ふざけないで聞けよ。俺が言ってるのはお前が桃花とした約束。カードの空欄を全部丸で埋めたら、
 桃花の恋人になるっていう約束のことだ」

  言われ、稔の顔が明らかに険しいものになった。さらに渚が続ける。

「丸を貰える基準はまちまち。人様の為になることや、お前が気に入ることをやった時に丸を貰える。
 まあ、今日みたいに桃花の機嫌を直すために丸をあげることもあるらしいな」

  苦虫を噛み潰したような顔で、稔が訊ねた。

「なんでお前が知ってるんだ?」

「愚問だ」

  渚が、小馬鹿にした目つきで見てくる。稔は、渚の言ってことを噛みしめていた。

  まさに愚問だった。その【契約】は自分と桃花を除いて知る者はいない。

  なら渚がその【契約】を知っていた理由は? 

  答えは簡単。契約者のどちらかが、誰かに語ればそれは二人だけの契約にはならない。第三者も
 知りえる契約と転じるだろう。ただそれだけのことだった。

「桃花はあのカードのことを『好感度メーター』なんて言ってるけどな」

  何がおかしいのか、渚は低く笑って、稔をみた。その目が、ふと寂しげなものになる。

「お前を見ていると時々不安になるよ」

  ため息混じりに渚が呟く。

「なんで?」

  問われ、渚は言い辛そうに口を噤んだ。

「それは・・・今は言わないでおく。ただ、これだけは言わせて貰おう」

  一つ息を吸って、吐き。また吸って言葉は放たれた。

「桃花を傷つけるようなことだけはするな」

  渚は、稔の方を厳しい眼差しで見ていた。同様に稔も渚を見ていた。だがその視線は、
 苛立ちに彩られていることがわかる。まるで稔の目に、暗い感情が灯っているようだった。

  なぜそのようなことを他人から指図されなければならないのか?

  稔の頭の中は、何を問うているのかわからない疑問で埋め尽くされていた。

  なんなのだ、渚は? ただの友人のくせに自分の行動にあれこれと口を挟んでくる。
 
  一体、何様のつもりでいるのか? 

  そんなことを考えているうちに、自然と次の言葉が稔の口から漏れていた。

「どうして、そんなことをお前に、指図されなきゃ、いけないんだ?」

  怒りのため、言葉の間がぶつぶつと途切れる。だが渚は対して動じた様子も無い。あらかじめ、
 こうなることは予測していたからであった。

  次の瞬間。玄関のドアノブが捻られ、高井家の中から出て来る人物がいた

「あれ、二人とも、どうしたの?」

  桃花であった。

  洗い物を終え、正隆に聞いて二人の居場所を聞き出して来たのである。

  同時に、二人の間に張り詰めていたものも、霧散していた。それはひとえに、桃花が持つ
 場を和ませることが出来る雰囲気のせいであった。

「なんでもない。ただもう夜も遅いからそろそろ帰ったほうがいいんじゃないかって話だ」

  桃花に向き直り、渚が応じた。稔もそれに頷く。

  桃花が腕時計を見ると、九時十五分を回るところであった。

「あ、ホントだ、はやく、帰らなきゃ、ね。でも、明日、学校、あるの、かな?」

  今朝の事件の影響を心配してのことである。学校で殺人事件があった次の日にも授業があるのか、 
 桃花にはわからなかった。

  だが、渚と稔は朝の学校で佐藤から話を聞いていたので明日のことを知っていた。

「佐藤先生の話だと一応あるらしいぞ?」

  稔は言ったが、実際は軽い全校朝会で終わるだろうとタカをくくっている。

「じゃ、今日はこれで解散とするか」

  渚が切り出して、稔たちも同意する。

「そうだな〜」

「あ、じゃあ、わたし、荷物、もってくる」

  そういって、桃花が再び家の中に戻り、数分立たないうちに稔と自分の分の荷物を両手に抱えてやってきた。

「あんがとさん。桃花」

  受け取り、礼を言う。

「じゃあ、ね。渚ちゃん」

「ばいばいき〜ん」

「ああ、ふたりともじゃあな」

  桃花と稔は、渚に別れの言葉を告げ、帰っていった。渚は二人の姿が見えなくなるまで眺め、
 一度のびをしてから家の中に戻って行った。部屋に戻り、十一時になる前にベッドに入った。

  明日から、忙しくなるから。



              #     #     #




「稔。渚ちゃんと、なに、はなしてた、の?」

  ちょうど商店街のあたりで、桃花が唐突に口を開いた。それに稔は、正直に答えようとはせず
 曖昧に言葉を濁らす。

「ん〜。なんでもないよ〜ん」

「・・・そっか」

  桃花は再び俯き、稔の横を黙々と歩く。

  またしばらく経ってから、下を向きながら桃花が、聞き取れないほどの声で呟いた。

「でも、ね。信じてるから」

  桃花の呟きに、稔は気づかない振りをした。

  桃花が自分の何をそれほど信じているのかがわからなかった。それは【契約】のことか
 もしれないし、全く違うことかもしれない。

  どちらにせよ、七年前、半ば冗談で交わした契約が意味を持ち始めているのは確かだった。

  稔は、ふと気づいたように立ち止まった。

「そうだ、桃花。家に帰る前によるところがある」

「どこ、に?」

  同じように桃花も立ち止まり、稔に尋ねた。

「あそこだ」

  稔が指差した先には、赤、白、黄色と様々な電気で彩られている店があった。

  全国ナンバーワンの実績をもつ、チェーン店。『花形寿司』であった。




               #     #     #




「うう、ミッくんのバカ。桃花ちゃんのバカ。酷いじゃない。母さんに連絡も無しでどっか行っちゃうなんて」

  和葉は愚痴ると、ノンアルコールのビール缶をテーブルに叩きつけた。和葉は酒が飲めない。
 弱いとか強いとかの問題ではなく、単純に嫌いだからだ。

  その和葉がビール(ノンアルコール)を飲むとは、由々しき事態であった。 

「帰ってきたら、酷いんだからね!!!」

  一気にビールを腹に流し込む。同時に、空っぽの胃袋に灼熱感覚えた。

  時刻は、九時五十分。

  昼食を食べて、三時におやつを食し、六時につまみのするめを食い尽くした。それ以降
 腹に入ってくるのは液体ばかり、自炊できない和葉は稔が帰ってくるまで夕飯にありつけないでいた。

  コンビニにでも行ってなにか買ってくればよいものを、自称グルメハンターを名乗る和葉にとって、
 コンビニ弁当は食えたモンjじゃない。なんて意地を張っているうちに動けないほど衰弱してしまっていた。

「ああ、おなかペコペコで死にそう。っていうか死ぬわ・・・」

  体全体の力が抜け、和葉はテーブルの上にもたれかかった。その姿は、軟体生物を思わせるほど
 グニャグニャで右腕が後頭部に、左腕が胸の前にぶら下るように垂れ、頭はありえない方向を向きつつあった。

  がちゃ、と、音と同時に、話し声と家の中の大気が動く気配を和葉は感じた。

  開け放たれたドアから、家の空気が外に漏れ出し、変わりに新鮮な空気が入り込む。

「ただい、ま」

「ただいマンモス〜」

  家の主のご帰還であった。

  だが和葉は、姿勢を直さず、だらけたまま稔を睨みつけるだけで、おかえりの一言も無かった。無理も無いが。

「どうした。なんだそれは、ヨガか? 火はどうやって吹くんだ? 腕はどうやれば伸びる?」

「ふ〜んだ」

  和葉は稔の言葉を無視してそっぽを向いた。顔だけだったので、より不気味。

「稔、あれ、は?」

「ああ、そうだ。ほら」

  言って、稔が和葉に向かって手に持っていたビニール袋を放り投げた。箱型のそれは、放物線を描いて
 和葉の頭に当たった。ぽよ〜んとはじかれ、テーブルの上に乗った。

  その拍子にビニールの淵から中身が顔を覗かせた。

  『花形寿司』であった。透明なケースに入れられた寿司は、卵やマグロなど、基本的なもので
 あったが、和葉にとっては特上寿司より遥かに価値があった。

  なぜって、その寿司のトッピングは『家族愛』だったから。

「いや〜〜ん! ミッくん大好き!!!」

  和葉が体のバネだけを使って跳躍。稔に抱きついた。化物であった。

「ぐお! 乗るな! のしかかるな! 失せろスライム!!!」

  懸命に振り払おうとする稔だったが、そのままバランスを崩し、床に倒れこんでいた。

  翌日の朝。

  その異常性にもかかわらず、今朝の事件が新聞の一面を飾ることは無かった。

  小さく、隅のほうに載っただけ、それだけであった。




 


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