日々、歩き












       

     第二十五歩/ 未だ闇の中で











「まずまずの成果があがりました…はい……」

  漆黒に包まれながら、柔らかい物腰で語る男は恐縮しながら相手と電話で話していた。

「まさか、こんな大掛かりなことはこれ以降控えますよ。少なくとも、あと数ヶ月はですが。それにクスリの
開発も進んでいますし、無駄なことはあまりできません」

  僅かに開いた雲の合間から月光が落ち、男の顔に細いラインを照らす。顔のラインが妙に細く、髪は
 月光よりもまばゆく輝いていた。目はオッドアイ。全ての光がこの男に集中しているような顔立ちだった。

  顔が現われたのも束の間、周囲は再び無明の闇に沈んでいく。

「市民の記憶から事件に関することを消すのも順調に進んでいるようですし、その辺りは彼らに任せて
おいてもいいでしょう。あと三ヶ月もしないうちに『処理』は終わります」

  会話は順調に進み、最後に男はこう締めくくった。

「かつて在り、今も在り、これからも在るものよ。喜ばしき望みのうちに、我らが待つ時が来たらんことを」



『「アーメン」』



  電話の相手と男の声が重なり、まさにミサ曲のように宵闇に震えを走らせた。峻厳でありながら威光
 に満ちた唄が終り、男は通話を終えた。

「やっと、見つけたよ……」

  背後。男が振り返ると、衣服は破れ、体中傷だらけの男が足を引きずって歩いてきた。

「これはこれは、佐藤さん。どうなさいました? 酷い怪我です。早く病院へ…」

「触るなっ!!!」

  激怒とともに男の手を払い落とし、佐藤はゼエゼエと息を切らしながら男をにらみつけた。佐藤の眼は
 未だ狂気を携えていたが、それよりも憤怒の色が濃い。

「病院ならいったさ…だけど、治療を拒否されたよ……」

「酷い病院ですね、大丈夫。私がいい病院を紹介してあげましょう」

「触るなっていってるだろ! なにが病院だ! 治療を受けにいったら佐藤 修二という人物は存在しま
せんっていわれたんだぞ!?」 

  ボロボロながらも佐藤は男の襟元を掴みあげた。

「さあ、私にはなにがなんやら…」

「とぼけるな! さっきの電話を聞いてたんだぞ! 記憶を消すだってっ!?」

  冗談じゃない、と男を突き飛ばし、佐藤は親指の背を噛み始めた。

「くそ、くそっ。ただですら変な"力"のせいで大変な目に遭ったっていうのに…」

「変な"力"?」

  訝しげな男の目線を真横から受け、佐藤はいきなり切れた。

「ああそうさ! あんたがくれた薬を飲んだっていうのに、あのわけのわかんない"力"のせいで僕の刃
は消されるし、おかげでこんな目さ!」

  傷ついた体を見せびらかし、佐藤は詰め寄った。

「興味深いですね、詳しく教えてくれませんか?」

「なんで僕が! もうあんたらに恩義は感じないね、これっぽっちも!!!」

  やれやれ、と男は肩を竦めると佐藤を軽く突き飛ばした。先ほど佐藤に付けられたスーツの皺を整え、
 ある程度距離をとってから。

「残念です。あなたはもう役にたたない…」

「は?」

  呆けた佐藤を無視して、男は深い憐憫を佐藤に向けた。その目にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。

「死んでください…」

  瞬間、男の周りに凶悪なまでの勢いでなにかが集まり始めた。ただそれは風を起こすこともなく、熱を
 帯びることもなく、ただそこにあった。

  男は詠うように言葉を紡いでいく。

「見えないものは目に見えず、見えるものはまた見えず」

  特殊な韻律。まるで聖歌の如く秀麗に組み上げられていく詩文はある種芸術であった。

「汝、媚びること勿れ。空は空。陸は陸。其は其。汝はただ汝にのみあらん。だが我ら罪を犯すものなり」

  途切れず、

「我らが人を救うが如く、我らを罪から救い給え。然りて我ら言葉を募らん」

  惑わず、

「募るは言葉、言葉は祈り。たとえ天地は滅べども、我らが祈りは永劫ありき。怒れる者に鉄槌を、迷える
者に断罪を、愚かなる者に審判を、求める者に地獄を与えん。ただ一人、強き者のみ繁栄を」

  そして完成する聖句。

「―――背負いしは茨の十字。右手に業を、左手に罰を。」

  完成と同時、男の周囲からまばゆいばかりの閃光が生じた。

  佐藤はなにが起こったのからわからなら表情のまま、光とともに蒸発して消えた。





「哀しい、どうして人は無闇に死を選ぶのだろう…」

  佐藤が存在していた場所を見詰める男は、本気で涙を流していた。まるで最愛の人がなくなった
 かのように深い憂いを称えながら。

「また派手にやりましたね」

  大地が沸騰し、煌々と煮え立つマグマの前で立っている男に声をかける人物がいた。

「やあ、あなたですか…」

  膨大な熱量を繰り出した男は、涙声のまま振り返る。こちらに向かって歩いてくる人物は慣れているの
 だろうか、当然のように歩いてくる。

「あれほど気をつけてやらなきゃ駄目っていわれているでしょう? 全く、私も最近は忙しくて機嫌が悪いん
ですよ?」

  声色から、相手は中年女性だと判別される。

「でも実験の成果を確かめるためにはちょうどいい実験体が必要だったんですよ」

「そのせいで命樹高校の生徒が三人も亡くなったんですからね。まあ、あと数ヶ月もすれば皆忘れるで
しょうがね」

「以後気をつけます…」

  男はうなだれて謝った。相手は雰囲気だけで聖者のように微笑む。

「それよりも、新しくスカウトした娘がいます」

「? だれです?」

「おいでなさい」

  女性の声に導かれて、闇の中からさらに人が出現した。

「この娘は?」

「何ヶ月も前から見ていたのですが、なかなか筋がいいと判断しました。この娘を≪ハシュミ≫の一員
とします」

  男はその少女を見た。

  眼鏡をかけ、いかにもな文学少女。身長はそれほど高いわけではない。どこか、オドオドとした印象
 を周囲に撒き散らしている、典型的ないじめられっこタイプであろう。

「え、あの、その…」

「こら、怖がっているじゃない」

  怯える少女を庇うように女性が前に立ち、男はたじたじになった。

「すいません。…そうだ、思いだしたことがあります」

  謝った数瞬後に、なにかが頭をよぎったのか、男は女性に語りかけた。

「先ほどの被験者、佐藤がいっていたことなのですが、どうやらこの街には他にも能力者がいるようです」

「まさか、私たちの<加護>無しでいる能力者などこの街にはもういないのよ」

「ですが、佐藤は変な"力"といっていました。あの男は僅かとはいえ我々の教育を受けたのです。"力"の
種類がわからないというはずはないでしょう?」

  女性は考え込んだ。男と少女はじっと見守り、顛末を見守っている。

「…わかりました。調べてみましょう。判り次第【ヴァーチャー】を接触させてみます」

  闇の中、小さな会談が終わる。

  三人はそこで解散した。

  あとに残ったのはまだぐつぐつと沸騰している大地、そしてぽっかりと穿たれた巨大な穴だけであった。

  未だ闇の中での出来事。











 


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