日々、歩き











       第二十四歩/ 忘却が至る道








  
  遥か上空から見る限り、多くの人が列を成しているのはとても賑やかなものに見えた。

  ただ、誰もが黒い服に身を包み、中には泣いているものまでいる。

  ―――葬儀

  それなりの敷地を持つ高井家の敷地には、それなり以上の参列者が来ていた。

  これも、渚がもっていた人望だろうか。ファンクラブのメンバーはもとより、クラスメイト、友人、教員は
 ほぼ来ているといっていい。

  正隆は、ただ黙々と流れ作業を行っていた。来るものすべてに単調な挨拶を返し、去るものすべて
 に単調なお辞儀をもって送り出す。

  今は平静な顔をしているが、目のまわりが赤く腫れている。

「高井さん、疲れたなら俺が変わりますよ…?」

  見かねた村下が、遠慮しながらも正隆に提案する。正隆は首を振って断った。村下はどうすることも
 できずに、傍らで様子を見守るだけだった。

  ひたすら続く作業の合間、正隆の視界に一人の少年が映し出された。少年はこちらを向いてたった
 まま。正隆が気付くまで立っていたようだ。

「小僧……」

  目だけ伏せて礼をすると、稔はさっさと歩いていってしまう。渚に会うでもなく、香をあげるわけでも
 なく、敷居の外から挨拶しただけで、だ。

  桃花は家の中で接客をしてくれているというのに、稔の態度はあまりに素っ気無さ過ぎる。

「ちょっと君!」

  目元を吊り上げて、村下は稔を呼び止めた。稔が足を止めてこちらに振り向く。村下は稔に駆け寄る
 と不満をぶちまけた。

「なんですか?」

「君の友達が亡くなったんだぞ、線香ぐらいあげていけよ」

  稔は村下を一瞥すると、はんと鼻を鳴らした。

「なんで俺が?」

「おまえっ…!」

  友の死など気にも留めていない素振りの稔に、村下は軽い殺意を覚える。稔の胸倉を掴んで引っ
 張りあげた。

「やめろ、村下」

「高井さん……」

  後ろから正隆に抑止されて、村下は渋々稔から手を離した。しかし、稔を見る目つきは敵対者に
 向けるべきものだった。

「ありがとうよ、小僧。よく、来てくれた」

  稔の肩を掴んで顔を覗きこむ。だが、稔は勘違いするなといった表情。襟元の汚れを払いながら、

「近くを通りかかったから寄っただけだよ。来たくて来たわけじゃない」

  稔は首だけを動かして、傍らにある葬儀者たちを見た。

「それにしても、渚も馬鹿だよな。殺人事件なんかに首を突っ込むからこんな目に遭うんだ」

  それは死者に対する冒涜。

  村下の目に激情の炎が灯る一方で、正隆は優しげな目で見守っている。

「だいたいあんたもあんただ。自分の孫が何しているかぐらいもっと早く気づけよ。早くに気付いていれば
渚も死ぬことはなかったのにな」

  嘲笑。妙に冷めた眼だった。

「いい加減にしろよっ!」

  村下の我慢も限界だった。

  村下は怒号を発すると、稔を思いっきり殴った。稔はよろめいたが、転ぶことはない。口元から流れる
 血を軽く拭う。その眼にはなにも浮かんでいなかった。

「このっ!」

「やめろっていってんだ。村下」

  さらに続けようとする村下を、正隆が強い口調で嗜める。

「でも…」

「でもじゃねえ。すまなかったな、小僧」

  稔はつんとした態度で応える。

「別に…」

  ほんとうにどうでもいいという風に顔を背ける稔を見て、正隆の顔がふっと緩んだ。

「小僧、お前はほんっとうに、優しいやつなんだなぁ…」

  正隆は深々と頭を下げると、呟くようにいった。

「…すまん、ありがたく……恨ませてもらうぞ……」

  その言葉に、村下は訝しげに反応するが口を挟みはしない。正隆は慰めるように優しく言葉を紡
 いでゆく。

「小僧。渚に線香はあげなくてもいい、ただ、あいつの部屋を見てやってくれ」

  なぜ、という顔で正隆を見る。そこには辛そうな笑みを浮かべている、孫を愛してやまなかった老人
 がいた。

「あいつの部屋を見てると、どうもいけねえ。だから俺はあいつに関係した物をすべて処分しようと思う」

  正隆の決断は、おそらく本人にとっても辛いものだったに違いない。しかし、渚の物を残しておくこと
 の痛みのほうが遥かに辛い。そうおもったからこその決断なのだろう。

「だから、小僧。お前が欲しいものは渚の部屋から持ってってくれ」

  それでも渚が生きていたという物はどこかに残して置きたいから。

  稔は一度だけ頷いた。

「見るだけ、な…」



       #        #       #



  渚の部屋は、本人の見た目とは違って乙女チックなものばかりだった。この中からいったい何を持ち
 帰れというのか、判断に苦しむところである。

  と、ベッドに伏せたままの写真立てが三つあった。持ち上げて立ててみる。

「…これは?」

  一つ目の写真立てには渚の両親が写っていた。幼い渚の両脇に立ち、実に幸せに満ち満ちた顔で笑っ
 ている。この何ヵ月後か後に、娘をひとり残して死ぬとも知らずに。

  次の写真は、稔、桃花、渚の三人が写っているものだ。昨年秋の暮れ、変質者の事件を解決した際に、
 記念として無理やり撮らされたことをよく覚えている。

  思えば、初めて渚と知り合ったのもこの時だった。

「そういや、思いっきり蹴られたんだよな……」

  懐かしい思い出は、心をきりきりと締め付ける。痛みを振り払うようにして稔は三つ目の写真立てを持ち
 上げた。

  すると、背後で扉が開いた音がした。振り返る間もなく、呼びかけられる。相手はドアの縁に手をかけな
 がらいった。

「ミッくん。頼まれたことは調べておいたわ…」

「どうだった?」

「……記憶を消す能力者…確かにいるわね」

  どこか歯切れの悪い和葉の物言いに違和感を覚える。浮かんだ違和感ををぶつける。

「はっきりいえ。それで、どうなるんだ?」

「どうもこうも無いわ。”彼ら”は今回起こった一連の事件を初めから無かったものにするつもりよ。つまり、
犯人はおろか、犠牲者すらも無かったことに、ね……」

「それはつまり、渚が『初めからこの世いなかったことにされる』のか?」

「……そうよ」

  全ての忘却。

  曖昧で不確かな日常を保つために、佐藤に力を与えた”彼ら”が今度は渚の生きた記憶すら奪っていく。
 その目的は"力"の存在が世間に露呈するのを防ぐための打開策なのだろう。
 
  久方ぶりに、怒り、という感情が稔に表れた。和葉は稔の背中に言葉を投げかけることをやめない。まだ
 伝えるべきことがある。

  言葉を発しようとして、一旦口を閉じた。

  苦笑。感じる雰囲気だけで、和葉が戸惑っているのがわかった。

「いいよ、続けてくれ」

「…そしてそれは、渚ちゃんのおじいさんも例外ではないわ」

  そうか、と稔は顔を俯けて応えた。別に不思議なことではなかった。

  "力"で記憶を消される以上、たとえどんなに親しい人だったとしても逃れることはできない。

  もはや、何のさざ波も起きなかった。

「俺たちは、どうなる?」

  忘れてしまうのか、という意味。和歯はゆっくりと口を開いた。

「普通の人よりは抵抗力があるでしょうけど、時間の問題よ…結局は……」

  それで言葉を噤んでしまった。納得がいった。渚、そして自分が事件のことを覚えていたわけ。

  強靭な意志は"力"すらも凌駕することがある。だが、世の中にそれほど強い人間はそう多くない。渚は
 意志が強いせいで多少"力"に抵抗できていたのだろう。

  部屋を見渡す。確かにここに人が生きていたという証はあるのに、望まぬ形で失われる。

「なんとかすることはできないのか?」

「残念だけど…無理よ……」

  辛そうにいう和葉は、背を向けたままの稔を悲しみに染まった視線で見ていた。どうすることもできな
 いと無力感はここでも牙を向いて心を抉っていく。

「けど、おじいさんぐらいならどうにかできるかもしれない、といってもやっぱり一時的なものだけどね…」

「それでいいさ。そのぐらいはしてやってくれよ」

  和葉の提案内容をろくに聞きもせず、稔は頼んだ。せめてもの懺悔、償いの方法として。

「ミックン。あまり自分を責めないで、悪いのはあいつらよ」

  耐え切れなくなった和葉は虚しい慰めをかけてくれる。稔はなるべく意識しないようにしていった。

「でーじょぶだって、俺が自分を責めたりするわけないだろ! んなめんどくさいこと」

  だが、内に秘める翳りは隠しきれていない。ふざけて振り向く稔の笑顔は泣きそうなぐらい悲しみが
 張り付いていた。

  和葉はそんな稔の顔を見たにもかかわらず、何事もないように振舞った。

「私の用事はこれで終わったわ。暗くならないうちに帰ってきてね? じゃないと母さん飢え死にしちゃうから!」

「それは相当重症だな。自分の星へ帰れ」

  軽い応酬を終えると、和葉はベーと子供みたいに舌を出した。直後に微笑むと、ドアを閉じて出て行った。




  一人ぽつんと残った稔は、渚の部屋の物色を再開した。先ほど手にとった写真立てを見てみる。

  特に、なにも考えずに。

「……笑えないな…これ…」

  そこに写っていたのはただ一人の少年。稔が毎朝、洗面台の鏡の中に見る少年だ。何事もめんどくさい
 といい、なによりもアイスが大好物だという。

  年頃の少女が、家族でもない、ましてたった一人の少年しか写っていない写真を持っている理由など一
 つしかない。それ以外に、理由などないだろう。

  そっと元に戻す。

  もう一度、渚の部屋を見回した。今にも渚が現われて、勝手に部屋に入った自分を叱咤しそうな錯覚
 に陥るが、理性がそれを否定する。

  語れない。もう二度と。

  渚の想いに答えてやることもできず、ただ馬鹿みたいに突っ立っている。

(俺はやっぱり、酷いやつだな……)

  そう思うことで、救われようとした。自虐することで救われようとする自分が情けなかった。

  だが、実際そうなのかもしれないと思ってしまう。

  普通友人が死んだなら、取り乱すなり、泣きじゃくるなり、まして死の縁を見届けた自分ならば、もっと
 渚のために泣いてやってもよいはずなのだ。

  だが、あの日からすでに幾日もたっているというのに泣けない。

  心は凍てついたように動かず冷え込み

  普通の人ならば溢れてくるだろう涙さえ



  ――――――流れないじゃないか





















  「…………くつ!!!」


















  稔はこの日を忘れない 忘れようとしない

  たとえそれがどんなに辛く、悲哀に満ち、後悔を躍起させるものだとしても

  この日は決意を固めた日

  その理由が如何に哀しいものであったとしても決意は決意

  守るべき誓い

  今は亡き、『友』との誓いとして

  心に刻んだ

  最初の日








  


 


一歩進む  一歩戻る   振り返る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送