日々、歩き











       第十六歩/ 荘厳なる風刃・前








  

  雨は止み、今は太陽が燦々と夕暮れに近づこうとしていた。六月というせいもあってか、日はだんだん
 と長くなりつつある。まだ正午のような明るさを保ち、とても夕方四時だということを感じさせない。

  命樹高校、第一図書館。透明な自動ドアにはA5の紙でデカデカと≪休館日≫と書かれている。

  図書館内を、佐藤は鼻歌を口ずさみながら軽い足取りで歩いていた。両腕には大量の書物を抱えて
 いる。休校になったついでに図書の整理整頓をしているらしかった。

「それにしても重いな…っと」

  あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら歩く佐藤はとても危なっかしい。いつものように気弱な
 表情で、いつものように困っていた。

  ただ、眼だけが違った。

「どこにいる……?」

  獲物を狙う鷹そのものに眼が細まり、しきりに周囲を見回している。まるで、誰かを探しているよう
 見えた。

「ここですよ」

  背後から声があがった。佐藤は声に聞き覚えがあった。つい先日話したばかりである少女。振り返
 ると、命樹高校きっての優等生が本棚の間にある狭い通路に立っていた。。

「あれ、高井さんじゃないか?」

「こんばんは、先生」

  渚はだるそうに挨拶をする。佐藤は優しそうに微笑んだ。

「どうしたの高井さん? 今日は休館日だよ」

「そうなんですけどね…」

  俯いたまま、渚は適当に選んで本棚から一冊の本を抜き取った。渚はそれっきり黙ってしまい、佐藤
 はどうしたらいいのかわからないという風にオロオロしていた。

  そんな佐藤の様子を一瞥して、渚は口を開いていった。

「福原 奈緒は来ませんよ」

「えっ」

  佐藤は、虚を疲れたように息を呑んで驚いた。

  だが渚は見逃していなかった。佐藤の表情はいつものように困った顔なのに、眼だけが暗く染まってい
 ったのを。

「それが、どうしたんだい? 僕は別に福原さんを待っているとはいっていないよ」

  あくまで柔和な笑みを崩さない佐藤。渚は言葉を選びながらいった。

「メールが届いたでしょう? 福原 奈緒の名前で『第一図書館で待ってます』って」

「いや、届いていないよ。それに僕には福原さんにメールを貰う理由がない。第一、福原さんは僕のアドレ
スを知らないんだからメールを送れるはずがないじゃないか」

  その言葉で、渚はしてやったり、と嬉しそうに笑った。手に持つ本のページを適当に捲りながらも、佐藤
 から決して目を離さない。

「え? おかしいですね。確かに俺はそう送ったはずですけど…まあ、先生の携帯を見ればいいんです
けどね」

「それはどういう……まさか…ッ!!!」

  余裕を振舞う渚に対して、佐藤の顔からは余裕が消えうせていった。

「どうして、わざわざ自分のアドレスを変更してまで僕を呼び出したんだい……?」

  渚はアドレス変更を行ってから、メモリに登録されている佐藤の携帯に福原 奈緒の名でメールを
 送っていた。佐藤も馬鹿ではない。理由はすぐにわかった。

「僕を、おびき寄せるためだね…」

「そうです」

「でもどうしてだい? 僕を呼び寄せたって意味はないだろう?」

  渚は落胆するように、長くため息を吐いた。開いていた本を閉じる。視線は佐藤を射抜いたまま。

「それは一連の事件の犯人が先生だからですよ」

「っ…」

  衝撃に包まれた顔の佐藤だったが、すぐにいつもどおりの困った笑みを浮かべた。

「何を根拠にそんなことをいうんだい?」

「先生はいつも現場にいました。折原 恵美が殺されたときもただの目撃者にしては細かすぎる詳細
を教えてくれたました。それに加藤 亜紀の時も生徒たちの中にいてみていたでしょう?」

「それだけで、僕を犯人だっていうのかい?」

「まさか。今のは証拠にすらなってませんよ。証拠は、そうですね…」

  当然だというように、渚は頷いた。佐藤は渚の自身ありげな態度に圧されたのか一歩下がっていた。

  渚は本を傍らに持ったまま、佐藤の眼前に指を突きつけた。

「メッセージです。『次はおまえらの番だ、神の審判を受けよ』というヤツですね」

「そ、それがどうしたんだい…?」

「現場に残されていたメッセージは一般公開されていない。つまり、知っているのは犯人と警察だけと
いうことです。そして、先生。俺にメッセージのことを教えてくれたのはあなたでしょう?」

  唇を噛んで俯く佐藤。ここまでは渚の思ったとおりにことは運ばれている。

  だが、意外なことに佐藤からの反論が無い。

  佐藤はなんとでもいいわけできるはずだった。僕にも警察に知り合いがいるんだ、とか偶然見た
 んだよなどでうやむやにしてしまえば渚の追求を避けることはできただろう。

  しかし、佐藤の反応は良い意味でも悪い意味でも予想以上だった。

  すっ、と佐藤の顔から微笑みが消える、残ったのは冷たい笑みだけだった。顔に不自然に張り付い
 ている、まるで蝋人形のようだった。

  初めは堪えるように、やがて口元の拳をあてて背を曲げながら低く笑い出した。

「くっくっく。あ〜あ、ばれちゃったか。まさか気づかれるとは思ってなかったなぁ」

  驚くほど速く白状され、渚は自分の計算が狂ってきたことに気づいた。実は佐藤を犯人だと決め付
 ける物的証拠はない。微妙な駆け引きで自白させ、自首させようとい計画に綻びが生まれ始める。

  だが、思案する間もなく佐藤は言葉を続けていく。

「すごいよね、それだけのことから僕が犯人だってわかるなんて。あーあ、こんなことなら君に事件のこ
とを教えなければよかったなあ」

  自然と力が入りそうになる拳の力を抜いて、渚はなるべく冷静に問いかけた。体中に嫌な汗が
 吹き出てくる。追い詰める立場から、追い詰められる立場へと移行していく。

「今度は俺の質問です。どうして二人を殺したんですか? 先生は直接の恨みを彼女たちにはもっ
ていなかったでしょう?」

  だからこそ、渚は初め、犯人はいじめられていた井上 小夜子だと考えていたのだから。

「ああ、そんなこと? 簡単だよ」

  笑いがぴたりと止まる。佐藤は憤怒とも愉悦ともとれる表情をつくった。

「前にも話しただろう? 僕は昔いじめられていたって、だからいじめっ子って大ッ嫌いなんだよね。
ゴキブリや蛆虫なんかよりもさ」

  ガキくさい理由だった。ピーマンが嫌いだといって残す子供と同じ。いじめられている本人ならわか
 るが、赤の他人が人を殺すには特に強い理由とは思えない。

「それだけで人を二人も殺したんですか?」

  妙に饒舌になった佐藤は、今度ははっきりと歯を覗かせながら愉悦の笑みを浮かべた。

「それだけじゃないさ。人を殺すのがね、すっごく楽しいんだよ…」

  ぬめり、と空気が粘着質なものへ変わった。佐藤の呼気は歓喜に打ち震え、両腕で己が身を抱き
 しめるようにしている。

「断末魔の悲鳴も、命を懇願する時の泣きじゃくった表情もとっても気持ちいいんだ。ずっと前は嫌な
ことがある度に野良犬とか殺してたんだけどさ、人はいいよ」

  狂っていた。人を殺すのがいけないという常識で考えるなら、人殺しに快感を覚えている佐藤は
 狂気に踊っているとしかいいようがなかった。

  緊張のために、渚はつばを呑み込んでいた。だがそれは決して表には出さない。

「それにさ、警察だって僕のことには絶対辿りつけっこないんだ。殺し放題なんだよ?」

  ほとんど独白に近い形だった会話に、渚が食い込む隙ができた。

「それは、特別な"力"のおかげですか?」

  意外だったのか、佐藤はひゅうと口笛を吹くと拍手してきた。

「すごいね、さすが、というべきかな? ぼくの"力"についても知っているなんて…でも、どうやって気
づいたんだい? そもそも一般人なら信じないようなシロモノだろう?」

  佐藤の問いに、渚は無言で答えた。稔と桃花のことをここであげれば、おそらく佐藤は興味を持っ
 てしまう。

「ふ〜ん、無視か。まあいいけどね」

  つまらなそうに唇を尖らせる佐藤は、まさに子供そのものだった。

  虫を殺してもなんとも思わない、子供特有の内なる残虐性を保ったまま大人になった子供。そして
 今、彼に手には最高のおもちゃが与えられている。

「一応聞いておきます。なんですぐ犯人だって白状したのか、なんとでも言い逃れることはできたでしょう?」

  渚の問いは、ただの時間稼ぎ。時間が僅かでも必要だった。佐藤が思案している間に、目を周囲に
 走らせて逃走経路を確認する。

「うん、ひとつはご褒美だよ。名探偵ナギサちゃんに対するね。はじめっから決めていたんだ。僕が犯人
だと少しでも確証を持った人がいたら正直に話すって。それに……」

  次に出てくる答えは言わなくてもわかっていた。

  渚が考えていたのは、佐藤は昔いじめられていた、だから同じようにいじめられている井上 小夜子
 を救うために彼女らを殺したのだと考えていた。

  説得すればなんとかなるのではないかと甘い考えを抱いていた自分がたまらなく悔しい。佐藤の
 性格を完璧に読み違えていた。

  佐藤が殺しに快感を感じるといった辺りから渚にはわかってしまっていた。

  佐藤は純粋に殺しを楽しむ。

  恨みも、嫉妬も、激怒も、憎悪も、人に殺人をさせるに必要な要素はなにひとつ必要ない。

  ただそこに人がいるから殺すのだ。

  微塵の曇りもない殺人狂――――。

「殺しちゃうからね」

  ―――轟ッ

  館内の大気が明確な意思をもって動いた。それは佐藤を中心に幾つもの点として集合していく。
 吹きすさぶ風が髪を強くなびかせ、本棚からいくつかの本が落下する。

『ヴゥゥゥゥッゥゥウウンンン』

  甲高い収束音。高められていくそれが渚の周りを取り囲み始めた。

「僕が手に入れた"力"はね。≪荘厳なる風刃≫テンペストっていうんだ。自分の思うがままに大気を操れる能力。
風の塊をぶつけて飛び降りた人も無事に着地させられる他に、ほらこんなふうに…」

  佐藤が腕を前に上げた。すると、細く研ぎ澄まされたモノが渚の脇を烈風の勢いで通過していった。

  渚の背後。いくつもの本棚を切り落とし、壁に風の刃がぶつかる。コンクリートの壁はぱっくりと裂けて、
 中の水道パイプを何本も覗かせた。遅れて、本がバラバラと崩れる。

「一点に圧縮させて、刃物みたいにすることもできるんだよ」

  前回と違い渚は動けた。だが、狭い通路だったことが回避を不可能とさせていた。渚は頭を限りなく
 早く回転させていたが、打開策など浮かばない。さらに今回は助けを期待できなかった。

  自分一人で事件を解決してやると意気込み、祖父に話さなかった結果。絶望的な状況に追い込ま
 れている。

「バイバイ」

  また明日、とでもいいそうな佐藤は、右手を上げて軽く掌握を繰り返した。音だけで数十を超える
 風の刃は佐藤に呼応して収束音を限界まで高まっていく。

  自らが死ぬ時は走馬灯が見えるという、自分の生まれてから現在までの過去を見るのだと先人
 たちはいっている。

  だが、渚の脳裏に走馬灯は走らなかった。代わりに、浮かんだのはある友人の面影。

  いつもふざけたように振る舞い、馬鹿な行動をするヤツ。面倒ごとが嫌いで、厄介ごとには決して
 関わることをしようとしない。全く逆の考え方を持つヤツで、なんども衝突した。

  だがいつしか、いつからだったか自然と眼で追うようになっていた。

  本当はお人よしのくせに、まるで自分を抑えているようなところがあって―――。

  今までこれほどの想いを抱いたことなどなかった。会えないことを心苦しいとまで感じるような想い
 をもったことは一度たりとてなかった。

  だけど、彼は、彼だけには……。

  風の音が高くなっていく。放たれるのも時間の問題だった。

『ガタン』

  木製の硬いもの同士がぶつかる音。状況に似合わない間抜けな音に、佐藤と渚は気を取られて
 そちらの方角を見た。

「え?」

「は?」

  愕然、その言葉でしか表現できない物体が迫ってきていた。

  ドミノという玩具がある。長方形の板をいくつも縦に並べて道筋を作るのだ。テレビで見たことがあ
 る人も多いだろう。初めのドミノを倒すと、連鎖的に倒れていくアレである。

  図書館の本棚はドミノに実に似ている。 

「チィッ!」

  佐藤は渚へ向けていた風の刃全てを迫り来る本棚に放った。連鎖的に倒れてくる全てを止めるに
 は不十分だったが、本棚の直撃だけは避けることができた。

  だが切り刻まれた書物は白片を無数に巻き上げて視界を不確かなものにさせる。

  カンカンカン

  足音。それも二人分。渡り廊下を走り去っていく音を聞き、佐藤は先ほど渚が立っていた場所を
 即座に見る。

  当然、渚の姿はなかった。佐藤は堪らず唇を吊り上げた。

「へえ、おもしろいじゃないか。僕は狩りも大好きだよ」



           #        #       #



  走る走る。

  渡り廊下を抜けて、資料別館から体育棟に移る。

  体育棟に辿り着いたところで、ようやく二人は止まった。互いに息が上がっている。渚は顔を俯か
 せたまま救援者の顔を見ようとしない。

  少し前方で、息を切らしながら周囲を注意深く観察している稔がいた。

  ここに来るまで稔は終始無言。佐藤から逃げるのに必死だったといえばそうなのだが、いまの稔は
 確実に怒っているように思えた。

「稔、あの…」

「何も聞かないから何も言うな」

  意を決した言葉はぴしゃりと跳ね除けられる。確実どころではない、かなり怒っているようだった。

  泣きたくなるほど哀しくなったが、仕方ないことだった。稔の忠告もなにも、全て無視して事件を調査し
 た挙句、命まで危険に晒されている。

  どうしようもないほど馬鹿だった。

「よし、とりあえずオッケーだな」

  稔は周囲の安全を確認してからいった。

  ため息を一つつくと、稔は歩み寄って、渚の両肩に手を置いた。

「間に合ったからよかったけどなぁ。頼むから心配させるなよ………」

  渚は顔を俯かせることしかできない。稔が心の底から安堵してくれているのがよくわかった。だから
 こそ、稔を巻き込んでしまった自分が情けなくてしかたなかった。

  突然。俯いたままの渚の肩に手を置いたまま、稔はニカっと笑った。

「お前まだ俺にアイス奢ってないんだぞ?」

「は?」

  稔は眉をしかめると、渚の肩をバンバンと叩いていった。

「アイスだよ、アーイースー。お前、俺に二つも奢る約束してるだろ?」

  悪気の無さそうな顔で稔がいうのは、酷く腹立たしいものだった。

「おまっ…心配させるなってそっちの意味かよ……」

「それ以外に何が、グフォ!!!」

  鳩尾を渾身の力で殴られた稔は嘔吐物を堪えるだけで精一杯だった。痛みというか、衝撃のため
 に床をごろごろと転がる。

「一生やってろ」

  鼻で息をすると、渚は腕を組んで振り返ってしまった。

  だが、少し顔を俯かせると、

「…ありがとう」

  硬い床を転がっているのでそんな渚に気づくよしもなかったが、消え入るような囁きは聞いていた。

  稔は顔をしかめて、腹を押さえながら立ち上がっていった。

「つつつ…渚。あいつをはめる方法があるんだ」

  ぴくり、と渚の肩が動く。

「どんな方法か詳しく教えてくれ」











  


 


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