日々、歩き









  光が差すこと無き部屋。あくなき闇のみが支配する部屋で、人影は写真を一枚破り棄てた。

「これで、あと一人」

  まだ一人残っているが時間の問題だ、明日にでも呼び出して処理してやろう。

  いじめなんてゲスなことで自分の強さを誇示し、悦に入っている奴らを許すわけにはいかない。あと
 一人を始末したら自分の好きなように殺すのだ。人を、人間を。

  想像するだけで興奮してくる。自然と鼓動が速くなってくる。笑みが浮かんでしまう。

「そういえば…」

  邪魔者が一人いる。
 
  うろちょろと周囲を嗅ぎまわり、自分を探そうとしている小娘。これといって害はないし、まさか自分の
 ことにも"力"のことにも気づくはずがあるまいが―――。

「邪魔をするなら、消せばいいか……」

  自らの携帯から着信音が流れる。クラシックの音色は六十四和音では表現しきれていないが、荘厳な
 イメージだけは曇りなく伝わってくる。

≪メールあり一件≫
 

  だが送信者のアドレスは登録されていないもので、名前は表示されていない。不審に思いながらも
 ボタンを操作して開いてみる。

≪午後四時、学校の第一図書館で待ってます  福原 奈緒≫

「なるほどね…」

  福原 奈緒は気づいたのだろう。自分が狙われているということに。そして誰が本当の犯人であるか
 ということにも。さすがに名門私立校の生徒だ。頭は悪くないらしい。

  ちょうどいい。のこのこやってくるというのなら相手をして殺ろう。

  全てを超える力、≪荘厳なる風刃≫テンペスト

  


  ”彼ら”から与えられた力を使って―――







       

     第十五歩/ 終極への加速










  
  人影にメールが届く一時間ほど前。三時。相変わらずの雨。相変わらず部屋に籠もりっきりの渚。

  空が泣く日は少なからず人の心に影響を与える。晴れの日は明るく、雨の日は沈んだ気分にさせる。
 天気に影響されてか、渚は空気が湿気がこもった部屋で四苦八苦していた。

「くそ、どうすればいいんだ」

  相変わらず頭を発熱させている。再び行き詰った事態に焦りを感じているようだった。

  進展したことといえば唯一、宇藤教師が証拠不十分で釈放されたぐらいだろう。もちろん、先日渚が
 証言したアリバイも関係しているのだろう。

  だが、事件解決の決定打とは程遠い。

「井上 小夜子の住所さえわかれば……」

  しかし掴めるはずもなく。仮に問い詰めようにも状況証拠しかない。八方塞がりであることに変わり
 はなかった。

  それ以前に渚は心の底で怖じていた。

  傍目には渚は気丈に振舞っているように見えたが、全てを切り刻む不可視の刃に襲われたときの
 恐怖は、どうしても拭えるものではなかった。

  階下、玄関を開ける音。帰宅する者がいた。

「渚。いま帰ったぞ」

  居間へ降りると、白くなってきた髪が目立つ正隆が疲れ果てた様子で座り込んでいた。正隆は、
 前日から警察署に泊り込みだった。衣服が薄汚れているのは、地回りをしたからだろう。

「じいちゃん、事件のほうはどうなの?」

「全然駄目だ。かけらもわからねえ」

  普通、行政機関である警察は一般人に調査報告などしないものだが、個人レベルとなると話は違う
 のか、家族には殊更甘いようだ。特に渚LOVEである正隆なら尚更なのはいうまでもない。

「凶器は出ない。証拠は生徒たちの目撃談だけ。聞き込みも意味なし。最悪の条件が三つも
揃って手も足もでねえよ」

「犯人の目星もつかない?」

「皆目見当もつかねえな」

  あわよくば警察の情報を手に入れようとした渚の企みはここで撃沈した。

  こうなればなんとしてでも井上 小夜子の住所を突き当てるしかない。そして彼女の真意を聞き出す
 ことが必要に思われた。

「ったく、ただですら何も進展なしだっていうのに。人がバラバラに殺される事件なんて初めて・・・
だから署内でもどう扱っていいのか困ってるしよ」

「え?」

  意表を突かれた声を上げ、渚が顔を上げる。聞き逃してはいけない単語を正隆はいっていた。
 少なくとも、刑事である正隆がいうにはあまりにも不自然な言葉。

「じいちゃん、初めてってどういうこと?」

「? どうもこうもないだろ。人様がバラバラに殺された事件なんぞ、長い刑事生活だがこの鳴神
市では一度も起きたことがなかったな」

「うそだろ…」

「嘘ついてどうするっつーんだ」

  正隆は本気の目。真実を語っている目だ。まして、ここで嘘をついたところで何のメリットも
 ないことも確かだった。

「ちょっと待ってて」

  いうと、渚は部屋に戻って新聞記事をスクラップしている特製ファイルを持ってきた。ペラペラ
 と捲り、途中で止めると正隆に手渡した。

「ここを見て欲しいんだけど」

  ある事件の記事を指す。

  以前、稔にも見せたことがある二週間ほど前の事件。廃ビルの屋上で人が殺された目撃談
 とバラバラ死体発見についての記事である。

  刑事事件として扱われるはずの事件。鳴神市内で起きた事件は全て鳴神警察署が担当する
 ので、正隆は事件のことを当然知っているはずだった。

  が、正隆は訝しげに眉根を寄せた。

「こんな事件あったか?」

  知らないという正隆。渚は軽い立ちくらみに襲われたが、まだ倒れるわけにはいかない。もし
 かすると最悪の事態が起こっているかもしれないのだ。

「じゃ、じゃあこっちはわかるだろ?」

  次に、渚は命樹高校では第一の被害者、折原 恵美の記事を見せた。事件の規模の割りに
 小さな記事だと渚が疑問を覚えたモノである。

  たった数日前の事件。新鮮な記憶として、正隆は覚えているはずだった。

「……う〜ん」

  眉を寄せて考える正隆の目には、初めて見たような色が浮かんでいた。数瞬の後、ふっと
 正隆の目に理解の色が浮かんだ。

「ああ、当然わかるぞ」

  ホッと一息。だが、渚の眩暈はさらに大きくなった。

  正隆は前者の事件を完全に忘れていた。決して正隆がボケたのではない。目にはいつも通り
 の輝きが灯っている。

  なにより、朝食を食べたことを忘れてもう一度食べるなどとはレベルが違う。

  もっと変なことは後者の事件も忘れかけていることだ。まるでこの異常な事件が徐々に消滅し
 ていっているようだった。

「まさか、人の記憶が消えていってるのか……?」

  渚の予想でしかないのだが、もし相手が記憶を操作する"力"を持っているとしたら?

  人々は皆、事件のことを忘れていくだろう。事実、廃ビルの事件はもはや忘れ去られてしまっ
 ている。早めに事件を解決しないと今回の時間は人々の記憶から抹消されてしまう。

  なぜ自分が覚えているのか理由はわからないし、常人が聞けば頭がおかしいんじゃないかと
 疑うような考えだが、おそらく自分の読みは正しいと確定させる。"力"の存在を知ればこそ。

  同時に考えられることは、今回の事件がただの『殺人事件』などではないということ。

  異質な"力"が使われている時点で普通ではないのだが、この事件には何か大きな裏がある
 気がしてならない。

  たとえば事件記事の扱いに関しても、なにか新聞会社に大きな圧力がかかっているのかもしれ
 ない。記事が小さいわけは人々の記憶から消え去り安いようにしている可能性が高い。

  そして、記憶を消すことさえできればどうして圧力がかかったのかも、事件があったことすらも
 崩れ落ちる砂上のように忘れられていくだろう。

  そう仮定すれば全ての事態に説明がつく。

「手がかりっつー手がかりつったら現場に残されていた『メッセージ』ぐらいか…」

  正隆がボソっと呟いた。渚は確認をとるつもりでいった。

「メッセージってあの『次はおまえらの番だ、神の審判を受けよ』ってヤツだっけ?」

  その言葉に正隆は跳ね起きる。渚を責め立てるような目つきで睨みながらいった。

「渚…そのことは誰から聞いた?」

  重々しい口調で問い詰める正隆は、刑事として問うていた。

  祖父の突然の変貌振りに気をとられ、答えられないでいると。正隆はチっ、と舌打ちして頭をぼり
 ぼりと掻きはじめた。

「ったく、どうせ村下のヤツがいったんだろ? あの野郎、自分では一般公開されてない情報だとか
ぬかしてやがったクセに…」

「公開されてない?」

「そうだ。あのメッセージは警察しか知らねぇんだよ。なんつっても生徒たちは遠すぎてメッセージが
読めるはずもねえからな。あと知ってるとしたら容疑者だった宇藤と犯人ぐらいだろ」

  心臓が跳ねた。

  違和感。渚の心中で、何日か前に感じた違和感が急激に鎌首をもたげ始めた。

  正隆がいったことは、これまでの渚の推理を根底から覆してしまった。

  先ほどまでは井上 小夜子が犯人だと予測していた。だが、メッセージが公開されていないとなる
 と全くの勘違いになってしまう。

  渚の頭の中では、無数の情報が処理され、完璧に近い推理が構築され始めていた。

  そもそも自分が誰からメッセージのことを聞いた? 誰から事件のことを聞いた? ほぼ完全ともい
 える劣化無しの一次情報を教えてくれたのは誰だ? 

  ―――あの人だ。それに、あの時、あの人は事件のことを覚えていた。

  渚はそれまでの懸念を全て忘れ、恐怖までもが霧散していた。

  渚の心中ではある決意が定まっていた。

  この事件をひとりで解決するということと犯人を自白させるように説得することだ。警察に話したところ
 で、異能力の存在を信じぬ彼らを当てにできないと早合点したための決意。

「じいちゃん! 俺ちょっと出かけてくるから!」

  叫ぶようにいう。

「あ、おい! 渚!」

  止める間もなく、渚は携帯を引っ掴み、そのまま玄関から飛び出していってしまった。事件ファイルは
 放りっぱなしである。

「どうしたっていうんだ?」

  わけもわからず、正隆には呆然と立ち尽くすことしかできなかった。しょうがなく、風呂にでも入ろうか
 と思って浴室に向かう。

『ピンポーン』

  途中、軽快にインターホンが鳴った。億劫そうに顔をしかめた正隆だが、しゃあねえかと呟いて玄関に
 向かった。

  ドアを開く。

  玄関の向こうには、最近知り合った少年と少女がいたのはいうまでもない。



          #       #       #



「よく来たな小僧。それに嬢ちゃん。何もないがまあくつろいでいけや」

  午前からつい先ほどまで事件について調べたリビングに通された稔は、正隆の申し出をやんわりと
 断った。桃花が用件だけを伝える。

「渚ちゃん、は、います、か?」

「それがよぉ、ついさっき出かけるとかいって出ていっちまったんだよ。すれ違わなかったか?」

  稔はいや、と否定した。目の前で、老人の強面が困惑に歪んでいる。気になった稔は訊ねた。

「どこにいったかわかります?」

  正隆は顔を歪めたまま左右に首を動かした。わからないか、と稔は小さくこぼした。

  無駄かもしれないが、渚にこれ以上の調査をやめるように忠告しにきたのだが、肝心の渚がいない。
 ほんとうに無駄足だったかもしれないと思って、落胆する。めんどくさいことになったな、と。

  視線が落ちる。その先に、どこかで見たことのあるファイルがあった。

「ん? これは」

「ああ、渚が置いて行ったんだよ。なんかいろんな新聞記事をスクラップしてるみたいだな」

  手を伸ばして取ってみる。開いてみると今回の事件についての記事への書き込みが増えていること
 に気づいた。

  裏面にはB5のルーズリーフが挟まっており、事件の推理や前後関係が事細かに書いてあった。前は
 気づかなかったが、どの記事にも同様にして渚のコメントが書かれていた。

「さすが、探偵ごっこをするだけはあるなー」

  適当に捲る。稔が感心していると、横から桃花が覗き込んできて閃いたようにいった。

「稔、これで、渚ちゃんの、居場所、わからない、かな?」

  思わぬナイスアイディア。

「それだ、でかしたぞう! 桃花!」

  もしこのファイルに渚の残留思念が残っていれば、稔の≪疎通≫ロードで渚の居場所を特定すること
 など造作もない。

  頭を撫でてやろうとすると、桃花はひょいっと頭を引っ込めた。不満げな眼でこちらを睨みながら、
 首から下がっているカードを突きつけてくる。

「んっ」

  頭を撫でなくていいから、丸寄こせ。といいたいのだろう。

  稔はため息を一つ吐くと、二つ丸を書き込んでやった。桃花は今にも小躍りしそうな勢いで喜んで
 いる。満面の笑みは燦々と輝いていた。

「お前ら、なにしてんだ?」

  何をやっているのかわからないのは正隆だけだったが、稔はあえて説明しないで笑って誤魔化した。
 ともかく今は、一刻も早く渚の居場所を探らなければならない。

  ファイルを閉じて、眼も閉じる。周囲の空気が僅かに熱気を持ち始めた。正隆が驚いたような声を
 上げたがそれすらも意識の奥底に沈んでいく。

  集中する。見えてくるのは渚が新聞記事を切り貼りしているところ、書き込んでいる様子といった
 おぼろげなイメージだけ。

  渚は大分このファイルを使い込んでいるのだろう、様々な思念が入り混じり、これだといえるような映
 像は見えてこない。モノローグ化している思念も多かった。

「なら…」

  方法を変える、思念を読むのではなく直接『語りかける』ことにした。

  『会話』は稔の能力本来の使い方であり、普段は意志を持たないモノたちを会話をするための能力。
 ファイルに話しかけることで、渚の居場所を探ろうとする。

(教えてくれ、渚はどこにいる?)

  頭の中から、ファイルに言葉を伝える。だが何も聞こえてこない。

  駄目か、と稔は諦めた。意志を持たないモノに『語りかける』のは簡単だ。だが、稔に応えてくれるか
 どうかは定かではない。

  モノにも気のいい奴や、シカトするような奴までいる。加えて、応えてくれるにはそのモノと親しくなけ
 れば応えてくれにくいというデメリットまである。人間関係みたいなものだ。

  もう『語りかけ』をやめようかと思った後。数秒経ってから躊躇いがちに語りかける意志があった。

【高校…命樹……本、いっぱい…犯人…わかった……】

  それはファイルの意志ともいえる。稔の異能力≪疎通≫ロードに応じてくれたファイルの人格だった。

(図書館か?)

【うん…】

(助かった。ありがとう)

【お話し……また…してね】

  力の行使を終えると、ファイルの意志はゆっくりと消え、もとの無機物に戻って行った。

  ゆっくりと目を開ける。なにが起きているのかわかっていない正隆と、わかっている桃花がこち
 らを見てきていた。とりあえず桃花に見えたものを伝える。

「桃花、渚のいる場所、というか行こうとしている場所はわかった」

「どこに、いる、の?」

「俺たちの高校にある図書館に行くつもりだ。しかもかなりまずい、渚は犯人と接触するつもりだ」

  苦渋を飲み干したようにいうと、桃花が驚いたのが見て取れた。

「じゃあ、はやく、なんとか、しない、と!」

「ああ……」

  だがいい考えが浮かばない。間違いなく犯人はなにかしらの"力"の持ち主だ。それも、並みの
 "力"ではなくあれほど簡単に人を切断できる強力な"力"。

  稔にはそんな"力"に対抗する手段が容易には思いつかなかった。一手目まではいい、だが
 相手を詰むには手持ちのカードが足りない。

「おい、さっきから聞いてりゃなんの話だ? 渚があぶねえとか、犯人だとか、どういうこった?」

  横合いから、正隆が怪訝に訊ねてくる。稔の脳裏にある考えが浮かんだ。

  正隆ならどうか? 刑事として持っているものがあるはずだ。現代において一般人が持ちうる最強
 の武器、鋼の死を打ち出す"拳銃"ではどうか?

  しかし、正隆にそれを依頼するということは自分たちの"力"について教えなければならないことを
 意味する。もっとも、正隆は渚が危険だといえば必ずついてくるだろう。

  だが、仮に話さないで"力"の所持者と対峙した場合、知っていると知っていないのでは生存率が
 何十倍も違ってくる。正隆の安全を考えるなら、話したほうがよい。

  ……人には知られたくない秘密、けど、どうしても切り札は必要となってくる。

  だが、迷っている場合ではない。これ以上めんどくさいことにならないためにも決断するしかない。
 正隆に話すか、話さないか。

(ああ、俺ってこんな頑張るキャラじゃないんだけどな…)

  やがて意を決し、正隆に向き直った。目を見詰めて話す。

「いまから真剣な話をする。全部信じてくれとはいわない。ただ今だけは聞いてくれ」

  稔にはいつものふざけた気配は微塵もなく。正隆は息を呑んだ。

  稔が語った話は、あまりに馬鹿げていた。聞かされた当初、正隆は鼻で笑ったほどだ。

  だが、正隆が信じるようになるまでに大して時間はかからなかった。本物の"力"の持ち主が二人も
 いたのだから。

  かいつまんだ説明を終えて。稔たちは命樹高校、図書館へ向けて走りだした。











 


 


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