日々、歩き











     第十四歩/ 確定条件








  翌日。

  六月、梅雨という季節に相応しい勢いで雨がしとしとと降り注いでいた。太陽は曇天の遥か上
 空に隠れている。が、時折隙間から顔を覗かしては、妙に冷たくなった日差しを落としていた。

  昨日の面影は何処にも残していない。部屋の窓から見える景色は、灰色の空と雨で黒く染ま
 った屋根とアルファルトだけだった。

「犯人の最有力候補は……井上 小夜子か」

  渚はベッドに横たわりながら調査をまとめていた。

  小夜子を怪しいといわず何を怪しいというのか。住所がわからないから直接会いにいけない
 のは痛いが、犯人はほぼ確定したようなものだと思っていた。

  渚の立てた筋書きはこうだ。

  いつも三人組にいじめられていた小夜子は、執拗なまでのいじめに遂に耐えられなくなり、犯行
 を計画した。

  まず初めに折原 恵美を生徒たちの見せしめとなるように殺した。狙いは残り二人への恐怖心の
 植え付けだろう。

  二番目に加藤 亜紀。図書館で小夜子を殴っていたので彼女が第二の標的になったのだろう。
 しかも自分まで狙われた。

  おそらく、説教じみた自分の物言いに激しい憤怒を感じて、加藤ともども殺してやろうと思ったに違
 いない。だが、稔によって助けられたことで小夜子は諦め、冷静さを取り戻したのではないか。

  小夜子は狙い通り計画を遂行すると、人ごみに消えた。今は休校なのでおとなしくしているのだろ
 うが、遅くとも三日後には行動に移る可能性が高い。

  勿論、凶器はなにかしら特殊な"力"だと推測している。もっとも、渚とて稔たちの"力"を先に知っ
 ていなければこの結論までは辿り付けなかったろう。

  異質な"力"があるのなら遥か遠くからの犯行も不可能ではない。

「問題は住所なんだよな。居場所がわからなければ問いただすこともできやしない…」

  渚はベッドに突っ伏した。なんともいえない顔を浮かべている。どちらかというと、安心してるような
 表情だった。

「俺は、ホッとしてる」

  全身の毛穴から汗が噴出そうとしているのに、それすらもできないほどの恐怖。渚はそれを味わ
 っていた。危険から回避できるということが渚の安堵感を誘うのだろう。

  それに、住所がわかったとしても身の安全は保障できないのも確かだった。

  相手は通常の凶器を使っているのではない。渚ひとりがいったところでどうなるのかは眼に見え
 てわかっていた。

  渚は仰向けになり、腕を頭の後ろで組んだ。どこともなく天井を見上る。

  雨はいつまでも降り続ける。下天はまだ午前だというのに、宵闇が訪れそうなほど暗かった。



        #      #      #



  一方、稔。

「くそう、どうして俺がこんなめんどくさいことしなくちゃいけないんだよう…」

  上空から狙いをすまして打ち込まれるような無量の水滴は、傘をさしているにも関わらずシャツ
 やジーパンに染み込み、動きを鈍くする独特の重さを持ち始めていた。

  一見、稔は夢遊病者のように鳴神市内をうろうろしているようにしか見えない。

  だが稔は無駄なことをしているのではない。≪疎通≫の力を駆使して渚が辿った道筋を遡って
 いた。

  渚の至った系譜をなぞることで今回の事件に関して全貌を掴む。そうすることで渚の行動を先読
 みしようという魂胆。一度人が通った道を歩くのは簡単で、途中まで割と順調に進んでいた。

  露店から始まり、今はちょうど命樹高校の図書館前に来ている。命樹高校の図書館は一般解放も
 されている。さらに市の援助も受けているので休校だからといって影響を受けはしないのだった。

  受付から入館する。ごうごうと回る空調が湿気を払っているため、館内は妙に乾燥していた。

  纏わりついた水滴を軽く払い、傘を指定の場所に置いておく。

「さて、まずは第二図書館からだな」

  "力"を使ってわかったことから、螺旋階段を昇って第二図書館に至る。事件のせいか、平日とい
 うせいか、人は指で数える程しかいない。そのうちのほとんどが一般人で、女性ばかりだった。

  主婦にOL、老婆に女子生徒……女子生徒?

  目がそこで止まる。こんな事件の最中だというのに女子生徒がいた。熱心に分厚い本を読み耽
 っている。よほど集中しているのか、まばたき一つしない。

  事情があって来るならまだしも、高校で殺人事件が起きているというのに、本を読みに来るという
 のはどういうつもりなのか。

  他人に対して自分からは滅多に声をかける稔ではないが、この女性とに少しばかり興味が湧いた。

「なに読んではるんどすえ〜?」

  舞妓さん風味の語り口調は、相手の警戒心を煽るに十分だった。

「な! な、なんなんですか?」

  驚きで声が震えている。常にオドオドしていそうな少女だった。眼鏡をかけて、オプションとして分厚
 いハードカバーの本。稔の少女に対する第一印象はいかにも『文学少女』だった。

  不審者を見たような目つきの少女を安心させるために、稔はなるべく一般人を振舞おうとした。

「安心してくれたまえ、私は怪しいものではない。あなたが読んでいる本を知りたかっただけなのだよ」

  稔本人もいまの対応はなにか間違えている気がしてならないが、もういってしまったものはしょうが
 ない。相手の少女は目を怪訝にしたまま、ゆっくりと本を見せてきた。

「こ、これです…ぅ……」

  背表紙に図書用シールが張られた本のタイトルにはデカデカと『失楽園』と書いてあった。

「……エロっ」

「ち、ちがいますちがいます!!!」

  眼鏡の少女は必死に首を横に振る。目の端に涙まで浮かばせ始めた。

「だってほら。『失楽園』って数年前に話題になった映画だろ?」

  『失楽園』に関する稔の知識はその程度のものだった。不倫をテーマに過激な性描写で話題に
 なり、流行語まで掻っ攫って行ったあの作品である。

「ちがうんです! これは、その、えっと。全く別物です!」

  さっきまでの少女とも別物みたいなハキハキとした態度だった。タイトルの隅にある著者の欄を
 指でなぞって示す。

「ミルトン?」

  クルトンみたいだな。と、料理人である稔は思う。

「そうですよ、あなたがいったほうは日本人が書いたやつでしょう? でもこれは違うんです」

  次第に熱が入り始めた少女を一瞥。稔は話しかけたことをかなり深く後悔していた。

「いいですか? ミルトンが書いた『失楽園』は旧約聖書の創世記をモデルに書き上げられた有名な
叙事詩なんです」

  なんていわれても、知るはずが無い。

「へ、へえー」

「エデンの園、楽園で暮らしていたアダムとイヴに悪魔たちの首領であるサタンが智慧の実を
食べさせるという神への反逆行為を描いていてですね…」

  この手のマニアは語らせ出したら止まらない。特に天使マニアなんか教えてくれなくてもいい知
 識ばっかりを神学専門用語で語ってくるのだ。

  いま、なんとかして話をやめさせなければ延々何時間も話し続けてしまう。

「ストップゥゥァァァァァァ!」

  絶叫と共に両手を思いっきり前に突き出す。決死の懇願は少女の胸に届いたのか、口を閉じ
 てこちらを見た。

  だがその目は不満げである。

  ―――まだ語り足りない、もっと語らせろ。

「うむ、俺としても君の話をもっと聞いていたいのだが、まだはやることが残っている。だからご講義
のほうはまたの機会としてくれまいか?」

  眼鏡の少女は残念そうに肩を落とすと、ため息をついた。

「なら仕方ないですね。また今度にしておきます…」

  絶対聞きたくない、と稔の心中は決まっていたのだが愛想笑いを浮かべるとさっさとその場を退
 散する。

「それではまたの機会に」

「ええ、それじゃあ」



         #      #      #



「もうだめ、疲れ果てた…」

「おつかれ、さま」

  桃花がソファーに寝そべった稔にねぎらいの言葉をかける。

  稔の調査は図書館で終わっていた。というか終わるしかなかった。図書館には有用なモノを
 読み取ることができなかった。加えて稔の『語りかけ』にも応じてくれない。

  夕方遅くなるまでやったというのにまったく成果があがらなかった。このままでは渚の先回りを
 することなど不可能である。

「まったく大した"力"だよな…」

  いくらモノに宿る記憶を読めたり『会話』できるとはいえ、肝心のモノが応じてくれなければゴミ
 屑ほども役にたたないのだから。

  自分の方は成果があがらず。傍らに座っている桃花は何もいわずにじっと黙っていた。

「桃花のほうはなにか進展はあったのか?」

「ううん、ない、よ」

  桃花が担当したのは渚の行動を見張ることである。なにか行動を起こそうとしたらすぐに連絡す
 るようにいってある。渚に壊された携帯は買い直しているのでバッチリだ。

  特に渚が行動を起こしていないことから、まだ大丈夫だと確信する。やや躊躇うように、桃花が
 いった。

「ねえ、稔」

「ん〜?」

  ソファーに突っ伏したままの稔には、桃花の顔が確認できない。疲れているのでする気もない
 のだが、なにか言いたそうな雰囲気は伝わってきた。

「どうして、渚ちゃん、に、『手伝う』って、いわない、の?」

  顔だけ動かして、稔はいった。

「桃花、なにか勘違いしてないか。俺は渚の手伝いをしてるんじゃなくて、むしろ止めさせるために
やってるんだぞ」

「え、違う、の?」

  体を起こす。意外といった顔をしている桃花を見る。

「渚がやめろって言われたぐらいでいう通りにするヤツじゃないっていうのがよくわかったからな。
なら先回りをして力づくでも止めさせるしかないだろ」

  稔がここまで面倒なことをしているのにはわけがあった。

  二人目の女生徒が殺された日に聞いた不愉快な風音。人体をいとも容易く分割するほどの『何か』
 の正体は種類は稔にとてわからない。

  だが、あれは確実に"力"だった。自分と同じような異能力。警察はもとより、渚などでは相手になら
 ない。

「場合によっては、――に頼むしかないかもな」

「?」

  呟きは誰にも聞こえることがなく、桃花は首を傾げていた。

  稔は名前でいったのだ。和葉、と。

「よし桃花。明日は二時ごろまで事件のことを調べるぞ。あとは、一応忠告しに渚の家に行くか」

「うん、わかっ、た」







  動き出す

  初めは緩く穏やかだった流れは勢いを増し始めた

  幾つもの点が線となり、一枚の絵を浮かび上がらせる

  自らが止めた運命の輪は全く別の誰かによって廻され始めた

  だが

  まだそのことに稔は気づいていない













 


一歩進む  一歩戻る   振り返る

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