日々、歩き








『ピンポーン』

  優雅な正午。鳴り響いたのは柔らかい電子音。

  ソファーに寝転がっている稔はぴくりとも動かないで黙っていた。今しがた掃除洗濯を終えたば
 かりなので疲労が溜まりまくりなのである。。
  
  他の者が来客を出迎えてくれるとありがたいので、呼びかけてみる。

「お客さんだよ〜。桃花〜いないのか〜」

  返事はない。どうやら桃花は自室にいっているようだ。和葉は仕事に行っているのでいない。仕
 方ないので、稔は疲れた体を起こして玄関へ向かった。

「誰だ! ピンポンダッシュだったら追いかけるぞう!!!」

  開け放つと、ドアの向こうに立っていた人物は馬鹿にするように笑いながら右手を挙げて応えた。

「よう稔。相変わらず阿呆なことやってんな」

  開け放たれた扉の向こうに立っていたのは、鋭角的な美貌と、刺すような眼光の持ち主である
 姓は高井 名は渚であった。










     第十三歩/ "力"について










「なんだよ渚、来るなら電話ぐらい入れろよな」

「悪い、家に携帯忘れてきちゃってさ」

  渚を二十畳ほどの居間に案内した。チャコールグレイ色のソファーに座らせる。用意したた茶が湯気
 を立ち昇らせて揺らめいている。渚は熱そうに掴むと、一口すすった。

「そういや渚、昼飯は食ったのか?」

「いや、まだだけど」

「ならちょうどいいな。お前の分も作るから待っててくれ」

「すまん。悪いな」

「気にすんなよ。この前は俺らがご馳走になったんだからな」

  稔は厨房に戻り、料理を始めた。渚はしばしボーっとした様子で、目の前に置かれた茶をゆっくりと
 すすっていた。せんべいまで出して貰ったのでありがたく頂く。

  人が階段を降りてくる足音。軽快なステップ。

  桃花は私服の襟元にいつも通りカードをぶら下げていた。首元に束ねている紐が窺える。視界に入
 った渚に気づき、驚いたような予想通りだと思ったような微妙な表情を顔に浮かべた。

「あ。やっぱり、渚ちゃん、だ、ね」

  おっす、と渚が軽く手を挙げて挨拶を交わす。桃花は近くのソファーに座り込んだ。肩までの黒髪が
 白い陽光に照らされて輝いている。暖かな美貌だった。

「どうした、の。急、に?」

「いや、これといった理由はないんだけど。暇だったからな」

  目線を不自然に動かしながら渚がいった。疑問を浮かべた眼で桃花が見詰めるが、なにもわから
 ない様子だった。

「おーい、準備するの手伝ってくれ〜い」

  稔がキッチンから声をかける。二人はソファーから腰を上げて応じた。

「はいよ」 「うん」



        #       #       #



  本日のメニューはカレイのムニエルと備え付けのサラダ、仕上げにコンソメスープという割と軽いもの
 だった。味のほうは、並大抵のコックでは及ばない出来栄えだったのはいうまでもない。

  食べ終えた三人分の食器を、稔は慣れた手つきで重ねて流し台に持っていった。

 窓から差し込む陽光が居間全体を包み暖かいムードを作り出している。日差しが眩しい、だが気になら
 ないほど穏やかな昼下がりが流れる。

  底抜けに青い空を流れる白雲が点々と見える。風は弱く、心地よく、ざわめきながら遠ざかっていく
 のが見えるようだった。静寂が覆う世界で、渚たちは黙って座っていた。

  渚は桃花の斜め四十五度の角度に座り直した。渚の動きを目に留めて、桃花がきょとんとする。

  『何か』についての質問は、稔に尋ねに来たのではなく、どちらかというと調査に協力的な桃花に
 だった。

「桃花、今日は聞きたいことがあってきたんだ」

「?」

  まさしくハテナという可愛らしい表情で首を傾げた。大丈夫かな、と思って問いかけてみる。

「お前や稔が持つ"力"についてなんだけど…」

  ―――凛

  場の空気が一瞬で緊張した。桃花の目が警戒の色に染まり、渚を見詰める目が敵に対するそれ
 になる。

「突然、どうした、の?」

  普段はどんな話をしても困ったような顔しかしない桃花が、今は表情を硬くしている。疑念や怪訝
 の全て含む眼は、日常生活の桃花からはかけらも想像できなかった。

  こと桃花は、"力"の話になると気が立った猫のようになる。

「安心しろよ桃花。別に変なことを聞こうって言うんじゃない」

  落ち着き払って対応しているように見えたが、渚の手には幾つも汗が浮かんで湿っていた。背筋に
 冷たい氷柱を背負っているようで、知らないうちに背筋が伸びていく。

「なら、いいよ」

  しばらくの間、桃花は見定めるような目で観察していたが、やがてゆっくりと警戒態勢を解いてい
 った。

  渚は胸中に溜まっていた重石が取れたようにほっとする。慎重に言葉を紡ぎだした。

「仮に、仮にだぞ? お前らみたいな"力"を持つヤツがいて、その"力"の種類には人を簡単に
切断できるようなモノはあるのか?」

  普段どおりになった桃花は、真剣に考えているようで頭を捻らせた。

  ここで桃花から聞けることは、渚の読み通りなら今回の事件に深く関わってくるだろう。一刻も早く対
 応することで、今度こそ次の事件を防げるかもしれない。

  桃花は軽く唇を開き、また閉じた。考えが纏まらないようでしきりに首を傾げている。時間に直すと数
 秒の間が、数時間とも、数日とも、とかく緩慢に感じた。

「よく、わからない、よ…」

「わからない?」

  そんなはずはない。

  "力"の保持者である桃花がわからないというはずがないのだ。少なくとも、異質な"力"を持たない
 渚よりは詳しいはずで、それを期待してやってきたのだから。

「あのね、私たちの、"力"、は、いろいろ、難しいの」

  いうと、手振りをつけて説明を始めた。

「全部が、全部、人、それぞれ、なの。全く、同じだ、っていうのは、無い、ん、だよ」

「というと?」

「う〜ん。渚ちゃん、勉強は、得意、でしょ?」

  渚は縦に頷いた。別に傲慢なのではなく、事実だからである。名門を謳われる命樹高校にトップの実
 力で入学し、今までのテストでも九十五点以下はとったことがない。

「渚ちゃんの、学力を10、だとすると、普通の人は、5。渚ちゃんは、勉強で、10の力が、出せるけど、
ほかの、人は、5までしか、実力を、発揮できない、よね?」

「ああ、そうだな」

  次に、近くのメモ用紙を引きちぎってなにやら書き始めた。一般的な棒グラフで、二人の人物を対比
 している図。Aのほうが10、Bのほうが5となっている。

「Aの人は、百点、取れるけど、Bの人は、五十点、だけ。これを、私たちの、"力"に、当てはめる、とね。
同じ種類の、力を持って、いても、どこまで、出来るかは、人、それぞれ、なんだ、よ」

  Aのほうに二重丸で印をつけ、Bにバツをつける。桃花は自分でも何をいっているのかよくわからない
 だが、一生懸命に伝えようとしていることは確かだった。

  要点だけを伝え始める。

「だから、渚ちゃんの、話したような、"力"の、持ち主は、いるかも、しれないし、いないかも。しれない。
人には、苦手な、ことも、あるから、二人の人が、同じ強さだ、っていうのは、まず、ないの」

  渚は頷いて理解の意を示した。

「つまり古典は苦手だけど、英語が得意なヤツもいる。同じ"力"を持っていたとしても得意な分野が枝
分かれしていくってことか?」

  桃花は嬉しそうに頷いた。自分の説明でわかってくれたことが嬉しいらしい。

  渚はふむ、と口ごもった。例で挙げると、紙きれしか切れない"力"の持ち主がいるかもしれないし、
 コンクリートすら切断できる者もいるかもしれないということなのだろう。

「だけど、俺がいったような力の持ち主はいるかもしれないんだろ?」

  結論を急いて、口調がやや強まる。

「うん…。そんなに、強い、"力"の、持ち主は、滅多に、いない、けど。否定は、できない、と、思う」

  言葉に力はこもっていなかったが、確かに桃花は同意した。満足そうに頷いて立ち上ると、

「ありがとう桃花。助かったよ」

  これでまた一歩前進だと自身を励ます。皮肉だが、被害者が一人増えてからのほうが事件の進展
 が早くなっているようだ。先ほどの佐藤の時といい、調子が良過ぎてなんだか気味が悪いぐらいに。

「俺はもう帰るから、稔によろしく言っといてくれ。あ、それと…」

  羽織っていたブレザーの内ポケットを探る。渚の手には一つ透明なケースが握られていた。
 
「ペン、ダント?」

  桃花が困惑しながらそれを受け取る。渚は困ったように苦笑。後頭部を撫で付けながら、

「ああ、俺はいらないからお前らのどっちかが貰ってくれよ。じゃあな」

  それだけいうと、渚は稔に挨拶もせずに行ってしまった。桃花が僅かに見た横顔にはどこか焦って
 いるように見えたのだが、気のせいだろうか。

「む〜」

  ペンダントを貰ったはいいものの、どう扱っていいのかわからない桃花は手で遊ばせることしかでき
 なかった。桃花が陽光にかざすとペンダントは眩しく煌いた。



        #       #       #



「およ、渚は?」

  洗い物を終えた稔が、キッチンから顔を覗かせる。桃花がこちらに向き直っていった。

「もう、帰っちゃっ、た」

  稔は顔をしかめた。稔の手には三つバニラアイスがある。わざわざ持ってきたのだ。まだ霜が張り付
 いたままのアイスのカップから雫が落ちる。

「なんだとうっ! せっかく俺がデザートにアイスを食わせてやろうとしていたのに」

  肩を落とした。とりあえずアイスを机に置く。

  ―――桃花の手の中に眩しく輝くなにかを見つけた。

「ん? 桃花、それなんだ?」

  桃花が握り締めていたケースを目に留める。桃花は隠しもせずに差し出した。

「ペンダント?」

「渚ちゃんが、置いて、いったの。二人のうち、欲しいほうが、貰って、いいって、言ってた」

  ペンダントのデザインは単純なもので、いわゆるヘキサグラム、六芒星だった。金属特有の輝きを放っ
 ている。安物っぽいが本物の銀に近い光沢を持っている。

  長いチェーンがあることから首から下げるものらしい。裏には無機質な刻印が刻まれている。

  ―Forget―

「ふーん。渚が、ねえ」

  自らを着飾るということがない渚がアクセサリーなんかを買ったとは、プレゼントといえにわかには信じ
 難かった。

  とりあえずよく見ようとペンダントをケースから取り出す。稔はとくに意識しないで手に取った。

  ―――――瞬間、電流のように体に流れるモノがあった。

「なっ!?」

  脳裏に映る鮮明なビジョン、そして言葉の群体があった。

  何のために家を訪ねたのか、自分がキッチンにいる時桃花に何を訊ねていたのか、桃花から
 訊いたことで何をしようとしているのか、という渚の行動や思考。

  およそ、ペンダントを購入してから起こった渚に関する事象全てが流れ込んでくる。

  それは稔の異能力である≪疎通≫ロードのせいであった。

「どう、したの、稔?」

  驚愕で固まった稔を心配してか、桃花は近寄って肩に手を置いてきた。

「…あの、バカ……」

  苦虫を噛み潰した声で低く呟く。

  稔は全てを知った。渚が何をしているか、何をしようとしているか、ペンダントには僅かな情報
 しか入っていなかったが、確信させるにいささか質が良すぎた。

  稔が持つ能力≪疎通≫ロード
  
  主な用途は石や木などの意志を持たない物質と、意志の疎通を可能とする能力。時として、対
 象物の所有者の意識や過去を見ることも可能とする異能力だった。。

  もっとも近い能力例として<サイコメトリー>があげられる。

  よって、稔が読んだ、というより渚の意志が強すぎて強制的に流れ込んできた『過去』は、映像
 としてはっきり現われた。初めは呆然としているだけの稔。次第に腹が立ってきた。

  あれほど警告して、確認までとったのに、渚は面倒ごとに首を突っ込んでいる。信じられない。
 自分からわざわざ厄介ごとに関わるなんて稔には到底共感できない。。

  渚は大分深いところまで踏み込んでいる。だが、今回ばかりはやめさせなければならない。無
 理やりにでも引っ張り挙げる必要がある。

  ――――ならば。

  稔は思考を回転させ、ある結論に至った。

「桃花、話がある…」











 


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