缶詰ヒーロー











          63缶詰ナリ *  【Death thirteen】









  キリイが動けなくなり、連絡も取れないからにはすることはひとつしかない。
 
  翔太はスキーズブラズニルから飛び出し、墓標のように突き刺さっている鉄骨の間を縫うよ
 うに走った。
 
  二百メートルも離れていないはずのなのに、やけに遠く感じた。それが恐怖心から起きる
 錯覚だと気づいて、翔太は両足にいっそうの力を込めた。
 
  生身の千里が危険地帯にいることが足を逸らせる。ヴィシュヌの狙いが始めからキリイに何
 かにあったのなら、用済みの千里がこれ以上の生存を許される理由がない。
 
  息を切らして現場に着き、翔太はそっと身を潜ませた。
 
  壁一枚越しでは崩れ落ちたキリイを四本の腕で固定し、目まぐるしく額の宝石を輝かせてハ
 ッキングしているヴィシュヌがいる。ちょうどその横に千里が打ち捨てられていた。

「野郎……」
 
  飛び出したい激情を力ずくでねじ伏せ、翔太はもう一度様子を覗った。キリイのほうはどうし
 ようもなかった。助けるために不意を突いたところで、死体が出るだけだろう。
 
  ならば千里はどうかと眼を走らせる。ヴィシュヌから決して遠いわけではないが、死角に横
 たわる少年なら気づかれずに抱いて逃げられるはずだ。
 
  いける、と翔太は鼓舞した。
 
  壁と鉄骨を上手く利用しながらの行動が功を奏し、千里に近づくのは簡単だった。ぐったりとし
 た体を抱き上げると一目散にその場から逃げる。

  本当ならキリイも助けてやりたい。気絶した千里は動かすと危険な状態かもしれない。だが、
 背後でヴィシュヌが立ちあがる気配に翔太は冷や汗が止めることができなかった。

「いヤ、はヤ……。何処へ逃げようトいうのか。【終焉】を手に入れタ私から」
 
  神ははっきりそう言った。
 
  発声機関がおかしくなったのか、それとも別の理由があるのか、ヴィシュヌの声は威厳ではなく
 狂ったオルゴールのように歪んで響く。
 
  その狂った声で甲高く笑うのだ。

「ははハハハ、逃がさヌ、逃がさヌ。真実に到達すル者は誰ひとり生かしはシナい」
 
  急激に背後から迫る圧迫感を、正しくは風を切る音に、背筋どころか全身で死の予感を感じて
 翔太は転がるように身を伏せた。衝撃で千里が「う、うぅ」と小さく呻く。
 
  直後、轟音と鉄がひしゃげる不協和音が鳴り響いた。
  
  ヴィシュヌによって投げられた四本もの鉄骨は廃墟の壁に突き刺さって崩落を起こさせ、ほん
 のわずか頭上を過ぎたモノは鉄の墓標を薙ぎ払う。

「さっきよりも……力が上がってるのか……?」
 
  長く考える間もなく鉄骨は降り注ぐ。翔太はすぐに思考を断ち切って走り出した。
  
  目標は<スキーズブラズニル>。そこにさえ辿り着けば千里の命の保証はできると踏んでいた。
 いくらミソロジィだろうと、不法出力で圧倒的パワーを誇ろうとも電磁シールドだけは破れない。
 
  あそこまで辿り着ければ! 
 
  だが次の瞬間、翔太は巨大な影にすっぽりと包まれ、ふと空を見上げ、足が止まった。
 
  廃墟の一つが、高すぎた塔のようにミシミシと音を立てながら傾いている。

「……まじ、か……ッ!」
 
  叫び声の代わりに、翔太は前方に全力で駆けた。音と衝撃が周囲に浸透し、翔太の意識を
 大きく揺さぶる。翔太はそこで油断せずにすかさず千里に覆い被さった。
 
  地面にぶち当たって砕け散った大小の破片が体に降り注ぐ。中にはダンベルほどの重さを
 持つコンクリがあり、激痛の中で翔太は精一杯の罵りを呑み込んだ。

「ハハははハハハハハ、どうだ。死んだカ? 死ねなかったノなら同情しよウ。生きるトいうこと
は、苦しいことダからな」
 
  遠くから笑い声が聞こえてくる。

「くぅ……これは、死ぬほど、痛い、な……」
 
  拳で体重を支えて立ち上がろうとした途端、右足から力が抜けた。なんだ、と視線をそちらに
 向けた翔太は足に突き刺さったパイプを見て忌々しげに引っこ抜いた。
 
  意識した途端にじくじくと痛み出す。

「痛ッ……。本当に危なかったな…………が、どうやら俺の勝ちだ」

  大きな貝殻を見上げる。その鉄壁で多くの操舵者を護り続ける要塞は、夕陽にとてもよく映
 えていた。
 
  ハッチを開く。内部は外界の騒ぎなどないように静謐としていた。それだけで頼もしい。ここ
 ならあいつの攻撃も防げると確信できる。翔太は千里を操舵者用の座席に横たえた。
 
  タッチパネルを操作し、電磁シールド展開まで三十秒と設定する。そのとき翔太の視界の端
 で、千里がもぞもぞと動いた。

「う、うう……翔、にぃ?」
 
  虚ろな眼でしばし視線を彷徨わせ、千里が掠れた声で呟く。

「こ、ここは……? それに、あいつ、あいつはどうしたのっ?」

「まず落ち着け、今からお前に話すことがある」
 
  精神的なショックを受けている千里をこれ以上錯乱させないよう、ゆっくりと手で先を制した。

「いいか、あと少しすれば助けが来る。それまでここを出ようとするなよ。ひとりで寂しくても、だ」

「ま、待ってよ。翔にぃだっているんだろ? ひとりってなんだよっ!」

「ひとりは独りだろ。まさかお前、夜中のトイレは親がいないと無理なのか?」 

「そういうことじゃないだろっ。あいつは倒したの? 今どうなってるの? なんで翔にぃがここに
いるのっ? わけがわかんないよっ!」

「今わかる必要はない。――じゃあな、ちゃんと約束は守れよ」

「翔にぃ! ま、」

  千里が喚き立てるのも無視して、翔太はハッチを勢いよく閉めた。急いで飛び退くと、一瞬でス
 キーズブラズニルを黄金色の膜が包む。

「これで一安心、だな」
 
  シャツの一部を引き裂き、じくじくと出血する右足に巻き付ける。止血というには余りにお粗末
 だったので、翔太は眉を変な形にひそめた。
 
  遠くからまるで鐘のような音が連続して響いてくる。おそらくヴィシュヌが手当たり次第にやっ
 ている示威行為なのだろう。翔太はその余裕っぷりに唾を吐きたい気分だった。
 
  事実、翔太はその音を聞いて気が滅入った。あれだけの力を持つ缶詰ヒーロー相手に、今か
 らすることはかなり不可能な気もしてくる。

  翔太はせつない気持ちを抑えて決意を固めた。
 
  足を引きずり、ヴィシュヌから逃れるように建物の影を回り込んである場所まで移動する。
 
  そこは、この廃墟郡がまだ健在だったときに建てられた記念碑と資材がある広場だった。
 
  記念碑の周囲にはこれまでと同じように廃材が置かれ、二階の高さほどまで積み上げられて
 いる。まるで整理整頓という言葉を知らない景色だったが、身を隠すには絶好の場だった。



「何処ヘ逃げタのか……ハハは、安堵などサセるものか。極限まで追いツメ、殺してクれと懇願
させてやル」

  片手に持った<カウモーダキー>で邪魔な廃材を粉微塵にしながら突き進むヴィシュヌの姿は、
 ある種の聖者が行進するような神々しさがあった。
 
  欲望のように押し寄せる破壊衝動と全壊願望にとりつかれたヴィシュヌは、すでに違うなにか
 となっていた。今の彼は【終焉】を手に入れる前とは異なっている。
 
  そのヴィシュヌが、ふと足を止める。腕を組み、三本目の手で顎をさすった。

「ほう……、小癪ナ……」

  立ち止まって眺めるその光景は、ヴィシュヌにとって不利と言えた。途中から血の後を辿って追
 いかけてきたのだから、翔太がここにいるという確信を持ってはいる。

  だが――

  ヴィシュヌが出す絶え間ない破砕音に合わせて行われたのだろう。記念碑が建立している
 広場には多様な資材が拡散していた。
 
  結ばれていたはずの紐も解かれ、密林のように崩れて視界を不明瞭にさせている。折れ曲が
 ったパイプが乱雑に周囲を走り、普通の歩行も容易ではない。

「聞こえテいるカ。石若翔太?」

  ぞっとするほど優しい声音で語りかける。だが、奇妙な発音は聞くモノの根源的な恐怖しか
 煽らない。声を出すたびにヴィシュヌの貌がどんどん壊れていくようだった。
 
「これが見えタなら、なにをスレばイいのかわかるだろう?」
 
  手の中に現れたそれは会場に設置された爆弾のスイッチに他ならなかった。僅か数十グラ
 ムの重さでありながら、さらに重いものたちを奪う装置である。
 
  それをくるくると弄び、見せ付けるようにいじる。
 
「今すぐ出てくるノなら、敬意を表しテこのスイッチは破棄すると誓おウ。なあに、せめて苦しまな
いヨウに力一杯で葬ってやル」

  言って手を広げる。ぴくぴくと顔面の人工筋肉が歪み、正中線を境にヴィシュヌの貌が別々
 の感情を表していた。右半分は怒り、左半分は泣き顔。半開きの唇から笑い声が漏れる。
 
  嘘だったからだ。

  ただ、人間というものはどこかで妥協し、諦める生き物だと知っている。
 
  もちろん死を前提にしては投降しないだろう。だが、人は自己犠牲というまったく非合理的な
 考えを持っている。それをちょちょいと刺激してやれば簡単だと思っていた。
 
  しかし、いつまで待っても返事がない。さては全てを見捨てて逃げたかと勘繰る。それもま
 た人間だと知っていたからだ。
 
  興ざめと思って踵を返しかけた時、ヴィシュヌは地面に真新しい血痕を見つけた。顔面に邪な
 表情が浮かぶ。
 
「……わかった、ならばコウしよう。今日見たことを他言しなイというなら、見逃してヤる。キリイも
お前も、あの少年もダ。会場のモノたちは駄目だが……悪くない提案、そうだロう?」
 
  口から出任せを言いながらヴィシュヌは慎重に血の路を追う。しばらく歩くと、それが記念碑
 の裏側に続いていたので、ついに笑いを堪えられなくなった。

「ハハははは、はハッ! せっかくの提案ガ断られるノなら、致し方ない。死んでくレ。逃げて
もいいゾ、殺すがナ」

  もう猶予を与えるつもりはなかった。記念碑の周囲は複雑なストラクチャを成していたが、リミッ
 ターが外れたヴィシュヌにとっては砂の城に等しい。

  眼の前にあった邪魔な一本を吹き飛ばす。夕陽が揺れて見えるほど、豪快な音が大気を振
 るわせた。
 
  そのまま踏破しようと踏み出した刹那、凄まじい残響音の中で背後から生じたわずかな音を
 ヴィシュヌは聞き逃さなかった。

「愚ゥ雄々ぉおおおおオ雄々オオOOOOオオオォッ!!!」

  そうして自分の失態を叫ぶ。直前にヴィシュヌは嵌められたことに気づいていた。血痕は囮で
 あり、なんと古典的な罠にかかってしまったのかと。

  しかしそこで動きを止めることはない。後ろから飛びかかってきた翔太を掴むとそのまま地面
 に叩き付けた。

「ぐ、がッ」

  短い呼気が漏れる。一撃で翔太の全身から酸素がたたき出され、肺も傷ついたのか口元
 から血が流れた。

「窮鼠猫を噛ム……やれやれ、しかし相手が虫けらでハ猫が油断しようが関係なイな」

「ッ……う、かよ……」

「もう少シ逃げてくれれバな。お前が逃げ、涙を流し、命乞いをスルのを見届けてから、『刈る』と
いうコとが楽しめたノに……ナァ!」

「ッ!」

  踏みつけられた翔太の体が悲鳴を上げる。少しずつ、万力のように圧力を荷けることに恍惚
 感を覚えながらヴィシュヌはそっと口を開いた。

「わからなイことが多いダロウ? お前は、たっタ今どうして自分ガ死に逝くのかも理解シていな
いはズだ。が、悪いのはヤハリお前だ」

  ヴィシュヌは一度翔太から足をどけて振り上げ、今度は翔太の右手を踏み砕いた。

「がああアアッ!」

  血を吐きながら転げ回る翔太を害虫を見るように冷徹に眺めながらも、神の口は醜く横に開
 かれている。
 
「イヤイヤイヤ、正確には感謝はシテイル。お前の父親ガいなけれバ、我らは下らヌ概念に囚わレ
続ける言わば運命の囚人デしかなかっタ。
 しかし、ダ。知らないというダけでこれほど辛い目に遭うトいうことは、やはり知らないということ
それ自体が罪なのダ。キサマはよくやった。だからこそ無為に死ね」

  周囲の小石を静かに砂にさせる<カウモーダキー>の振動数が数倍に跳ね上がる。その先端
 を翔太の顔面に突きつけた。

  まずは四肢。万一の可能性も無くすために、そして苦痛に悶える顔を見たいがためにどこを
 消滅させるかを決定する。
 
  ただ唯一、苦痛の余り気絶しなければいい、とヴィシュヌは心から願った。

「ポーカーフェイスとイう言葉が、人間ニはあるな。そのゲームハよく知らないが、もしキサマがポ
ーカーなどシたらさぞ大変だろう。すぐに痛みで叫び、精神の動揺ヲ表情にあらわにサせている。
カモにされてお終いダ」

  ゆらゆらと<カウモーダキー>を動かしながら恐怖を煽る。

「それだけガ喜ばしいことダな。もうお前の人生にオイてポーカーをすル機会はない。感謝して
クれて構わナいぞ」

  そこで翔太はなにか言いたげに顔を上げたが、すぐに視線を降ろした。その非力な仕種が
 ヴィシュヌのツボに入り、ひときわ高い声でげらげら笑う。

「さてどうだ、賭けハこちらの勝ち。お前の取り分なドせいぜいあノ少年ひとりだケ。何も知らなイ
会場の数万ハ、何も知らズに消し飛ブ。明日、結婚式を迎える者モ。明日、寿命を終えル者も、
爆炎は平等に焼き尽くス。
 何者でもナイお前がどれだけ抗おウと、何物デモない以上なにを達成することもナイ。絶望しロ。
お前に人ハ救えない」

  せせら笑うヴィシュヌに反論のひとつもせず、翔太は観念したように俯いたままだった。

  相手の精神を砕いたことに満足した神の微笑みはしかし、直後の忍び笑いに打ち消された。

「いま……誰も救えないって言ったか……? 馬鹿が……」

「ナニ……?」

「俺の勝ちだよ、馬鹿野郎……」

  その自信がどこから来るのかヴィシュヌには理解できなかった。勝利の勝ち鬨をあげるのは
 自分であり、目の前の脆弱な人間ではない。

  なのに今の状況は、いつの間にかひどく居心地が悪いものになっていた。

  理解できないものは、缶詰ヒーロー、たとえ神であろうと恐怖することを止められない。だが、
 それを認めることはいっそうできなかった。

  ヴィシュヌの精神的な震えを代行するかの如く<カウモーダキー>の出力が上がった。彼はひ
 とつひとつ丁寧に問いかける。
 
「ならば聞こう。それで、キサマは何人を救えるとイうのだ?」

  翔太は笑って答えた。

「全員だ」

  確信に満ちた表情に違和感を感じ、ヴィシュヌのは目線が翔太の左手に注がれる。愕然とし
 た目には、そこにないはずの起爆スイッチが握られていた。

  ――何時、盗られたッ!?

  その一瞬を考えている間に、翔太は起爆スイッチを神の兵器<カウモーダキー>に叩き付けて
 いた。その瞬間、勝敗は決した。
 
  ヴィシュヌが呆然と見送る中、多くの人を縛り付けていた鎖は風に消える。先ほどまで追いつめ
 ていたはずが、逆に切り札を失ったのは猫のほうだった。

「……して殺ル……――」

  修羅場を数多く越えてきた缶詰ヒーローは、だからこそどちらが勝ちを手に入れたのか理解した。

  【終焉】によって変わり果てた誇りだったが、地球上でなによりも見下している人間如きに出し抜
 かれたなど、彼の全てを否定しかねない。

  恥辱と意地、なによりも自分を守るためにヴィシュヌは吼えた。

「殺して、殺るゾ、――ニンゲェエエン!!!」











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