缶詰ヒーロー











          63缶詰ナリ *  【Twelve monkeys】









 
『よいか、まともにやりあっても勝ち目はない。……信じられないことだが、あやつは暴走状態
とほぼ同程度の力を発揮しておる』

  耳元にキリイの声を聞きながら、階段を全速力で踏破する。【キリイ】は今、千里が捕まっている
 ビルを駆け上がっていた。

  レーダーでヴィシュヌの現在地を補足する。逆にジャミングを張った【キリイ】の居場所はばれて
 いないはずなのだが、不安だけが募っていた。

  相手は妨害電波を出していない。つまり、出す必要を感じていない。苦々しさに舌打ちして、翔太
 は訊いた。

「ならどうする? やっこさん、考えてることは同じみたいだな」

  敵を示す光点が、漫然と動き出す。向かう先はこのビル。目的を同じくしているせいか、ヴィシュ
 ヌ狙いはすぐにわかった。

  キリイをおびき出すための材料として、千里を使うつもりなのだろう。

  卑劣な手段だが、実に効果的だ。

  だからこそ翔太たちは真っ先にこのビルに駆け込んでいた。とりあえず千里を救出しなければ、
 いつまでも相手にイニシアティブを握られることになる。

  よく考えての行動ではなかった。だが、少ない選択肢から選び抜いた最善の一手のつもりだっ
 た。

『逃げる、しかあるまい。千里を救出し次第、本当の隠れ鬼が始まるぞ』

「逃げるだけっていうのも、性に合わないな」

『それはそうだ。何より口惜しいのはこの私よ。だが、完全でない状態でやり合うには少々荷が
勝ちすぎるのだ』

  つまらない言葉を唾棄する。悪いのは自身ではないのに、まるで自分が万全ならこんな事件は
 起きなかったとでもいいそうだ。

  気負いすぎのキリイに、翔太は嘆息した。なにも一人で背負わなくてもいいだろうに。

  昇り続けた廃墟の階段はそろそろ終わりに近づいていた。足下で風化した砂埃が舞う。

「そろそろ着くぞ、あいつの位置は?」

『まだこのビルの真下におる。今から追いかけてきて、二分とかかるまいよ。だがその前に我ら
が到着し、千里を助けて近くのビルに飛び移る』

  キリイが答えると同時に終着点に辿り着く。屋上へ続く扉は頑丈そうで分厚かったが、缶詰ヒー
 ローのパワーに耐えうるほどではない。

  豪快な音とともに四散する扉を抜けて疾駆する。

  屋上全体に一瞬で目をやり、千里を捜す。落ちかけのフェンス、打ち捨てられた工具、烏の死骸、
 そして半分の重心をビルに預た山と積まれた資材。

  ――見つけたッ!

  小柄な体に目立った外傷はないが、張り巡らされた縄が痛々しい。まだ幼さの残る顔は苦悶に
 歪んでいた。意識がないのは幸運だろう

  ほっと一息をついた。安心感が体という体に満ちたその時、レッドアラートが鳴り響いた。

「なるほど発想は悪くない。悪くはないが……こちらの手間が省けただけだったようだ」

  缶詰ヒーローの限界。跳躍力、膂力、速力、ランクごとにリミットを設けられている動きというもの
 がある。リアルとミソロジィを区分けるのはその制限によるものだ。

  当然、その出力の如何は内部の人工筋肉の質にも依存しているが、おおきく考えるとリアルとミ
 ソロジィは本来の性能差はない。どの缶詰ヒーローも、暴走状態に陥ると等しい暴力となる。

  だからこそ、暴走は怖れられた。

「おい…………缶詰ヒーローってのは、こんなこともできたのかよ……」

  ミソロジィにさえ、出力制限がある。とりわけ、ひとっ飛びで、地上数十メートルはあるビルの屋上
 までやってくるなどキリイが知る常識の埒外であった。

『化け物め……』

  声にならない、キリイの呻き。

  もはや神と呼ぶのも生ぬるい。圧倒的な暴を振るうヴィシュヌは、缶詰ヒーローの限界を超える化け
 物だった。いくらなんでも三十メートル近く垂直に飛び上がるなど、暴走状態でも難しい。それを易々
 と行ったこの缶詰ヒーローの異様さに寒気が起こる。

  退けば後ろから、対すれば完膚無きまでに破壊されるだろう。引くにも引けない状況に追い込ま
 れ、しかし闘うことは放棄しない。翔太は小狐丸を上段に構えた。

  むこうが千里に近い分、どう見てもこちらが不利。奴のほんの気紛れで。今すぐ千里の命が奪わ
 れてもおかしくない。翔太は内心の焦りを、手に力をいれることでごまかした。

  張りつめた水のような緊迫が大気を凍てつかせていく。翔太の周りから、音が消えていた。

  先に動いたのは【キリイ】だった。

  先手必勝を狙ったわけではない。

  もとより闘う気もない。

  一瞬。

  一瞬だけヴィシュヌの気を逸らし、その隙に千里を抱えて飛び降りることができればそれでよか
 った。

「それもありきたりだ」

  ヴィシュヌは不気味な和音を奏でる左手の手甲を掲げると、こちらを一瞥もせずに腕で薙いだ。

  風が疾走する。手甲の中で何百倍にも圧縮された空気が出口を求めて飛び出したその先には、
 小狐丸を構えて迫り来るキリイの姿があった。

  音よりも速く訪れた大気の塊は場合によって大地を揺さぶり、ガラスを微塵にする。また、音の壁
 を越えるという夢の過程で、無数の航空機が空中分解した例はあまたある。ヴィシュヌの放ったソニ
 ックブームはいわばその壁を直接ぶつける兵器だった。

  当時の比でなく頑強な缶詰ヒーローは、そう簡単にに分解することはない。だが、動きを止めるには
 十分だった。

  途轍もないエネルギーを含んだそれは音もなく、亜音速で飛び交った。躱せない!

「ぐ……お」

  機体を圧し潰さんほどの威力に、至る所から激しく軋む音がした。修繕途中なれば、その一撃はあ
 まりに重い。

『ちぃ、今の攻撃で人工筋肉の三十パーセントが破損したっ! 機体の制御が難しくなるぞ――』

  怒りすら湧いてこない。この絶望的な状況下で、何もかも翔太の予想外だった。

  攻撃から一転、防禦に回ったことでキリイは完全に失速していた。このままではまずいと判断した
 翔太は固まったキリイの機体を束縛から解放し、飛び退く。

  だがヴィシュヌはそれよりも速い。

  背中に負っていた七十センチほどの鈍器にしか見えない棒。不格好で無骨、武器としてこれ以上
 ないほど簡略化されたソレを右手に持ち、僅か三歩で突撃をかけてきた。爆発的な加速力。

  最高速度まで加速した、それ自体が砲弾ともいえるヴィシュヌ。まともにガチあえばトラックに衝突
 されるより酷い結果が待っている。

「させ……るかぁ!!!」

  奥歯を軋ませながら、翔太は全力を込めて小狐丸を振りかぶった。急場で回避運動をとっても避
 けきれない。力には力で対抗するほかない。

  だが、圧倒的だった。

  たった一本の手で繰り出される攻撃にもかかわらず、その一撃一撃が信じられないほど重い。な
 んとか受け流した攻撃はコンクリを爆散させ、ビルに次々と穴を穿ってゆく。

  無限に続く猛攻を凌いでいたのは運がよかった。

  しかし、それすらなんでもないように平然とした顔でヴィシュヌは攻撃を繰り返す。

「どうした、早く発動させろ。ほら、ほら、ほら、ほら――」

  感情の失せた冷ややかな眼差しで、キリイ、ひいては翔太を見つめている。その眼に戦慄しかけ
 たとき、それまで高速だが単調だったヴィシュヌの攻撃が変則的なものに変わる。

  即座に反応して迎撃しようとするが、

「くそっ、やられた!」

  ただ一度だけ装甲をかすめる。だが、驚くべきことにそれだけで装甲板が数枚砕け散った。

  装甲板は、まるで砂のように風に飛ばされた。文字通り、砂となって。

『超振動兵装かッ! 厄介なッ…………翔太、一撃たりともくらうでないぞ!』

「なんだと!? どういうことだッ!』

『小狐丸だからこそ防げておるが、他に触れれば粉微塵だと覚えておけッ!』

  キリイの声が屈辱と畏怖に震えている。

  内虚外実を備えた厳しい攻防に翔太もまた疲弊していた。相手がまだ余裕だというだけでも気
 が滅入ってくる。

  こちらが両手で捌くのに精一杯だというのに、相手にはまだ三本も腕が残っている。それを使
 わないヴィシュヌの余裕の程はうかがい知れない。

  ――退くしかない

  頭では理解している。だが、そうしたら千里はどうなる? 会場のやつらは? 機会はただ一度、
 失敗が許されないこの状況で弱音など!

「追いつめても追いつめても、なかなか発動しないものだな。やれやれ、どうすればいいのか……」

  失望した表情でぼやくヴィシュヌの攻撃はとどまるところを知らない。

  それで止めを刺しにこないという不気味さ。目の前で刃と棒が眼を眩ます火花を撒き散らす。精神
 力をガリガリと削り取っていく戦いにもはや汗も出尽くしていた。

  ――まだか。

  頭の片隅で考える。

  ――まだおれたちは時間稼ぎをしなければならないのか。

「これでも駄目か?」

  つまらない寸劇に飽きたヴィシュヌの、ちょっとした気紛れだったのだろう。

  ヴィシュヌの攻撃パターンがまた変化する。上だと思わせておいて右。僅かに反応が遅れ、
 小狐丸で防ごうとするが間に合わなかった。

  こんぼうといって差し支えないその兵器がキリイの左腕を、跡形もなく吹き飛ばした。その衝撃
 の強さに機体が暴れる。制御を失いかけた機体を無理矢理押さえ込み、残された右腕一本で小
 狐丸を支えようとするが、上手くいかない。

「……っ」

  変わり果てた機体の左半身に、翔太は息を呑んだ。

  本来あるべき場所ががらんどう。左腕があった場所は、肩口から見事に消滅していた。

「駄目か。困ったことになったな、こちらも余り時間がない。早々に発動してもらうには、どうすれ
ばいい? こうか?」

  数学の問題を解く学者のように冷然としてヴィシュヌが千里に近づいていく。そして括り付けら
 れた資材がひしゃげるほど強く把握すると、

「なっ! やめ――、」

  千里ごと何もない空間に放り投げた。

  重さ数トンを超す資材は、一瞬だけ停滞すると、即座に重力に引き寄せられる。

  翔太は叫ぶことすらできない。

  ただ呆然と、今まさに命を落としていく千里を救うことができないのだと……、

『巫山戯るなよ……――神めが』

  静謐とした空気に交じり純粋な怒りの気配が生じた。意識した刹那、機体は目を見張るほどの
 速さで屋上を駆けていた。機体の制御権がいつの間にかキリイに移っていたのだ。

『人の体をここまで傷物にして……、しかも救わせぬだと……この、私を……舐めるなアッ!!!』

  烈火の如く怒り狂い、キリイが獰猛に吼えた。

  見送るヴィシュヌの横を通過してそのまま自身も中空へ躍り出る、が、キリイはそのままビルの
 壁を垂直に蹴っていた。

  万有引力。

  落下する千里と等しい速度で落ちては追いつけない、故に走る。コンクリの壁を大地と見たて、キ
 リイは缶詰ヒーローの限界に挑んでいた。

  ぐんぐん近づいてくる千里、――そして無情な大地。

  そのままぶつかればいかな缶詰ヒーローといえども卵と同じ結果になる。思わず翔太がやめろと
 叫ぼうとしたとき、キリイは今度こそ壁を蹴りつけた。

  このとき千里が縛り付けられた鉄骨とほぼ同じ落下位置。キリイはそちらに向かって飛ぶと、抜
 き身の小狐丸で縄を切り裂いた。邪魔と懸念したのか、小狐丸はそこで投げ捨てられた。

  千里と鉄骨が見事に分離する。

  キリイは千里を曲芸的に抱き抱えると猫のようなしなやかさで体を反転させ、あと数メートルに
 迫っていた地面に着地を成功させた。土煙が立ちこめ、視界は不明瞭になる。

  機体中からギシギシと悲鳴があがるのを聞きながら、翔太は唖然として驚愕し、また理解した。

  缶詰ヒーロー。その怖ろしさを。

『ぐぅ……ぜえ、はあ……』

  息切れの声、だが無理もない。今の機動は缶詰ヒーローの限界を超えすぎている。本来なら
 その場でダウンしていた。絶対に。

  ――そう、絶対だった。

  スキーズブラズニル内全ての計器がダウンを示している。だのに、キリイの体はまだ動いた。
 前回と違って【フェイタル・リンク】が切れるわけでもない。絶対であるはずのダウンが起きない。

「な、に……?」

  ズキン。嘘だ。ダウンしない機体など、存在するはずがない。

  ズキン。頭痛がする。暴走した缶詰ヒーローが、人を襲う?

  ズキン。ああ。これ以上考えてはいけないと全身が警告を発している。

『――来るぞッ!』

  千里を横たえたキリイの烈声が頭痛を加速させる。だがここで意識を失うわけにはいかなか
 った。ちくしょう、最近来ないと思っていたらこのざまか。

  ずん、と強烈な圧迫感が落ちてきた。

「やっと……」

  キリイよりも優雅に降りてきたヴィシュヌの瞳が先ほどまでと違っていた。興奮に濡れ、感嘆に
 酔いしれている。

「やっと…………やっと目覚めたか……――長かったなぁ、ほんとうに長かった……これでやっ
と……――十年も、待った……――」

  途端、ヴィシュヌの眼光の鋭さがいや増した。

「それでは頂戴するぞ、守護者の使命を持つ者よ。そして消えよ。貴様の中の、その【終焉】、完全
となる前に」

  独り言を呟くヴィシュヌが揺らめいた。七つの発光部が空間に光りの軌跡を残し、肉迫する。

  大きく姿勢が崩れていたキリイには逃げるという手段すら残されていない。もとより隻腕と四つ
 では物量でも劣っている

  その四本の腕をもって、瞬く間にキリイの体が拘束される。

『――チィ、どうにかならんのかっ』

「なってたらやってるだろうがッ。…………こいつ、何をする気だ……」

  と、ヴィシュヌの肩部装甲が開く。蛇のようになめらかに、数本のケーブルが伸びてくる。

  歓喜する亡霊のように這いずるそれらが機体に迫るのはぞっとした。

『まさかこやつ、私にハックを仕掛けるつもりかッ!』

  意図を察したキリイが叫ぶ。翔太も逃れようと身を捩ってみるが、万力で押さえつけられた
 ボディはビクとも動かない。

『致し方ない……翔太ッ、私の電源を切れッ』

  発言が意味するところを理解し、翔太は目を開いた。

「なんだと? おい、そんなことをしたら、」

『四の五のいわずに切れというのだッ! 目的はわからんが、奴の行動が成就されれば途轍もない
ことが起こるという予感があるのだッ!』

  電源を切るという危険性に翔太は躊躇したが、切羽詰まった悲鳴を拒否するつもりはなかった。
 かくいう自分も頭痛が数倍の痛みを伴ってきている。

  意識をスキーズブラズニルに戻し、全ての電源を――オフ。

  ――だが、電源が落ちない。翔太は愕然とした。

  「出力できません」のメッセージ。なにより優先順位が高い本体からの命令が拒否されている。

「なんだ……? どうなってる?」

『…………………………』

  キリイからの返答は、なかった。










       SEE YOU NEXT 『Death thirteen』 or Back to 『Eleventh raven』  




  目次に戻る




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送