缶詰ヒーロー











          52缶詰ナリ *  【First collision】








 

  石若翔太。二十歳。逃げ出すなら今しかないと頭を抱えるのは、もう何度目だろうか?

「それでハ、よろしくお願いしますゾ。手を抜くなどと、まあそんなことをあるまいガ……」

  ハデスが勝ち誇った策士の笑みで腕を組む。膝の上で注文したパフェを食べるエウリュアリだけは
 ご機嫌だったが、翔太はご機嫌斜め、なんて可愛らしい表現が似合わないほどの渋面だった。

(嵌められた……)

  今更遅い。

  昨日TOYから送られた対戦表を睨み付け、翔太は過去の自分を責め苛んでいた。あの時、あの夜、
 変な約束なんかしなければよかった、と。

「初戦は明日、正午からですナ。ほっ、これはこれは……しかも第一試合ではあらんカ。この時間、世界
の眼が儂らに凝縮されル、と……」

  そもそも何が間違いだったのだろう? 昼食を奢るからという素敵な策にかかり、明日戦う一人と
 一体相手に三人で昼ご飯を食べていることではまず間違いなくない。

「誰か嘘だと云ってくれ」

「ほっホッ。今日はもう帰って、明日に備えて万端の準備をするベキデあるまいカ? 儂らもそうさせて
貰おうと思っておったしのゥ」

  頭を抱えると自然とエウリュアリごと抱き抱える構造になるのだが、今の翔太にそんな余裕がある
 はずもない。

  幼い姫君はもどかしそうに身を捩ってうなり声を出すが、やがて落ち着いたのか「はふぅ」と満悦の
 溜息をついて眼を閉じた。が、すぐさまハデスによって引き抜かれる。

「アア、それかラ……――」

  席を立ち上がり、やいのやいのと駄々をこねるエウリュアリを抱き抱えながらハデスはゆっくりと、

「件の約束、"もちろん"忘れてはおらンでしょうガ、ゆめゆめ忘れたりせぬようニのウ」

  ぽん、と失意に沈む翔太の肩に手を置き、ハデスは黒い笑みを浮かべながらファミレスを出て行っ
 た。

  後に残されたのはただ一人。借金こそ無くなったものの、「ああこれってやばいんじゃないか」と
 誰もが口を揃える厄介ごとにすり替わってしまった青年一人。

  最近では信じていなかった雑誌の占いコーナーにも一喜一憂するほど、自分が不幸の星の下に
 生まれてきたのではと考え始めているほど翔太は崖っぷちに立っていた。

  まだ、借金のほうがマシだったかもしれない。何故なら、

(下手したら俺がエウリュアリの後見人に、なるんだよな)

  断固拒否したい。ただですら今は美姫から頼まれた『大会で勝ち進む』という課題があるのだ。

  そちらも余り乗り気でなかったのだが、自分なりに思うところがあって渋々引き受けたに等しい。

  ほぼ同時期に二つの事は頼まれていたのだが、美姫のほうはともかくハデスのほうは簡単に是非
 を云える代物ではなかった。いや、十分美姫の方も厄介なのだが。

  ノロノロと視線を上げる。割り箸を掴み何をするかと思いきや、脇にどけていた定食を食べ始める。

  翔太的にはもうなんとでもなれという考えが四割、単純にお腹が空いていたのが四割、後の二割
 は虚無感ごとかみ砕いた。

  定食はとても旨かった。

「このクソガキッ! 何しやがるッッ!」

  食べかけの定食とエウリュアリが食べ残していったパフェを交互に見比べ、勿体ないからパフェにも
 手を伸ばす。

「へっへー、別に何もしてないけど? おじさんの方こそ、僕みたいなガキに本気でキレるなんて器が
ちっさいじゃーん?」

(おお、パフェも意外と旨いな。女が食べるようなものだと馬鹿にしてて悪かった)

「お、お客様困りますっ!」

「このガキが悪いつってんだろうが!」

「責任転嫁、かぁ……。自分がセクハラしてたくせに……。うんうん、器が小さい人は些事も大事も自分
で処理する能力がないんだからしょうがないんだ。店員さんも許してあげて」

(どうすっかな。ちょっと高いけど、ちゃんとパフェを頼んでみるか……ゲッ、高っ。やっぱ無しだ)

「んんのガキがぁぁぁぁああああ!!!」

  次の一秒、翔太は何が飛んできたのかわからなかった。ソレはテーブルに飛来したかと思うと、
 慣性に従って壁に叩き付けられていた。

  飛び散るグラス、クリーム、備え付けの塩こしょう、そしてなにより、食べかけの定食……――。

「思い知ったかよ! 人のことをいちいち文句云う暇があったら、親にしっかり躾といてもらうんだな!」

  何時の間に来ていたのかわからないが、翔太のサイドに一言でいってガラの悪い中年男が口か
 ら泡と飛ばして怒鳴り散らしていた。

  何に向かって? 

  テーブルから苦悶の声が滲み出る。否、正しくはテーブルまで投げ飛ばされた少年の口から洩れる
 苦痛の嘆きだった。横たえられた体は余りに痛々しく、風前の灯火にすら思える。

  だがそれでも、少年の瞳から力強さは消えていない。

「いつつぅ……、へっへ、へへ、僕の勝ちぃ……」

  不適さを満面に広げながら男を睨み付ける。体は痛みで動かないにも関わらず。

「言葉の喧嘩ではね、おじさん……後だろうが先だろうが……手を、出した、ほう、が、負けって知って
た……? 知らないよねぇ」

  突然の大災害に身を竦めていた店員も他の客も、おそらくは当の男さえも、誰がこの場の勝利者
 で誰が敗者かわかってしまった。

  わかってしまったからこそ、男は引っ込みがつかなくなってしまう。

  声すら失った男は黙って自分の拳を振り上げ、少年に向けて振り下ろす。一度、二度、三度、四度、
 続けざまに打撃が打ち据えられていたなら、少年は病院に行くことになっていたかもしれない。

「ストップ」

  下りかけていた拳が中空で止められる。

「あんた、今眼は見えてるか? 見えてるな? よし、それならこれを見てみろ」

  今の今まで傍観を決め込んでいた翔太が自信の携帯ディスプレイを男に突き出す。その場にいた
 全員がいきなり参加した青年に眼を見張っている。

  携帯が液晶に映している数字は110。既に通話した後を示し、履歴画面からもそうだとわかる。

「店のグラス、皿、粉々だな? ちゃんと見てるか? これをなんていうか知ってるか? 器物破損って
いうんだぞ。警察だって動く、わかるか? 目撃者もいる。逮捕されるんだよ、あんたは」

  言い切る翔太。特に逮捕と警察という単語に重きを置き、男の脳みそまでしっかり響くようにして
 やる。

  そこで初めて自分がなした行為を理解したらしく、顔面が蒼白になり小刻みに震えだしていた。

  案の状、男は意味を為さない捨て台詞を残すと明らかに逃亡する。途中、足をもつれさせて転びそ
 うになる様が滑稽だった。

「ふう……ああ怖かった。大丈夫かよ、お前」

  翔太が少年に手を差し出すと、どういうわけか店内から拍手が鳴り始めた。本人としては褒めら
 れることをしたつもりはない。お膳立ては既に少年が終えていて、自分はその尻馬に乗っただけだ。

  本当に賞賛されるべきはこの少年では無かろうか、と翔太は思いながら少年を立たせる。

「ほらよ、っと。しかしまあ、ずいぶんと無謀なことをするな。相手は大人だぞ? 自分との体格差ぐらい
わかってるだろうが?」

  こうして立たせてわかったのだが、少年はまだ十二、三。ちょうどエウリュアリと同じぐらいの年頃
 だろう。そんな少年が自分の二倍も大きく、二倍も生きている大人に挑むとはいい根性である。

「翔兄ぃにだけは云われたくないよ、自分だって無茶ばっかりしてきたくせに……」

  皺になってしまった服を手ではたき、顔についた汚れを袖で拭いながら少年は云った。

「はは、そうかよ。俺にだけはいわれたくない、か…………――?」

  余りに自然すぎて、そのままうっかりスルーしそうになる。だがそれはとてつもなく巨大な違和だっ
 た。気付かないほうがおかしいほどの。

「なあおい、一つ訊いてもいいか?」

「なんだよ翔兄ぃ。水くさいな」

「お前、誰だ?」

  もし表情が音になるのなら、その時少年の表情は「ガーン」とか「ずぅううん」とか「ピキン」とか、深い
 ショックを受けたときに出る類のものだっただろう。

  ああ、と額に手を当ててよろめく少年のどこか演技めいた仕種に、こめかみの辺りがチリチリする。

「そ、そりゃあないよ翔兄ぃ……。遠路はるばる北はサハリンから南は沖ノ鳥島まで調べてようやっと
翔兄ぃを探し当てたっていうのに、翔兄ぃが僕のことを覚えていないなんて……」

  両肩をがっくり、これ以上ないほど落として落胆ぶりを示す少年の期待には、どうやら応えられそう
 にない。

  二十年の生涯を振り返っても、やはり見つけられなかった。

  これほどインパクトがある人物なら覚えているはずなんだが、と翔太が首を傾げてもやはり思い出
 せない。

  何処かで見たことがある。――そういう感覚すら無かった。

「あ、あの、お客様……? 先ほどはどうもありがとうございました」

  しかめた顔が怖かったのか、おっかなびっくり翔太に礼をいう女性店員の隣には店長らしき男すら
 平伏して立っていた。

「わたくしからもお礼を申し上げます。なんでもその少年が絡まれていた彼女を助けてくれたとか……」

  ちらりと店長が隣の女性に眼をやる。

「それでですね。僅かばかりのお詫びですが、どうやら定食も食べかけだったようですし、メニューから
お好きなものをご注文下さい。直ちに持って参ります」

  再度ぺこり。

  翔太は店長から眼を外すと、まだ肩を落としていじけている少年に眼をやった。

「そうだな……じゃあ、とりあえずさっきまで食べてた定食をくれ」

「あ、はい。本日のランチ、でございますね? 直ちに」

  そそくさと厨房へ向かう女性店員の背を見送りながら、翔太はもう一度声をかけた。

「ああ、それと!」

「はい?」

  なんとなく気恥ずかしくて、翔太は左手で頭を掻いた。

「パフェをくれ。一つ、いや……――二つな」










 


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