缶詰ヒーロー











          51缶詰ナリ *  【Dawn light】








 

  始まりの狼煙は驚くほど荘厳に──静粛に──祈りを捧げる回教徒のように神聖な儀式。人々から
 言語を奪い取るほどの緊迫が大気よりも、濃く、濃く、肺に満ち始めていた。

  神秘のヴェールと取り払った、史上最大規模のコロッセオ。

  その内部では世界中から集った五百名を超える拳闘士が、活力に溢れた表情で己がヒーローと舞台
 上に佇み、万人を受け入れる観客席は熱狂を伴った人で埋まっている。

  だが、誰も声を漏らさないほど澄んだこの無窮の静寂。誰もが音という概念を忘れ去ってしまったよう
 な有限の錯覚。誰もが皆、VIP特設席にいる老人の影響力の虜囚となっていた。

「これは大会ではない――」

  中空に浮かんだヴィジョンに映し出される徳野秀雄の横顔は苦悶に歪んで見える。だが、その声は
 マイクを使っていないというのに、物理的な距離を突き破って耳朶を打った。

  しばし呼気を整える秀雄にカメラのフラッシュが盛大に浴びせられる。少し眩しそうに、

「皆は最強を獲得するためにここに呼ばれたと思っておるかもしれん。それも結構。じゃが、儂らがここに
欲するのは其にあらず。ならば一体この世界大会なるものが求めるのはなにであるか? 答えは一つ、」

  誰もが眼を離せずに老人の一言一言に感銘を受けているせいか、涙する者までいる始末である。

  がしかし、隅っこの入口近くで悟りを開かんばかりに引き攣った微笑みを浮かべる青年がいた。

  安物のシャツ、安物のジーンズ、安物の靴、安物っぽいオーラ、控えめにいって凡人。

  今日こそはと着飾っている出場者達の中で、少女を抱きあげるその姿は異様の一言に尽きた。

「む〜う〜〜い〜〜〜!」

  幼い少女、エウリュアリは太古の民謡を口ずさんで上機嫌を突っ走りもう誰も止められない。

  人に触れられるのが嫌というわりには珍しく、仏像みたいな表情で立ちすくむ翔太の腕の中にぴっ
 たりと収まり、両手をぶんぶん振るってノリノリでごらん遊ばれた。

「サア、もう降りなさイ。そのままでハ翔太殿が涅槃へ辿り着いてしまうゾ?」

「む〜〜〜。や〜〜」

  優しく説得するハデスの言葉に、エウリュアリは嫌々と駄々をこねて唇を尖らせた。

「ここ、いい。すぅぅうっごぉくいい」

  にっこりと純粋に笑いかける幼き天使。ニルヴァーナへ辿り着いた、というよりは失望とか絶望とか
 自分への諦めとか妥協が入り交じった表情で固まる翔太のほっぺたにすりすり。

「いいのぉお」

  その道の御仁にとって羨ましい状況にありながら、彼の手が震えていたのに誰が気づけただろうか。

(I hate myself ,and I want to die……なんてな、笑えねぇ……)

  自殺したUSロックバンドのボーカルの台詞を思い出し、自嘲する翔太。どこからどう観察しても、世間
 の皆様に勘違いされるであろう状況には間違いなかった。

  その証拠に近くでこちらを盗み見る人の中から「やだ、ロリ」「大人の女性が怖いのね」とかいう刃物
 と同じ威力を持つ言葉が聞こえてきては繊細な心を抉ってゆく。

  そう、傍らのキリイが全てを見透かしたようにニヒルに唇の端を吊り上げて云うまでは耐えた。

「ロリコニア・ニッポンめ……死ね……」

  この言葉が切っ掛けで、翔太の中で忍耐という名のメーターは振り切れ優しいお兄さんというステイ
 タスは消し飛んだ。

「エウリュアリ、降りろ」

  滲み出る怒気(キリイに向けた)が声に混じらなかったという奇跡に感謝する。

「???」

  がしかし、エウリュアリはきょとんとした顔で何を言われたのかわからない、という素振りをする。

  素振り、に在るとおり確かにこれは演技であった。エウリュアリは、既に日本語を理解している。

  ハデスに聞いたところによると、この数日で自分の知っている言語と聞き覚えた日本語を照らし合
 わせ、状況の類似から抽出されたデータを自分の中で細分化、分類、意義付けを完了したという。

  胡散臭かったが、現実そうなのだから納得するしかない。それに意思疎通が容易になったのは
 ありがたいことでもあった。

「降りぃるぅう? う〜ここがぁあいい、こおのほうがいい。……だめ?」

「駄目だ。お前が降りないと俺は絶滅危惧種に指定されてしまう」

  意味不明な言葉にはてなマークを顔一杯に浮かべる天使。

  意外に呆気なく降りてくれたかと思うと、クルリと行儀良く振り向き下を出してアカンベー。トコトコ
 と一人で人海を掻き分けて走り去ってしまった。

「これこれッ! 何処に行くのじャ!」

  こちらに一礼してからエウリュアリを追いかけるハデスの姿は、お転婆娘とその執事であった。

「いたいけな少女の願いをああも無下に断るとはのう、この人でなしの和製青ひげ」

  一息ついたと思ったら、すぐにキリイが上げ足を取り始める。

「ほお、てめえがそれをおっしゃりやがるのですか? それより青ひげってなんだ?」

「やれやれ……そんなことも知らんのか、学識がない一般ピープルはこれだから困る」

  アメリカ人ばりに両肩を竦めて嘲笑。血液が沸点に達するのを自覚しながら、さてどう言い負か
 してやるかと考えたまさにその時だった。

「ああ、ようやく見つけました」

  トントンと二の腕辺りを突かれる。振り返って確認するまでもなくこの声には馴染みがあった。

  五百人選ばれた多くの闘技者にあっても異彩を放ち、周囲の有象無象とはかけ離れて印象的な
 相貌の少女はうやうやしく一礼する。

「先日の件はもう考えていただけましたか?」

  日本が誇る技術結社・武田重工のご令嬢は表面上笑っていたが、その実周囲に気を配って小声
 で囁いた。心なし、その顔色には翳りが強く見える。

「ふむ? そこにいるのはいつぞやの小娘ではないか。今日は何用だ? リベンジならいつでも受けて
立つが今此処では少し厄介……」

  両目を見開いて驚くキリイ。敵対した少女が数月ぶりに、まして親しげに現れたのだから無理もない。

「それはそれで大変魅力的ですが、今日はあいにく果たし状を準備してきていませんのでまた後日。
本日は翔太さんに用向きがあっただけですから」

「この人間廃棄物に? いけない、それはいけないぞ。こやつに頼むぐらいなら浮浪者のねぐらに飛び
込むほうがましというもの」

  うるさい、と口を挟む暇もなく、

「そうですか? 私はそう思いませんよ。それにこの頼み事は翔太さんでなければ出来ないことですし、
他の輩にそうそう頼むわけにいきません」

  云ってから美姫は鋭い眼光を寄越す。先日の一件全てをキリイに話すという合図なのだろう。

  特に断る理由も見つけられないので、頷く。美姫は少しばかり顔を綻ばせると「実は……」と話を切
 り出していた。

「この世界大会そのものに謀略があると? しかもそれがこやつが関係している可能性がある? 果
てしなく救いようがないトンデモ説にしか聞こえんぞ……」

  壮大な謀略説を聞かされたキリイが横に首を振りながら溜息を漏らす。ざっくばらんに生えている
 前髪が動きに会わせて左右に流れた。

「そう根拠がない話でもないのですよ」

  こちらも自信満々といった体だが、その表情には憂鬱さが滲み出ていた。

「翔太さん、先日のレストランで逃がした二人の賊を覚えていますか? 老人の格好をしていた二人
組です」

「二人組……ああ、スパイだとかなんだとか俺がいった時のアレか?」

「そうです。その二人組の内一人を捉え、というか一人しか捉えられなかったのですが、ともかく老翁
に化けていた男を私たち武田重工は捕縛したのです」

  人差し指を口元に当てて、内密に、と美姫が妖しく云う。

「捕縛っ!? おいおいおいおい、企業ぐるみで人一人拉致するなんて真似がこの法治国家で起きて
るのかよッ」

「ええまあ、TOYほどとはいいませんが武田重工に公的な力が及ぶのはある程度防げますので。妥当
な策だと思いますが……?」

「いや、あのな、そういう意味じゃなくて……もう、いい……それでその捕まった奴がどうしたんだよ?」

  所詮凡人が理解できる世界の話ではないのだ。むやみに介入しようとしないで、自分のわかる範囲
 にレベルを絞り込めばいい。

  だが話を促された美姫は先ほどより数倍辛そうに顔をしかめて声を地に堕とした。

「取り調べを行っても黙秘を続けるばかりで、非合法な手段に訴えるしかないかと惑った隙を突かれま
した。男は元から仕込んでいたらしい毒薬で、自殺を……」

  ――瞬間、空気が冷えた。

  キリイですら話を掴めていないのか唖然と口を開いて閉じず、翔太は意味そのものがわからなくなっ
 てしまって言葉を反復する。

「じさ、つ……まさか、拉致されただけでか?」

「そう、です。事前に発見出来なかったことが悔やまれますが、まさか先方もここまでの覚悟をしている
とは予測できなかったのでこのようなことに……ですが、これは一つの真実を示唆します」

  会場では徳野秀雄のスピーチが続いて会場には拍手や喝采が音の奔流を産み出しているはずなの
 に、それら全てはただの雑音と変わっていた。

「諜報員レベルすら秘密保持の為に自害するという事実から、皮肉にも逆説的に事態の重大さを物語
っしまっています。はっきりいって、武田重工のツテとコネをもってしても現段階で裏にどれほどの規模が
控えているのか掌握しきれていません」

  最早これは日常という次元ではない。

  金持ちうんぬんのレベルではなくなっている。何かの陰謀のために誰かが死ぬ、そんなものアウト
 プットされていた非日常が日常に食い込んでくる性質の悪い話だった。

「父にも、というより父は以前から気付いていたようでこれと関連がありそうな情報が幾つも収集されて
いました。それによると、矢張りというか、この件はTOYが大きく関わっているようらしいのです」

  衝撃。言葉を続けようにも、まだ生まれたての赤子のように口から出るのは声にならない声だった。

  人死にと自分が糸で繋がっていることを想像するだけでも空恐ろしいというのに、それが自分と関係
 あるといわれたのだから。

「厳密にこの件と翔太さんの件に繋がりは発見できません。ですが以前も私がお伝えしたように、翔太
さんの為だけに世界大会が開催されるというのも七三の割合で確信があります。
そうですね、――翔太さん、戦争は何故起きると思います?」

  てっきり話が逸れたかと思ったが、美姫はあくまで真面目な面持ちで立っているのでこの質問にも
 意味があるのだとわかった。

  乾いた口腔内から辛うじて声という形態が生まれる。

「……そりゃあ……世界を統べたいとか、民族的な対立とか、あとはやっぱり宗教が問題になってくるん
じゃないか?」

「それも二割ほど正解です。けれど、一番大事な要素がありません。戦争を引き起こす着火剤と火種を
準備して、どちらが勝かまでも決定するのは、いつの時代も『商人』なんですよ」

  一息吐いて、美姫は滔々と語り出した。

「最も商人にお金を齎すビジネスは、戦争です。だからそれをTOYが利用しようとしてもおかしくはない。
徳野秀雄老は翔太さんのために、TOYの決定機関である《壱百壱同心》は自分たちの目的のために。
先日開かれた壱百壱同心においても『軍事転用計画』なる企画書が提出されたと調査済みです」

  軍事利用。その単語がやけに、翔太の頭の中で反芻された。背筋が寒くなる。

「これは世界に向けて放映される大会です。そして、この大会は缶詰ヒーローを『兵器』として今まで以上
にアピールする絶好の機会でもあります」

  そこまでいって、キリイが躊躇いながらもどうにか割り込む。

「待てい、我ら缶詰ヒーローが軍事利用? ……今ではもう缶詰ヒーローはおもちゃとして世間に定着
しておろうが、それを兵器にするなんてこと世論が許すわけが――」

  しかしそれも悲しい強がりにしか見えなかった。美姫は己の無力を恥じるように、ゆっくり首を振って
 眼を閉じた。

「出来る、でしょう。そもそもあれだけの兵器を積んだ存在が玩具として存在していることがおかしいん
ですから、そのことは貴方たちのほうがよく知っているのでは?」

  キリイが言葉を呑み込む。

「どうしても相手の尻尾が掴めません。ですから翔太さん、お願いします。翔太さんが動くことでおそらく
壱百壱同心も動く、私は、缶詰ヒーローを戦争の道具なんかにさせたくないんです」

  いい終えてから、最後には涙まで浮かべて美姫は頭を深々と下げた。それは少なからぬ痛みを、心
 に鈍い痛みを走らせた。

  まだ少女でありながら、缶詰ヒーローが好きだからこそ彼女は自分より辛い現実に立ち向かおうと決め
 ている。なぜなら少女には暴虐を妨げるだけの力が幸いにもあるのだから。

  だがそれは、本当にどれだけの勇気が必要だろうか。

「……わかった――……」

  体にまた一つ重りが加わったのを実感しながら、翔太はそっぽを向いて頷いていた。

  パッ、と美姫の顔が明るくなる。

「やってくれますか?」

「ほんとはやりたくないけどな、もう十分いろんなことで雁字搦めになってんだ。それに、俺自身確か
めたいことが幾つかある……」

  缶詰ヒーローという事象と関わることで否応なく引き起こされるファントムペイン。君香に対する理由
 もない嫌悪、否、憎悪。

  何故かはわからない、しかし、この件に関わることで必ずわかるという確信があった。ずっと気にな
 っていた事実に辿り着ける気がして。

「そういうわけだ、キリイ。これで簡単に負けるわけにはいかなくなったからな、気を引き締めろよ」

  グラディエイトそのものに興味は、ない。しかし手段としてなら使うこともできる。

  決意を込めたこの言葉だったが、キリイは心外そうに腰に手を当て、嘲笑った。

「見くびるな、私がこの大会に出る以上、もとより優勝しか選択肢に入っておらん。どうやっておぬし
のやる気を引き出すか考えておったが……これで手間も省けたというモノよ。それに、彼奴らの
陰謀とやらを防ぐのも、悪くない──」

  こうして、歯車は正常に回り出した。









 


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