缶詰ヒーロー











          34缶詰ナリ *  【Fact or Fiction】









  海洋テーマパーク『ozean』は今年の春にオープンした話題のスポットだった。

  太平洋の上に浮かぶ巨大な施設は、絶えることない客によって活気を享受している。

  テレビや雑誌でも注目のデートスポットとして紹介されることがわりと多いため、休日ともなれば客数
 は某ネズミのテーマパークを上回る。

  "ozean"とはドイツ語の発音で"オーツェアーン"といい、日本語に意味を訳すとそのまま『海洋』とい
 う意味になる。

  かなり命名者のセンスを疑う名前だが、それはたいした問題でもないらしい。

  中でも注目なのは地上百メートルの高さから、水面下五十メートルまで落下する『himmel』というフ
 リーフォールだ。失神者も続出するほどスリリングなものらしい。

  中央広場で流れる説明に、翔太は色濃い疲労のため息をついた。

  翔太にしては珍しく疲れきったため息には、横ではしゃいでいる彼女のせいも多くあったかもしれない。

「ね、それじゃあまずはどこに行こっか? まだあんまりお客さんも入っていないみたいだし、今のうちに
人気のあるアトラクションに乗っておく? それともオープンカフェでお茶でもしよっか?」

  浴びせかけるように提案する君香は、まるでこの世の至福を得た時のような微笑を、柔らかな美貌に
 浮かべて翔太に向けた。

  これにはどんな男でもいちころだといえるほどだが、翔太にはその絶世の笑みを十分に見るだけの
 余裕はなかった。

  この身では溢れんばかりの痛い視線を受けて、それら一つ一つに神経を削られていたりした。

  通りすがる人を一人一人見ても、

「なんであいつみたいなヤツがあんな綺麗な人と…」
「俺の彼女より遥かに可愛いじゃないか……」
「ワシも若いころはのう……」

  口々に小声で呟いて去っていく人々を見やり、翔太は辟易してしまった。このまま逃げ出してしまい
 たい衝動に駆られる。

  普段ならば人の視線など気にもしない翔太だが、ただですらあまり好きではない人混みの中でこれ
 だけの視線をぶつけられては疲労もする。

  しかも今日はまだ始まったばかりで、隣にいる君香の相手もしなければならないとなると翔太は頭を
 抱えたくて堪らなかった。

  どうしてこうなってしまったのか、いるものなら神を激しく問い詰めたかった。

「あれ? どうしたの翔太くん? なんだか不思議な顔をしてるけど…」

  周囲の妬みになど一向に気づく様子がない君香はいたって楽しそうだった。

「いや…いや、なんでもねぇよ」

「そう?」

  か細く答えながら、翔太はやはり無理にでも断るべきだったと思った。

  以前から経験していたことではないか。

  考えても上手く断る方法が見つからなかったので、ほとんど自棄になって引き受けたこの『デート』
 は予想以上にハードになるであろうことがこの時点ではっきりとわかった。

  なるほど、君香の容姿は本当に人目を惹きつける。それは男女を問わない。

  大学でも男は勿論、同姓にすら嫌われない雰囲気が漂う君香はただそこにいるだけでどうしても
 目立ってしまう。

  そしてその分のしわ寄せは周りにいるものに降りかかる、つまり、翔太に。これが堪らなくキツイ
 のだ。

「どこかに逃げられそうなところは…」

  翔太の目は藁をも掴む者に近かった。

  そんな翔太は、目の前に鋼鉄の藁があることに気づいた。翔太はさっそく君香に声をかける。

「なあ、徳野」

「……」

「おい」

「……」

  が、返答がない。

  何事かと横を見れば、君香は腰に手を当ててい仁王立ちしていた。頬を膨らませていても不思議
 ではない。

「どうかしたのか? そんなわかりやすいジェスチャーで不機嫌さをアピールするのは俺に対する抗議
と受け取るが…」

「ねえ、翔太くん。そろそろ『徳野』って名字で呼ぶのやめて欲しいな」

  こちらが気圧されるほど真剣な表情で迫る君香。

「は? どうしてだ」

「ど、どうしてって…その、なんだか名字で呼ばれてるといつまでも他人行儀みたいな気が……」

「他人行儀っつっても実際他人なわけだしな。別に不便でもないだろ」

  確かにもう名字を呼ぶほどの浅い付き合いではない。最近は君香に対する原因不明の嫌悪感
 も治まってきているのも確かだった。

  だが、心の奥底で引っかかるなにかがある。漠然としたなにかは明らかに警告しているのだ。

  よって当然至極のことをいったつもりの翔太だったがそれは失敗だった。

「そ、それじゃあ嫌なのッッ!」

  突然大声で叫んだ君香のせいで、周囲の厳しい視線が一斉に集まる。

  しかも、叫んだきりで君香は言葉に窮してしまったのか、なかなか二の句を告がない。

  この視線地獄を回避するには迅速かつ的確な行動が要求された。翔太は一度空を仰いで、肩ご
 と落すと、

(あの馬鹿は後で必ず報いを受けさせてやる)

  親友を名乗る、今回の原因を作った男を思い出して翔太は拳をきつく握り締めた。

  ふっ、と全身から力を抜き、

「わかった、わかったからとっととこの場を離れるぞ、"君香"」

  できるだけぶっきらぼうにいった。一瞬だけ君香は呆然とすると、

「うんっ!」

  と、少女だったころの面影をそっくりそのまま残した満面の笑みを浮かべて翔太の腕に抱きついて
 きた。

  これにはさすがに翔太も面食らってしまい、振りほどくこともできないでいると、

  ―――ズキッ

「痛ッ…」

  瞬間、あの頭痛がまた翔太を襲った。

  前回より規模は小さいものの、ちりちりと頭の芯をくすぶる様な痛みが脳細胞を喰らう感覚がある。

  痛みは一瞬だけなのだが、体から力が抜けて膝を着いてしまっていた。

「だ、だいじょうぶ翔太くん? 具合が悪かったらちゃんといってね? すぐに医務室へ連れていく
から」

「大丈夫だ、人があんまり多いんで酔っただけだろ…」

  先ほどまでとは打って変わって不安に瞳を濡らす君香を片手で制し、翔太はしっかりと海上の
 人工大地に足を置いた。

  大丈夫だと何度いっても心配する君香にぎこちなく笑いかけ、翔太は己が人差し指をついさっき
 見つけた避難所へ向けた。

  倒れたときに君香が支えてくれたのはいいとして、おかげさまで周囲の殺気は際限なく膨れ続け
 ていたのだ。

「とりあえず、アレに乗るか」

「アレって…え、いきなりアレ?」

  翔太が提案したアトラクションを見た君香は、なにやらモジモジと指を遊ばせている。そして当然
 の如く独り言をぶつぶつを呟いていた。

  いったいどんな妄想に思考を飛ばしているのか翔太には予想も付かなかったが、このままここに
 いるのはまずい。

  即座に君香の手を取ると、翔太は例のアレへ向かって走り出した。

「ちょっ! ちょっと待ってよ翔太くんッ! そんな急に走り出したら…」

  答えず、有無をいわさずに翔太は引っ張っていった。 

  いくつもの密閉空間が運命の輪をぐるぐると回るアトラクション。

  そう、観覧車へと。まるで幼い子供らのように彼らは行く。

  …走っていく傍らで、じっと物陰から見つめる影がひとつ。

  そして、たった今しがたゲートから転がり入ってきた楕円形の缶詰ヒーローがいることを彼らは
 知らなかったりする。








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