缶詰ヒーロー






  タマゴは一人で歩いていた。

  トボトボと、亀みたいにのっそり遅く歩いていた。時々立ち止まっては振り返り、後ろを確認する。

  後ろから綾小路が自分を迎えに来てくれるのではないかと思いながら、いない現実に暗い影を
 落としてまた前を向いて歩く。

  タマゴは一人で歩いていた。

  時々立ち止まり、右手のショーウィンドウに移った己の姿に落胆する。

  剥がれかけたガムテープの隙間からのぞく、精密機器の一部であろう二つの光が睨らむように
 輝いた。

  タマゴは立ち止まった。

  かつての栄光と羨望の残滓の中、偽りの優しさを与えてくれた主人を思いながら。

  迎えに来てくれるのだと信じて。








       33缶詰ナリ *  【Believe】








  夕方、珍しくバイトもなかった翔太が部屋で課題レポートを書いている時だった。

「のう、そろそろまじめに考えようではないか?」

  後ろで黙ってテレビを見ていたキリイがぼそりといい、翔太はかったるいといわんばかりに首
 だけ向けた。

「なにをだよ? いよいよ自分の廃棄処分について前向きに考えてくれるのか?」

「はっ、おぬしこそ自分の生活態度を悔い改めて世界のために呼吸でもやめたらどうだ。酸素が
有効活用されるだろうぞ」

  殺伐とした毒舌の応酬を交わす。いまやこれが挨拶となりつつあるのだから、慣れとはまこと
 恐ろしい。

  まるで何もなかったように翔太は机を挟んでキリイと向きあう。狭すぎるアパートの一室がいっ
 そう窮屈に感じられた。

「で、なんだ?」

「うむ。おぬしもそろそろ気づいて、といよりも気づいていて無視してきたのであろうが、タマゴの
処遇についてはっきりさせねばならん」

「処遇なんて決めてあるだろうが。あいつは俺が引き取った、それで終わりだ」

「まさか、本当にそれだけで終わらすつもりではないだろうな?」

  やろうと思えば数キロ先の光景すら映す複相電子眼エレクトロニック・プレーンで睨まれ、翔太はつまらそうに舌打ちした。

  キリイのいわんとすることはわかっていた。

  タマゴを引き取ってから特別親しくなるほどの時間は経っていないが、これまでの翔太に対する
 態度はとてもじゃないが友好関係を築けるものではなかった。

  話しかける前に逃げられ、たまに一緒に遊んでもどうやら上手くいっていない。

  翔太としてはどうして仲良くなれないのか不思議に思っていたところだった。

「このままではひとつ屋根の下、共に暮らしておるにも関わらずすれ違う引きこもりの長男を抱えた
一家みたいになってしまうぞ。そうなる前に心温まるハートフルなシナリオであやつの凍えた心を
溶かすほかあるまい」

  ふふん、と自身ありげに鼻を高くするキリイ。目を細めて頬杖をつくと、翔太はどうでもよさ気に
 雲が漂う窓の外を眺めながら尋ねた。

「…今度はいったいなんのドラマの影響だ」

「連続昼メロドラマ『ぼくのひるやすみ』だ。お気楽なタイトルとは裏腹に毎回一人は死者が出ると
いうサスペンス劇場も驚きの展開が溢れておるぞ」

「ああ、そりゃ確かにハートフルだな。……愛憎とかの心が満ちてるハートフルっていう点でな」

  そういって顔を背けたまま答える翔太だったが、いささか様子がおかしかった。

  目は焦点が定まっておらずあやふやに動き続け、どこかうわの空でキリイの話もあまり真面目に
 聞いている気配がない。

「おぬし、どうしたのだ? いつもより覇気がないというか、人の心を傷つける言葉の鋭角が足りない
というか…なにやら悩み事でもあるのか?」

  瞬間、翔太の体が強張って停止するがすぐに平静を装う。

「なんでもねぇよ」

  実際はなんでもあった。

  疑わしい目つきでじろじろと観察してくるキリイを右手で追い払い、翔太はなんとなしにため息をつ
 いた。

  タマゴのことも悩みの種だったが、それよりも本人的に重大なことが間近に控えていた。

  週末、君香と二人きりで最近出来たテーマパークへ行くことになっている。

  考えたくない、できるだけ考えたくないが、これは世間一般にいうデートだろう。どう解釈しようにも
 適切な答えが浮かんでこなかった。

  もとはといえばユウキが原因だった。

  大学の講義を受け終わり、昼食を取るための休憩時間に学食でカレーうどんを食べていた翔太に近
 づいてきたかと思うとよりにもよって先週のSSリーグの大会について語りだしたのだ。

  あの時の記憶がない、だとか、気づいたらだだっ広い会場に一人取り残されていた、だとか。

  当然てきとうにあしらっていた翔太だったのだが、ユウキが偶然通りがかった君香を呼び寄せてか
 ら事態は一変した。

  学食中の好奇と嫉妬に晒されながらも翔太は必死に対応した。できるだけ話を早く切り上げようと
 思いつく限りの手は尽くしたのだ。

  だがついに、翔太が君香の誘いを断ったにも関わらずあの会場にいたことがばれてしまい、ユウキ
 が翔太をしつこく責めてきたのだ。

  極め付けに、おまえはちゃんと埋め合わせをするんだよな、なんてこいつわざとじゃないかという程の
 音量で叫んだものだから周囲の視線がいっそう鋭くなったのはいうまでもない。

  結果、身を悶えさせながら怪しい妄想を繰り広げる君香に向かって『NO』というわけにもいかず、むしろ
 あの場で断っていたら確実に周囲に袋叩きにされていた、週末デートすることとなってしまった。

  せっかく服をカレーうどんで汚すまで逃げ出そうとしたのに、成果は上がらなかったのだ。他の大学生
 の恨みを買うといういらぬ特典だけが得たものであった。

「よりによってあいつだもんなぁ…」

  いまさら君香が生理的に苦手だとかはどうでもよかった。なし崩し的に決まったことに対して、もうどうに
 でもなれと自棄になっていた所でもある。

  ただ翔太はまだ忘れていない。先週の大会で起こった出来事を。

  映像の残滓。残り香、とでもいうべき苦い感情がある。なにを見たかは思い出せなくとも、あの頭痛と
 右手の痛みは忘れようもない。

「おぬし、ほんとうに大丈夫か? 道に落ちている物でも食したか? 頭は? 正常か?」

  黙りこくった翔太を心配したのか馬鹿にしたいのか。キリイは顔を思いっきり翔太に近づけてきた。

  すかさず翔太は頭突きで返す。もちろん、素で行うとこちらの額が割れるので衝撃だけ上手く伝える
 方法、雑誌を仲介してだ。

「ぐ、ぐはぁ。チップが、思考回路が、視覚センサーが揺れる……」

「いい気味だな」

  目を回しても変わらない氷の美貌を嘲って見ながら、翔太は沈みつつある日差しを目で追った。

  タマゴはまだ帰ってきていない。週末のことも一大事だが、どうやら本気でタマゴについても考える
 ことが必要らしかった。

  そんな翔太の心情を解するなど誰にもできるはずがなく、キリイは遠いところに目をやっている翔太
 の背後にそっと回り込み、

「食らえぃ!」

  ちょうど翔太の背後にあった布団の枕を振り下ろしてきた。材質は柔らいが、キリイが振り下ろす
 とボッ、と音がするからなかなかに恐ろしかった。

「だが甘いな」

  それは翔太に当たるかと思った瞬間、翔太はキリイが乗っている布団を後ろ手で思いっきり引っ
 張った。

  バランスを崩したキリイは豪快に転倒した。

「ぐ、ぐむぅぅぅぅ……だ、めだ…世界が、回る……」

  転んだ拍子に頭を床にしたたか打ち付け、頭を抱えてキリイは転げまわった。最近ではすっかりと
 行動パターンを読まれ、容易には翔太に一撃を与えられなくなりつつあるキリイ。

  ここだけを見ると元来のクール&ビューティーからかなりかけ離れつつあった。

  そんな二人は果たして仲がよくなったというべきなのか判断し難いが、翔太がわずかに唇の端を上
 げていたところからするとやはり仲がよくなったのかもしれない。

  しかし彼らは知らない。

  ―――始まりは小さな点から。

  小さな渦は周囲のモノを呑み込みながらやがて大渦となってひとつの事実をさらけ出す。

  当の本人たちの気づかぬところで波は発生する。

  中心にありながら、否、中心に位置するからこそ一見静かに見える日常。

  楕円形の同居人や、苦手な人物で悩むだけならずいぶんのどかな人生を生きている。

  やがて動く大きな世界にありながらも、今はまだ、平和な生活を送るべきなのかもしれない。








       SEE YOU NEXT 『Fact or Fiction』 or 『Still waiting




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