缶詰ヒーロー











       28缶詰ナリ *  【Battle for venus】








「止めて! 放してよッ!」

  はっきり拒否を含んだ悲鳴が木霊するが、今の翔太には正確な状況判断は難しかった。

  先ほど見た夢。いつか知っていた映像と儚い感情の残滓が頭に深い霧を漂わせている。

  今では何をみたのかさえはっきりと思い出せない。イメージの奔流のみが、その黒い手で己の心
 にいやらしく触れてくるのだ。

  だから、眼の前で君香が何者かに腕を掴まれていると気づいたのは数秒後だった。

  膜が張った視界で乱雑に動く二つの影。苦痛に顔を歪めて掴まれた腕を取り払おうとする君香。意味
 ありげな笑みを浮かべ、力任せに君香の腕を掴む巨躯の男。

  髪と眼の色が日本人とは違い、五厘にそり上げた赤毛と蒼い眼。欧州系の白人。

「おい……なにしてんだよ…」

  気を失っている間に進展していた事態は呑み込めない。ただ、歪な状況に嫌な感じがした。

「しょ、翔太くん…」

  救援を求める声で君香がいうが、幻痛の余韻が残る体では立ち上がった体を支えるので限界だった。

  男は見下した眼つきでこちらを一瞥すると、鼻を鳴らしてシカトを決め込んだ。だが、翔太はこの程度で
 は退かない。

「放せって…いってるんだよ……白豚…」

  掠れながらも強い口調でいった単語に、男は眉を吊り上げて反応した。現われたのは侮蔑に対する怒り。

  どうやら日本語が通じないわけではないらしく、おかげで翔太が得意とする皮肉を織り交ぜた侮辱が、
 男の顔を即座に紅潮させる。

「はっ…その顔……本当の豚みたいに…ピンク色だぞ?」

  余裕に振舞う翔太だったが、この会話そのものがギリギリの駆け引きだった。立っていることすら辛
 い、語尾がおかしくならないように振舞うことも苦しい。

  だが、君香は助けておかねばならない。たとえ助けるべき相手が、苦手な人物だとはいえ、だ。

  このまま放って置くにはあまりに後味が悪すぎる。

「テメェ……いうじゃねえカ。この黄色いサル風情ガ。覚悟は出来てるンだろうナ?」

  ニメートルに届きそうな体躯を怒りで打ち震わせながら、男は君香の腕を放して翔太に歩み寄る。

  さすがに怖い、だが、この間に君香が逃げてくれればこちらの勝ちだった。骨の一、二本は覚悟しな
 ければならないだろうが。

  しかし、君香は何故か逃げようとしない。不安に侵された視線でこちらを見続けている。

  なぜ逃げない、そういおうとした刹那。翔太の視界を覆いつくす無骨な塊があった。

「シッ!」

  男から漏れた短い呼気と迫り来る拳。

  痛みを堪えて歯でも噛みしめるべきなのだろう。が、翔太は迫り来る拳を前にして、顔を狙うなんて
 コイツは喧嘩の素人なんだな、と場に合わないことを漠然と考えていた。

  覚悟を決めて、数秒間目を閉じていた。少なくとも翔太には何分にも感じられた。

  だが、眼を開けるとまだ拳は到達していない。注視すると、拳がかなり遅い速度で動いているように見
 えた。
 
  それどころか、拳の動き、力の流れ、拳との正確な距離、どういうわけかそれらが手にとるようにわかる。

  そして、当たる。

  顔の数センチまで寄ってきた拳を見詰めながら、翔太はまるで時が止まったように感じていた。

  いや、時は止まっていなかったが、代わりに拳が停止していた。男の拳が、何者かに掴まれている。

「悪いが彼は僕の知り合いでね。止めてもらおうか」

  毅然とした態度でいい放ったのは、相変わらずのサングラスと赤毛の男に負けないほど鍛えられた筋肉。
 アルマーニのスーツから零れそうな武の鎧を着た男。

「熊さん…」

  なぜここに、という驚きを含んだ眼が熊谷に当たると、熊谷は翔太に向かっていった。

「やあ翔太くん。どうやらちゃんと大会を見に来ていたようだね。指定席に姿が見えなかったからてっきり
来ていないかと思って探し回っていたじゃないか」

  微笑みながら空いている手を降る熊谷。思わず全身から力が抜け、緊張していた翔太も一安心する。

  一方赤毛の男は苦痛に顔をしかめながら、いきなりの邪魔者に対して、眼に感嘆と畏怖、驚愕を浮か
 べて凝視した。

「まさか、あんたハ………スピリット・ロード…」

  聴きなれぬ単語に翔太の不完全な思考は疑問符を浮かべるが、言葉にすることもできずに消化される。

「……僕のことを知っているのなら、どうすればいいのかはわかるな?」

  サングラスをかけているというのに、奥から覗く眼光は達人の聖域だった。相手の男は苦々しく舌打ちす
 ると、翔太と君香を順々に睨みつけた。
 
  しかしそれ以上はなにもしようとしない。

  本当の意味で安心し、翔太は疲れで体をよろめかせた。

「翔太くん、大丈夫?」

  優しく君香に抱きとめられる。一瞬また痛みが襲ってくるのではと心配したが、予想は裏切られた。暖
 かな感触とほのかな匂いが漂い、消耗していた体が安堵で安らいでいく。

「ん? おやおや、随分仲がよくなっているじゃないか」

「えっ、べ、別にそんなことは……」

  子供がはやし立てる様な声色でからかう熊谷に、君香は顔を真っ赤にしていたが、翔太はさっきまで
 の痛みからくる疲れで憔悴していたので反応も反論する余裕も無い。

「納得がいかないナ」

  一刻間が空き、場の空気が再び緊張を張る。赤毛の男がやはり納得のいかぬ抗議の佇まいをする。

「何がだ?」

  まだそこにいたのか、という眼つきで熊谷が睨みつけると、男は多少狼狽しながらもカタコト交じりの
 日本語を操り始めた。

「だ、だってヨ。俺はそいつが倒れているノを見たカラ助けよウとしてヤッタんだぜ。なのにコノ扱いは酷い
だろうガ」

  あくまで自分は悪くないといいたいのだろう、男はそういってへらへらと笑ったが、君香はそれをよしと
 しなかった。

「嘘よ! 私が翔太くんを医務室へ運ぼうとしたら邪魔したのはあなたじゃないッ!」

  指摘され、男は一時は黙り込むが、人を見下す眼だけはやめようとしてない。それどころか腕を
 組んで獣のような巨躯をより獰猛に見せかける。

「ハン、どうだかナ? あんた錯乱してたカラ、人の好意を無下に扱ったコトすら忘れてルんじゃないの
カよ?」

「違うッ、私は…」

  非を認めようとしない男に対して、君香は睨み殺す勢いだったが、のらりくらりと男はかわす。

「なら、翔太くんを殴ろうとしていたことは、いったいなんだっていうの!?」

「アン? そう見えタのか? 俺は立つのモ辛そうナそいつに肩を貸してやロウと思っただけだゼ」

  嫌な笑みをベタベタに貼り付けながらいわれても説得力はなかったが、少なくとも話がややこしく
 なりつつあるのは確かだ。

  男のいうことが正しいのか、君香のいうことが正しいのか、翔太の憔悴しきった頭で考えるには情報
 量があまりに乏しい。

  起きてみれば君香が掴まれていたのであってことの経緯は知らない。男に殴られそうになったの
 は、誰だって侮辱されれば激怒するだろう。

  どちらが正しいのか―――。否、迷うこと無く正しいのは君香だろう。

  だが断定材料が少なすぎる。熊谷も途中参戦の形だったのでことの次第を知らない。下手に手を
 出してはこちらの罪になってしまう。

  しかしこのままでは、男は疑わしきは罰せずの対象なるだろう。

「つまり、君はいったい何がいいたいんだ?」

  話に決着をつけるために、熊谷が切り出す。男は腕を強く組み直し、手を顎にあてると、しばらく考え
 る素振りをしてみせた。どうせ、初めからなにをするかなど決めていたくせに。
 
「そうだナ。お互いに納得スル方法を取ろうじゃないカ……俺ト、そこの兄サンでグラディエイトなんて
どうダイ? 勝ったホウガ相手の要求を呑ム。当然兄サンも缶詰ヒーローは持っているダロう?」

「ほう…自信があるようだ……」

  興味深げに熊谷が唸る。

  どうしてこの世界には厄介ごとをグラディエイトで解決しようとする輩が多いのか。考えに共鳴したか
 のように、翔太を支えたままの君香は口火を切ったように猛反対した。

「ちょっと、翔太くんはこんなに憔悴してるんだよ!? ただですらさっき、私のせいで……駄目だよ。
翔太くんに無茶はさせられない………」

  ぎゅっ、とさらに力強く抱きかかえられ、翔太は瞬間的に呼吸困難に陥る。

  無茶をさせる。それこそが狙いだとばかりに、赤毛の男はゲラゲラと笑い出した。

「ナラ、どうするんダ? 俺は変な疑いヲかけられテとても不愉快なんダ。ドチラにせヨ落とし前ハつけな
くちゃいけないダロウ?」

「それは…でも、あなたが……」

「それとモ、嬢ちゃんガ代わりニ責任をとってくれるカイ?」

  再びゲラゲラと下卑た笑い声を繰り返す。論戦において自分が優位に立っていると悟ったのだろう。

  君香は唇を噛んで耐えていたが、悔しさのせいか眼の端に涙が浮かんでいた。

  ―――涙。

  通路の照明にきらめく雫をぼんやりと眺めながら、翔太は今日起きたことを考えていた。

「わかった…俺が、お前と戦えばいいんだろ……?」

  ピクリ、と赤毛の頬が楽しそうに吊り上がる。弱者をいたぶることに愉悦を感じる種類の人間。

「駄目だよ…翔太くん。今日は駄目、熱だってこんなにあるし……まともに戦える状態じゃないよ。そ
れに今はキリイだっていないでしょ?」

  それもそうだった。キリイがいなくてはグラディエイトで闘えない。素手で戦うか、などと無謀なことが
 ぐるぐると考えの至らぬ脳内を回り始める。

「いや、いるよ」

  君香の言葉に反応したのは翔太ではなく、傍らに佇んでいた熊谷だった。全員の視線が集中する。

「翔太くんたちを探している時にね、確認した。たしかヒミコくんといっしょに試合観戦をしていたはずだ。
ここからそう何ブロックも離れていない」

  ヒミコという人物に心当たりはなかったが、翔太はキリイがいたことだけを認識する。決まりだった。

「なら…呼んできて下さい……熊さん…」

「……わかった…」

  短く返答すると、熊谷は小走りで通路を駆け出していった。うすらぼんやりする視界は不安定だが、
 倒れるまでは消耗していない。

「どうして……こんなに疲れきった体なのに…」

  自分が苦しいかの如く顔をしかめる君香。瞼にはしっかりと涙が溜まっており、いまにも落っこちそう
 に揺れていた。それは、まるで夜空に輝く星のように。

「…大丈夫だろ…お前が支えてくれてたおかげで、少しは回復したしな………」

「え?」

  そういって、緩やかに君香の腕から抜け出す。翔太は安心させるように君香の頭に手のひらを乗せ
 て呟く。

「俺が負けてたまるか。まだ借金だって残ってんのに、この上後味の悪いものまで背負ってたまるかよ。
だから、安心しとけ」

  そうはいっても、説得力がないのはわかっていた。誰だって今この青年の姿を見たならば何かしらの
 異常を悟れるありさまなのだ。

  だが、

「…わかった、私は翔太くんを信じるよ」

  一片の曇りなき信頼を寄せられているといことが、君香に宿った瞳から簡単にうかがえた。

  今、この状況では君香に対して感じていた生理的嫌悪感や頭痛の兆候は全く見られない。どういう
 わけか、翔太がなによりも不思議に思っていた。

  あるのは護らねばという意志。これまた、どういうわけなのかはわからないが。

「それじゃア。お互い要求内容を決メておこうカ」

「ああ…」

  確か、ユウキの誕生日でもこんなことをしたなと懐古しながら、翔太はまず相手の要求を聞いた。

  赤毛は濁った眼で君香を上から下まで凝視すると、指でゆっくりと指した。

「まずは俺に対スル全面的な謝罪と謝礼金。そしてナニより、ソノ嬢ちゃんヲ借りようカ」

「なんだと?」

  隣で君香がビクリと硬直する様が、見なくてもわかった。唾を呑み込む音まで聞こえる。

  二ヘラニヘラと唇がつりあがる男は、遠く自分が勝った未来へ思いを馳せているようだった。見下
 した眼は相変わらず翔太を捉える。

「なァに。一生、とはいわネエよ。ただ、一晩ばかシ借りるっていうンダ。安心しナ」

  天井を仰ぐようにゲラゲラと笑い出す男に、翔太は紛れもない殺意を感じるが袖口を君香に掴まれ
 霧散してしまう。

「わかった。その条件をのめばいいんでしょ?」

  突然いう君香に、翔太は愕然とした。何故自分の体を賭けてもいいというのか、翔太にはその場で
 理解できなかった。

「…お前、自分がなにいってるのか、わかってるのか…?」

「あはは、信じるっていったでしょ? 大丈夫、翔太くんは負けない。ならこんな賭けなんて始めっから
成立してないんだよ。だから、何を賭けたって意味はないってこと」

  君香は強張った笑みを造って見せると、できるだけ動じていない声をだそうとしていた。

「……ああ、俺が負けると所なんて想像できないな」

  翔太もいつもどおりに振舞おうとしながら、気づいていた。

  何が大丈夫なものか。自分の袖口を掴む手が、恐怖で震えているではないか。当たり前だ、怖く 
 ないほうがどうかしている。

「…じゃあ、今度はこっちの要求を伝えとこうか…」

「ああ、いいゼ」

  負けるなどとは露ほども思っていないのだろう。赤毛の男は慇懃で腹立たしい笑みを浮かべると
 余裕だといわんばかりに筋肉質な胸をはった。

  その表情、叩き壊してやる―――。

「まず、土下座してもらうおうか…」

「イイダロウ、それデ?」

「次、素っ裸でトライアスロンしてもらうからな……」

「な、ナニィ!?」

  意味を成さない変化球の要求に準備が出来ていなかった赤毛は、翔太の意図がわからないただ
 屈辱的なだけの罰ゲームに口をあんぐりさせた。

「ちなみに全世界ネット公開だからな…負けた場合は…一生太陽の下を歩けると思うなよ……」

  赤毛が負けたと同時、彼は二度と社会復帰できないことを約束されたも同然だった。もしも、素っ裸
 でトライアスロンなどということをネットで流されれば、電子の速度で彼の醜態は増殖していく。

  翔太の意図を理解し、赤毛は眼の前で額に汗を浮かべて苦しげに喘ぐ青年に僅かな畏怖を覚えた。

「最後に、負けた瞬間でいい……お前の所持金すべて置いていけ…」

  人差し指を地面に向けていい切る翔太。

  最後の要求の意図はおそらく予想がつくこと間違いナシだろうから、あえて述べないことにする











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