缶詰ヒーロー











       23缶詰ナリ *  【Get over the heart】








  暇なのはいいことだ。

  こう思ったことがある人はたくさんいるに決まっている、今まで何億人といただろう。

  ―――ああ、失ってから初めて気づく、人という愚かな種よ。

  深い意味は絶対無く、哲学的な問題などとは真逆のところにある考えを抱きながら、翔太はあくせく
 と馬車馬みたいに働いていた。
  
  ヴァルハラ特注の前掛けをつけて品物を陳列する姿はどことなく諦めを兼ね備えていて、バイト生活
 の厳しさを物語っている。

  働くこと早一週間と三日。広大な面積を誇る店内は鏡面のように磨き上げられ、平日なのに相変わら
 ずの忙しさと集客数にもなれてきたので手際も数倍良くなっている。

  ちょうど缶詰ヒーロー用の衣装を種類に分けているところだった。背後から、若い男女の声で、忙しい
 翔太を嘲笑うかのように声高に飛び込んできた会話があった。

「御坂市特別アリーナでのSSリーグ準決勝、楽しみだよなぁ。なんてったって指定席まで取ったんだ。
今から楽しみでしょうがないよ」

「私も私も! だってせっかくタクちゃんが徹夜でとってくれたチケットだもん。それだけで私の心は一杯
だよ!」

  ちらりと一瞥すると、パンフレットを片手に愛を語らう高校生バカップルがいちゃついていた。

  今日は平日だ、と突っ込みたい衝動に流されそうになった翔太だったが深呼吸して踏みとどまる。

(お客様は神様だ、お客様は神様だ、お客様は神様だ……)

  心の中で念じている様は、傍目には仏像よろしく般若心経を唱える修行僧だと間違われてもおかし
 くない。

「試合カードはなんたって《サンサーラ》のシヴァと《オオナムチ》のスサノオなんだ。まさに因縁の対決
だよ」

「因縁って……?」

  会話はまだまだ続くようだったが、翔太は最後まで聞き取れなかった。

  もともと興味も無かったのに加え、本当の意味で背後から声をかけられたからである。

「ッませ〜ん! 聞こえてますか? ちょっと訊ねたいことがあるんですけど!」

「ああ、はい。なんでしょうか?」

  できる限り事務的な声色。店員マニュアルに記述されていた通りの応対をするべく振り返ると、見慣
 れた顔が二つあった。

「よっ、店員さん。バイト頑張ってるじゃないか! これなら俺も紹介したかいがあったぜ」

  白い歯とウサギのピアスをキラリと輝かせるユウキと、

「やっほ翔太くん。なんでも随分な借金があるって聞いたけど?」

  金髪に滑らかなウェーブがキマっている君香だった。

  予期しない来客に、翔太は呆れよりも何か嫌な予感を感じて眼を細めた。

「何しに来たお前ら……」

  疑わしいモノを見る目つきで観察するあたり、翔太がいかに疑心暗鬼に囚われているか伺えた。

「なんだよ、客に向かってそんな態度とっていいと思ってるのか? お客様は神様なんだぞ? さあ
翔太、俺の靴を舐めるために跪け」

「うっさい死ねボケ。むしろお前が俺の靴を舐めろ。そうしたら余り物の商品を定価五倍で売ってやる」

「……翔太くん、それじゃあユウキくんがかわいそ過ぎるよ。せめて二倍に抑えておかないと」

  ユウキが靴を舐めることは否定しないらしい。

  フォローにならないフォローでユウキを撃沈させた君香の様子に、翔太は自前の鈍い乙女心セン
 サーを作動させる。

  そわそわと先ほどから落ち着かない君香の様子は、誰が見てもおかしかった。

「なんだ? なにか俺に用事でもあったのか?」

「えッ! いや、それはあるようでないようで…なきにしもあらずというか………」

  こういう仕草が苦手なのだ。

  もじもじと体の前で指をいじる君香は、世の男たちなら可愛らしい、護ってやりたいなどとのたま
 うだろう。女性ですら小動物のような愛くるしさを君香に感じるかもしれない。

  しかし翔太にとって、君香の仕草は意図しているものではないとわかっていても仕草の一つ一つ、
 言葉の端にすら軽い嫌悪感を覚えてしまうのだ。

  生理的嫌悪。

  別の彼女の性格などが嫌いだというわけでもないのに、存在自体に苛立ってしまう。まるで、
 憎んでいるような。

  だが翔太は頭を振って否定する。君香とは知り合ってまだ三月も経っていない。憎むというのは
 ありえない話だった。

「もじもじしてないで早くいっちゃいなよ君香ちゃん。そのために僕もついて来たんだからね」

  いつの間にか復活していたユウキが、君香の肩をトントンと軽く叩き、未だ迷っている君香を後押し
 する。

  効果があったのかは知らないが、とりあえず君香の中で決心はついたようだ。一度頷くと、スーハー
 と両手を広げて深呼吸を繰り返す。

「あのね、翔太くん!!!」

「お、おお、どうした?」

  鬼気迫る剣幕に圧され、翔太は背後の棚にぶつかる。衝撃で、いくつかの商品が零れ落ちてきた。

「コレッ!!!」

「………は?」

  眼の前に差し出されたのは市販の茶封筒だった。なんか庶民的だなぁと感心しているのも束の間、
 君香が二の句も告げずにぷるぷるしていたのでとりあえず受け取ってやる。

  ひっくり返すことで裏表を確認するが、これといった表記は無い。

  開ければ容易にわかるのだろうが、翔太は逡巡した。なぜなら、最近封筒にはいい思い出が無かっ
 たからだ。

「俺が、開けるのか……?」

「当然だろ、なんのために俺が君香ちゃんを応援したと思ってるんだ。開けろ、粉微塵になるぐらい盛大に」

  無言。

「あれ? もしかして今の俺のボケはスルー? 『それじゃあ意味ないだろ』って突っ込んでくれないのか?」

  無言。

「ごめんなさい。修行して来ます」

  完璧にユウキを無視してから、翔太は手元の封筒を開けることにした。

  持ちっぱなしでもしょうがないし、開けなければいつまでも二人が帰らないだろうと踏んだからである。

「……あー、なんだこれ? チケット?」

  指に摘まれて出てきたのは金色に輝く二枚のチケットだった。コンピューターで打ち込まれたローマ字
 が浮かび上がっており、かなり異質な雰囲気がある。

「うん、翔太くんさ。今度の日曜にSSリーグの準決勝が特別アリーナでやるってこと知ってたかな?」

「いや…」

  そういわれれば先ほどのバカップルがこれと同じような単語をいっていた気がしたが、断片的な情報だけ
 なので事実上知らないに等しかった。

「それでね、もし…暇だったらその、試合をいっしょに見に行きたいんだけど……」

  頬を真っ赤に染めて、挙動不審に動く君香は、やはり男たちには美しいと見えるのだろう。

  ウェーブがかった髪を撫で付ける仕草は愛らしいと、女たちにすら思わせるかもしれない。女性にすら
 敵視されない女性。君香は珍しい能力の持ち主に違いない。

  隣では、翔太がなんと答えるか待ち望んでいるユウキがいた。普段見せることのない鋭い眼つきで『承
 諾しろ』と暗に訴えてくる。

「………なんで俺なんだ?」

「え?」

  口元から零れでたのは誘いに対しての是非ではなく、別な問いかけだった。

『お前、君香さ。大学でもモテてるじゃないか。なのにどうして俺なんか誘う? 自分で言うのも哀しいが、
俺よりもカッコいい奴は腐るほどいるし、金持ちだっている。俺を誘うメリットはなんだ?』

  そう続けて紡ごうとして、翔太は口を噤んだ。

  先ほどの『なんで』という言葉がまずかったのか、君香の瞳いっぱいに雫が溜まっていたからである。
 何も悪いことはしていないはずのなのに心を苛む罪悪感。

  ―――涙

  次の瞬間、いくらか軽めの頭痛が翔太を襲った。右手の痛みと脳細胞を貪るような痛み。だが、十分
 思考は動く。

  危うく崩れそうになった体勢を、気づかれないように修正。瞳を滲ませる君香にバツの悪さを覚え、頭
 を掻いて気恥ずかしさを紛らわしていた。

「あ、いや、別に変な意味はないぞ? ただちょっとな、今週の日曜はもうバイトで予定が詰まってるんだ。
借金のおかげで休むわけにもいかない。わかるだろ?」

  肩を竦めて、努めて優しく、やんわりと断りを入れる。黙ってみていたユウキは、堪えきれなかった
 らしい。

「おいおい、翔太。バイトなんて休めばいいだろ。どうせ俺の紹介なんだし、ここの店長がそんなことで
クビにすると思ってるのか?」

  思ってはいない。むしろ熊谷なら嬉しそうに頬を緩めて『行ってきなさい』と送り出すタイプだ。

「いっただろ、借金は早く返さなくちゃいけない。それも、誰の手も借りないでな」

  先を取って、これ以上の反論を封じ込める。ユウキは眉根を寄せて唸ったが、それ以上の詮索はしな
 かった。

  バイトの予定が入っているのは確かだったし、缶詰ヒーローの大会なんかに興味が無いということも
 ある。だが本質的な理由は、君香と行きたくないという願望があったからかもしれない。

「そっか、バイトか。翔太くんにとっては確かに大事だもんね。このチケット、もったいないからユウキくん
と一緒にいってくるよ」

「君香ちゃん……」

  君香も翔太の借金について考えてくれたのか、名残惜しそうにしながらも納得していた。

  だがやはり俯きがちなに目線を落としているあたりが無言の抗議にすら感じ取れる。ユウキに至っては
 絶対的に責め立てる視線を送り続けていた。

「悪いな、また今度にでも誘ってくれ」

  通例どおりの社交辞令で謝ってから、翔太は二人を店外まで見送った。日に照らされて遠ざかっていく
 二人の姿はどんよりと暗い影を背負っている。

  ふと、翔太は二人がどうして仲良く店を訪れたが考えたが、すぐに社交界で知り合ったのだとうと決め付
 けた。

  こめかみの辺りを触ってみる。今はもうすっかり頭痛は感じられず、すっきりと冴え渡る思考があった。



         #            #             #



  店内に戻った翔太は一息つくために、翔太は胸元のポケットからマルボロを取り出す。一連の動作で
 すばやく火を灯すと、雲よりは灰色な煙が立ち昇っていく。

  ニ・三度呼気を繰り返すと、すぐ傍に風船を握り締めた着ぐるみが歩み寄っていた。

「当店での喫煙はご遠慮ください」

  ちょんちょんと翔太のタバコを指差し、くぐもった声で忠告してくる。

「別にいいだろ、細かいこというな……最近は路上で吸うこともできないんだからよ」

「細かくないぞ、そういうところに注意しないと客足が減る。どうしても吸いたいならロッカーにいけ」

  着ぐるみの中は熱気でサウナより過酷な状況になっているはずなのに、聞こえてくる音声は氷より
 も冷え込んでいた。

「八坂、お前結構規則に厳しいよな」

「当然だ。規則だからな」

「はいはい…」

  諦めて、翔太はタバコを小型の灰皿で揉み消す。懸命に着ぐるみを被ったままの八坂の顔が、見
 えないながらも安堵の表情に変わった気がした。

  八坂は着ぐるみの頭だけ取り外すと、不恰好ながらもよたよたと壁に寄りかかった。

  一息つくと、首だけ翔太に向けて嘆息を漏らした。

「ところで、さっきお前に会いに来ていたのは武田重工の御曹司と、TOY名誉会長の孫娘だな。翔太、
お前は随分なコネを持ってるんだな。正直羨ましいぞ」

「コネなんかじゃない。学友だ」

  見ていたことには腹が立たなかったが、コネといわれたことが多少カチンときた。翔太はあからさまに
 表情を強張らせていた。

「いや、悪い。そんな意味で言ったんじゃないんだ」

  珍しく表情を罪悪感で染め、八坂は深々と頭を下げた。

  翔太はずいぶんな仰々しさに呆れながらも、彼の肩に手を置いて頭を横にふった。

「気にすんな。つーかお前はいつもそんな風に大げさに行動するのか?」

「馬鹿言え、悪いことをしたと思ったから誠意を込めて謝っただけだろう。当然のことだ」

  本当にこちらが馬鹿なような眼つきで見詰める八坂。

  翔太とて彼のこういう仕草にはもう随分慣れていた。八坂もかなり好感触を与える人柄であったし、
 こういう性格なのだと割り切れば付き合いやすい人物でもあった。

(変態だけどな……)

  初日のトラウマからか、翔太の中で八坂のイメージはストリーキングのままだったが。

「おお! 二人ともこんなところにいたのかッ! 探していたんだよ!」

  声の主を探して周囲を見回すと、日差しに真っ黒なサングラスを称えた偉丈夫、ヴァルハラで店長を
 勤める熊谷が息を切らして向かってきていた。

「どうしたんですか店長?」

「いや、君たちにいっておかなくちゃいけないことがあってね……大急ぎで走ってきたんだけど…いや、
我が店ながら広過ぎて探すのも億劫だよ…アナウンスでもかければよかったかな……?」

  もっともだと頷きかけた二人だったが、寸でのところで止めておく。

「で、話っていうのはなんなんだ熊さん」

「今度の日曜のことなんだけど、確か二人ともその日シフトが入っていたよね」

  日曜、という単語に鎌首をもたげ始める不安。翔太は必死に押し隠すために、冷や汗が流れそう
 な額を拭って縦に頷いた。

「実はその日近くのアリーナで大会が開かれるんだけど、どうやら僕が解説者として選ばれちゃった
みたいでね…。二人には悪いんだけど日曜はこの店休業するから」

「…マヂですか?」

「あー、本気と書いてマヂと読むよ。翔太くん」

  得意げに笑う熊谷だったが、翔太が浮かべていた表情の意味を悟ることはできなかったようだ。
 
  熊谷が解説者として公式の大会に選ばれることも驚きだったが、日曜休業のショックのほうが遥か
 に大きかった。君香の誘いを断った免罪符が消え去るからである。

「で、だ。お詫びといってはなんだけど二人にはいいものをあげよう」

「いいもの?」

  八坂が首を傾げる。首から下はまだ気ぐるみなのでかなり不気味なのだが。

「じゃーん! これだよ! 聞いて驚く無かれSSリーグの『チケット』さッ!!!」

  商店街のくじ引きが当たったようにはしゃぐ熊谷が天高く掲げたモノは、金色に輝く二枚のチケット
 だった。

「な、なんだとっ!!!」
  
  ここに来て、ようやく翔太の中で不安が恐怖へと移行する。翔太の叫びを単純な驚きと勘違いした
 熊谷はふっふっふと天狗になって笑うばかり。

「驚いたかい翔太くん。これを君と八坂くんにあげよう」

  呆然としている翔太の手に無理矢理握らせる動作は、孫にお小遣いを与えるじいさまたちによく似
 ていた。

  八坂は淡々と貰っていたが、少し困ったように眉を寄せてチケットをいじっていた。

「二人とも優秀な操舵者だからね、この大会を見てもっと強くなって欲しいという僕の願いも込められ
ているよ。あ、でも八坂君にはあまり関係ないか」

  いってから背を反らして笑う熊谷だったが、翔太は彼の話を半分も聞いていなかった。

  いよいよ、まずい。

  チケットを貰ったからには、いかねばならないのだろう。君香の誘いを断ったというのに。

  しかし、まだ追い詰められてはいない。

  横を向く。相変わらず八坂はチケットをいじっているだけで、あまり乗り気でないようだ。そう、相方も
 行きたくないのなら話は早い。

  チケットを貰っても行かなければいいのだ。そうすれば会場で君香とユウキのコンビに鉢合わせする
 ということ修羅場はないだろう。

  全てポジティブシンキングで済ませようとした翔太だったが、ああ無情、世の中は常に刺激と潤いを
 求めているので多少なら運命の歯車を操作できるのかもしれない。

「あ、ちなみにこれ『店長命令』だから。行かなければ………二人とも、わかるよね?」 

  最後の言葉は、紛れもなく強制力が滲み出ていた。 

  彼らにどうして断ることができようか、いやできない。

  結局、翔太と八坂は縦に何度も何度も頷いていた。










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