缶詰ヒーロー













       18缶詰ナリ *  【Under water】












  茫漠の闇を照らす灯りは一つだけ。

  たった一つの外灯は今にも切れそうに明滅を繰り返し、儚いながらも必死に生きながらえようとして
 いる。

  まだ戦いの興奮も冷めやらぬ闘技場。漂う熱気を大気が滔々と中和していく。

  あれから他の参加者たちによる【グラディエイト】も組み合わせがあったのだが、【キリイ】対【ジャンヌ】
 戦ほどの熱狂も、白熱もなかった。

  いつの間にか始まり、いつの間にか終わっていた。

  初めの刺激が強すぎたせいで、興奮感覚が鈍ってしまったのだろう。

  闇夜に浮かぶ闘技場から少しばかり離れた茂みの近くで、二つの人影が向き合う形をとって立ち尽くして
 いた。

  着物を着た、周囲を釘付にする不思議な吸引力をもった老人と、金色の髪が揺れ、深い翳りを落としてい
 る女性の姿だった。

  口元を嬉しそうに撫でる老人は、喜びを前面に押し出していった。

「いやぁ、つまらんパーティだと思っておったが、どうしてなかなか。来た甲斐があったのう」

  陽気に語る秀雄の韻律に、僅かばかりの無理を感じる。

「うん…」

  どこかうわの空の君香が、影を色濃くする。片眉は閉じ、見開いた片方の眼で君香を射抜くと、秀雄は
 自然に笑い出した。

「まあ、世の中なにが起こるかわからんということじゃなぁ」

「うん……」

  いっても、君香は俯いたまま。まるで叱られる前の子供のように丸まってしまっている。

  まだ春の影を残す風が割りと強い勢いで吹いていた。上天には雲が彷徨っているが、半分だけの月は
 決して邪魔されることなく照らされていた。

  ため息。

  和服の老人は下駄で芝生を踏み鳴らすと、責め立てるように切り出した。

「どういうことか説明してもらおうかのう?」

  いつも笑みが絶えないような表情には、蛇に近い光が宿っていた。

  君香はいいわけすることもできず、小柄な体をより小さくして固まっていた。握り締めた拳に力が入っ
 ているのだろう、手のひらが真っ白になっている。

  答えが帰ってこないと知ると、老人は深い呆れのため息をついた。

  既に瞳は君香を捉えてはいない、昔も今も変わらない月が、燦々と存在しているだけだ。

「今ならまだ間に合うぞい。あの子の事はあきらめるんじゃ…」

  独白か、と錯覚するほど小さい。

  だが間違いなく君香に向けられた言葉は、彼女の心を抉ることはあっても癒すことはないのだと、誰より
 も秀雄がわかっているだろう。

  俯きがちだった目線を上げ、君香が頭を振る。両手の力を解き、言葉を発するために呼気を続け、怯えの
 ない瞳で秀雄を貫いた。

「いやです」

  ふう、と今度こそ疲れた感情を顔に貼り付けると、秀雄は一歩あらぬ方向に進んだ。

「頑なな態度も結構。じゃが、あの子が、翔太が許してくれると思うているのか?」

  すると君香もこちらに歩み寄った。

  秀雄が発した言葉を聞き入れていないことは眼を見ればわかる。だがそれでも、秀雄は孫に教えてやりた
 かった。

  パーティ会場であったとき、初め秀雄は青年が翔太だとは気づいていなかった。

  ただ、近くにいた[侍]の姿から、この者が探していたヤツにちがいない、と秀雄は直感的に思ったのだ。だ
 から、多少無茶ながらも【グラディエイト】をさせた。颯爽と闘う姿をこの眼に映したかったから。

  しかし、秀雄が驚いたのはアナウンスで青年の名が呼ばれたときだった。

  『石若 翔太』

  聞き間違えるはずがない、記憶の一番明確なところに埋もれていた名前。後悔と、懺悔の念が同時に
 押し寄せてくる姓名。

  終りこそ戦いの素晴らしさに興奮していた秀雄だったが、初め名を聞いた時は、医者にもあと二十年は
 大丈夫だといわれた心臓が止まりそうになった。

  君香が隣まで歩いてきて、止まった。同じようにあらぬ方向を見やる。

「……まだ、翔太くんは気づいてない………」

  苦渋を飲み干すように、苦々しく搾り出された反論。

  秀雄は微塵の情けもかけずにことばの波を叩きつける。

「だからどうしたいうのじゃ? 諦めることも時には大事ぞ」

  姿勢を反転させ、君香を見詰める。

「翔太がどうなったとしても、お前が傷つくことには変わりないのだ。拒絶されるだろう。罵られるだろう。嫌悪さ
れるだろう。いや、翔太の無意識下では既にそれが起こっているかもしれん」

  誰よりも苦しむのは君香だ、と秀雄は知っている。青年に関わることで、青年と関わろうとすることで傷つき
 衰えていくのは他でもない、愛する孫娘の心だ。

  だからこそ、言葉で打ちのめし、翔太のことを諦めさせようとしている。

  自分が憎まれることで、君香が翔太を諦めるというなら、秀雄はどんな鋭利なことばも突き立てるつもりだ
 った。

「下手をすれば、更に翔太を傷つけることになるのじゃぞ…それでもお前は構わないというのか……」

  見ると、一瞬だけ、君香の顔がまだ幼かったときに戻った錯覚を受けた。秀雄は眼を瞬かせて見詰めな
 おす、当然そこにいたのは大人になった孫の姿。

  だが、眼の端には涙を溜めている。それ故に幼くなったと感じる。

「それでも、それでも私は……まだっ………!?」

  涙声まじりの呟きは、秀雄のこころを強く打ち鳴らした。

  なんとかしてやりたい―――。

  思う気持ちはどこまでも強くなるが、実際にしてやれることは皆無だ。いかな強大な権力と、金を、名誉を得
 ようとも、孫のためにしてやれることはなにひとつ秀雄には残されていない。

  君香を諦めさせることなどできない、結論は出たが次のワンステップが見えてこない。

  唯一できることといったら、翔太と君香がふれ合う機会を多くすることぐらいだ。秀雄は思案し、持てる力で
 できることを模索する。

  もはや、君香の想いを止めようなどとは思わなかった。厳しいことをいったが、孫の幸せを願わぬ祖父は
 いない。

  今にも、泣きそうな孫娘。今も昔も変わらない想い。

  秀雄は決心するが早いか、ひとつ計画を練り上げた。

「ならばもう何もいうまい。わしも、できるだけ手助けはしよう」

  祖父の同意を得られたことが嬉しいのか、君香の瞳から僅かばかり雫が消える。

  これでよかったのだろうか、と秀雄は自問する。勿論答えはでない。胸中から湧き出る不安は止まること
 なく溢れてくるが、もう逃げてばかりもいられないと決意を固める。

  どうしても必要だというなら。

  忘れようとしても忘れられなかった闇を、卑怯にも隠し続けてきた汚点を、

  ―――過去を堀り起こさなければならない。

  齢八十を超えた老体は、可笑しくて、く、く、く、と気づかれないように笑った。

  この歳になってまさか当事者となるとは、過去と現実の狭間で踏ん張るには力が足りないかもしれない。
 随分自分も老いたものだと、秀雄は月を見上げた。

  昔から変わらぬ月は、彼らにどれほどの答えを与えてくれるだろう?

  いつの間にか星の数が減った夜空。太陽の光を照り返すだけの月は、何も知らず、懸命に輝きながら
 生きていた。
















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