日々、歩き












     第一歩/ 突然の来訪者









「ここか?」

「うん、間違いない、と思うよ」

  桃花は手元のメモ用紙に書かれている文字と、目の前にある喫茶店『時雨』の看板を見比べていった。

  稔は店内を覗き込んだ。夕方にしては人がいない。喫茶店ならもうすこし繁盛していてもよさそうなの
 だが、立地条件が悪いのかもしれない。

  どうしてこんな廃れた喫茶店に来る羽目になったのか、時間は本日の昼まで遡らなければならない。



         #         #         #



  七月の陽気は暑いというより熱い。どこまで暑くなれば気が済むのか、なんだか腹立たしくなってき
 さえする。
  
  昼休み。

  稔と桃花はよりにもよって太陽光線降り注ぐ屋上で昼食をとっていた。

  何を勘違いしたのか、もとはといえば稔が『飯は明るく! そう、太陽の下で食うのが相応しい! 飯食
 うぞ桃花!』とかいったせいである。

  もちろん、深く後悔していたのはいうまでもないが…。

「俺はいったいどこで選択を間違えたんだ…?」

  自覚はしていなかった。

「稔、だったら、教室に、戻ろう?」

  たどたどしい口調。暑さでへばりながら、桃花が提案する。汗が額に光っていることからもう限界が
 近そうだった。それでも、ここまでくれば最早意地である。

「ようし! アイスを食べて勇気! リン☆リンだ!!!」

「あう〜、聞いて、ないし」

  桃花の悲痛に満ちた呟きは無視して、稔はお手元のクーラーボックスをパカっと開いた。

  途端、愕然と天を見上げる。

「……神よ…どうして俺ばっかり」

  立ち昇ってくるはずの冷気は熱気だった。あまりに強い日差しのためにクーラーボックスは役に立た
 ず、アイスはなんだかよくわからないドロドロの物体と化していた。

  がくりと肩を落とす稔の様子は、顎にいいパンチをもらったボクサーに似ていたから惨めである。

  そうこうしている間に桃花は暑さでノビてしまっていた。一人は膝を折って力尽き、もう一人は屋上の
 コンクリに寝そべっている。

  傍目には、まるで殺し合いでも起きたような凄惨な光景に見える。遠くで、一匹の蝉が短い一生を嘆く
 ように、だが力強く啼いていた。

  右方。屋上の扉を開け放つ気配。

  稔は呆然としながらも視線を動かした。軽い談笑を交わしながら屋上にやってきたのは命樹高校の制
 服を着た見慣れぬ少女と少年だった。

  少女のほうは、髪が金色だ。おそらく染めているのだろう。妖怪かと見紛うほどの化粧は、一時大発生
 した顔グロギャルを思い起こさせる。

「げ、死体っ!」

  酷いことをいう少女をなだめるように、隣で歩いていた少年がいった。

「…違う…よく見ろ……」

「あ、生きてる!」

  無愛想な口調で喋る少年は、隣を歩く少女とは対照的に強く『和』のイメージを纏っていた。身長百八十
 を超える体躯は屈強な意志を秘めている。少年は前髪だけを立ち上げていた。

「はろ〜あ〜。君たちが古舘 稔と古舘 桃花だよね?」

  顔グロの少女が確認をとるように問うた。

  暑さで朦朧とする意識の中。稔は少女の言葉を右から左へ。理解するまでたっぷり十秒。上手く回らな
 い舌を最大限酷使する。

「おばちゃん、誰…?」 

  少女は腕を組みながらあははと笑う。だが、額には青筋が何本か浮かんでいることから間違いなく怒っ
 ていた。

「いうね〜クソガキ」

  少女は隣の少年に向き直ると怖いことをいった。

「要、やっちゃいなさい」

「…俺が……?」

  何故、という風に少年が狼狽する。一歩退いて距離を取るあたり、案外この少女に頭が上がらないの
 かもしれない。

  要と呼ばれた少年は少女を引き止めるような目つきでいった。

「…駄目だ…下瀬さんの指示と違う……」

  無愛想が顔にへばり付いているぐらい無表情。それに、その下瀬とかいう人物の指示通りだったらやっ
 ていたのだろうか。疑問である。

「…姫…俺たちのすることは……」

  淡々と要がいう。少女―――姫と呼ばれたその人は辟易したように舌を出して顔をしかめた。

「ったく、あんたには面白味ってものがないのよ。はいはい、指示通りに伝えればいいんでしょ?」

  少女はなぜか胸の谷間から一枚の紙片を取り出すと、眼前でヒラヒラさせた。

  激しく動くもんだから、何が書いてあるのか読み取れない。稔が眼でそれを追ううちに、暑さと眩暈
 が同時に襲ってきて、吐き気までしてきた。

「いい? 二人ともここに書いてある店に今日の放課後、五時までに来て。時間厳守」

「…必ず来てくれ……」

  そうはいうが、桃花はノビたまま意識がなさそうだ。稔も暑さでほとんど意識は刈り取られているので、
 これまでのやりとりを覚えていないというのが実情である。

(なんかもーよくわからんー)

  よって、絶対行くかボケェというのが稔の本音だった。未だ膝を折ったまま、二人から視線を外して俯く。

  二人はそのまま屋上を後にするが、要という少年が屋上を出る際、稔の意識を一気に覚醒させる一言
 を口にした。

「…来たほうがいい……これは…高井 渚にも関係していることだ……」

「なにっ!?」

  驚愕、そして疑問が同時に湧き上がる。稔は少年たちの姿を確認しようと立ち上がってるが、丁度
 扉が閉じてしまった。

  ―――何故

  一念が稔の胸中を過ぎる。夏の日差しに、首から僅かに見える鎖が輝いた。

  あの事件から一ヶ月が流れていた。今ではもう、事件のことを覚えているものたちは皆無といっていい
 ほどいなくなっていた。

  たった一人の生物教師に与えられた"力"は計四人の被害者を出していた。

  その中には稔の親友である高井 渚も含まれている。だが、記憶を操作する能力者の存在によって
 人々が認識する事件への記憶は闇へと葬られ、彼女の存在を知るものはいまや少ない。

  "力"に対して抵抗力を持つ稔、桃花、和葉、そして彼女の祖父である高井 正隆だけである。

  桃花や正隆にだって、簡単な説明。ただ、人々の記憶から渚に関する事象が消えていくという程度にし
 か説明していない。

  ”彼ら”の策略によって起きた事件のことを知るものは自分と和葉だけのはず。

  それなのに、先ほど彼らは渚の名を出した。つまり、渚のことを覚えているということなのだ。何故彼らが
 知っているのか、答えはわかっていたが先ほどの彼らの行動については理解が及ばない。
 
  手がかりは、足元に放置されている一枚の紙片と……桃花?

「うわっ死体だ!」

「う〜、お花畑が、見える」

  危険度レベルWまで逝っていた桃花だが、この後適切に行われた稔の看護で回復した。

  手当てを受けている間、桃花がやけに嬉しそうに微笑んでいたのはなんのためか。

  女心にとんと疎い稔が気づくことはなさそうである。



          #        #         #



  そして現在。

  稔は喫茶店のドアを押し開いて入っていた。後に桃花も続く。

  外装の割には、内装にこだわりを持っていた。テーブルやチェアはマホガニー製である。茶器はアジ
 アの物と思われる銀メッキのアンティーク製品。

  壁に掛かっているのはエジプトのパピルスやケルトの毛織物。足元にはペルシャ絨毯。

  どうみてもちぐはぐ。パッチワークをより酷く組み合わせたような内装なのに、店内に灯る少し暗めの
 雰囲気のせいか、どういうわけかしっくりくる。

  ひときわ店の奥に、昼に遭遇した少年と少女が制服のまま座っていた。さらに、見知らぬ二十代女
 性が一人。注文した紅茶を美味そうに飲んでいた。

  こちらに初めに気づいたのは、要という少年であった。

「…来た……」

  顔グロの少女が身を乗り出してこちらを見てくる。だが、その一言があっても、女性は紅茶を飲むこと
 をやめない。こちらから歩み寄る。

  ようやく、女性がカップを置いた。女性はこちらを見てニコリと微笑むと立ち上がって握手を求めてきた。
 女性の笑みは妖艶でありながら、容易く信じることはできない笑みであった。

「始めましてお二人さん。私の名前は下瀬 冴子。今日は二人にいい話を持ってきたの」

  稔は下瀬の手に応えると、立ったままいった。

「渚に関係があるって聞いたんだけどな…違ったかな?」

  要を見る。別に騙されたことに憤りを感じているのではない。ただ、渚の名前を語ってまで接触を図ろ
 うとしたことがどれほどのものか気になったのである。

  見詰めたことで、要はバツが悪そうに顔をしかめていた。本人が望まぬこと、つまり、この下瀬という
 女性が渚の名を語ることを指示したのだろう。

「渚さんの名前まで使って呼び出したことは謝るわ。でも、お願いだから話は聞いて頂戴。私たちは
あなたたちの敵ではないの、むしろ味方よ。だって……」

「私たちも同じように"力"の持ち主なんだから、っていうんだろ?」

  言葉の先を取られたことが意外だったのか、下瀬は初めて微笑を崩した。桃花は既に気づいていた
 のか驚いた様子も無い。

「なるほど、見た目ほど頭は悪くないようね」

  静寂。

「…すまん、ムカついたから殴ってもいいかな?」

  指の第一関節までぎちぎちと力を込めて下瀬を睨む。下瀬は急に困惑した様子を浮かべると稔の顔
 を正面から覗き込んだ。こころなし、下瀬の目が動いている。

「あ、あのごめんなさい。別にそういうつもりでいったわけじゃなくて…その…あの…」

  それまで黙っていた要が興奮気味の下瀬に呼びかけた。

「…下瀬さん……本題を……」

  隣で姫という少女も頷く。下瀬はあっと気づいたように口元を押さえた。これではどちらが年上なのか
 わからない。下瀬という女性はどこか間が抜けているようだ。

「そ、そうですね。しっかりしなくちゃ私。ファイト」

  言動が急に幼くなる。どうやら、先ほどまでの口調や様子は話を優位に進めるための演技だったらしい。
 背伸びをしたいお年頃なのだろうか…違うと思うが。

「え、え〜と。そう、あなたたちに話があったのよね。それで、それで…えう〜〜〜」

  見てるこっちまで応援したくなってくる仕種。

「シモっち、勧誘、勧誘!」

  両手でメガホンを作って、姫が助け舟を出す。『っち』呼ばわりなあたり、やはりこの下瀬という女性は
 他人に舐められやすい性格なのかもしれない。

  下瀬は、もう一度自分を励ましてからこちらをビッと指差した。強い剣幕に思わず一歩引いてしまう。

  全身で空気を吸い込むとあらん限りの大音量でいった。

「そう! 私たちはあなたたちを『肝油』しに来ましたっ!!!」

  『う』が足りない。

  何を満足したのか、下瀬は無い胸を張ってえへんと息をついた。要は眉を傾げていたし、姫にいたっ
 てはあちゃ〜と顔を手で覆っている。

  桃花は『大丈夫?』とかいっている始末。

  短い時間だが、下瀬という女性に対する稔の判定は決まっていた。

  ―――馬鹿だ










 

 


一歩進む   一歩戻る  振り返る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送